〈寝起きの霞〉
時刻は午前5時。まだ空も暗い時間に目が覚めた。隣では霞が心地良さそうな寝息を立てている。綺麗な顔だ。起き掛けに見るたびに心臓が止まるんじゃないかと思うほどには心奪われている。少しだけ赤い頬を指先でつついてみる。柔肌が少々の反発を持って反撃してくる。沈んで、帰ってきて、また沈む。
「…ん。」
起こしてしまったかと思い、反射的に指が離れる。数秒待つと、再び静かな寝息を聴かせてくれる。頬を堪能し終えたところで、少し目線を変えると血色の良い薄い唇があった。また、指先で押す。反発こそ少なめだが、その魅力は本物だ。艶やかな唇はほのかな暖かさを内包し、私の指を受け止める。
「んう…」
…少し辛そうに唸る彼女をこれ以上弄ぶのは心に来るので二度寝することにしよう。
〈ちょっと放置された霞〉
「では5分ほどで戻りますので。」
「うん。いってらっしゃい。」
曙に少し用があるみたい。珍しく遠征があるようで、それをお願いするらしい。5分くらい…待てるはず。
『1分後』
まだなのかしら…。まだ1分なの?いや、これくらいならまだ全然大丈夫だもの。うん。大丈夫大丈夫…
『2分後』
司令官…まだかしら。時間がすっごいゆっくりに感じる…。そわそわして落ち着かない。
『3分後』
ちょっと不安になってきちゃった。どうしよう。まだ3分しか経ってないのに…。あの人と一緒にいる時は3分どころか10分でもあっという間なのに…
『4分後』
「司令官…」
勝手に口から出てきてしまう。不安でいっぱい。私しかいない司令室がものすごく広くて異常なほど孤独感を演出してくる。目頭が熱くなってきた。
『5分後』
もう5分…。あともうちょっと…帰ってくるから…。大丈夫だから…いなくなってないから…涙がぽろぽろ落ちて膝が濡れる。
『6分後』
「う…ひぐ…司令官…」
曙に要件を伝えてから数分。ドアの隙間から霞の様子を確認していると実に興味深かった。初めのうちは落ち着かない様子であたりを見まわし、そのあとは肩が小刻みに揺れ、最終的に泣き出してしまった。あの霞を見ていると心の中の何かがゾクゾクと痙攣して動悸が早くなる。呼吸が乱れて、釘付けになる。
「クソ提督、そこで何してんのよ。」
「曙…静かに。今いいとこですから。」
「はぁ?何言って…」
「いいから中見てくださいよ。」
半ば無理矢理曙にその様子を見せる。
「…いい趣味してんじゃないの。そろそろ入ってやんなさい。大丈夫。霞には言わないから。」
「助かります。」
重い扉が音を立てて開けられ、司令官の姿が見えた。
「霞。少し遅れました。」
「司令官!…あ、お、おかえりなさい。」
急いで袖で涙を拭う霞の動きがまた愛らしい。
〈撫でられる霞〉
「さっきは待たせてすみません。」
「私のこと撫でながら謝られても説得力ないったらぁ。」
頭を撫でてやると嬉しそうに私の手に頭を擦り付けてくる。口調こそ怒っているが、その声や仕草は完全に甘えモードのそれだ。頬を赤くし、膝の上に座って足をばたつかせる姿は完全に見た目通りの少女然としたものである。
「可愛いです。霞可愛いですよぉ。」
「全然嬉しくないったらぁ♪もっと撫でていいのよ?」
撫でて撫でて撫でまくる。そうするとだんだん瞼が垂れてきて、口先が少しだけ尖る。しょぼしょぼと萎れていく。たまにかくんと首が落ちるのを頑張って持ち上げる。
「眠いですか?」
「そんな…こと…ない…もん。」
今にも眠りそうな少女の身体を抱き寄せ、包み込む。
「むぅ…もっと…なでなさい…よ…。」
そのうちすうすうと規則的な呼吸になる。いつもこうすると霞は幸せそうに眠ってしまう。艦娘といえど見た目相応の子供らしさが映える。こんなにゆっくりと霞と触れ合えるのは腕を欠損したことと大本営基軍曹殿のお陰である。少しは感謝しておこう。腕の中の小さな熱を抱きながら思った。
〈起きちゃった霞〉
「んにゅ…ふあ?」
「あら、起きちゃいましたか。」
「しれいかん…いま…なんじ…?」
「11時頃ですかね。あまり寝ていませんよ。」
「ん…ねてないったら…。」
腕の中でもそもそと動く。その仕草が小動物のようで、また抱きしめた。寝ぼけている霞もその腕にきゅっと抱きつく。
「ん…?あれ…?」
「あー…可愛いです。」
「んえぇ…?ほんとぉ?」
「本当です。本当。」
「んふー。よかった。」
心臓の高鳴りが最高潮に達し、呼吸が早まる。必死に堪えて霞を不安にさせないようさらに抱きしめる。きゅうと喉から小さな音が出て、私に擦り寄る。
「霞…狙ってます?」
「んぇ…なにが…?」
「いえ別に。」
無意識のうちに人のことを誘惑するとはなかなかやるようになった。
〈お菓子の時間の霞〉
「司令官。お茶いるかしら。」
「ええ。紅茶を入れてください。」
「わかった。」
膝の上から降りて給湯室へ足早に向かう霞はすでに意識ははっきりとしている。こぽこぽと沸騰する音が聞こえる。毎度この瞬間は不安になるものだ。火傷でもしてしまわないか。そうでなくても、何がきっかけで怪我してしまうかはわからない。ただ、霞がやりたいことをなんでもダメだと言って制限するのは私のポリシーに反する。結局悶々としながら時は過ぎ、湯気の上がる紅茶二つとクッキーがお盆に乗ってゆっくりと運ばれてきた。
「はい、お待たせ。」
「いつもありがとうございます霞。」
「別に構わないわよ。」
流石にこの時だけは膝の上には座らない。秘書艦用の机に座り、紅茶とクッキーを嗜む。ささやかながらも確かな幸せを噛み締める。
「ただいま〜。」
「ただいま戻りました。」
司令室の扉が開いて曙と加賀が入ってきた。遠征から帰ってきたらしい。それにしては長かった。きっとどこか遊びに行ったのだろう。仕事がしっかりされているなら文句はないが。
〈カレーが好きな霞〉
「今日はカレーですよ〜♪」
今日の晩御飯はカレー。霞の気に入っているメニューの一つ。毎度スプーンでカレーを一口分掬い上げ、一口一口じっくりと味わって食べる。上品に、それでいて幸せそうに。楽しそうに食べる姿を見ると心が洗われるような気がする。厨房から見守る間宮さんの顔が母性が溢れる母親のような顔だった。と言っても親にはいい思い出などないのでこれは完全に私の理想の母親像なのだろう。
「司令官?私の顔に何かついてる?」
「いえ?なんでもありませんよ。」
「そう…。」
あまり見つめすぎると霞にバレてしまう。絶品の間宮さんのカレーを口に運ぶ。
〈指輪を見つめる霞〉
「霞、お風呂でも指輪を外しませんよね。なぜです?」
「これは…その…司令官からもらった大切な物だから…。」
頬を赤く染め、照れ臭そうにはにかむ霞に完全に予想外の精神攻撃を喰らう。心臓が締め上げられたような感覚だが、苦しくはない。鼻のあたりが少し痛い気がしないでもないが、まあたいしたことはないだろう。取り敢えず詰め物をしておく。そういえば、ことあるごとに霞は左手を見つめていた。きっとそのタイミングにも現在と同じようなことを考えているのだろう。なんと幸せなことか。
〈寝る前の霞〉
「しれいか〜ん。」
「はいはいなんでしょうか。」
「ううん。よんだだけ〜。」
寝る前の霞の完全に気が抜けた状態である。こうなると5分ともたずに寝てしまう。そうなる前に膝の上に座らせて、また撫でる。しかし、ごくたまに訪れるものがある。それが…
「しれいかん。その向きやだ。こっちがいい。」
「あら、あらららら?」
自分から私の方に身体を向けて腕を回してくるのだ。甘えたい時には基本こうなるが、この時間帯が1番多い。こちらとしても撫でやすいし、霞と接触する時間や面積が増えるのでありがたい。こういうときは自分の腕が足りないのが悔やまれる。そのうち霞の腕の力が抜け始める。自分の身体と霞との距離を少し空ける。
「んゆ…なんれ…?」
「もう寝ちゃいそうだったので…」
「んぅー…まだ…ねない…もん…。」
今にも眠りそうな顔で必死に起きようと意識を保っている。無意味に足をばたつかせ、腕に頑張って力を込める。しかしそんな痩せ我慢もすぐに終わって静かに眠った。最後に一撫でし、抱き抱えながら布団に入り込んだ。
〈うなされちゃった霞〉
ゆさゆさと身体がゆすられる。もう朝なのかと身体を起こしてみるとまだ暗く、見えづらい霞の顔には冷や汗が浮いていた。
「司令官…うぅ…」
目に涙を浮かべたと思えば、私に抱きついてくる。
「…どうしたんです?怖い夢でも見ましたか?」
「うん…それでね…起きちゃって…でも寝れなくなっちゃった…」
胸に顔を埋める霞をゆっくり撫でる。
「今日はこうしておきましょう。別に寝なくたって構いませんから。」
「うん…ありがと…」
震える肩を抑え、できる限り優しく抱きしめる。怖がる霞なんて久しぶりに見た。まだ小刻みに震えているものの、次第にそれも収まっていく。すっかり目が覚めてしまった。
「霞、ホットミルクでも淹れましょう。」
「…うん。」
霞を抱え上げ、司令室の給湯室へ。自室に簡易キッチンがないのが少々不便だが、こういう時は少し嬉しい。
「霞〜、火を使いますから。くっつくと危ないですよ。」
「…やだ。」
相当怖かったようで、未だに離す気配がない。少し気泡が出たあたりで火を止め、マグカップに注ぐ。湯気が立ち、霞の目がきらきらと輝く。
「熱いので、気をつけて。」
「うん。」
ふうふうと息を吹きかけて冷まし、両手で支えながら飲む。くぴくぴと小さな音を立て、霞がそれを飲む。その様子が可愛らしくて、つい頭を撫でてしまう。安心したような顔で霞の頬が緩む。照れ臭そうに笑いながら、私を強く抱きしめた。
〈無視される霞〉
今日は霞を無視してみようと思う。なんとなく…好きな子に意地悪をしてしまうようなそんな感じ。曙や加賀には既に説明、協力を要請している。極力霞や私に関わらぬよう指示する。仕込みは朝から始める。まず、布団は霞よりも早く出る。
「ん…司令官…いないの?」
周りを見まわし、私がいないことを確認して、急いで着替え始める。今のうちに間宮さんのところへ行き、食事を済ませる。
「司令官…どこ行っちゃったのかしら…。もうご飯食べ終わったみたいだし…」
司令室の扉がノックされ、霞が入ってくる。
「司令官?入るわよ?」
無視だ。何を言われようと、何をされようと。絶対に無関心に。ぴくりとも反応を示してはいけない。
「ねえ…司令官怒ってるの?」
黙々と机の書類に向かって作業をする。
「その…私が悪いなら謝るし、言って貰えば治すから…その…」
歯切れが悪くなっていく。霞の言葉が少なくなるほどペンが走る音がよく聞こえるようになる。霞の右の軽く握った手がちょうど胸の辺りで止まり、左手がそれをゆるく包んだのが見えた。
「だから…むし…しないで…」
遂に泣き出してしまった。正直私も今すぐにでも抱きつきたいところだが、グッと堪える。あくまでも無視。
「ごめん…なさい…。もう…部屋に戻る…から…」
寂しい背中が扉に向かう。肩が揺れている。涙を堪えているのがわかる。
「…霞。」
「!?」
ぱっと振り返って、一瞬時が止まる。
「霞。おいで。」
椅子から降り、義手を外して腕を広げる。涙が一瞬のうちに溢れて、そんなものも気にしないというほどの勢いで私に突進してくる。
「よかった…司令官…」
「ごめんなさいね。少し意地悪をしてみたくなったので。」
「…私のこと嫌いになったんじゃないの?」
「そんなことありません。ずっとずっと大好きです。」
「…私も好き…だけど嫌い。」
「すみませんでした。本当にもうしないので機嫌を直してください。」
ギュッと腕の力が強くなる。
「じゃあ…私に構ってよ。」
「ええもちろん。むしろ構わせてください。」
「なら…許してあげる。」
にっこりと眩しい笑顔を向けられる。