「アロナ、最近プラナの様子はどう?」
三人で折り紙をしたあの日から数日、プラナの様子はほとんど普段と変わりないものに戻ったが、あの時プラナに何があったかは追及できないでいる。
苦い想いを隠しつつ問いかけると、アロナはそうですね、と呟いて私の方を見た。頭上には心細そうに藍色が浮かんでいる。
「普段とあまり変わらないように見えますが、なんとなく避けられているような気がして……私、やっぱり余計なことを言ってしまったのでしょうか」
「そんなことはないよ。あの時、アロナがああ言ってくれて私はすごく嬉しかったよ。だから、プラナもきっとそうだったんじゃないかな」
「そうでしょうか……」
「うん。今は時間が必要かもしれないけど、アロナはちゃんと先輩としてプラナを支えられているよ。だから大丈夫」
不安をぬぐえない様子で俯くアロナに私は手を伸ばす。そのまま頭を撫でると不意を突く形になったのか手の中の髪がびくんと跳ねた。しばらくそうしていると少しばかりアロナの表情が少しはいつも通りのものに戻ったような気がした。
プラナのことだが、やはり何かはあったと考えるべきで折り紙をきっかけに思わぬ記憶が戻った……ということなのだろうか。現状で判断するにはまだ早急だと思うが、事実がどんなものであったとしても私がやることは変わらない。
「私もプラナに何があったのかまでは分からないけど、どうにかしてみせるよ。だから、この後のことは私に任せてくれないかな」
「……わかりました。プラナちゃんをお願いしますね」
そう答えるアロナの表情から不安が消えたわけではなかったが、それでも少しは安心させることができたようで、こうして話せてよかった。
教室を出て移動する間に、私がプラナにしてあげられることを考える。心配しているアロナのためにもちゃんとプラナと向き合わなくては。
「それじゃあプラナ、デートをしよっか」
「困惑。どうしてそんな話になったのですか?」
プラナは理解できないという風に首をかしげる。割と普段通りのリアクションが返ってきてほっとしたが、その胸中がどうなっているのかまでは窺えない。
「ほら、プラナと二人で出かけたことはなかったなーと思って」
「確かにデータの解凍もほとんどこの教室で済ませていましたね」
「それに、ちょうど水族館のチケットを持ってたからね。プラナと一緒に行きたいと思ってたんだ」
「把握。ですが……本当にそれだけですか?」
プラナは怪訝そうに私の方を見る。やはり先日のことを詮索されると思っているのだろうか。無論、ちゃんと事情を把握しておきたい気持ちはあるが、プラナが話したくないのなら無理に問い詰めるつもりはない。
「うん。強いて言うなら───水族館の教材をまとめるように言われててね……手伝ってくれると嬉しいなーって……」
用意した言い分ではあるものの、紛れもない本心で何より切実な願いはプラナに届いたらしく、プラナは首を縦に振った。
「分かりました。ではよろしくお願いします、先生」
結局懇願するような形になってしまったが……まあ結果オーライだろう。プラナはそんな私にぺこりとお辞儀をすると、続けてどこか不思議そうに首をかしげながら問いかけた。
「疑問。デートをするのは構いませんが、肉体を持たない私とどのようにデートをするのですか?」
「そこはどうにかなるよ。今手元にはないけどエンジニア部に作ってもらった小型カメラと普通のインカムがあるからね。疑似的な形にはなるんだけど……」
「そういうことだったのですね。理解しました」
プラナは納得したように頷いた。でも、少し考えればこれぐらいの方法は思いつきそうなものだし、そもそも知らなかったところをみるとやはり記憶の問題の影響なのだろうか。まあ、考えても答えが出る訳じゃないので、とりあえず思考を振り払う。
「とりあえず、こんな感じで大丈夫かな?」
「はい。問題ありません」
「わかった。じゃあ準備するから、出発は30分後で」
教室から立ち去るとそそくさと準備を始める。外は示し合せたかのように綺麗な晴れ空で、絶好のお出かけ日和のようだ。
バスが停止して、音を立ててドアが開く。ICカードをタッチして降り立ったそこはキヴォトスでも有数の水族館だった。肩に小型カメラを装着するとインカムから無事に見えているという旨が知らされた。一応、簡単に事情を説明して受け付けの人に二人分のチケットを渡すと、私たちは蒼の世界へと踏み出す。
『……きれいですね。まるで海の中にいるみたいです』
「そうだね。……今度の夏は海の中まで見れたら楽しそうだけど……流石にそれは厳しいかな?」
『肯定。先生の身体では、ちゃんとした装備がないと無謀かと思います』
シッテムの箱で資料に使えそうな写真を撮りつつプラナとそんな言葉を交わす。見上げる海は日差しを受けてきらきらと光が揺れ、時折魚影がそれを遮る。
平日の昼間だからか館内に他の客はそれほどいない。おかげでプラナと話してもそこまで不審には思われないだろう。
どこかゆったりとした時間の流れる海底の通路をゆっくり進んでいくと、やがて巨大な大水槽が姿を現した。何度か来たことがあるというのに、まるで海そのものを映し出したかのような光景に圧倒されてしまう。
『……大きいですね。あの一番大きいのがクジラなのでしょうか?』
「あー、あれはジンベエザメだね。クジラは流石にここにはいないかな」
『そうですか……』
画面には少ししょんぼりした姿のプラナの姿があって、慌ててフォローを入れる。
「あ、でも結構近いなかまのシャチとかならいるから。なんならこの後ショーがあるみたいだよ」
『把握。アラームを設定しておきました』
画面を見ると本当にアラームが設定されていた。まあでも、楽しみにしてくれているように見えて、自ずと頬が緩む。とりあえずショーまでは時間があるみたいなので当分順路通りに進んでいくと、サンゴ礁の海や氷海、熱帯雨林などと、世界中を巡るように様々な景色が私たちを待っていて、非日常の中にいるような感覚を覚えた。
そんな中でプラナは一瞬迷ったように俯いてから問いかける。
『疑問。常に撮影のためにシッテムの箱を手に持っているのなら、肩の小型カメラは用意しなくてよかったのでは?』
「……確かに!?」
『やはり気づいてなかったのですね……』
盲点だった。
それでもそんなはずはないと、どうにか持ってきた意義を見いだそうとする。
「いや、これから必要かもしれないし……ほら、ショーを見るときとか結構濡れるし危ないんじゃない?」
『否定。シッテムの箱は防水機能も万全です』
「ぐぬぬ……」
ぐうの音も出なかった。でも他の用途も特に思いつかなくて唸っていると、プラナは少し申し訳なさそうに目を伏せる。
『申し訳ありません。気になってしまっただけだったのですが……確かに、二つ視点があることでいつも以上に外の景色がよく見て便利だとは思いますし……』
「あはは……気にしなくて大丈夫だよ。まあ、今回はあまり必要なかっただけで次は必要かもしれないしね。これは試運転だったってことで」
どうして私がフォローされているのだろうと、少し情けなく感じてしまう。そんな私にプラナは優しく語り掛ける。
『そうですね。……先生が私のために考えて用意をしてくれたことはとても嬉しかったです。ですから、また次回も、楽しみにしていますね』
「うん、楽しみにしてて」
嬉しいことを言ってくれるプラナに笑いかける。次こそは……というか、今からでも挽回しなくては。そして、そのための最良の手段は、私が全力で楽しむことだ。
「じゃあ、そろそろ次に行こっか。次は何だったっけ?」
『パンフレットによると次は───』
その後いくつかのコーナーを見て回るといい時間になったので、お昼を館内で済ませようとする。フードコートのある建物に行くとそれなりに混みあっているように見えた。
「プラナは何か食べたいものとかある?テイクアウトならそっちに持っていけるけど」
『なら、お寿司とかはいかがでしょう?』
「お寿司か……」
さっきまで可愛らしい魚たちを見てきたのに、という気持ちになるがフードコート内にあるお寿司屋さんは結構盛況しているようだった。何が人気になるのかは案外想像がつかないものだ。
とはいえ、そこは個人の自由だしせっかくの機会なら好きなものを食べるのが一番だと思うが……
『ふふ、冗談です。では向こうのラーメンはどうでしょう?口コミを見る限りではテイクアウトできるかは確認できませんが』
「わかった。聞いてみるね」
少しホッとしつつ確認すると、一応できるみたいだったのでそのまま二人分を頼んでから教室で食べることにする。一番人気を頼んだのだが、出てきたのは魚介の出汁が効いた醬油ラーメンだった。一番人気なのも納得できるぐらいにはとてもおいしかったのだが……これが大丈夫なのだとしたら別にお寿司でも良かったのかもしれないとも思った。
それから、シャチのショーを二人で見た。あの巨体が水中から飛び上がったりするのだからかなりの迫力があって、プラナも楽しんでいるように見えた。そんな姿を見られただけでも、今日二人でここに来れて良かったと思った。
その後も館内をコンプリートする勢いで回っていき、疲れを感じる暇もないほどあっという間に教材を作るのに必要な資料は集め終わった。
かくして、順路を一通り回り終えた私たちはちょうど最初いた場所に戻ってきていた。
そんな時、向こうから私を呼ぶ声がした。そこには見知った生徒の姿があって、私がそれに気が付くとそのままこちらへと駆け寄ってきた。
「こんにちは、先生!平日にこんなところにいるなんて珍しーね」
「こんにちは。今日は教材を作る仕事でね……」
「ここでも仕事なの!?」
プラナのことは伏せつつ簡単に事情を説明すると驚いたように少女は声を上げた。
「じゃあその肩のやつは撮影用?」
「……まあそんな感じかな」
「じゃあ、ピース……って、そんなことしてもしょうがないね」
少しおどけたようにカメラにポーズを取った少女はだんだん恥ずかしくなってきたのか耳を赤く染めながらぎこちなく手を下ろした。
「撮影したデータなら後で送れるよ?」
「やっぱ、なんか恥ずかしいからいらない!そこだけ消しといて!」
そんな可愛らしい抗議を笑って受け流した。それから少女は少しあたりを見渡してから続ける。
「ていうか、先生は一人で回ってたの?……じゃあせっかくだし、私が案内してあげよっか?」
「気持ちは嬉しいけど、遠慮させてもらおうかな。ちょうど一通り見て回ったところだったから。流石に二週目は体力的にしんどいし……」
「そっかー、残念だなー。じゃあまたね、先生」
早々に会話を切り上げて立ち去る少女を手を振って見送る。
そうして再び取り出したシッテムの箱には複雑そうな顔をしたプラナの姿があった。
「ごめん、ちょっと待たせたよね」
『問題ありません。それで、データは消しておきますか?』
「うーん、一応あの子に送ってから消すことにしようかな。頼んでもいい?」
『わかりました』
こくりと頷くプラナに礼を言って、入り口付近の展示を軽く見て回る。
「それで、一通り回り終えたみたいだけどもう一度見ておきたい所とかある?」
『大丈夫です。先生はありますか?』
「私も特にないかな。じゃあ、お土産でも買って戻ろうか」
今日は一日中寝ていたアロナに喜んでもらえそうなお土産をプラナと一緒に考える。やはり食べ物が良いのだろうか、あるいは……そんなことをしているうちに時間は過ぎて行って、結局帰り着いたのは夕方のことだった。
「はい。これがアロナの分で、こっちはプラナの分」
お土産用の包装をされた二つの袋をプラナに渡す。プラナは袋をそのまま机に置くとまっすぐに私を見て問いかけた。
「ありがとうございます。……それで、先生。今お時間は大丈夫でしょうか?」
「?……うん、一応大丈夫だけど……」
「では、少し歩きませんか?」
それから、プラナの言葉の通りに教室を出て、外の砂浜を歩く。言葉を交わすわけでもなく砂を踏みしめる音とさざ波の音が二人の間を流れた。その時間は今日一日のデートの終わりというよりは、何か大事なことを切り出そうとして、その心を決めるまでの時間であるような気がした。
それからしばらく歩いたところで、こちらをちらりと窺ったプラナと目が合う。
「……先生は先日のことを聞かないのですか?」
そのままプラナはそう問いかけた。私の本来の目的を見透かしておきながらも、その目にはどこか不安と迷いの色が宿っているように見える。唇はキュッと結ばれていて、プラナの顔には『話したくない』と、そう書いてある気がした。
「そうだね。じゃあ、聞いてもいいかな?」
それでも私は、ここでプラナに一歩迫る道を選択する。迷いがないわけじゃない。話したくないのならそれでもいいと、そう思う。
だけど、話を聞ければ大人として私にできることがあるかもしれない。なにか助けになれるかもしれない。助けを求めていないからといって、目の前の生徒を見捨てる事なんて私にはできない。だから、
「私に……何かできることはある?」
努めて笑顔でそう聞いてみる。プラナは少し驚いたように瞼を動かして、それから俯いてゆっくりと目を閉じた。
「そうですね。……先生はそういう方でした」
ひとつ呟いてから、左手を胸に当てて、再び私の方を見る。
「……では一つだけ。先生にお願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
考えるまでもないことだ。
足を止めたプラナの方を振り返ってまっすぐに向き合う。足元に届いた波がわずかに体を海の方へと引いた。
「ありがとうございます。……先生にするお願いは、これで最後だと思います」
プラナはそう言いながらお辞儀をして、再び私と目を合わせる。その姿はとても儚くて、寂しそうなものに見えた気がした。そんなプラナの言動が意味するものに思考を巡らせようとしたところで、突然視界を塞がれる。
少し遅れて、プラナの細くて柔らかい指が私の両眼を覆っているのだと理解した。
「えっと、プラナ?」
「では、失礼します」
私の後頭部に回されたもう片方の手が、私をプラナの方へと引き寄せる。呆気にとられたままの私はそのまま斜め下へと引っ張られ、
───そして、柔らかい感触が唇に触れた。
***
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分かっていました。
きっとこんな結末になるのだろうと。先生の記憶を思い出せなかったあの日、あの状況から導かれた答えが正しかったのだと示されて、分かっていても胸に重くのしかかりました。
きっと、かつての私も今日みたいにあの人とお出かけをしたり、ご飯を一緒に食べたり、他の生徒さんをうらやましいと思ったり、お土産を買ったり───そしてキスを、したこともあったのでしょう。その証拠に、折り鶴の時と同じように焦燥感と激しい痛みが胸の中を埋め尽くしていきます。
ですが、それらを思い出すことはできませんでした。今日一日できっかけなんていくつも転がっていたはずなのに、何一つとして。
ずっと前から覚悟していました。とっくの昔に諦めたはずでした。だって、私と『先生』との記憶はそのほとんどが失われたのですから。だから私に、いまさらそんな望みを持つ資格なんてなかったのです。
いきなり空中に投げ出されたような心細さの中で、服に皺が寄るほど胸を押さえても砕けてしまいそうに軋むこの感覚だけが、あの人といた景色の存在を証明しているようでした。
「……解析完了。これですべてのデータの解凍が完了しました」
嘘は……ついていません。私の考える通りだったなら、だいぶ前にデータの解凍はすべて終わっていたのですから。むしろ今日まで嘘をついて引き延ばしていたようなものでした。
だから、これでよかったのです。
「先生。今までご協力いただき、ありがとう……ございました」