「曙、髪を結ってもらえますか?」
「いいけど、せっかく義手つけてるんだからそれでやったら?」
「昨日は曙の我儘を聞いてあげました。今回は私が我儘をする番なので。」
「しょうがないわね…。」
優しく髪を櫛でとき、長い髪を結ばれる。
「はいできた。」
「どうも。」
妙に頭が重い感じがして、少し揺らしてみると、チリンチリンと鈴の音が聞こえた。
「曙の鈴つけました?」
「そうよ。結ぶのはアタシだからね。好きにやらせて貰ったわよ。」
「別にいいですけどね。じゃあ行きましょうか。」
いつもの堤防へ2つの鈴を鳴らしながら向かう。
「いい波ですね。」
「そうね。穏やかだし。で、今日はどれくらいやるの?」
「まあお互い気の済むまでやりますか。」
「はいはい。」
折りたたみ式の椅子に腰掛け、釣り糸を垂らす。ただ漫然と海を見つめる。今日初めて知ったことだが、この辺りには鯨が多くいるらしい。プシュッと潮を吹くのを何度もみた。
「お、かかった。」
曙の竿がビクビクとしなっている。釣り上げたカサゴは元気に動いている。
「元気いいですね。その子。」
「ええ。でも小さいからリリースよ。」
「ほう。なかなか感心しますね。」
「そりゃそうよ。大きくなったらまた釣り上げてあげる。」
直後、グンと重く竿がしなった。
「ぐ!結構重いですね…!」
格闘の末釣り上げたものはいつかの深海棲艦の残骸だった。
「何コレ?」
「おそらく深海棲艦の残骸です。この前やった時も釣れましたよ。」
「本当は駆逐し尽くせてないんじゃないの?」
「その線はあり得ません。実際、私がここに送られる直前も周辺海域は徹底的に調査されたらしく、その時にも深海棲艦は確認されなかったそうです。なので、潮の流れが関係しているとしか考えられません。」
「そう…でも、あんまり見てて楽しくないものよね。」
「そりゃもちろん。敵とはいえ、どこかで戦った末にこんなところまで流されているんです。その時の傷以外にも無数についているんでしょう。多分ですけど、深海棲艦側にもなにか我々人間と敵対する目的があるはずです。対話ができないから争っているんですけどね。」
「そもそも対話ができて戦争しないでいいのなら
"元々の"私たちはできていなかったでしょ。」
「はは、それはその通りです。」
再び釣り糸を海に落とす。
遂に今日クソ提督と2人きりになった。左腕には義手をはめて、2人並んで釣り糸を垂らしている。この時期ということもあり、そこそこ厚着しても海から吹く風が隠しきれない肌を撫でる。寒いはずだけど、それ以上に隣にクソ提督がいるから暖かい。釣り糸を垂らしている顔は、ぽけ〜っとしていて覇気がない。目も閉じて、海そのものを全身で感じているように見える。意識を竿から背けていると、微かにピクピクと反応した。
「お、かかった。」
軽くそれを釣り上げると、小さなカサゴがピチピチと抵抗していた。今日初の成果物としては少々インパクトに欠ける。
「元気いいですね。その子。」
突然、先ほどまでのんびりとしていた男がこちらを気にかけてくる。
「ええ。でも小さいからリリースよ。」
釣り針を吐き出させ、海へ帰す。
「ほう。なかなか感心しますね。」
その一言で心が一気に高揚する。なんだか認められた気がして、嬉しくて、でも、その瞬間はもっと格好がつくところで起きて欲しかった。
「そりゃそうよ。大きくなったらまた釣り上げてあげる。」
今の自分の現状を悟られたくなくて、咄嗟にこんなことを言ってしまった。無意識のうちにコイツのことを目で追ってしまう自分がいる。顔がどんどん熱くなっていく。寒いからでないことは確実だ。
「ぐ!結構重いですね…!」
いつのまにか釣りをしに来たのにクソ提督ばかりを目で追っている。大した動きもないのに、目を離せない。今引いている獲物も、彼の細い体では耐えられないのではないか。そんなあり得ない妄想も、本当になってしまいそう。
格闘の末、黒い小さな機械のようなものを釣り上げていた。
「何コレ?」
「おそらく深海棲艦の残骸です。この前やった時も釣れましたよ。」
この前。アタシの知らない話だ。きっと霞と一緒に行ったんだろう。その時は義手もなかったし、多分霞に手伝って貰ったんだろう。なんだか無性にモヤモヤして、誰にもいえないようなこの気持ちが自分にあるということがすごく不安だ。そんな気持ちをしまい込んで、会話を続ける。
「本当は駆逐し尽くせてないんじゃないの?」
「その線はあり得ません。実際、私がここに送られる直前も……。」
あまり話を聞いていなかったかもしれない。彼が話終えるまで、じっと彼の残骸を見つめる慈愛の籠った横顔に魅入ってしまった。
口の動きが止まってから、再び会話を続けるために当たり障りのないことを言う。
「そう…でも、あんまり見てて楽しくないものよね。」
「そりゃもちろん。敵とはいえ、どこかで戦った末にこんなところまで流されて…
…から争っているんですけどね。」
その姿は軍人として、艦隊を指揮する司令官としてはあまりに不似合いな、戦争をする人間としてはあまりに相応しくない顔と喋り方。
「そもそも対話ができて戦争しないでいいのなら
"元々の"私たちはできていなかったでしょ。」
「はは、それはその通りです。」
少し皮肉っぽく言ってみたが、彼はいつも通りの顔で、まるで当たり前のように深海棲艦を脇においた。釣り糸を垂らした顔は先ほどのような覇気のない顔で、優しく海を見ていた。ボソリと小さく
「だからこそ出会えました。」
そのつぶやきが頭の中でずっとずっと反響した。直後、ビュウと横風が吹いて、2つの鈴を鳴らした。