ため息が部屋の中に聞こえる。他でもない曙のもので、その原因も既に理解している。しかし、これほどわかりやすく落ち込むこともないだろうと思ったりもする。
「やっぱり不安?」
「…まあね。」
今までずっと見ていたけれど、曙自身も相当加賀のことが好きだということはわかっている。そして、それ以上に加賀の普段の曙への態度も見てきたからこそこちらとしても一刻も早くどうにかしてほしいというもので…
「原因って言ってもそれが何かわからないんじゃ対処のしようがないわよね。」
「それなのよねぇ…寝る前は特段変わった様子もなかったんだけど。」
「詳しく思い出してみて?」
腕を組み、頭を捻りながら何とかキッカケらしきものを探そうと思案する彼女の眉間はキュッと窄まり、時に虚空を見つめる。
「布団敷いて…寝る前にちょっと本読んで…その時はもう加賀は寝てたわ。それより前は瑞鶴達もいたから、何かあったらあの二人も言ってくれてたはず。」
何も情報がない。どころか、いつもと変わらない様子だったらしく、本格的になぜなのかがわからない。
「…司令官に遅れるって伝えてくるわ。待ってて。」
「わかった。」
食堂はこういう話をするのに最適だった。間宮さん達は基本裏の部屋か畑の方にいるから、話が聞かれてしまうということもない。
「はぁ…」
霞がいたから何とか正気を保てていたけれど、今ではどうもそうはいかない。どうして忘れてしまったのかなんてあたしが知りたい。あんなに愛し合っていたのに、一夜にしてその全てがなくなってしまった。一人になったことがわかると、自然と涙が溢れ出した。けれど、今の私にはこの水を拭き取る余裕なんてなくて、突っ伏すことしかできなかった。ため息は止まっても、その代わりに嗚咽にも似た何かが喉から込み上げる。少し前まで当たり前だと思っていたことが突然魔法が解けた様に消え去って、ここにはどうしようもない現実だけが残る。あまりに無力な自分が情けなくて、気が狂う。
「隣、いいかしら。」
加賀が、いつのまにかあたしの横に座った。静かで、威圧感のある声で、聞き慣れたあの優しい声ではなかった。
「いいけど…。」
顔は上げずに、声だけで返事する。何故ここに来たのかも、どうしてあたしの隣に居るのかも、聞く気にならなかった。あまりにも無気力で、どこまでも空虚な空間が続く。
「あなた、私と恋人だったらしいわね。」
「…だったら何?」
「いえ…信じ難い事実だ、と。そう思います。」
その一言が、心の奥の方に深く突き刺さった。涙が全て引いて、奥の方から怒りが込み上げる。けれど、それをぶつけられる相手がなくて、すると徐々に悲しみが強くなる。
「そうなの。じゃあ、あたし、もう戻るから。」
最早隠すこともできない涙をそのままに、居心地の悪い場から逃げ出す。少し強く鳴るドアの音に、自分でも驚いた。
この鎮守府にしては珍しく溜まった書類と、それをまとめ上げる長門と提督の姿がある。
「どうも。仕事手伝ってもらって悪いですね。」
「いや…別に構わないが、霞はどうしたんだ?」
「…少し用があるらしく、しばらく戻らないらしいです。」
「そうか。」
霞に構っていた間に着々と溜まっていた書類やらにハンコを押す作業を進める。例の大規模作戦のもので、既に終わらせたはずの書類が数を増やしてもう一度こなさなければいけなくなった。事後処理の様なものだと言われていたため高を括っていたツケが回ってきたらしい。書類ともなれど、この量は時間がかかる。
「これほど溜め込むとは…先が思いやられるな。」
「次回からはしっかり終わらせますよ。次はこうなりません。」
「あ、ねえ加賀。曙はどこ?」
「どこ…ですか?確か、自室へ戻っているはずですが。」
「…わかったわ。」
あの冷たい目が、どうにも同じ加賀には見えなかった。艦時代の何かが関係しているのか、それとも突発的な異常なのか、そのどちらにせよ早急に対処する必要がある。
「曙、ねえ、曙?」
「…帰って。」
「なんで?加賀と話をできる機会じゃないの。」
「今は…そういう気分じゃないの。そっとしといて。」