何していたんだったっけ。そうだ、演習して、ご飯食べて…寝ちゃったんだっけ…。次第に意識をハッキリとさせていく。部屋の中には月明かりがぼんやりと差し込んで優しく部屋を照らしている。時刻はマルフタヒトマルを示している。
「変な時間に起きたわね。もう目も冴えちゃったし…二度寝できそうにもないし…ここの中でもじっくり見てみようかな…。」
霞を起こさぬようゆっくりと扉を開け、寝巻きのまま廊下を進む。廊下は昼よりも寒く、ひっそりとしていて、不安感を刺激する。一方通行の廊下をふらふらと歩いていると、不意に月明かりがシャットアウトされる。かと思えば、ポツポツと雨が降り始める。雨は勢いを増し、ひどく耳障りな雑音を発している。一層下がる温度に、方向感覚を失わせる闇は曙へ恐怖心を与えるに十分足るものだった。壁に手をつき恐る恐る歩き、わずかに光の漏れる部屋を見つける。そこから発される光はまるで曙を誘うように弱々しくも優しいものだった。その光の源は司令室からだった。
「クソ提督?入るわよ?」
コンコンと思い扉を叩いた曙の目に飛び込んだ景色は信じがたいものだった。提督が目を虚にさせ、餌を求める魚のように口をパクパクさせながら呻き声をあげ、頭を壁に打ち付けていた。
「ちょっと!何してんのよ!」
曙の声は届かず、なおも続けられる行為を止める術は力づくを除き残されていなかった。
ぐいと壁から提督を剥がし、床に寝かせる。あうあうと声にならない声を発し続ける様を曙は見ていることしかできない。残っている腕を逆の肩に当てがいながらやがてその発作は落ち着き、目を閉じた。曙はそこを離れることも、近づくこともできず、涙を流すことしかできなかった。
翌日。雨は当に止み、太陽が登り、司令室にやわらかな光を浴びせる。
「ん…なぜこんなところで…ん?おや曙。何故そこにいるんですか?」
起きると何事もないようにこちらを見る提督に無性に心配になる。きっと心に何か大きなモノを抱え、発散できずにいる。
「クソ提督が心配させるようなことしないで…。」
なんのことかわからず首を傾げる目の前の男に怒りをこえてもはや憐れみすら感じ、無意識のうちにひしと抱きついていた。
「おやおや甘えたさんですねぇ。」
優しく受け入れる提督にはもうあの痛々しい姿は無くなった。
「何かあるなら…あたしでも霞でも、誰でもいいから相談してちょうだい…。」
喉の奥から肺に残っていた微かな空気を搾り掠れた声を押し出す。その声は届かず、
「今日の曙は不思議ですね。何かありました?霞に何かされました?」
ちょうどそのタイミングで霞が部屋に入ってくる。
「霞よ。入るわよ司令官。って、何してんのよあんたら。」
「いや今日の曙は甘えたいようなんです。まだここに来たばかりからかも知れません。それに、何か怖い夢でも見てしまったのかも知れませんし。」
提督の胸に顔を埋めながら目に涙を浮かべる曙は嗚咽を押し殺していた。
数分後。
「落ち着きましたか?」
「ええ、ごめんなさいね。こんなことして。」
涙を拭いながら体を離す。
「構いませんよ。ほら、着替えてきなさい。そんな格好ではいけませんよ。」
突然恥ずかしくなり、かけだしてしまった。
「本当に不思議ね。昨日までは何もなかったし。」
「霞、何もしてませんよね?」
「もちろんよ。やっぱ、怖い夢を見たってのも間違いじゃないのかもね。」
制服に着替え改めて司令室へ赴く。
「来ましたか。さて、ここからはメンタルケアの時間です。霞は一応席を外してもらえますか?」
「構わないわ。」
「どうも。」
「で、曙。今日はあなたらしくない行動が見られましたが、精神的にある程度余裕は持てていますか?」
自分が一番辛いはずなのに、他人に、しかも会って間もない自分に寄り添おうとする彼をひどく可哀想だと思ってしまった。何故そう思ったのか、憐れんでしまうのか、答えの出せない悩みは曙をひどく混乱させる。
「曙?」
ハッと我にかえり、いつものそっけない態度を出してしまう。
「別になんでもないわよ!あたしに構わないでもらっていい!?」
自分の発した言葉に腹が立つ。何故あのことを言い出せなかったのか。
「ふむ、私がここで起きたのに何か関係でもありますか?」
いきなり正解を引き当てられる。心でも読めるのだろうか。沈黙の曙にじれったそうに質問を続ける。
「別に誰に言いふらすわけでもありません。どんな理由でも、構いません。」
「…昨日、ここに、入った時、クソ提督が、壁に、頭を、打ち付けてて、」
話しているだけで体が震え、上手く言葉を紡ぐことができない。
「ふむ、そんなことがあったんですか。」
返事は一言、特に気にする様子もなく一蹴する。
「何か大事かと思えば、そんなくだらないことで泣いてしまうなんて。」
次第に憐れみが再び怒りへと再変換される。
「私のことなんて気にしないでいいんです。」
何故、この男は自分を気に掛けることをそんなに悪であるかのように話せるのか。何故、泣かれるということを重要視できないのか。
「他に何か…」
「もういいわよ!そんな事言うなら勝手にすればいいじゃない!あたしもう知らないから!」
曙が司令室を駆け足で離れていく。
「まだまだ子供ですね。」
「そういうことじゃ、ないと思うのだけれど。」
どこからともなく霞が現れる。
「今の話聞いてたんですか?」
「『席をはずせ』と言われただけで、『聞き耳を立てるな』とは言われてないからね。」
「まったく、いい性格してますね。」
「貴方ほどじゃないわ。で、曙に謝る気はないの?」
「何故、謝る必要が?私に何か落ち度でも?」
「ありまくりよ!自分を心配してくれた娘に、あんな言い方、最低よ。」
「私も悪かったとは思いますよ。しかし…」
「言い訳はいいの!さっさと謝ってきなさい!悪いと思ってるなら尚更よ!」
半ば強引に霞に押され、曙のところまで進んでいく。ガチャリと艦娘用の部屋の扉を開ける。膨らんだ布団は目につき、そこに曙がいるということを強く主張していた。
「曙。先ほどは申し訳ありません。ただ、私からすれば、私のことでそこまで心配されるという経験がないため、突き放すような言い方になっていたかも知れません。気持ちはありがたかったんです。あくまで、その感情の出し方を知らなかっただけなんです。体をどうか上げてもらえませんか?」
むくりと体を上げた曙の顔は鼻と目元が赤くはれ、痛々しい顔になっていた。
「わかれば、いいのよ。でも、あんな言い方しないで。自分を下げる言い方、しないで。あなた、絶対、何か、抱え込んで、る、から。」
嗚咽混じりの声は先ほどよりも強く印象に残った。
「よくわかりました。しかし、今の私は貴方の要望に応えられる自信はありません。なので、そういう時は曙がすぐに助けてもらえますか?」
何もわかっていなさそうだ。しかし、それでも、
「うん。」
短く肯定の言葉を述べることしかできなかった。