「…ふう。終わりましたよ。」
「そうね。今日中には無理だと思ってたから意外だわ。」
「あなたが手伝ってくれたおかげですよ。」
「溜め込まなければもっと早く終わったと思うわ。」
「手厳しいですね。まあ、それはそうなんですけど。」
お昼前から取り掛かってほぼ休憩なしにやって終わった時間は夜中の9時頃。すっかり空も暗くなり、月明かりがカーテンの薄い生地の向こうにぼんやり光る。食事に関しては間宮さんが気を利かせておにぎりを作ってきてくれたから問題はないけれど、お風呂に関してはまだ入れていない。少し臭いが気になるからさっさと入ってしまいたい。
「皆さんはもうお風呂に入ったんですかね?」
「入ってないとおかしいわよ。私、着替えの準備してくるから。」
そう言って部屋を出る。仕事を少し振り返ると、やけに多かったし重要書類の数も多かった。この鎮守府にできる仕事なんてたかが知れているとばかり思っていたけれど、そんな事はないらしい。それか、面倒な仕事を押し付けられているのか。どちらにせよ溜め込むのは感心しない。それに、柄にもなく怒鳴り上げてしまったし、彼にも流石に悪いことをした。だから、どうにかして慰安してもらえたらいいなと…そう思う。
「霞ちゃん。あれはどうだったかしら。随分楽しんでくれたみたいだけれど。」
「姉さん…。別に楽しんでないわ。それに、あの人も結構抜けてるところがあるみたいだし。」
「あらあら〜。ずーっと一緒にいたのに〜?」
「それはそれ。これはこれよ。あと…ありがとね。」
荒潮姉さんが一瞬固まって、それからいつものように笑顔で言う。
「礼には及ばないわ〜。それじゃあ、私はもう寝るわね〜。」
パタパタと廊下を軽い足音が響く。しかし、耳まで誤魔化す事はできなかったようで、ほんのり赤く染まっていたのが見えた。もしかしたら照れていたのかも知れない。そう思うと、なんだか少しだけ恥ずかしい。
「はい、司令官の。」
「助かります。」
脱衣所では半分脱ぎかけの司令官がいて、髪留めを解いているところだった。妙に色っぽくて変な気分になる。
「どうかしましたか?」
「あ、ううん。何でもないの。」
ふむと一呼吸ついてクスクス笑いながら浴場へ向かう姿は何だか危うかった。それと同時に愛おしくもあると言うのが彼の不思議なところでもある。私も身に纏う心許ない布を剥がし、浴場へ。ほとんど変わらない姿で、本当にあの格好で執務をしていたのかと自分でも驚く。
「…。」
「なに?」
「いえ。二人でゆっくり入るのも久しぶりなものですから、懐かしくてつい。」
「…そうね。いつもは随分賑やかだものね。」
いつもならもう少し声の反響は抑えめで、その代わりに多数の人の声が飛び交っていたのが、今では私たち二人だけの空間となってしまっている。広いはずの空間が実に空虚に見えて、それのおかげで彼のことがよく目に入る。
「…感傷に浸るのも悪くはありませんが、早めにお湯に浸かりたいとも思うんですよね。」
「浸るならお湯の中でもできるわ。」
「そうですねぇ。」
彼の髪を洗いながら、取り止めもない会話だけを続ける。先程までの時間に追われてひたすらに書面と睨めっこをしていたはずの私たちが今度はびっくりするほど静かに話し合っている。全く逆の光景で、でもそれに適応している自分が少しだけ怖かったりもする。
「はい、終わり。あとはしっかり流すだけでいいわ。」
「毎日毎日すみませんね。助かります。」
「私が好きでやってるんだもの。感謝される筋合いはないわ。」
「…好きです。」
「…えっ」
あまりにも突拍子のない発言に少し固まる。そして、どんどん体温が上がっていって、恥ずかしさが増す。
「へ、変なこと言ってないで早くお湯に浸かるわよ!」
「変なことではないと思うのですが…。それに、あなたからの返事も」
「もう!いいから!早く!」
司令官にそんなことを言われるとなぜか私は変に暴走してしまって、自制が効かなくなってしまう。それが嫌で、ついついこうやってしまう。私だってスッと答えを返せたらもっといいのかも知れない。でも恥ずかしいものは恥ずかしいし…
「…ふう。いいお湯ですね。」
「そうね。でも、今は別に私のこと抱きしめなくてもいいんじゃないの?」
「クセですよ。クセ。もはや習慣みたいなものです。」
そう言って彼が私のことをずらして隣に座らせる。いつもよりも深く感じる水深が、実は私の肩のあたりまであったことを今思い出した。
「ん…やっぱりこの方があなたのことがよく見えるわ。」
「そうですか…。まあ、いつもならできませんからね。きっと今日だけですよ。この景色も。」
私のことを撫でながらそんな風に呟かれる。未来なんて誰にもわからないのによく言えるものだ。私は、きっといつか別の日にもこの光景が見れるはずと信じている。
「ん…」
彼の手が徐に私の頬にまで伸び、やがて耳をこね始める。全身が弱い電流で震えてくすぐったい。
「好き、ね。それ、ん。」
「随分反応が良いのでつい。嫌ならすぐにでも辞めますが。」
「別に…辞めなくていい、わ。」