懐かしい廊下を歩き、いつもそこにいて、事務作業をし、彼女らと交流していた執務室にノックをする。いつもなら自分が迎え入れる側だったため、少し違和感が残る。
「入れ。」
中から少し不機嫌そうな声で答えが返ってくる。今はそれほどにヒリツク時期だったのかとぼんやり思いながら重厚感のある扉を開ける。扉の軋む音はない。
「すまないな。簡潔に済ませてくれ。今少し忙しいんだ。」
「大した用でもないですよ。少しお話をしに来ただけです。」
彼が突然上体を起こし、こちらを確認する。呆けた顔で頭からつま先まで見て、隣に立っていた大淀から肩を叩かれて、ようやく我に帰った。
「なんだ、あんただったか。来る時言っておいてくれればよかったのに。」
「守衛の方から電報があったはずですが…。」
「そんなのがあったのかい。柄にもなく仕事に追われてたせいでわからなかったよ。」
パッと顔色を明るくし、フランクに話をされる。眉間に寄せた皺は無くなっていたが、それでも顔のやつれ具合は隠せない。この鎮守府内のことを管理する者として艦娘への対応も相応にしなければいけないからか、先ほどの霞にも似た雰囲気を纏う。
「できればで構わないのですが、こちらの明石と夕張をこちらによこして頂きたく。」
「そりゃまたどうしてだ?」
「私の艦が随分ガタガタなようでしてね。妖精さんからどうにかしないと管理ができないと言われたものですから。」
「…それでどうしてあの二人が必要なんだ?」
「どうしても必要ですからね。なんせあの二人が設計、開発、管理を全て行ってくれていましたから。」
「やはり相当慕われていたみたいだな。よっぽど気に入られてなけりゃあそんなことされないだろうよ。」
「でしたら…」
「しかし、あの二人は今の鎮守府にはなくてはならない。あの二人の…特に明石だ。酒舗も工廠も全てあいつが居てこそだ。夕張に関しても、あんたならわかると思うが相当な戦力にも関わらず明石との共同開発で十二分に活躍してくれている。そんなあいつらを無条件でそっちに送ることは、いくらあんたでも、いくらその二人が頼み込んでも、不可能だ。」
「…そうでしょうね。」
少しため息を吐き、肩を数回回してから腰掛け、こちらに向ける目線だけは逸らさない。
「随分簡単に手を引くんだな。」
「代替案を今から考えればいいだけです。」
「ここにくるほどその艦にお熱なのに"代替案"とやらでどうにかなるものか?」
「どうにかなるのではなく、するのですよ。」
「…まあいい。明石は流石に難しい、が、夕張ならできんこともない。今は後任…と言うか二人の夕張が所属している。あんたと一緒にいた方と、俺が着任してから入ってきたやつだ。」
「どちらの夕張かは任せますが、どちらにせよ助かります。」
「行きたいと手を挙げた方がそっちに左遷だな。大淀、すまないが二人を連れてきてくれ。それと…明石もだ。」
「了解しました。」
大淀が胸に抱いていた書類を机に置き、執務室を後にする。悲壮感のある顔とそれを前面には見せない強さがあった。
「何故明石を?」
「…気まぐれだよ。ここで俺の言うことに従うより、あんたのところで仕事した方が、あいつらも楽しいだろ?違うか?」
「私からはなんとも言えませんが、あなたはとにかくお優しいと言うことは確実ですね。」
「はん、見え透いた世辞はいらねえよ。ま、座りな。茶くらいなら出す。」
彼は随分もてなし上手な様だ。客人用のソファに腰掛け、沈む感覚と一度も座っていなかった感触に違和感と妙な懐かしさを感じる。部屋の外の廊下から喧騒が聞こえ、そのどれもが懐かしい声だった。
「ほらよ。麦茶しかないが…」
「どうも、最近暑くなってきましたからね。助かります。」
「それと…なんだ。話をしたい奴はいるか?初期艦とか…思い入れのある艦とか…なんでもいい。今は幸い全員ここにいるからな。」
「でしたら…叢雲を呼んでもらえますか?」
「ああ。任せておけ。」
ポンと気の抜ける音の後、廊下から彼の声が少し漏れ、響くのがわかる。
「しかしあんたは『そういう』女の趣味なのか?」
「違いますけど…なんなんですかねこれ。」
「俺は武蔵しかわからんからなぁ。あいつも案外気のいい奴だしな。」
「叢雲よ、来たわ。」
軽いノックの音が耳に入り、反射的にそこを見る。懐かしい声のおかげで懐かしい着任当時を思い出す。何をしても怒られ、それが悔しくて、どうにか見返そうとしていたのが懐かしい。ほんの数年前のことが果てしないくらいに昔の様に感じる。
「おう、入れ入れ。お前に客人だ。」
扉が開き、隙間から興味あり気に覗く駆逐艦娘たちが少し見えた。そして、この前チラリと見かけた時とほとんど変わらない叢雲が電探を光らせながらこちらに一直線に向かってくる。
「お久しぶりですね。」
「久しぶりじゃないわよ、電探に嫌に懐かしい反応があったからすぐ気付いちゃったし。前来た時は随分めかし込んでたけど、今はそうでもないのね。」
「気付いていましたか。」
「…で?なんの用で私を呼んだの?大した用じゃないなら酸素魚雷ね。」
「少し顔を見たかっただけですよ。それに、そう言いつつあなたが私に酸素魚雷を打ったのは今までで一度もないでしょう。」
「ふん、つまんないことばっかり言うわね。まあいいわ。昔話に華を咲かせるのも、悪くないわ。」