デミウルゴス視点。
正義感ではなくて吹っ切れてるだけ
一度失ったから言えるのもある
ナザリック第七階層。
私は基本的に甘味を好まない。食というものは必要最低限で足りる。しかし本日、卓上には小ぶりな皿が二枚置かれている。淡い黄金色のチーズケーキ。焼き色は均一、表面に亀裂はない。隣には湯気の立つ紅茶。
「お口に合えばよろしいのですが」
私はそう言って、対面の席へ視線を向けた。
ザナック様は一瞬だけ戸惑い、それから「ありがとうございます」と素直にフォークを取った。流石は元王族か、仕草に無駄がない。だが、どこか緊張が抜けきらない硬さが残っている。蘇生から一週間。環境に慣れきるには短すぎる。私は観察する。口へ運ぶ速度。咀嚼の回数。甘味に対する反応。
「……美味しいです」
控えめな感想。過度に持ち上げない。媚びもない。事実だけを述べる。
悪くない。
「さて、ザナック様」
私は紅茶に口をつけ、さりげなく本題へ移った。
「一つ、単純な質問をしてもよろしいでしょうか」
「はい」
即答。躊躇がない。
「目の前で困っている人が居た場合、あなたはどうしますか?」
フォークを置く音が小さく響く。
「助けます」
間を置かない。理由も添えない。ただ断言。
私は僅かに眉を上げる。
「条件は問いませんか。相手が見知らぬ者であっても?」
「はい」
「自らに不利益が及ぶ可能性があっても?」
「はい」
「命の危険があっても?」
一瞬の沈黙を期待した。だが。
「はい」
迷いがない。
私はカップを持ち上げたまま、視線を細める。
「では、質問を変えましょう。目の前で困っているのが、あなたを明確に敵視している人物だった場合は?」
「助けます」
「あなたを裏切った相手でも?」
「助けます」
「あなたが犠牲になることでしか助からない状況でも?」
「……はい」
ほんの僅か。だが、それでも即答だ。
その瞬間、私は別の顔を思い浮かべていた。銀髪の執事。正義感に突き動かされ、合理性を踏み越えて手を差し伸べる男。セバス・チャン。
(なるほど)
目の前の人間は、形こそ違えど、同質の匂いを持っている。私はナイフとフォークでケーキを小さく切り分けながら、問いを重ねる。
「あなたは"助ける"という行為を、善だと定義していますか?」
「……ええ。少なくとも、自分が見過ごしたことを後悔するよりは」
「後悔の回避が動機ですか」
「半分は。もう半分は……放っておけない性分でしょうか」
自己分析も早い。私は微笑んだ。
「では、最後の質問です」
紅茶を置く。
「あなたが倒れることで、アインズ様が不利益を被ると分かっていても、助けますか?」
初めて、ザナックの視線が揺れた。
だが答えは変わらない。
「……助けます」
私は小さく息を吐いた。
「なるほど。実に一貫しています」
セバスと同じだ。ただし、セバスは己の立場を理解した上で逸脱する。目の前の男は、逸脱を"当然"としている。
「ザナック様」
声の調子を僅かに落とす。
「あなたの正義感は美徳です。アインズ様も、そういった性質を評価なさるでしょう」
事実だ。あの御方は、意外にもそういう人間を嫌わない。
「ですが」
私は視線を真っ直ぐに向ける。
「あなたの体は、もはやあなた一人のものではありません」
ザナックの眉が寄る。
「……どういう意味ですか」
「あなたが傷つけば、アインズ様が動きます。あなたが倒れれば、アインズ様は予定を変える。あなたが命を投げ出せば、あの御方は──」
言葉を選ぶ。
「合理を、無視なさる可能性がある」
それはナザリック全体にとって損失だ。
私は淡々と続ける。
「あなたは蘇生された。偶然ではありません。選ばれたのです」
フォークの先で、ケーキの端を整える。
「選ばれた者には義務が生じます。己を守る義務です」
ザナック様は黙っている。反論を探しているのではない。噛み砕いているのだ。
「困っている者を助ける。その行為自体は否定しません。ですが、あなたが倒れる形での"助け"は、結果としてより多くを危険に晒す」
私は微笑む。
「自己犠牲は、時に傲慢です」
ザナック様の瞳がわずかに見開かれた。
「傲慢……」
「ええ。自分の命を軽く扱うということは、自分を必要としている者の価値も軽く見ることと同義です」
静寂。
「……俺は」
ザナック様が、ゆっくりと口を開く。
「そこまで考えていませんでした」
素直だ。言い訳をしない。私は頷く。
「ですから、今覚えてください」
そして最後に、わずかに声を和らげる。
「あなたが助けるべき相手の中に、"あなた自身"も含めなさい」
ザナック様は俯く。そして、小さく笑った。
「難しい宿題ですね」
「ええ。しかし、あなたなら可能でしょう」
チーズケーキは半分ほど残っている。
「それに」
私は付け加える。
「アインズ様は、あなたが無事であることを当然の前提として行動なさっています。その前提を崩すのは、あまり賢明とは言えません」
「……分かりました。助ける前に、考えます」
「素晴らしい」
そして再びフォークを取り、残りのチーズケーキを口に運ぶ。甘味が広がる。悪くない。目の前の人間もまた、悪くない。セバスとは違う形で、しかし同じ方向を向き得る存在。
(アインズ様は、やはり……)
そこで思考を止め、飲み込んだ。
「紅茶が冷めますよ、ザナック様」
─────────『ザナック視点』
ナザリック九階層、長い廊下。
婚約発表の翌日。未だに足元がふわつく。昨日の玉座の間の光景が、脳裏に焼き付いて離れない。
(世界に宣言する、って本気だったんだな……)
あの低い声が、まだ耳に残っている。
「……ザナック様」
ぼんやりしていると、そんな風に声がかかる。そこには、丸眼鏡に整えられた黒髪、赤いスーツを乱れなく着こなした
「デミウルゴス様。おはようございます」
「おはようございます。昨日は実に見事な発表でした。内部秩序の整理としても、対外的牽制としても効果的です」
「いえ、あれはその……単純に、あの……」
俺がどもると、即答された。
「恋愛、ですよね?」
一切の躊躇なく断言された。
「そ、そうです……」
デミウルゴス様は眼鏡を中指で直した。
「そこで一つ、確認事項がございます」
「……何でしょうか」
嫌な予感がした。
「後継者問題についてです」
「……?」
「お世継ぎについてです」
「……はい?」
「お子様です。アインズ様とザナック様との間の」
「ちょ、ちょっと待ってください……!?」
声が裏返った。
「そ、そういうのはまだ早いです……!!」
「いいえ。むしろ遅いくらいです。王が婚約を公表した以上、血統の安定は重要事項です」
言い切った。
「血統って……!」
顔が熱い。脳みそが爆発しそうだ。
「俺とアインズ様は人間とアンデッドですよ!? それに男同士ですから!!」
「確かに通常の生殖機構では困難でしょう。しかし」
眼鏡がキラリと光る。
「異種族間の交配研究は既に幾つかのデータが存在します」
「存在しなくていいです!!」
顔の熱が耳まで上がる。俺は事実を突き付けた、つもりだ。
「だ、大体……アインズ様はアンデッドなんですよ!? 生物学的にどうこうって話じゃ──」
「生物学は必ずしも絶対ではありません」
デミウルゴス様は一本指を立てた。
「それに、お世継ぎは必ずしも肉体的なものを指すものではない。魔法、錬金術、養子、多様な継承があります」
「っ……」
「とはいえ」
「念のため確認を。既に─"子作りらしき行為"はなさいましたか?」
フラッシュバックする甘い記憶。
夜。冷たい温度。あの──低い声。
「し、ししし、してません!!」
「本当に?」
「本当にです!!」
「興味深い。婚約発表前、ザナック様のお部屋が作られてから同室での宿泊記録が複数存在しますが」
(いつ記録された……!?)
「別荘の件もございますし」とデミウルゴス様は鋭く付け加えた。
「それはっ……その……!」
「……たしかに、睡眠の共有は生殖行為とは別です」
デミウルゴス様は軽く微笑んだ。
「安心してください。責めているわけではありません」
「じゃあ何なんですか! というか違う意味で責められてます!!」
「それは失礼致しました。それでは、これで」
軽く会釈をし、デミウルゴス様はそのまま歩を進めて去っていく。俺は頭を抱えて崩れ落ちた。俺の人生、急展開が過ぎる。
「あぁ……もう…………お世継ぎなんて、第一…………アインズ様は欲しがる訳、無いだろ。」