自分の最も古い記憶は確か二歳程度だったと記憶している。あの頃はまだこの世の全てに関心があった。両親のこともまだ慕っていた。自分が物心ついてからも暫くはある程度平穏な生活を送っていた。変化が現れたのは小学生の頃。自分は両親から賢い子になると言われていた。事実、特に勉強などせずとも学年でも最上位であった。その当時の私は誰かと常に一緒にいるわけでもなし、それでいて孤立しているわけでもなかった。ただ、私の容姿はこの頃からすでに現在のものと遜色ない程度には整っていたと自負している。だからだろうか。よく女子から言い寄られていた。当時の私にとってそれは実に不快で、邪魔くさい存在にすぎなかった。しかし、そんな色恋沙汰を敵視していた私にも気になる人というのは存在した。しかし、そのいずれも私は手を出すことができなかった。声すらかけられない。私は、私に言い寄ってくるそのほか全ての人間を嫌っていた。私が好きになる人間も、きっと私から言い寄るのは不快に感じるだろうと思って何も言わなかった。小学四年生になると周りの人格もある程度固まってくる。意地の悪い者。口うるさい者。そのどちらにもつかない自分。私は世界が怖くなった。この世の何もかもが私に合わないのだ。ちょうどその頃になると皆恋愛感情をより強く意識しだす。私の忌み嫌うそれは更に増殖し、より学校生活を苦のあるものに変化させていった。毎日のように靴入れに紙屑が入れられ、逆恨みしてくる男子には虐められる。その頃になると私の容姿はより進化し、女性らしさが強く主張されるようになっていた。それまでの殆ど順調に進められていた学校生活が一変した。女子は私のことを庇い、男子は私のことを目の敵にする。担任の教師はそれを知っていながら情熱のない男だったため、指導することも、また注意することもなく、一年をなあなあで終わらせようとした。その頃には私もすっかり両親のことは嫌っていたため、私の居場所は当になかった。妹も私と同じ学校にいたが、逆恨みで攻撃されていたらしく、家に帰ってはその恨み言を延々吐かれ続けた。もちろんそんなもの私は知るわけもない。特段何も関わりを持っていなかった妹までも私の敵になった。兄は私には無関心で、家業を継ぐための勉強を惜しまなかった。もちろん好きにすればいいと思っていた。だが、だんだんと勉学で周りに劣っていく現状を目の当たりにした両親は、私に向かって家業を継げと言い出した。兄は出来損ないだった、お前はやはり賢い子だ、などとまるで自己保身に走るような言葉が耳に入り続けた。兄は初めは私には作り笑いでお前のせいではないと、私の実力不足なのだと、両親を嫌う私には唯一何も攻撃せず、私のことを可愛がってくれていた兄が、次第にやつれ、疲弊し、仕舞いには私に暴力をもって接するようになった。私は両親が更に嫌いになった。とうとう居場所のなくなった私に残されたものなど何一つなかった。小学五年生の冬頃。いじめも次第になくなり、私に言い寄ってくる女子も熱が冷めたのか減り、男子からの逆恨みもなくなっていった。しかし、そうなったところで私の孤独は無くなるはずもない。家では決まって両親から期待の言葉を呪文のように唱えられ、兄は私のことを隠れて罵り殴り蹴った。妹は私に興味をなくし、両親に媚を売るようになった。この寒さゆえに傷口が痛んだ。それでも兄は賢く、攻撃する場所は服で隠れる場所ばかりを選んだ。私はストレスで拒食症になった。髪もザンバラに腰あたりまで伸びた。いくら切ろうとも無限に伸び続けた。育ち盛りの10代の初めにして食が細く、ゆえに体も弱っていった。頻繁に風邪をひき、学校を休むようになった。そうすると今度は両親が兄に向かって手のひらを返す。狂っていた兄はその言葉を間に受けて一心に勉強をした。そうなると私へ攻撃するのは時間の無駄となり、自動的にストレスの元が減った。妹は弱っている私をみて笑い、両親は私のことをゴミを見る目で接する。いっそ死んでみようかと思い、街と街の間を繋ぐ大きな橋の上に立っていた。その日は冬にもかかわらず大雨が降っていて、気温も相応に低いため、体が冷える。その橋は川の上に吊られていて、相当な高さがあった。飛び降りようと橋の手すりに手をかけたところで急に私の体が強張って死ぬのを怖がった。結局家に帰り、次の日熱が出た。小学六年生の卒業式。両親も、兄も、妹もその他誰も祝わなかった。私は、この家にはすでにいらない存在になっていた。それでも中学校に行かせるのは親としての最低限の情けか、それともさっさと独立させるためのものなのか、その両方なのか。中学に上がると、私は周りから奇異の目で見られるようになった。校則違反になるほどの髪の長さ。しかし、その髪を切ったすぐ翌日にはまた同じ長さまで伸びる。誰も近寄らなかった。先生ももはや諦めて、注意すらしなくなった。髪を縛るのが最も楽であることに気づいたのは中学二年生の頃。そうなると、今度はまた私に言い寄ってくる人間が増えた。なぜだか知らないが、女だけでなく男にも一定数言い寄られた。私は吐き気がした。多少見た目が変化した程度でここまで変わるとは。より人間というものがわからなくなった。この頃には進路を決めなさいと先生が焦り出す時期で、それに伴い面談も行われた。私は、何もする気がなかった。何を選ぼうと、自分は何もなし得ずに消えるのだと思っていた。私は海軍に入ると伝えた。よくテレビでも新聞でも取り上げられていたものだ。軍に入れば、そこそこの暮らしもできる。嫌になればすぐ死ぬための設備だって大量にある。先生はぜひ入ってくれと言って、少し興奮気味に進路先の学校を教えてきた。この国にとっての軍とはなくてはならず、かつ人間との戦闘は起こらない。海に生息する謎の存在と戦うための機関であるからで、もちろん世間からは賛否あるが、公僕の教師からすればそれに入る人間がいるほど評価も上がるのだろう。ちょうどその時だったか。両親が死んだ。どこかへ遊びにいった時だった。私は連れて行かれず、勉強をするでも、遊びに行くでもなく、ただ漫然と自分が死ぬまでを思い耽っていた。そんな時に警察から聞かされたのがそれだった。私は心底歓喜した。自分を縛るものはなくなり、それでいて自由となるのだ。電話を切った後は狂喜乱舞した。家の中を走り回った。兄も妹も出かけていたから私一人の自由な空間は確実なものだった。その翌日。両親の訃報を二人に伝えると、兄は取り乱し、妹はガタガタと震えていた。兄は生きる意味を失い、妹は好き勝手できる人間がいなくなったのだから、当然だろうと思った。ただ一人、私だけが優越感を感じた。幸せだった。この世の何よりも、これまでの何よりも幸福を感じた。翌日二人は行方不明になった。この家は完全に私のものになった。数日後。軍からの手紙が届いた。兄と妹が海で死体となって見つかったらしかった。私は更に喜んだ。これまで私に危害を加え続けた悉くから今解放されたのだ。喜ばずにはいられなかった。数日経ち、役所の人間が私の元に尋ねてきた。なんでも、遺産相続についてらしい。すでに相続税分は差し引いた上で、私に渡るものを伝えにきたらしい。資産は引いたはずでも、目が飛び出るほどにあった。家も資産も私のものとなった。家業は引き払い、また別の誰かのものにした。そうすると、また金が増えた。14にしてすでに一端の資産家と同程度の財力が私にはあった。誰にも邪魔されないこの素晴らしい空間に私は横たわった。父の手記を見つけた。何も書かれていなかった。無計画な男だと思って、破り捨てた。母の気に入っていた本を手に取った。付箋が貼られ、もはや読めないほどに覆われた文章を見て、やはり頭が弱いのだと笑った。兄の勉強の成果を見た。紙には乱雑な文字で殴り書きされていた。その勉強ではそりゃあ身につかないだろうと努力を鼻で笑った。妹の部屋を見にいった。趣味のものでいっぱいに溢れ、机の上には雑に放置されたお菓子の包装紙が捨てられていた。こんな状態のままで暮らしていればあんな性格にもなるだろうと蔑んだ。私を縛る存在などなかった。それでも、外にはバレないように。その狂気を持ち出さないように。徹底して"今までの自分"を演じ続けた。