小説を抱えた女性がこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
「?」
私の前でピタッと止まって、目線を合わせてくる。
「あの、何か用?」
「はい。」
聞き覚えのない声だ。
「ふふ。わかりませんか?」
にっこりと口角を上げる。
「ちょっとあんた。何者よ。」
「ああ、失礼しました。」
そう言って彼女は…いや。彼が正体を明かした。
「あなたたちの提督さんですよ。」
彼の声に変わる。
「「「「えっ?」」」」
うんうんとうなずいている。なんでここに?髪型が変わってる?メイクに服装も?
「ドッキリ大成功!ってやつですねこれは。」
なぜか満足げな彼は私の頭にポンポンと手を置いた。
「と、いうわけで、この買い物に今から私も同行します。構いませんよね?柳田くん。」
「は?え、ああ。まあ構いませんけど…先輩さっきの…」
「ん?」
「やっぱりなんでもないです。」
彼が満足そうに笑う。眩しい笑顔の裏に何かを隠している様に見えた。じっと見つめていると、私を包む様な優しい雰囲気の裏に、黒く禍々しい様な渦が見える。そのまま見ていると彼に吸い込まれてしまいそうで、でも、それに気づいた彼がそっと笑顔を向けた。その瞬間に目の前がパッと明るくなった。
「霞?どうしました?私の顔に何かついてますか?」
「いえ?別に。」
彼に夢中になっていたからだなんてとてもいえない。
「ねえ、柳田提督…。」
「ん?」
曙が何やらコソコソと耳打ちしている。一体なんだろうか?
「おっと、そろそろ帰った方がいいかなぁ。じゃあ先輩。また会いましょうね。」
「ああ!待ってくださいよー!テートクー!」
背表紙を凝視していた金剛が彼の後を追う。
「…はて。一体何事でしょうかね。」
まさかと思って曙の方を見たが、すでにこの場から立ち去っていた。
「ん?そういえば妖精さんの声がしてませんね…あ。」
「どうしたのよ司令官。」
「嬉しいお知らせかどうかは知りませんが、どうやら計画的犯行によって私たちは置き去りにされたみたいですねぇ。どうしますか霞。帰ります?」
このまま帰るのはもったいない気がする。けれど、あまりゆっくりしても曙に茶化されそうだ。
「いえ…早く帰りましょ?。」
彼は少し寂しそうな顔を見せたものの、
「はい。そうしましょうか。」
と言って、私の手を引いた。大きな手のひらは私を暖かく包み込み、安心させる。落ち着いて彼を見ると、先ほどまでの雰囲気は綺麗に消え去り、それまで見えない様隠していた彼の身体をはっきりと表した。女性用の服に身を包んでいるからか妙に色っぽくて、どこかに行ってしまいそうな気さえする。彼は、こんなにも弱々しかっただろうか。彼の姿はこんなにもか細かっただろうか。彼に惹かれながら彼のことを独占したくなる。誰にも彼を見られたくない。けれど、私のこの願いは叶わない。傾き始めた太陽の方へ進む私たちは人混みの中で一際浮いていた。けれど、その異質な雰囲気のおかげで、逆に2人だけの空間にいる様な錯覚に陥る。私の左手にはめられた指輪が光を反射し、キラキラと光る。
この日ばかりはあの道にいる猫も姿を見せることはなかった。