「……準備はできましたか、プラナちゃん」
「はい。ばっちりです、アロナ先輩」
二つの白い頭が背を向けて何やらひそひそ話をしている。……そんな努力もむなしくほとんど内容が聞こえてしまっているのだが、気づかないふりをしておく。そんな二人の頭にはしっかりと三角巾が着けてあった。
「ではいきますよ………せーのっ」
「「アロプラクッキング~!」」
息ピッタリのタイトルコールとともにポーズを決める二人にパチパチパチと拍手を送る。二人はそれぞれ水色と薄桃色のエプロンをつけており、いつもとは違う雰囲気を感じられて可愛いらしさが際立って見える。
「今日作るのはステンドグラスクッキーです!」
「それで先生、材料は……」
「はい。とりあえず言われた通りのものはあるはずだよ」
プラナはぺこりと頭を下げて私が持ってきたレジ袋を受け取ると、思いのほか重量のあるそれに一瞬よろめいて、よたよたとキッチンの方へと運んだ。事の経緯は数日前に遡る。
「……それで、次はお菓子作りをすればいいのかな?」
プラナに過去の件で呼び出された私は再び教室に来ていた。一応ここにも調理室のような空間はあるし、材料は持ち込めるので調理自体はできるだろう。問題は何を作るかだ。
「はい。クッキーを作ろうと思うのですが……具体的に何を作るかはアロナ先輩にも相談して決めようと思います」
「?……今回はアロナも呼ぶの?」
思ってもなかった言葉に驚く。というのも、プラナの記憶の件はアロナには黙っているよう言われているからだ。しかしプラナは当然というように続ける。
「肯定。アロナ先輩相手にお菓子の匂いを隠しきるのは難しいと予想されます。ですから今回は一緒に行動した方が安全だと判断しました」
……納得と同時に、お菓子の匂いにつられて目覚めるアロナの姿が脳裏に浮かんだ。確かに作っている途中に目覚めでもしたら、かえって言い訳できないことだろう。それに、この内容なら『目的』を伝える必要もなさそうだ。
「それに───お菓子はみんなで食べたほうがおいしいと思いますから」
そう続けてプラナは微笑んだ。算段や利害を感じさせない少女らしい笑みに私も嬉しくなる。材料が決まったら伝えるという言葉を最後にこの日は解散になった。
───そして現在に至る。
厳正なるじゃんけんの結果、役割分担は私とプラナが生地を作る係、アロナが飴を砕く係になった。そのアロナは向こうの机でジップロックに入った飴玉へと銃のストックを振り下ろしているが、クッキーを作るのに飴なんて何に使うというのだろうか。……あと、音が怖い。
一方の私とプラナはと言うと、材料の重量を測っては順番通りに入れて混ぜる生地作りの作業を黙々と進める。少し慣れた手つきに、私が手伝うところなんて無さそうに思っていたところで、プラナが私の方を振り返った。
「……泡立て器の中に生地が入ってしまいました」
「あー、確かにこれだと混ぜられないね」
プラナはカン、カンと泡立て器を強めに金属製のボウルに叩きつけているが、ワイヤーの檻の中に入った生地はその程度では出て来てくれない。
「ちょっと借りてもいい?」
「はい。お願いします」
プラナの真後ろから手を伸ばしてボウルと泡立て器を掴む。確かに生地がくっついている分泡立て器は重量が増えていて確かに少し大変そうだ。強めの力で泡立て器をボウルに打ち付けると何度目かの金属音とともにワイヤーを通り抜けて生地がボウルの中に落ちた。
「ありがとうございます。混ざったら私がまた薄力粉を追加するのでそのままお願いします」
私の両手に囲まれた中でプラナが薄力粉の入ったボウルを持つ。正直、プラナとの二人羽織のような状態で作業する意味はあまりなさそうだったが、出ていこうとするそぶりを見せないのでそのまま続ける。そのうちプラナは背中に体重を預けるようにもたれかかってきて、目下で真紅のヘイローがゆらゆらと揺れた。
教室に響く飴を砕く音は、時間の経過で飴が細かくなるとともにだんだん小さくなっていく。結局、私たちは生地の準備が終わるまでそのまま作業を続けたのだった。
***
包丁とまな板がぶつかって小気味いい音を立てながら板チョコが細切りになっていきます。まな板と先生の間に私が立っている状態でありながらも先生は慣れた様子で作業を進めていて、いつもの不摂生さからは乖離したその姿に少し驚いたことを覚えています。
「……随分慣れているのですね。」
「まあ、一人暮らしとかしてたからね。練習すればプラナもこれぐらいはできるようになるよ」
「そうでしょうか……では来年までに練習しなくてはなりませんね」
私が言い出したことだというのに今のところ先生に手伝ってもらってばかりで、申し訳ない気持ちになります。そんな雰囲気を感じ取ったのか、先生はまな板からお湯に浮かぶボウルにチョコを入れるとゴムべらを手渡しました。
「じゃあ混ぜるのは任せるね。私はチョコを入れていくから」
「はい。お願いします、先生」
言われるままにゴムべらを持ってチョコを溶かします。ボウル越しにお湯で温まったチョコが次第に溶けていき、それに合わせてゴムべらは重たくなっていきました。
「今日はお菓子を作って大切な人に感謝の気持ちを伝える日だと聞いていたのですが……結局先生の手を借りてしまいましたね。申し訳ありません」
「いやいや、私は嬉しかったよ。こうして頼ってもらえて、一緒にお菓子を作れるなんて。あと、なんだか共同作業みたいで楽しいし……アロナもそう思わない?」
至極普通のことのように先生は言います。バレンタインデーである今日は、きっと先生と他の生徒さんにとっても大切な日だったはずで……それを独占してしまったという罪悪感の一方で、それでも私の傍に居てくれることを■■■思う自分がいることに気が付きます。
「……肯定。私も、そう思います」
「ならよかった。それに、ちゃんとアロナの気持ちも伝わっているよ。私は幸せ者だね」
嬉しそうにそう話す先生にどう返せばいいか分からなくなってしまって、目の前のボウルを無心でかき混ぜました。時折、回すスピードが遅くなったり、お湯が入ってしまいそうになると先生が手を貸してくれます。ゆったりとした時間が過ぎていくうちに私は、先生の身体に背中を預けていました。
「あとは型に入れて固めれば完成です。この後は自分でやるので、先生が手伝う必要はありません。手助けしていただき、ありがとうございました」
「どういたしまして。……それで、アロナはどんな形のチョコにするか決めてるの?」
問いかけに一瞬だけ思考を巡らせます。先生はチョコ用のゴム製の型も用意してくれていました。花や星、猫にモミの木と可愛らしい形が揃っていて……ですがやっぱりそれらの出番はなさそうで少しだけ申し訳なくなってしまいます。いつか使おうと心に決めつつ変わらない気持ちで先生の方を見つめました。
今日はバレンタインデー。大切な人に想いを伝える日なのだそうです。だから、どんな形にするかはずっと前から決めていました。
「はい。……ですがまだ先生には内緒です。完成を楽しみにしていてください」
***
「……飴も固まったみたいですし、これで完成です!」
部屋にはクッキーの甘い香りが充満して、オーブン皿にはきれいなきつね色のクッキーが並んでいる。焼き加減はちょうど良かったみたいだ。
丸いクッキーには星や花、木や猫の形にくり抜かれた穴が開いていて、そこに色硝子のように飴が嵌まっている。……そういえば、ステンドグラスクッキーという名前だと話していた気がする。
「とってもきれいですね、プラナちゃん!」
「はい、驚きました。……空いた穴に飴を入れて固めるなんて」
「ふっふっふ。そうでしょう、そうでしょう」
アロナは誇らしげに鎖骨の縁に片手を当てて胸を張る。それが先輩の威厳に繋がっているかは疑問だが、初心者向けで見た目もいいなんてきっとこれ以上のレシピはなかなかないだろうなと感心する。
「では飲み物の準備もできましたし、いただきましょうか」
3つの机をくっつけたテーブルに三人で向かい合うようにして座ると、各々でいただきますをしてクッキーに手を伸ばす。
一口クッキーを口に入れるとバターの香りが広がった。サクサクとした食感に程よい甘さ、飴の部分もパリパリとした食感とクッキーより少し強い甘みがちょうどいいアクセントになっていてそのおいしさにかなり貢献していた。
アロナの方を見ると目をきらきらさせたり、うっとりとした表情になったり、ヘイローをハート型に変えたりしていて何も言わなくてもその感想が伝わってくる。一方のプラナは黙々とクッキーを口に運んでいる。そしてこういう時は大抵気に入ったときだ。と、そんなことを考えているとこちらに気が付いたプラナとぱちりと目が合う。それからプラナは少し考えるように手を止めると、もう一度私を見つめた。
なんだか、少し前にもこんなことがあったような気がする。そういえば、材料を混ぜ終わった後に今回も無事にデータを解凍できたと話していた。そして、
『では『ご褒美』はクッキーが完成してからですね』
その後に続いた言葉が脳裏によみがえってくる。恐る恐る様子を窺うと、プラナは次のクッキーへと手を伸ばすところだった。気のせいかと息をついたところで、クッキーを掴んだプラナの手は私の方へと向けられる。
「先生。あーん、です。」
プラナは言葉とともに机から身を乗り出すようにして目と鼻の先に白くて小さな指が迫ってくる。……ハグに負けず劣らず小っ恥ずかしいことのような気がするが、当のプラナは固まっている私にキョトンとした様子で首を傾げた。プラナの中でこれはそこまで気にするような行為ではないのだろうか。もしかしたら日常的にアロナとそういうことをしているのかもしれないし、そうならば私が変に意識するべきじゃないわけで……躊躇を自分の中から追い出すように息を吐いてから口をクッキーに近づける。
「あーーっ!!プラナちゃんだけずるいです!じゃあ私も……あーん」
唇がクッキーに届きそうになったところで、こっちの異変に気付いたアロナがほっぺを膨らませながら身を乗り出して私の頬にクッキーを押しつけた。表面がザラザラしているから少し痛い。一旦身を引くと二人は競り合うように私のすぐ目の前にずいっとクッキーを寄せる。
「「あーん」」
二人はじっと私の方を見つめる。ぐるぐると回る思考の中、目の前にある二つのクッキーの間を視線が行き来する。クッキーの大きさは一口で食べるには少し大きいぐらいで、二つを一度に食べることは難しい。冷たい汗が背中を伝った。
『アロナのクッキーを食べる』
『プラナのクッキーを食べる』
突如、目の前に現れた選択肢。残酷なことに一刻も早くどちらか一方を選ばなくてはならない。できるだけ穏便にこの場を収めつつ後悔することのない、そんな選択肢を。意を決した私は再びクッキーへと口を近寄せた。
「……ふーん、そうですか。先生はプラナちゃんの方がいいんですね」
むすっとした顔でアロナは吐き捨てた。頭の上ではギザギザしたヘイローが揺れている。正直そこまで拗ねてしまうとは思っていなかったので、慌ててクッキーを咀嚼する。
「ひふぁ、ふぁはいふぉもはひっへふぉほへ」
「食べながらしゃべらないでください!お行儀が悪いです」
「解析完了。先生は早い者勝ちだったからと言っているようですが……」
「もういいです、今度から先生にはあーんしてあげませんから」
アロナはそっぽを向いてしまった。少し心配そうな顔をしたプラナと目が合ったが心配はいらないという意味を込めて笑ってみせる。
むくれているアロナの方をよく見ると、時折ちらちらとこちらを窺うような視線を向けていることが分かる。それはきっと何かを期待しているからで、頭上のヘイローもとっくに水色の円形に戻っていた。
「ごめんね、アロナ。きっとアロナも勇気を出して言ってくれたんだよね」
「………」
「もしアロナにもあーんしてもらえたらこの後の仕事も頑張れると思うんだけどなー」
「……先生が今さら何を言っても遅いです。私が寝ている間にもプラナちゃんといろいろしているみたいですし。もちろん、なかよくすることがダメだと言うつもりはないですが……」
アロナの言葉に少しだけドキリとする。いや、流石にバレてはいないと思うし後ろめたいことをしているわけでもないがこうして拗ねている原因はそれに違いないわけで、胸を引っ掻くような罪悪感に目を伏せそうになる。それでも、プラナが秘密にしたいと思っている以上、それ以外の答えを探す。
「……そっか、私は知らないうちにアロナに寂しい思いをさせていたんだね。気づいてあげられなくてごめん。でも、嫉妬してくれたみたいでちょっとだけ嬉しいな」
「なっ!?そ、それは……」
指摘が的を射ているかはともかく、ほのかに赤くなった顔が私の方に向く。数分ぶりに目が合うと、気まずそうに視線が少し横に流れてもじもじと肩が揺れた。私はそれにできる限り優しい声で続ける。
「でもね、アロナ。他の誰かと接する時間が増えたとしても、会える時間が減ったとしても、それはアロナを大切に思う気持ちが変わったわけじゃないんだよ。現に私は今、アロナにクッキーを食べさせて欲しくて仕方がないんだし」
「……どうしても、してほしいですか?」
「うん、どうしても。それ以外考えられないぐらいに」
まっすぐにアロナを見つめてそう返すと、少女は少しの間呆れたように固まって吹き出した。そしてそのままひょいとクッキーをつまんで私の方へと向ける。
「全く、しょうがないですね。ほら、先生……あーん」
口でクッキーを受け取ると今度はできる限りゆっくりと味わう。うん、とてもおいしい。
「ありがとう、アロナ。おかげであと何時間でも頑張れそうだよ」
「えへへ、……って無理はしちゃダメですからね!?」
いいリアクションをくれるアロナについ笑顔になってしまう。そのまま頭をなでると、少女は身を預けるように目を閉じた。その後、三人で互いに食べさせ合ったりしながら楽しい時間を過ごした。
「……アロナ先輩、寝てしまいましたね」
「まあ、お腹いっぱいになるぐらい食べたからね」
寝息を立てるアロナの頬を優しくつつくとふにゃ、と口元を緩ませた。かわいい。
あれからしばらく経ったことで、オーブン皿にたくさんあったはずのクッキーはいつの間にかなくなっていた。二人に食べさせてもらっていたからか私が一番たくさん食べている気がする……今日の夕飯は質素なものにしておこう。
「アロナ先輩、なんとなく私たちのことをなんとなく察しているみたいでした」
「いくら寝ている間のこととはいえ、いつまでも隠しきれるものじゃないかもしれないね」
プラナはそうですねと言って少し考えるように俯いた。そもそも、プラナはどうして記憶の件をアロナに隠そうとしているのだろうか。恥ずかしいから見られたくないという理由もあるのかもしれないが、なんとなくそれだけじゃない気がする。そんなことを考えていたところで、プラナが私にじとりとした視線を向けていることに気が付いた。
「理解しました。やはり先生はあの人よりも女たらしなのですね」
「待って、プラナ。話をしよう」
「拒否。先生の術中に嵌まるわけにはいきませんから」
結構強めの否定に心を乱されつつも、プラナの雰囲気を見るに冗談……なのだろうか。おそらくは動揺を誘われたらしいことを悟ると一つため息をついた。それはそうと、これ以上この話題に踏み込むのはまずい気がして、とりあえず話題を逸らすために他の話題を考えようとする。そんなときふと、もう一つ気になったことがあったのを思い出した。
「……そういえばプラナは前にお菓子作りをしたときは違うものを作ったんだよね?」
「肯定。今回解凍できたデータは、バレンタインデーで先生に渡したものとほとんど同一のものを作ったときのものでした」
私がプラナからバレンタインデーにもらったのは私とアロナとプラナの三人をかたどったチョコレートだったことはよく覚えている。その内容はなんとなく想像していた通りで、だからこそ疑問が大きくなる。
「じゃあ、今回はどうして別のものを作ったの?」
過去を再現するのなら同じものを作った方が良かったはずで、それなのにプラナがそうしないのは少し意外だと感じた。問いかけにプラナは一瞬固まって、それから何か考えるように俯く。その姿は答えを探しているというよりは答えるかどうかを迷っているように見えた。
「それは……せっかく先生とアロナ先輩とお菓子作りをするのですから、私のファイルの解凍だけが目的ではもったいないと、そう思ったからです」
そう話す少女は少し恥ずかしそうに目をそらす。そんな姿が、その想いが愛おしくて初雪のように真っ白な頭に手を伸ばした。目をぎゅっとつぶったプラナに止められるまでしばらくの間私は頭を撫で続けたのだった。