空に浮かぶ雲が今にものしかかってきそうなくらい近いのに、不思議と雨が降る様な空気はしていない。今日は、色々やって疲れた。加賀も寝かしつけてきたし、今日は眠る気にもならなかったから堤防で夜釣りをする。まあ、釣り糸の先には針すらも付けていないから、何かが釣れるわけもない。ストレスか、はたまた全く別の要因か、どうでもいいけど無性に煙草を吸ってしまう。艦娘の身体は別に、吸いすぎたとしても健康上は問題なく、中毒にもならない。だから不思議で、ますます腹が立つ。
「曙、寝ないのか?」
「那智さん…ええ。そんな気分じゃないから。」
「む、例えそうだとしても、やはり眠ることは大切だぞ。明日もきっと演習がある。力を蓄えないとな。」
今日の昼頃着任したこの人は、以前の記憶からかあたしに随分話かけてくれる。その度鳳翔さんに構う加賀からの視線が痛かったのは言うまでもない。
「それに、なんだそれは。まだ若いのにそんなものをフカしていてはいけないぞ。薬指に嵌めているそれも、お前にとって大切な人がいるからだろう。とにかく、没収だ。」
そう言って取りあげられそうになったので、反射的に箱を遠ざける。ただ那智さんの狙いはあくまでも今加えている煙草だった。ひょいと取り上げて、あたしの代わりに一息で吸い切ってしまった。半分以上吸っていたから流石に早い。肺に溜まった煙をさっさと吐いて、吸い殻を手に捨てた。
「ん、これでいいな。」
「この中、まだ入ってますけど。」
「…全て没収されたいか?」
「遠慮しまーす。」
まったく…と手に頭を乗せて溜息を吐いた後、隣に腰を下ろした。
「この釣竿、先ほどから全く反応がないが。」
「餌もないし、月明かりすらないし、なんなら針もないですから。かかる方が可笑しいです。」
「そうか。可笑しいか。だが、私はそうは思わないぞ?」
いきなり何を言い出すかと思えば、竿を両手で持ち、グオングオンと大きく振った。小さく水流が起き、上の方まで水が散る。それでも一心不乱に振り回し、大きな渦が出来上がる。
「ここだ!」
力んで振り上げた竿の先には大きな秋刀魚が巻き付いていて、空中で無力にもがいている。驚いて言葉も出ない。一体どんな手品をしたんだろうか。
「大きいな。どうする?返すか?」
「…どうやって秋刀魚を堤防沿いまで寄せれるのよ…。えっと…とりあえず返してあげてください。」
少し残念そうに秋刀魚に巻き付いていた釣り糸を外し、海へ帰した。
「どうやってこんなところに秋刀魚を寄せれたんですか?」
「知らん。渦を作ったらたまたま海流に乗って流れてきたんじゃないか?まあどうでもいいだろう?魚はこんな状況でも釣れる。」
本当にあれは釣ったとしてもいいものだろうか。どちらかといえば捕獲したと言う方が正しそうに思える。
「お前も艦娘なら、これくらいはできるんじゃないのか?」
「知らないんですか?私たち駆逐艦は、艤装がなければ普通の、見た目相応の力しかありません。軽巡以上なら艤装なしでも力はありますけど。」
「そうなのか。全く知らなかったな。」
「この力を制御できる精神年齢なのか、そうでないのか。あたしはできないみたい。逆に、川内さんとか金剛さんとかは軽巡だったり戦艦だったりでも、できてなさそう。」
「なるほど。どおりで駆逐艦は遠慮がないわけだ。霞も少し見たが、提督相手にすら艤装なしでも組み伏せられそうなのは、そう言うことだったか。」
この人にはそんな風に見えていたのか。まあ、とはいえ。単純なパワーは普通の人間だけど、肉体の耐久力に関しては普通に艤装なしでも途轍もない。だから伊勢と扶桑が喧嘩していた時主砲が直撃しても無事、ということ。まあ、現場を見てないあたしにはウソかホントかわからないけど。
「と、言うことは、だ。」
「?」
「今の曙は、私には殆ど抵抗はできないわけか?」
「まあ、そうですね。」
まさか那智さんも加賀みたいなことをしてくるのかと思い身構えると、予想外の行動をされた。
「何してるんですか?」
「何って、頭を撫でてやっているんだ。」
「どうして?」
「どうして、とは何故だ?お前は、今日この日まで、そしてこれからもずっと全力で生きていくんだ。あの頃とは違う、全く新しい姿となってな。だから、これはほんの少しの労いだ。嫌なら払いのければいいさ。」
「…いえ、大丈夫です。」
「そうか、そうか。」
満足気な那智さんは、静かに立ち上がってあたしの手を引いた。
「帰るぞ。ここにいると、風で喉がやられる。」
「はーい。」
「返事は間延びさせるな。」
「はい。」
ま、悪くないかな。