弓道場は結局使えなかったので、自分たちの部屋に戻る。自室ではなく司令室だが、昼はここの方が落ち着く。雨は止みはしたが、依然として重い雲が重なっている。太陽を拝めそうにない空と、走る武蔵が見えた。朝からずっと走っているのか、それとも今出てきたのか。距離があるためそこまで正確に把握することは難しい。
「ねえ、どこ見てるの?」
霞の方に目をやると不満そうに頰を膨らませている。可愛い。
「別に何も見てませんよ。えい。」
指先で頰を突くと、ぷひゅると空気が抜ける。そして、恥ずかしそうに笑いながら私の身体に腕を回す。
「それ好きですねぇ。そんなに見せられたら押しちゃいますよ。」
「司令官だから押していいの。」
「わお嬉しい。」
頭をまた撫でる。すると満足そうな表情になる。やはり他の霞とは似ても似つかない。前に務めていた鎮守府でも、それ以外の場で見た霞も、みな厳しい発言が多い事で評判だった。基本的には好かれてはおらず、一部の物好きくらいしか肯定的でなかったと記憶している。しかし、今ではその物好きの枠に私も入っていることに気づいた。ちらと目を向けると、顔を赤く染めながら前髪を少し上げ、額をこちらに見せている。
「…どうしました?」
「あ、えと…」
もじもじと言葉をつまらせながら、それでも目線は私を…もっと詳しく言えば私の口元を見ている。
「…綺麗な肌ですね。」
「そ、そうじゃなくて…」
「あ、熱でもありますか?」
「ちが…」
わかってはいる。揶揄いたいのだ。この可愛らしく柔らかい存在を愛でていたい。
「おでこに…その…」
言い淀んでいる間にそっと唇を触れる。鳩が豆鉄砲を食ったような顔で一瞬こちらを見て、状況を理解したのかすぐに顔が赤くなった。
「あ、これじゃありませんでしたか?」
「そうだけどそうじゃなくて…」
「まあ、いいです。これから私は少し寝ます。起きるまではここに来た他の子の相手をしてあげてくださいね。」
「そんないきなり…」
「ではおやすみなさい。」
もちろん本当に寝るわけではない。暫く密着しながら霞の行動を観察したいのだ。
「ちょ、司令官?…本当に寝ちゃった?」
司令官が目を閉じて大体五分。規則的な呼吸で眠っていることをアピールして来る。いまの格好は、正直他の子に見られたくない。後ろから司令官が抱きついて、私の肩に頭を乗せている。けれど、乗せると言っても頭の重みが直接来ているわけではない。額だけ器用に机の上に乗せているので、私に負担はあまりかかっていない。なんと言うか、凄く包まれているような、そんな体勢。ついでに司令官の両腕は私の身体に巻きついている。10分程経過しても、まだ起きる様子はない。こうされると私は一切動けない。机の上に丁寧に整理された書類を読むくらいしかやることもない。ペラペラめくってみても特に面白いものもなく、ただ時間は過ぎて行く。眠った司令官の腕が突然、私のお腹をそっと撫で始めた。少し驚いて司令官の方を見ると、まだ眠っていた。くるくると回すような手つきで私のことを撫で続ける。結構くすぐったくて少し笑いが込み上げる。
「司令官?起きてる?」
「…」
返事は無く、呼吸だけ聞こえる。すすすと腕が上の方に来て、私の胸の辺りをなで始めた。特に何も感じないというか、制服に加えて下着まで着ているので、司令官の手の感覚は思ったより届かない。しかし、今この現場を誰かに見られるのはまずい。色々説明が面倒臭くなる。
「司令官、そろそろ起きないと。ね?」
隣に置いてある司令官の頭をぽんぽん叩く。すると、少し物足りなさそうな顔を持ち上げた。
「おはよ、司令官。」
「ええおはよう。」
その時の司令官の目は、黒く濁っていた様な気がする。