司令官がどこに避難したか…まあ二択ではあるんだけれど、早めに行った方が良さそうな気はする。誰かを勝手に連れ込んで愚痴を吐いていたりしそうだからちょっと怖い。一応司令室から先に見てみよう。
「司令官。いるかしら?」
ギ…と思い扉が軋んで開き、同時に内側の光景を私に大量の光と一緒に迎え入れられる。眩しすぎて思わず目を瞑ってしまった。しかし、まあここには居ないらしい。数本の水入り容器が床に置かれていてどれほどの錯乱かがわかる。本当に自室に避難しているらしい。
「司令官?」
「うっ!?」
部屋の扉を開けると布団に身を包んでいて、私が声をかけた拍子に変な悲鳴をあげた。
「大丈夫?もうあの猫は居ないわよ?」
「…霞ですか。とりあえずこちらに来てもらってもいいですか?」
「ええ。いいわよ。」
そう答えてゆっくり近づく。水着に特に猫関連のものがついていないのを確認していると、急に腕が引かれて彼と一緒に布団に包まれる。あまりにも一瞬すぎて脳がぐらんぐらんと揺れる。
「ふう…」
「ん?…え??」
頭に彼の顎が乗って、私の前面を彼の片腕が抑える。ついでに長い髪が私の両脇に垂れて、檻の中に居るかのような不思議な感覚に陥る。
「すぐですよ…すぐ…。」
すぐと言われると、それはそれで悲しい。私だって彼とすぐに離れたいわけではないから、複雑。最初は私の手を揉み込んで、次にお腹の辺りを円を描くように撫でられる。これは少しくすぐったい。身を捩らせていると、司令官の顔が私の首のあたりまで落ちて、早い呼吸を繰り返すようになった。
「ひゃわっ?し、司令官、ちょっと?」
「落ち着いてくださいよ。平常心ですよ、平常心。」
「でも…汗かいちゃったし…きっと変な…その…だからあんまり嗅がないで欲しい…。」
司令官が少し間を置いて、そしてまた思い切り空気を吸い込み始めた。
「わ、わ」
全身が撫で回されながら私のことが吸われている。けれど、これ以上の文句を言うと反撃されてしまいそうだから甘んじて受け入れる。
数分経ってやっと落ち着いたのか急に布団を剥がし始める。
「熱いですねこれ。」
「司令官がやったのよね?」
「元はと言えばあの猫のせいですよ。全くこんなところにいるなんて油断も隙もありません。」
いつもの調子に戻って、腹を立てたような動きをする。
「そういえばまだ勤務時間内でしたね…戻りますか。」
「まだお昼前だから全然よ。」
司令官と手を繋いで司令室へ向かう。だいぶ近いのでそれほど歩くわけではないけれど、こうした方が気分がいい。
「あらあら、二人とも仲良しさんねぇ。」
後方から声がして、その声は少しだけ怖い。振り返ってみると案の定荒潮姉さんがいて、髪の先を指先に絡めながら私たちをじっと見つめる。
「仲良し程度に収められるれるのは癪ですね。ふん!」
少しムキになったのか司令官が片腕で私のことを抱え上げる。細腕には似合わない力強さがあった。
「ちょっと、姉さんも変なこと言わないでよ。」
「あら〜。ごめんなさいね〜。あ、机の上に"いいもの"があるわよぉ?」
クスクスと笑いながら私たちの前から姿を消して、その時の後ろ姿は随分楽しそうで、それを見届けた司令官が少し青い顔で私のことをゆっくりと降ろす。
「ねぇ、大丈夫?」
「えぇ…ご心配、なく…。」
肩を回しながら息を整える。無理矢理私を持ち上げたから痛んだのだろうか。少し心配ではある。
「とりあえず、行きましょう。仕事も残っていますから。」
「…仕事?まさかやらずにあの部屋に逃げてたってわけ?」
聞き捨てならない発言は追及しなければ真偽の程はわからない。仮にも軍隊に所属していて、しかもこの鎮守府内で一番上の人間としては随分と随分な行いである。もし本当なら、流石に怒らざるを得ない。
「…とりあえず仕事は終わらせてからお話しするのではいけませんか?」
「いいわよ。仕事を"全部"終わらせてから話を聞いてあげる。」
司令官は仕事がしっかりできる人だと勝手に思っていたのかもしれない。とりあえず誤魔化そうとしないのだけは評価してあげよう。
机の上にはびっくりするほど大量の書類が散乱していて、まずはそれを整理するところから始める。荒潮姉さんの言っていたいいものとはこれのことだったらしい。本当に多くて、30センチくらいの書類の山が2、3個はある。そして、その山の中には納期が数日もないほどにギリギリのものもあった。
「ええ…定期報告程度しかないとばかり思っていたんですがね…いえ、ちょこちょこ進めていたんですけどね!」
「口はいいから手を動かしなさいな!まだまだ終わらないわよ!」
椅子に文字通り縛り付けて強制的に仕事をさせる。いくら仕事ができるとはいえ流石にこの量をすぐに終わらせることはできない。なにしろかなり慎重に決める必要があるものもある。海域の報告書、各艦娘の様子、資源の貯蔵量はまだ簡単だとして、設備の点検、維持費用、妖精さんからの意見を汲んだり、鎮守府周辺の治安もここが管理しているからしなければいけない。こういった書類は基本的に長い時間をかけてゆっくりとこなしていくものなのだから、溜め込んでいてはいけない。
「…ねえあなた。」
「何でしょうか。」
「今朝、海水浴行きたいなんて…言ってたわね。」
「…はい。」
「こんなに仕事がある時に言ってたわけよね。」
「その通りです…。」
「寝言はね、寝てる時だけ言ってもいいのよ?」
すっかり縮こまってしまい、弱々しく項垂れている。しかしそれでも仕事が止まらないあたり怒られている自覚はあるらしい。扉の隙間から覗き込む青葉のカメラを機銃で破壊し、仕事に戻る。