「君。少し待ちたまえよ。」
後ろから突然声をかけられた。振り返った先には立派な髭を蓄えた小太りの男がいた。
「一体なんでしょうか。」
「ここでの暴力は見逃せないな。少し裏へ来てもらおう。荒事は嫌いだからな?」
「ちょっと!司令官!」
「大丈夫。すぐ済みますよ。」
憲兵に連れられる私を見て、倒れている男はこちらに勝ち誇ったような笑みを浮かべている。それとは対照的に、私に向かって今にも泣きそうな顔を向けるのが霞だ。やはり美しい。
「柳田君のところに行っててください。」
「司令官!」
「で?なぜ彼を殴ったりしたんだ?」
「私の霞を悪く言われたからです。それ以外で理由はありません。」
深いため息を吐き、私に向かって同情するような顔を向ける。
「自分の艦娘を愛するのは素晴らしいことだ。だが、それにも限度がある。私にも愛する部下や艦娘は沢山いる。しかしだね。そこまで肩入れするのは如何なものかとも思うんだ。君の中での霞がどう言う存在かは知らないが、その気持ちを抑えることを覚えなければ君も長くはないだろう。」
「そうですか。」
「君…少しは反省する素振りでも見せたらどうだ?それに、君が殴ったあの男は上層部のお気に入りだ。従順な部下だからな。」
「知りませんよそんなこと。私は私のやりたいようにやったので。何されようが何言われようが後悔も反省もしません。」
「あー。わかったわかった。こちらでうまく誤魔化しておくから。もう帰りなさい。霞を待たせたくないだろう?だから、ここで反省している旨の発言をしてくれればいい。口先だけでもだ。」
「拒否します。自分の発言を曲げるなど私のプライドが許せないので。」
「ふむ。そうか。なら、少々面倒な手続きをしなければいけなくなるが?今その口から反省の一言さえ出ればすぐにでも帰れるのにか?」
「いいから早くしてくださいよ。あなたも自分の立場が大事でしょう?」
「よくわかっているじゃないか。ふむ。まあ、30分だな。なに、面倒なことではない。ただ時間がかかるだけさ。」
霞がずっとぐるぐると落ち着かない様子で歩き回っている。それも無理はないだろう。かれこれ30分以上何も音沙汰がない。今にも泣き出しそうな顔で歩き回る姿は見た目通りの弱々しい少女そのものだ。奥の方からゆっくりと先輩が歩いてくるのが見える。それを確認した瞬間に、霞がビュンと風を切って一直線に先輩に向かって行った。
やっと帰ってきた。ずっと待ってた。もう帰って来ないかもと思うと気が気でなかった。溢れる涙も止めずに彼に会いに行く。そんな私を見たのか、はたまた緊張の糸が解けたのか、定かではないが彼の顔が優しく微笑んだ。
「司令官!」
勢いを殺すことすら考えられず、彼の胸に飛び込む。私をしっかりと受け止めてくれる彼の力強さに安心する。
「大丈夫だと言ったでしょうが。ね?帰りましょう。」
「うん…。うん…。」
「先輩。お疲れ様でした。帰ってゆっくりしてください。」
「そうしますよ。」
周囲の視線が集まる。何か言いたいことでもあるならはっきりと言えばいい。ザワザワとやかましい騒音から霞を遠ざけるため大本営を後にする。
「ねえ…本当に大丈夫だったの?」
「当たり前ですよ。あれは色々面倒なことが重なっただけで直接何かされたとかもありませんし、後になって呼び出されたりなどもありませんから。」
「そう…。よかった。」
ほっと胸を撫で下ろす霞はやはり私の誇りである。あんなにも嫌っていた衝動で後先考えず行動することが、霞の存在によって意味のあるものへ変換される。あの時私に殴りかかってきた男も、もしかしたらこんな気分だったのかもしれない…いや、そんなわけはないか。あんな低俗な人間と私の霞への想いを一緒にするなどあっていいはずがない。吐き気のする思考を振り切り、霞との帰路に集中する。