「ねぇ。」
「なんでしょう。」
「こんなの見てて楽しい?」
「そりゃあもう。」
「そ、変わってるのね。」
今あたしたちは堤防沿いにどこまでも広がる海を見ている。もっとも釣り糸を垂らしながらではあるけれど。さっき司令室に行った時はあいつがいなかったから、きっとどこかに出かけているんだろう。霞を置いて行ったのは少し…いやかなり意外だった。まあ、珍しい霞が見れたからよしとしよう。勝手に拝借したラジオは雑音を奏でつつ、今日の天気を伝える。午前は晴れ、午後は曇り、ところによりまばらに雨が降るらしい。もっと具体的な情報を求めるというのは贅沢だろうか。春の陽気と冷たい潮風がいい塩梅に身体をくぐり抜ける。チリチリと揺れる鈴の音が心地よい。加賀は天気を伝え終わったラジオから流れるクラシックに耳を傾けている。発展した街からタタンタタンと定期的に電車の走る音が響いてくる。
「曙…。」
「なに?」
「少しこちらに来てもらえますか?」
丁度魚が食いついたタイミングだった。大きそうではあるものの間の悪い魚を切り捨て、竿を上げる。
「いいわよ。」
加賀の膝に腰を置く。そのまま何も言わずにあたしをぎゅうと抱きしめた。
「あなたこれ好きよね。」
「ええ…なんででしょう。落ち着くんです。一人じゃないと思えるんです。」
「ふうん。」
お腹に回された腕を両手で包む。すべすべした柔らかい腕には似合わない力で抑えられ、ちょっとだけゾクゾクする。今日も海の奥の方で鯨やらイルカやらが潮を吹いたり跳び上がったり…。彼らはそんなことばかりしていて飽きないのだろうか。私ならばすぐにでも別のことをしてしまうだろう。なんたって何もない海の中を死ぬまで延々と泳ぎ続けるだけなのだから。
「あの子たちは…自由ですね。」
少し意外な発言が聞こえた。あの光景を見て自由と思うのはきっと加賀とあたしの中の価値観が違うからなのだが、どうもそれを受け入れるのは癪だ。
「ほんとに自由かしら?」
「ええ。とっても。」
「どうしてそう思ったの?毎日おんなじようなことして…毎日死ぬかもしれないことの連続じゃない。あたしは、少なくとも自由とは思わないわ。」
「忘れたんですか?私たち艦娘は海軍の所有物なんですよ?自由とは対極ですよね。なんと言っても上からの命令に背けばすぐに処罰されます。外出許可だって、本来ならば書類を通し、提督の判子を貰うまでは不可能です。あくまでここが変わっているだけなんです。それに対して…あの子たちはそんなしがらみなんて一切ありません。群れをはぐれたとしても、そのうちすぐにまたみんなの元へ帰れます。私たちは一々通信を通して、上からの命令を待ち、従うだけ。意思なんてなくても問題ありません。死ねと言われれば死に、特攻しろと言われれば特攻する。その程度なんです。」
「そんなもんなの?随分と知った風な口だけど。」
「…知ってるんです。」
「どういうこと?」
「私は…前は別の鎮守府に勤めていました。その時は…まあ戦果は良くも悪くも普通でした。けれど、提督とも艦娘とも良好な関係だったと記憶しています。けれど、ある日聞いてしまったんです。提督の口から。」
少し震えながらも、ゆっくりと言葉を紡ぐ加賀は私を抱えていながらも私より小さく見えた。
「『艦娘は所詮手駒だ。余計な肩入れは無用だ。』と。当然ですよね。人間の手に余る深海棲艦を都合よく倒してくれる兵器ですから。意思はあれど、所詮兵器はそれ以上のものになれません。そこからは…やけになっていました。無茶な進撃をして…怒られて…でもそれも全て軍にとっての損失につながるという思考からかと思うと…私は何も信じられなくなったんです。提督とは口を聞かなくなって、他の艦娘の子たちとは距離をとって…。」
「でも、今そんなそぶりないじゃないの。」
「それは…あなたが居たからですよ。」
「あたしが?」
「…ええ。最初に会った時のこと…覚えていますか?」
「私がタンス探してた時よね。」
「そうです。正直私はその時も朧げながら記憶が残っていたんです。何に対しても基本無気力で…戦闘も特にする気はなかったんです。必要以上に失望されるのも、心無い言葉を聞くのも嫌だったから。」
「でも…でもあなたの姿を見た瞬間にそんな思考がどこかへ行ってしまったんです。あなたの姿が、声が、私の心をあったかいもので包んでくれたんです。曙。」
「なんか恥ずかしいわね…。」
「…とにかく、私は曙が好きなんです。もちろん、女性としても、恋愛感情としても。ですから…離れてほしくないんです。突き放すようなことも言われたくないんです。」
「あんたなかなか拗らせてるみたいだから言うけどね、ここにいる提督とあんたがいた前の鎮守府の提督は別人よ?それに、霞にゾッコンなんだから。間違っても私たちや霞を捨て駒に使おうとか、そんなこと考えらんないわよ。そもそも、それっていつの話よ。」
「…いつ頃…でしょうか。きっとまだ艦娘が導入されて間もない頃ですかね…?」
「いつかもわからないくらい前ね。そんなの今の軍曹も提督やってないわよ。情報は早めに更新しなさい。今はどこもあんたの知ってる鎮守府よりもずっとずっと自由よ。」
「…」
黙ってしまった。あたしの言葉はそんなに突き刺さったのだろうか。心なしか腕の力が増し、首筋に冷たいものが流れた。
「第一ねぇ。あたしは前も言ったけど、加賀。あんたのことが大好きだし、離れるなんてこと、あるわけないんだから。もっとしゃんとしなさい。わたしの隣に立ちたいんだったらそれ相応の立ち居振る舞いを要求するわ。」
「はい…。」
「その泣き虫も…どうにかしないとね。」
加賀の頭に腕を伸ばす。綺麗な髪は絡まることなく私の手のひらを受け入れた。
「今の私たちは…少なくともあんたの嫌な記憶の頃よりも格段に自由よ。もちろん、あのイルカたちよりもね。」