「まさかあなたがここまで世話を焼いてくれるとは思いませんでしたよ。」
「うるさいわね!あんたの体じゃ満足に洗えないでしょ!手伝ってあげるからさっさと服脱ぎなさいよね!」
後ろでシュルシュルと服を脱ぐ音が聞こえる。軍服というものはやはり脱ぎづらいもので、片手では尚のこと難しい。モタモタしているうちに霞は先に入ってしまった。
「いやいや遅れて申し訳ありませんね。せっかくの申し出だったのに…」
霞は体にタオルを撒き、濡れた髪を背中にかけている。
「別に構わないわよ。先に体も洗っちゃったし。さ、早くやっちゃいましょ。」
幼い見た目の霞に髪を洗われるというのは恥ずかしさもあり感謝もあり、色々な思いが溢れてきた。
「シャンプーくらい自分で流せるでしょ。」
「ええ。そこまでやってもらうのは申し訳ないですよ。」
髪を流し終え、久々にしっかりした洗髪ができたことによる爽快感が押し寄せてくる。
「ところであんたの腕、不思議ね。欠損にしてはやけに綺麗になくなってる。断面が治ってるのはわかるけど、それにしても変よ。」
「それですか。いや、ただの好奇心だったんですよ。人間に高速修復材を使用したらどうなるのか。」
「え?頭おかしいんじゃないの?」
「はっきり言いますね。否定はしません。私は生まれた時から疑問に思ったことはなんでもやってしまう性格なのです。それがどんなに危険でもね。もちろん腕のいい軍医に頼み、治療を受けました。しかし、この腕は帰ってこない。なら、いっそのこと艦娘がどれだけ傷ついてもすぐに直してしまう高速修復材を使っててみよう、と。どうせクビになるばかりならと思っていた頃には使用していました。結果は腕は生えませんでした。が、あなたも先ほど言った通りに傷口が驚くほど綺麗になっていたのです。不思議ですね。」
「あ、けして他言無用でお願いします。大本営が知ればきっと今度こそクビになってしまいますから。」
「そんな面倒なことしないわよ。体も洗い終わったし、さっさと湯船に浸かっちゃいなさい。」
霞がだんだん母親らしくなってきた。湯船に浸かったのを確認したのか出口へと向かってしまう。
「おや、お風呂はお嫌いですか。それとも、私が嫌ですか?」
「いいえ。そんなことないわ。でも、混浴はお断りよ。何されるかわからないもの。」
相当警戒されている。しかし、無理もない。
「そうですか。では、1人の時間を楽しませてもらいましょう。そうそう、間宮さんがいらっしゃいました。挨拶と、夕食を摂ってください。私は後から向かいます。」
「はいはい。のぼせないようにね。」
1人湯に浮かび、手に余るほど広い風呂場を見つめる。ここにも前任の提督が愛した艦娘たちの思い出が詰まっているのだろう。あくまで想像でしかないものの、そんなところに自分が入ってしまって良いものかとも思う。同時に、明日からの仕事がどうなるのか、任務はあるのか、このまま捨てられないか、ぐるぐると嫌な思考が駆け巡る。
「こんなことを考えるのは性に合いませんね。もっと面白いことでも考えてみましょうか…。」
お風呂といえば…桶、石鹸、水、こんなところか。そういえば、昔は石鹸を足の下に入れたりしていましたね。ツルツル滑って転んだっけ。
「…リベンジです。」
広い風呂場にシャワーでお湯をなじませ、石鹸でスケートを試みる。結果は惨敗。あの日のように転んだだけで、残ったのはただ尻を強打した強烈な痛みだけ。
もう一度風呂に入り直すと、じわじわと芯から温まる感覚を覚える。思考が巡らなくなってきたあたりで体を持ち上げる。霞に心配されては申し訳が立たない。濡れた体を脱衣所へ運ぶと、霞が腕を組んでいた。
「遅いじゃない!さっさと上がりなさいよ!」
「ああ、失礼。随分と気持ちが良くてつい長風呂を…」
呆れた顔でバスタオルを持ってくる霞に今度は妻のような感じがした。
「いいお嫁さんになりますね。霞は。」
「バカ言ってんじゃないわよ。頭おかしいんじゃない?」
無意識のうちに出てきた言葉を修正するつもりはない。いつのまにか用意されていた寝巻きを着て、間宮さんの待つ食堂へと向かう。
「待っていましたよ提督さん。それに霞ちゃん。さ、何が食べたいですか?なんでも作りますよ!」
「私は和食の気分ですね。お魚を焼いていただけますか?」
「私も同じものをお願い。」
「了解しました!腕がなりますよ〜!」
手際よく作られる料理の音に耳を傾けていると同時に、再び現実が襲ってくる。どのような仕事をするのか、どのような成果を残せるのか、いつ処分されてもおかしくない身であるということが体を縛り付けて流そうとしない。
「どうしたの?そんなに震えて、冷や汗も…。」
霞の一言がぼやけていた脳を一気にクリアにする。
「いえ、なんでもありません。少し寒くて。」
自分でもなかなかに厳しい言い訳だったと思う。霞は何も言わなかった。
「お料理できましたよ〜!ゆっくり味わってください!」
目の前にはふっくらと炊き上がった白米に、ホカホカと湯気をたてる味噌汁、すりおろした大根がつけ合わされた立派な秋刀魚が目の前に広がる。みたくない現実を逃れるための数少ない幸せ。
「「いただきます。」」
疲れている体に染みる優しい味だった。あっという間に平らげてしまった。間宮さんはニコニコ笑って、
「お粗末さまでした。」
と一言言うだけだった。
「霞。あなたのための部屋の掃除をできていないのですが…」
「そういえばそうだったわね。今夜だけはあなたの部屋に居ようかしら。変なことしないでよね。クズ司令官。」
「でしたら私は司令室の椅子で寝ますから、霞はベッドで眠ってください。」
「あら、いいの?」
「ええ。」
毛布をかけ、椅子に座りながら雲の切れ間に見える星々を眺める。不安なことばかりでも霞のおかげで乗り切れそうな気がしてきた。瞼の重さを受け入れ、初めての夜を迎える。
「クビを宣告する。」
「あら、まだいらしたんですか?”元“司令官。」
悪夢とは対照的な美しい朝日が体を包み込む。時計は既にマルナナサンマルを回っている。秘書艦用の机には既に霞が座っており、書類を整理しているようだ。
「おはようございます霞。良い朝ですね。何かありましたか?」
「何かも何もありすぎよ!いつの間にこんな量の手紙が届いたの!」
体を伸ばし、机に並べられる書類に目を通す。ほとんどが大本営からの任務だった。
『周辺海域を調査せよ』 『資源を探索し備蓄せよ』などなど前の鎮守府ではみたこともないゆるい任務ばかりだった。ほとんどそのような仕事ばかりで、霞も仕事の内容よりは大量に届いた手紙の整理に文句を言っている。
「霞の部屋を掃除したら周辺海域の警備でもしに行きますか。」
「はあ!?この手紙たちはどうするのよ!」
「後で私が整理しますよ。早く掃除しに行きましょう。」
ため息をつきつつも霞はついてきてくれる。
やはりと言うべきか、部屋は非常に汚く、埃は舞い布団はボロボロ、虫すら湧かないようなまさに廃墟という言葉がよく似合う部屋だった。これでも一番マシな部類の部屋だったので、文句は言えない。妖精さんや間宮さんに無理言って手伝ってもらい、なんとか終わらせる。残った資源を使い、霞の部屋に必要なものを作ってもらった。
「終わったわね。資源も。」
「構いませんよ。どうせ使うこともありませんし。」
「じゃあ行ってくるわ。報告を楽しみにしてなさいよ。」
「いやいや。私も行くんですよ。」
「え?」
「久しぶりの海です。少し張り切っちゃいましょうかね。早く準備してください!」
「あなた本当に頭おかしいわね!そんな体で何ができるっていうのよ!艦娘でもないし!黙ってここで事務作業でもしてなさいよ!」
「私、自分で言うのもなんですが仕事ができる人間なんですよ。現に、ほら。もう書類整理は終わりましたし、大本営からの任務も既に頭に入っています。前は一緒に出撃してMVPをとることもありましたよ?私の練度は70後半程度はあるつもりですよ。」
「だからって…」
「さあ御宅はもういいです。大本営からもプレゼントで愛用の戦艦を送ってくれたそうです。」
怪訝な顔を見せる霞を連れて海へ赴く。天候良好!絶好の航海日和だ。