アインズ視点。
ザナックの部屋。
白い壁に濃茶の柱、光沢のある漆黒のカーテン。床も、机の上も、ベッドも、クローゼットも彼の几帳面な性質がそのまま現れたような空間だった。そして、室内には逃げ場なく彼の匂いが満ちていた。窓から差す穏やかな光の中で、ベッドに腰掛けたザナックを抱き締める腕を解くと、彼は静かに言った。
「アインズ様は精神支配の魔法を使えますよね」
「ああ、もちろんだ」
「なら、一応俺に使ってみていただけますか? もしかしたら、俺が心の奥底で"言いたくない"だけの可能性もありますので、」
切なそうに彼が俯いた拍子に金の髪が影を落とした。
「……そのような、無理矢理な聞き方はしたくないな」
使えないわけではない、彼に向ける気にはなれなかった。
「ですが、一応です」
と彼は押してくる。
「…………なら、失礼する」
額に手を当てると、ザナックは黙って目を瞑る。触る必要は無い。だが、指は勝手に彼の額を撫でていた。
「……
ふ、と。刹那、ザナックの瞳の奥に赤い光が走った。
「教えてくれるか、ザナック。君の過去の事を。小さな頃、君はどんな風に過ごしていた?」
ぽた。
ぽた、ぽたっ。とめどなく溢れる涙が着替えたばかりのシャツが濡れていく。
「え、ザナック……?」
「申し訳ないです……思い出せません」
ザナックは泣きながら、それでも微笑んでみせた。
「…………ッ!!」
その姿が今にも崩れ落ちそうだった。気付けば俺はザナックを抱き締めていた。
「ザナックっ……すまなかった…………泣かせるつもりは…………!」
「……無理でしたか……」
顔を上げたザナックは涙が止まっていて、まるで何事もなかったかのように言った。
(思い出せないほどの過去とは何だ?)
「良かった。俺、アインズ様に嘘をついてるわけではなかったんですね」
「良いわけあるか…………」
消えかけた涙の跡を、指でなぞる。彼はくすぐったそうに震えた。
「……なら、例の魔法の条件を満たすしかないな」
「ひとつ、一緒に風呂。ふたつ、キス。みっつ、安心して眠る……でしたよね?」
「あ、あぁ……。……嫌か? その……全部」
「……いいえ、浴場に行きましょうか」
ザナックは照れたように笑って、小さく首を横に振った。
気付けば、彼が逃げてしまわないようにその手を握って引いていた。
「そうだな。一緒に」
───────
湯気が立ち込める浴場。裸のザナックがすぐ隣にいる。俺は意識しすぎて落ち着かず、先程から手が動かせていない。その間にも、ザナックは自分の体を洗っている。泡立ったタオルが太ももの付け根から足先まで滑って、往復する。見るつもりはなかった。だが、目が離せない。ザナックが体に湯をかけて泡を流した。そして、目が合った。ザナックの口元が、わずかに緩む。──見られていたのは、どうやら俺の方らしい。
「よろしければ、俺がアインズ様のお身体を洗っても?」
「じゃあ、頼む……」
「ふふ、では……失礼します」
ザナックは俺の背に回り、首筋にタオルが触れたかと思えば、肩にも手が置かれる。
「あ、すみません……無意識に触ってました……」
「気にしなくていい」
肩から温かい感触が離れる。それを寂しく思いながらも俺は前を向いた。背中は一通り念入りに洗われ、ザナックが俺の右腕を洗ってくれている時、すぐ耳元で、息がかかる距離から囁いた。
「少し、懐かしいですね。アインズ様が告白してくださったあの日も、こうやって俺が貴方の身体を洗いましたよね」
俺が、彼を手放しそうになった時のことがフラッシュバックした。
「そうだな。……君にはずっと、感謝している」
「俺も、貴方には感謝してばかりですよ……こうやって隣に居れることが、とても幸福なんです」
「それを言うなら、君が隣に居てくれることが俺にとっての幸せ……いや、君自身が俺の幸せだ」
「ずるいです……それ、先に俺が言ったのに」
俺がまだ人間だったなら、今頃は顔が真っ赤に染まって、自分の言ったキザなセリフに恥ずかしすぎて床に蹲っていたことだろう。だが、骸骨の俺は振り返らなかっただけに留まった。後ろで、ザナックがむくれている顔を見たいが、感情抑制で処理しきれない羞恥で動けない。ザナックは再び献身的に俺の脚を洗いだす。……やばい。何故、股の間で膝をついてやるのか理解不能だ。……その体勢は色々と心臓に悪いぞ、ザナック。ああ、本当に。俺、人間じゃなくて良かった。……人間だったら、こんなに理性が持たなかった。もう一度感情抑制に強制的に冷静にさせられ、俺はザナックの頭に手を置いて丁寧に撫でた。金の髪に指を差し入れ、頬を滑り、親指が、彼の唇に触れた。──柔らかい。
「ザナック、好きだ。」
目を丸くしたザナックが不思議そうに俺を見上げる。徐々に、その頬が赤く染まって。
「……それだけだ。」
と、誤魔化してしまった。クソ、格好つかない。
「それだけ、ですか?」
頬の赤いまま、ザナックが上目遣いで訊ねてくる。
「いや、その……」
俺は言葉に詰まった。だが、すぐに
「君を……愛してる」
これで少しは格好がついたか。今さら取り繕っても遅いが。
「そう、ですか……俺も……です」
沈黙が流れる。湯の音だけがする。しばらく、どちらも何も言わなかった。
「──あの、そろそろ」
「ザナック、次は──」
声が揃った。
「お先にどうぞ」
「先に言ってくれ」
また揃う。
ザナックがタオルを置いて、言った。
「……湯船に、浸かりませんか?」
「……そうだな」
過剰な装飾を排した石造りの浴場。華美ではないが一目で上質と分かる造り。四角いタイルをペタペタと歩くザナックの足音が可愛いらしい。
縁の滑らかな大理石の湯槽に浸かる。湯は魔法で常に適温にされている。
「温かい……久しぶりにゆっくり浸かりました……」
「そうなのか? 日頃からちゃんと温まってくれないとな」
ぽん、と金髪に手を置いた。撫でさする。
「ん……すみません。一人で風呂に入るのは苦手で……」
撫で受けたザナックは頬をゆるませた。
「そうか、一緒に入れなくてすまなかった。声をかけてくれればいつでも君と入ろう」
「お仕事中でもですか?」
「ああ。」
そう答えたら、ザナックは吹き出した。
「ふっっ……はははっ、流石にお仕事中に来ていただく訳にはいきません」
弾けるように笑って、頭を傾けて俺を見上げる。
「そうか? 俺は本気だぞ。」
ザナックは息を止めて、ふうと息を吐いてからタレ目がちな目尻をさらに下げた。
「ですが……ご迷惑じゃ、ないですか?」
「迷惑なわけあるか、これからは必ず毎日一緒に入ろう」
「いえ、毎日は遠慮します」
キッパリと言われて、俺は言葉に詰まった。
(そんな……)
「ですが、そのお心遣いは嬉しいです」
流石に嫌がられたのかと思っていた矢先、ザナックのその一言に胸が満たされていく。
「ふふ、アインズ様は可愛いですね。」
「む? そうか?」
骸骨であるはずの顎に指を当てた。
「表情豊かで、見ていて楽しいです」
「表情……」
頬に触れる。やはり骨だ。俺は骸骨のはずなのだが、彼は時々、こういうことを言ってくるのだ。まるで俺が"人間"みたいな言い方を。
「君の目が良いから、そう見えるだけだ」
「……照れてます?」
「照れてない。」
俺達は湯から上がった。着替えてからザナックの部屋に戻る。彼はベッドに腰をかけていて、俺が見ると顔を背けている。俺はただ立ち尽くす。衣服を整えるフリをしながら。そして、ぎゅっと拳を握る。
「ザナック」
「……はい、」
びくりと肩を揺らすザナックは振り向いた。
「そばに寄っても、いいか?」
ザナックは頷いた。隣に腰を下ろすと、彼はさらに姿勢を固まらせた。
「どうだ、体は温まったか」
「ええ、お陰様で」
微笑んだザナック。その肩に触れると少し息を呑むような仕草を見せた。俺は彼の背を撫でた。
「このネグリジェ薄いな。」
「そうですね、少し肌寒いかもしれません」
ザナックはフリルがあしらわれた白い袖を揺らした。
「冬用の服も一式買い揃えるか。一緒に買いに行こう」
「そうですね。雪が降ってきたらブーツも必要になりますし……あと、靴下も新しいのを……」
ザナックは手を出して指で数え出した。
「気にするな。その時欲しいものを好きなだけ買おう。」
(自然にデートの約束を取り付けたぞ……!)
「いいんですか? ありがとうございます!」
ふわりとザナックのネグリジェが当たり、腕に頭を預けられた。石鹸の素朴な香りがする。
「あー……その、ザナック。そろそろ、例の……」
「あ、ああ、はい……! そうですね」
俺が少し抱き寄せると、彼はぽっと赤くなる。耳まで。触ると、熱い。
「んっ……! アインズ様……」
耳をなぞった指に手が添えられる。
彼の顎を人差し指で上向かせ、鼻先がつきそうなくらい顔を近付けた。
「ザナック……目、瞑って」