その後も何度か彼を引き留めていた。何度か続けると、あきらめたのかそれっきり何も言わなくなった。とても申し訳なくなってくる。そのまま何時間無意味に釣り糸を垂らしていたのか。彼は眠っていた。今なら存分に彼を独占できる時間だ。彼の寝顔は穏やかで、不安なことを感じさせない。あの日の夜のアレは何だったのか。不思議だ。今も昨日の夜も彼は優しい寝顔でそこにいる。彼について自分の知らないことがやはりまだまだたくさんあるということが嫌でも理解させられる。彼のことは今の自分よりも長く一緒にいた霞のほうがよく知っている。もやもやする。ずっと彼を見ていて飽きることはない。けれども今のあたしは彼のことを知らなすぎる。同時に、彼もあたしのことはあまり知らない。特に、今あたしが抱いているかなうことのない恋心なんて、今の彼にはわかるはずもない。だとしても、それを彼や霞や間宮さんに伝えようという気はない。混乱のもとになるからだ。何より、隣で舟をこいでいる彼に余計なことを考えてほしくない。彼のまっすぐな瞳にはずっと霞が入っていてほしい。それと同時に、あたしだけを見てほしい。そういったよろしくない考えも浮かんでくる。かなわぬ恋と、それを向ける相手が近くにいて、優しく接してくれる。とんでもない生き地獄だ。昨夜のアレは、今のあたしに許された精一杯のわがまま。あの時も、部屋の電気が消された後に霞からの視線に怖気づいて彼の胸の中に顔を埋めてしまった。あたしは、弱い。彼女には、謝らなければならない。ずっとあたしやクソ提督に気を張っている。今朝も、間宮さんの料理を手伝っていたらしいし。方やその時のあたしは彼のぬくもりに甘えながらのんきに眠っていたのだ。こんなこと許されるはずがない。今の頭は煩悩だらけ。それなのに、彼の顔から眼を放そうとしない。放させてくれない。不思議な魔力によってそこに縛られている。そんなあたしに現実を見せてきたのは沈みゆく夕日だった。
「クソ提督、起きなさい。そろそろ帰らないと。」
幸せだった時間を自分の一言で終わらせる。
「む…もうそんな時間ですか…」
体を少し揺らす彼は幼い子供のよう。母性のような、庇護欲のような何かがムクムクと肥大化していくのを感じる。
「ほら、立って、釣果はあんまりだったけどね。」
「ん…?別に構いませんよ。あなたが満足できたのなら、よかったです。」
フラフラと千鳥足で進む彼は、危なっかしくて、不安になる。