この学校に入学してからはや2年。それほど不自由もなく暮らせている。両親の遺産がかなり多く、現在はあまり生活にも困っていないので結構呑気に生きている。艦娘のことについての勉強もかなり理解できているつもりなので、将来への不安もそれほどない。
「先輩〜!助けてくださ〜い!」
後ろから地鳴りを上げて迫ってくるのは、後輩の柳田。なぜこうも私についてくるのか甚だ疑問である。
「何の様です?」
「1年のみんなから、先輩にチョコを渡してくれってせがまれてて…」
「チョコ?なぜです?」
「あれ、先輩知らないんですか?今日はバレンタインデーですよ?」
ばれん…なんとか。初めて聞いたその単語はカタカナばかりで脳が受け付けない。
「はあ…。」
「なんですかその反応!もう大変なんですよ!」
「とにかく、無視していなさい。私に直接渡すことができない時点で、そいつらはあなたを揶揄っているんです。ほら、さっさといきなさい。」
「あ…それとは別件で相談が…。」
「またですか…。今日はどこがわからないんです?」
こうしていつも通りの日常が始まる。心なしか視線を感じる。それも単独ではない。明らかに複数人がこちらを凝視している。なんとなく落ち着かない。普段も別に感じないわけではないが。
授業終わり。私の右前に座っている男子生徒が向かってくる。体格はそれほど大きくないが、積極性のある好青年。なんだなんだと思って見ていると、
「あの…こ、これっ!」
丁寧にラッピングされた包装紙を突き出してくる。
「は?」
「いや…今日はバレンタインらしくて、気になる人にチョコを渡す日って聞いて…」
気になる人?私を?なぜ?思考停止していると、目の前の男がじれったそうに机にチョコを置き、逃げ帰ってしまった。前の方では、いつものメンバーで肩を叩いたり、励ましたり、大成功といった様子である。かくいう私は、机の上に置かれたチョコをどうしていいかわからないでいる。彼にとっての成功は、私にとっての不利益だ。とりあえず鞄に詰めたものの、思ったより脆く、形が崩れた。そして、それに続く様に、我が我がと一斉に群がってきた。
「これ!」 「受け取ってくれ!」 「はい!」
次々とチョコが投入され、山の様に積もっていく。耐えきれなくなった私は、教室から逃げた。当然追ってくるものはいたが、それも全て撒き、誰にも見つからない様トイレに隠れた。
「なんでこんな面倒なことを…。」
ふと、トイレに設置されている大きな鏡に映る自分を見た。髪は長くポニーテールでまとめ、女性らしい顔つき。少し華奢に見える身体。しかし、私は男だ。確かに恋愛感情は抱いたことはいくらかある。けれど、それは全て女性に向けたものだ。この髪も、好きで伸ばしているわけではない。勝手に伸びる。それをいちいち切ってもまたすぐ伸びるのなら、いっそのことまとめてしまって、あとで一気に切った方が楽なのだ。奴らにモテたいわけでも、色目を使いたいわけでもない。校則違反にならないのだから好きにさせてほしい。この顔も身体も、私は好んでいない。幼少期はこの顔のせいで、近所の子供によく揶揄われた。恥ずかしかった。こんな顔で産んだ親を心底嫌った。相談しても、
『綺麗な顔だからいいじゃないか』
と言われたことはまだ覚えている。奴らも外面しか見ていなかった。さっさと死んでくれて良かったと思う。この身体では、運動しようにも元々の肉つきが悪く、筋肉も最低量しかつかない。脂肪はもっと少なくて、肋が浮いている。食べる量も限界が早く、小さな肉でもすぐに胃もたれするほどに胃が弱い。それでも士官学校に来たのは、指示を出すだけで安全圏にいられるのなら、これほどいいものはないと思ったからだ。事実、運動のカリキュラムはかなりレベルが低い。この私ですらついていけるほどだ。
ともかく、こんなことになったのは、あの忌々しい両親のせいだ。だから、奴らのせいで勝手に決まったこの名前も大嫌いだ。自分で言葉にするのも、他人に勝手に呼ばれるのも、反吐が出そうなほど嫌いだ。今のこの国では自分の名前を変更することは難しい。ただ嫌いだからという理由で容易に変更できるものではない。ばれんなんとかもよくわからない。あの男も、勝手に私に好意を寄せて。それが迷惑だと少しでも考えないのか。腹立たしい。少しでも高評価していた自分を殴りたくなる。時計を確認すると、すぐにでも授業が始まることを訴えていた。あそこに戻るのはいただけないが、ここまで成績上位者としてきたプライドというのもあって渋々戻らざるを得ない。机にはチョコが放置されっぱなしだった。机を傾けて床に全てぶちまける。どさどさと床に積み重なるそれに目もくれず座り直す。一番最初のチョコもそこへ投げ捨てた。
1日の授業が終わり、さっさと帰ろうとする。下駄箱を開けると、どさどさとチョコが溢れてくる。全て地面に捨て置き、自分の靴を取り出す。こんなところに食品を入れるなど頭がおかしいとしか思えない。チョコと言われても、今の私にはゴミにしか見えない。偶然通りかかった用務員のお爺さんに全て捨ててもらうよう頼んで帰った。
「あ!先輩!」
当然の様に待ち構える彼が今だけは心の安定になる。
「どうも。」
「どうでした?無事ですか?」
「はい。なんとかね。今日だけで馬鹿みたいにチョコが送られました。あんなもんの何がいいんです?理解に苦しみます。」
「さあ?」
翌日。そこは異様な光景が広がっていた。私の机は外に投げ出され、私物は汚され、下駄箱には昨日のチョコの様に生ゴミが詰められていた。昨日の今日でよくここまでできたものだと少し感心した。
「これはひどいですね…。」
「ちょっとこれやったやつら〆てきます。」
「あなたがいうとシャレにならないのでやめてください。」
昨日の用務員さんが、申し訳なさそうに目を伏せている。何があったかはある程度予想がつく。彼には何も言わず、机を持って教室へ向かう。
ガラリと扉を開けると、冷ややかな視線が向けられた。机を置き直し、いつもの様に座る。
「おい!」
前方から大股で私に近づいてくる男がいる。昨日最初にチョコを渡してきた男の友人らしい。
「お前!昨日のあの態度なんだよ!」
「あれが適切だと思っていますが?」
「礼ひとつ言わずに捨てる奴がいるかよ!あのチョコだって、他の奴らがお前のために送ってやったんだぞ!?玄関に落ちててあの爺さんが掃除してたチョコだって、別の誰かがお前のために作ってやったんだ!」
なんだこの男は。自分の正義感を盾に好き放題言いやがって。作ってやった?送ってやった?誰がそんなこと頼んだ?腹が立って仕方がない。
「言わせてもらいますが。私が一度でもチョコをくれだとか、あなたたちに感謝を伝えたことありましたか?私がここにくる理由はただひとつ。学費を払って勉強しにきているんです。チョコを渡すだとか、恋人が欲しいだとか、くだらない目的で来ているわけではないんです。わかります?昨日までただの知人だった人間から突然好意を向けられる不快感が。しかも同性に。これがわからないなら。あなたに何を言われようが、この話が解決することはありませんので。」
「ッ!てめぇ!」
ばきっと鈍い音がした。私の顔に彼が拳を叩き込んだのだ。口の中に鉄の味が広がる。
「ほら、そうやってすぐ手を上げる。会話ができない人はこれだから。どうせ彼に気でもあるんでしょう?。第一、あなたに私を攻撃しろといった人間はいるんですか?いないですよね?私は、自分に送られた、譲渡されたものを廃棄しただけです。いらないものを捨てるのは、そんなに悪いことですか?」
男の顔がどんどん赤くなっていく。怒りによってぶるぶると震えている。いっそ顔の形が変わるほどに殴ってもらって構わない。この顔に未練はない。そのタイミングで、教師が入り込んでくる。
「ガキどもぉ!何をしとるかぁー!」
「チッ」
基本ああやって感情に任せてくる手合いにはこうやって挑発すると怒りに任せて暴走する。そうなれば非は向こうにあるのだから、攻撃しなければいい。あくまでも言葉で責める。結局先ほどの男は停学処分らしい。さんざ喚いた結果がこれだ。感情に任せるほど愚かなことはない。これが、最初で最後のばれんなんとかの思い出だ。全くもって憂鬱な1日だった。