梅雨の時期故に湿気がどうにもうざったい。自前の髪も湿気のせいで心なしかいつもよりも重く感じ、憂鬱になる。膝の上の霞は、いつものように機嫌良くふんふんと鼻歌を歌っている。じっとりと重苦しい空気感を彼女の仕草で晴らしてくれる。
「霞はいい子ですね。」
「んえ?突然どうしたのよ。」
「いえ…?別に。」
「何かやましいことでもあるの?」
霞がジッと疑り深い視線を向け、何か探り出そうとしている。別に何があるわけでもないので、あらぬ疑いはすぐにでも晴らしてしまいたい。
「私があなたに隠し事をすると思います?」
「…名前以外はね。」
「でしょう?」
さりげなく私のタブースレスレを狙うあたり相当霞も私の扱いに慣れたらしい。それだけ私のことを理解してくれたということがわかって、なかなかに気分がいい。
「別に隠し事の一つや二つ、あってもいいけどね。」
「おやおや。」
身体を向き直し、私の方に抱きつきながらそう言う。私への信頼が厚い証拠であるかのようなその仕草のお陰で陰鬱な空も晴れるような、そんな気分だった。
「司令官、少しお話が…」
遠慮なしに司令室のドアを開け、青葉が手帳を片手に入り込んでくる。
「あるんですけ…失礼しました。」
先の動きをそっくりそのまま逆再生したような動きを目で追う。別に見られようがなんだろうが構わないが、もしかしたら勘違いさせたかもしれない。
「青葉、どうしたのかしらね。」
「さあ。取り敢えず後で向かいますか。」
それからまた数分程度密着したまま過ごした。流石に熱も篭って、額に汗を感じる。いくら拭っても湿気は取れない。
「ジメジメしますねぇ。これだから梅雨は…」
「暑いわ…」
離れれば良いと言えばそれまでだが、勿論私は離れる選択肢はとうの昔に掻き捨てているので、提案する気はない。霞も手の力を緩めているとは言え、もたれかかる身体はそのままにしている。
「提督さん、弓道場の屋根どうにかなんないかな。晴れてたらすごい景色いいんだけど雨の日は使えないからさー。」
「妖精さんに伝えておきますよ。渾身の出来だとは思ったんですけどね。」
瑞鶴が乗り込んで、不満を漏らす。しかし、これはもっともな意見であり、反論の余地はない。見た目の為に機能を捨てれば、それは当然使用者からの批判は来る。それが、案外心に刺さるのは私だけではないだろう。
「ありがとね〜。じゃ、ごゆっくり。」
スタスタと廊下を進む足音が遠く小さくなる。
「ここの艦娘はノックもできないのかしら。」
「まあまあ、別にやましいことをしているわけではありませんから。」
「だめ。司令官はここの艦娘を指揮する立場にいるのよ?それなのにこんなに雑な扱いされてたら、艦隊の指揮にも影響するわ。」
やはり、霞は霞である。普段の態度や行動を見ると他の霞とは似ても似つかないようなものだが、こういった上下関係であったり、演習であったり、出撃であったり。これらの面では他の霞よりも更に厳しくなる。そういうギャップも悪くない。そう思っていると、自然に手が動いて、頭を撫でていた。
「ん、もう。私は真剣なのに…。」
「だからこそですよ。」
コンコンと扉が叩かれる。珍しい音の後には見知った顔である曙が乗り込んできた。
「おや、加賀はいないんですか。」
「今翔鶴と話してんの。あ、あと、霞の練度もういい具合でしょ?それに、実力もハッキリ言ってあたしたちとは相当離れてる。」
「何が言いたいんです?」
少し息を切らす曙は、一拍置いてから再び喋り出す。
「あたしも、他の子達に比べれば高い自信があるわ。だから、今度からの演習は霞とあたしのマンツーマンの実践形式と、他の十二隻での艦隊演習にしたいの。」
「なるほど。で、霞。どうします?」
「いいと思うわよ。」
「やけにあっさりね。」
「私よりも曙の方があの子たちのことをよく見れてるもの。曙のやりたいような演習の方があの子たちにとって身になるのなら、私はそれで構わないわ。」
「ありがと。じゃあね。」
曙が満足そうに扉の後ろに消えていく。
「霞の練度、いくつでしたっけ。」
「私は今…141くらいね。」
「曙は?」
「99とか言ってたわ。」
「…加賀は?」
「今…ね。確か70とか?」
古参の二人の練度が恐ろしく高い。三番目の加賀ですらそれの足元にすらいないのは、やはり彼女らの強さを物語っているだろう。
「そういえば曙から、ケッコン指輪と書類をくれって相談受けてるんですよ。」
「どういうことかしら…」
今にも私を手にかけそうな圧力を仕掛けてくる。
「違いますって。ほら、加賀とですよ。」
「加賀と?」
一瞬地獄の釜を開けたような恐ろしい気迫を感じさせたものの、すぐにいつも通りの柔らかい雰囲気に直った。
「二人とも好き合っているじゃないですか。きっと、私たちの指輪のように二人だけの繋がりというものが欲しいのではと思いまして。」
「なるほどね。曙も大概、ね。」
ずっと前から仲間として過ごしていたからか、恐らくは気に入っている節もある故だろう。遠くを見るような慈悲深い瞳をしていた。
「司令官〜。」
「姉さん、ノックして。」
「あら〜、ごめんね霞ちゃん。」
新入りの荒潮である。霞の姉。おっとりとして掴みどころがないのは他の荒潮と共通している…と思う。
「あんまり早い時間にそういうことは関心しないわぁ〜。」
「平常運転ですから。これ。」
むすっと私の方を睨みつけ、それからすぐに元の表情になる。
「なら良いかとはいかないけど〜霞ちゃんがそれで良いなら私ももう言わないわ〜。」
「嫌ならすぐにでも離れてるわよ。」
そう言って、見せつけるように私のことを強く抱きしめた。
「…じゃあね霞ちゃん。」
「用はないんですか?」
「あら〜?用がないときちゃいけないのかしら?」
「そういうわけではありませんがね。では。」
ニコリと笑って司令室を後にした。
「姉さんにも困ったわ。心配しすぎなのよ。」
「美しい姉妹愛ですね、これが。」
「そういうものなの?」
雨足は少し弱まり、蛙の鳴き声が聞こえ始める。