「司令官…?」
いつのまにか眠っていたらしく、背中に彼の体温を感じない。辺りを見回してみてもどこにも見当たらないし、給湯室にも姿はない。不安が込み上げてきて、心細くなる。
「失礼します。」
コンコンと扉が優しく叩かれ、向こう側から大和の声が聞こえる。確か、今朝は青葉と喧嘩していたらしい。何かあったのか、それとももう解決したのか。
「入っていいわよ。」
ゆっくりと扉が開いて白い水着とラムネ瓶を抱えながら入室される。随分ふざけた格好ではあるけれど、今の私もそう大して変わりはない格好だったことを思い出す。
「何か用?」
「いえ。青葉さんとの勝負に負けてしまったので霞ちゃんのところに来ました!」
なぜかにこやかにそう伝えられる。しかし、あの青葉が勝利するとは一体どういうことか。勝負事は嫌っていそうな感じだったと思っていたから、少し意外だった。執務机の上に一本ラムネ瓶を置かれ、こちらの様子を伺うように覗き込んでくる。
「…もらうわね。」
「ええ、どうぞ!」
開け方はわからなかったけれど、大和の真似をしてビー玉を掌で押してみる。ポッと音が鳴り、そしてビー玉が飲み口から外れる。抱えていたそれがなぜか冷え切っているのにはあまり言及はしないでおこう。一口飲もうと口に飲み口を当て、傾ける。炭酸を喉が滑り、パチパチと弾ける。舌と喉が痛くはあるけれど味はなかなか。
「ん、美味しいわね。」
「よかったです。」
そう言って、私を抱え上げ、椅子に腰掛け、膝の上に私を乗せる。
「…?どういうこと?」
イマイチ状況が把握できない。私としては困惑の中に少々の安堵感があったのは事実だった。
「大和、あなたに少し嘘をついていました。」
「?」
「確かに青葉さんに負けたのは事実ですが、本当は提督に頼まれたからなんですよ?」
一体なぜだろうか。先程までは嫌な想像が膨らんでいたけど、律儀に私の様子を見てもらいに頼むなら、それほど焦る必要はないと思う。まあ、それにしても膝の上に私が乗る必要はないと思うけど。
「ですから、今だけは大和を姉と思って甘えてくれてもいいんですよ?」
と、大和がそう言った途端に壊れてしまいそうな程に強く扉が開かれる。そこには汗を滝のように流しながら、それでも上品に佇む荒潮姉さんだった。
「だめよ〜?霞ちゃんの姉は私なんだから〜。」
なぜだか久しぶりに見たような気がする姉さんも大和も一触即発の非常に危ういバランスで保っている。
「ねえ…霞ちゃん?私と大和さん。どっちがお姉ちゃんかしら?」
「えっと…荒潮姉さん?」
そう答えると表情を一瞬で明るくさせ、逆に大和からは重くのしかかるようなプレッシャーを受けた。
「そんなことないですよね!なんと言っても大和は大和型一番艦!武蔵のお姉ちゃんですから!」
「えっと…?そうね?」
今度は大和側が嬉しそうにし、荒潮姉さんが悔しそうに唇を噛む。
「二人とも、一旦落ち着いて…」
「大和さんは〜武蔵さんがいるじゃないですか〜。」
「そうですけど…でもなんだか私の方が妹みたいな感じになってしまっているじゃないですか…」
「そうねぇ…なんでも武蔵さんに聞いているからそうなるのも当然よねぇ?ね?霞ちゃん。」
「な、な…そんなこと…」
大分空気が悪い。どうにかして逃げ出したいのに、大和のホールドがさらに強固になり、抜け出せない。やがて互いにヒートアップしていき、収集がつかなくなる。益々口論が熱を帯びる。その原因が私にあるような気がして、私も変に気分が乱高下する。
「二人とも…えっと…」
「で、ですから!」
「あらぁ〜?」
間に私を挟んで行われるこれで数分程度争った頃だろうか。扉が開いて、文字通り曙が殴り込んでくる。
「様子見るだけでなんで言い争ってんのよ!」
荒潮姉さんを気絶させ、大和を私から引き剥がして無理矢理連れ出す。そして、二人の代わりと言わんばかりに翔鶴と瑞鶴が放り込まれる。
「よ、よろしくお願いしますね?」
「やっほー霞。大丈夫だった?変なことされてない?」
瑞鶴が頭を撫でて軽口を叩くように接する。その親しみやすさ?というものが今の私には非常にありがたくて、思わず抱きついてしまう。
「おろ、どったの?あ…ははーん。さては私のことが待ちきれなかったんだね?」
「瑞鶴…多分違うと思うわよ。」
さっきとは打って変わって平和だった。誰も声を荒げないし、雰囲気が和やかで、心地良い。瑞鶴も私を抱き返し、頭を定期的に撫でてくれる。
「ねえ…司令官はどこ?」
「んー?どこだっけ。」
また、少しだけ不安になる。どこかで行方がわからなくなったとか、そんな嫌な妄想が膨らむ。しかし、それを翔鶴がすかさずフォローする。
「今は舞鶴の方へお邪魔していると言っていたじゃない。だからその間霞のことをよろしくと言われたでしょう?」
「そっか。すっかり忘れてた。」
舞鶴…確か司令官と同級生とか言っていた人が勤めている所だ。でも、なぜわざわざそんなところまで行ったのかがわからない。それも、私には何も言わずに。仕事として向かうなら、艦娘を誰も…誰も連れて行かないはずはない。しかし、大和と荒潮姉さんに、曙と翔鶴姉妹。連れて行くような娘は誰もいなかった。
「あれ?1人で行ったっけ。」
「え?ええ。そうね。お一人で行かれたわ。何か考えでもあるのかしらね。」
その瞬間不安が込み上げて、正常な思考が難しくなって、その頭が変に熱くなる。
「わ、私…行かなきゃ…司令官…1人だけ…」
「ん?ダメダメ。あの提督さんが理由もなく霞を置いてくわけないじゃん!きっと何かすんごいこと計画してんじゃないの?」
そう。理由もなく私を置いて行くはずない。でも、今の私はその理由がどういうものなのかでいっぱいいっぱいで、どうしようもない。
「ま、取り敢えず落ち着きなって。ほら、ぎゅー。」
いつもの司令官のような温かい抱擁が今の私によく効いて、ゆっくりと眠くなって行く。適度に揺れて、その揺れがまた心地良い。司令官の椅子に静かに腰掛け、私の頭を撫でたり、抱きついたりされる。