ザナック視点
カルネ村。村を囲う大きな柵の前で、俺は深く息を吸う。土と草の匂いが胸いっぱいに広がる。吐き出した息が、わずかに震えた。緊張する。ナザリックの皆さんに初めて挨拶をした時と同じくらい。喉が震えた。俺は背筋を伸ばし、腹に力を入れた。
「はじめまして! 魔導国から視察に来たザナックと申します!! 村長殿にお取次ぎ願います!!」
声を張った。すると、高台の人影が動く。門がゆっくりと開く。ぞろぞろと護衛が出てくる。尖った耳、緑の肌。ゴブリンだ。その後ろには赤みがかった茶髪を後ろで編んだ若い村娘。
「カルネ村村長のエンリ・エモットです。……ザナック、様でよろしいですか?」
「ええ、ザナックです。エンリ様」
頷く。俺は軽く会釈を返した。
─────
村へ入り、村長である彼女にもう一度礼をした。
「エンリ様、ご案内よろしくお願いいたします」
「あの……」
彼女は言いにくそうに振り返る。
「エンリ"様"ってやめて貰えませんかね……?」
「え?」
「私、村長をやらせてもらってますけど……そういう扱いに慣れてなくて……!」
そう言って、エンリ様は困ったように頬を掻いた。村長という肩書きと、年相応の仕草がどこか噛み合っていない。けれど、立派にやっているのだ。
「では、エンリさん。私の事も様付けは控えていただけると幸いです」
そう言いながら、俺は肩の力を抜いた。ここで堅苦しくしても、かえって壁を作るだけだ。
「ええ! 分かりました、ザナックさん」
彼女は頷いた。二人で歩き出すと、家の陰や柵の向こうから、村人たちの視線がそっと集まってくるのが分かった。
子供が一人、興味深そうにこちらを見ていたが、すぐに母親らしき女性に肩を引かれて引っ込んだ。
「それにしても、ザナックさんって、元王子様なんですよね……こんな辺境の村にわざわざお越しくださってありがとうございます」
「いえいえ、能力と責任が釣り合ってませんでしたから、今の外交補佐という位置の方が落ち着きます。いや、すみませんね……"黄金"のラナーや第一王子でなくて」
半ば冗談のつもりで言ったが、自分で言っていて少しだけ苦笑が混じった。
「とんでもない! 」
エンリさんは慌てて首を振った。
「そんな言い方しないでください。ザナックさんが来てくれて、村としては……むしろありがたいくらいです」
「第一王子のバルブロ様はここを襲撃した方ですし」
エンリさんはそう言ってから、ほんの少しだけ視線を逸らした。村に残る記憶は、まだ完全には薄れていないのだろう。
「その節は兄が申し訳ありませんでした……」
今は王族としてではなく、ただの身内の一人として謝るしかない。
「ザナック様は悪くないです!」
エンリさんは少し言葉を選ぶようにしてから、続けた。
「それに、ラナー様も……悪魔になっちゃったって噂で聞きましたから……」
その言葉は、どこか遠慮がちだった。村にも、魔導国の噂話は少しずつ流れてきているらしい。
─────
三時間後。村の空気は、来た時よりずっと柔らかくなっていた。
「今日は本当にありがとうございました。」
俺は頭を下げた。
「いえいえ、私も楽しかったです。あ、こちらは」
「ンフィーレア・バレアレです」
栗毛の、前髪が長い青年が頭を下げた。
「どうも、ザナックです」
自然と握手をした。
「あの、それって……」
エンリさんが頬を染め、俺の左手薬指を指す。正確には、はめられている指輪か。太めの金色の輪、あの人の色を映した赤い宝石。
「……婚約指輪です。」
薬指にはまる重みが、妙に愛おしい。思わず、ふっと笑みが零れた。いけない。自慢してしまいたくなる。
「そうですよね……! 大切そうに撫でてましたもの」
「エッ……そ、そうなんですか!?」
そんなに見られていたのか、と今さら恥ずかしくなる。
「ふふ、えぇ……何度も指先で」
俺は思わず手を引っこめる。そんなつもりはなかったのだが。癖になってしまう前に直さなくては。
「……少し、見せていただいてもいいですか?」
遠慮がちにそう言ったのは、エンリさんではなく隣にいた青年──ンフィーレアさんだった。視線は真剣で、柔らかな青年の表情が、すっと研ぎ澄まされる。
「え? ああ、構いませんよ」
俺は少しだけ指を抜き、指輪を外して差し出した。ンフィーレアさんは両手でそれを受け取ると、まるで壊れ物を扱うように慎重に持ち上げた。
「……これは……」
しばらく沈黙。彼の眉がゆっくりと上がる。
「宝石自体は……そこまで極端に珍しいものではありませんね。ですが──」
指輪を少し傾ける。光が赤い石の奥で揺れた。
「この魔力……」
今度は声が小さく漏れた。
「……結構な量が込められている。」
俺は首を傾げる。ンフィーレアさんはさらに指輪の輪の部分を指先でなぞった。
「それに……この金属……」
一瞬、息を呑む。
「……まさか。こんな素材、僕は文献でしか見たことが……」
顔を上げた時、彼の表情は完全に研究者のそれだった。
「ザナックさん……これ、普通の装飾品じゃないですよ」
俺は苦笑する。
「……ですよね」
そう言いながら、差し出された指輪を受け取り、もう一度薬指にはめ直した。
「贈り主が、普通じゃない方なので」
にやけそうになる。指輪を嵌めてくれた骨の指先まで、妙に鮮明に浮かんだ。
「婚約ということは、正式なご結婚はまだなんですね?」
エンリさんは首を傾げる。
「はい……でも、いずれはするそうで…………」
まだ先の話のはずなのに、その響きだけで落ち着かなくなる。
「そ、そうなんですね!」
何故か目を輝かせる。俺は顔が熱い。
「婚約に、迷いとかって無かったんですか……?」
即答だった。そこにためらいは無い。
「ありません。というか……迷ってられる状況じゃなかったので。この人を失いたくない、この人が居ない人生なんてありえない。そう思ったから婚約しました」
言ってて気恥ずかしかった。だが。
「……お二人がもし、今、それぞれに。何か迷ってることがあるなら、考えてみるといいですよ。後悔することなんて前提で、本当にそれは後回しにしていいのか。やらないで後悔するよりやって後悔したいと私は思ってます。だから、大変な事もあるけど……あの人と婚約してよかった」
選ばなくても失うし、選んでも傷つく。それでも、選ぶしかない。嫌という程知っている。
俺は、今度は意識して指輪を撫でた。
───────
外交補佐官、ザナックが去った。
エンリとンフィーレアの間には気まずさとも、甘さとも違う、落ち着かない熱が残っていた。
「ザナックさん、いい人だね」
ンフィーレアが言う。
「うん、思ってたより、口調も優しいし態度も、笑顔も柔らかくて…………もしかして、不遜な王子様って噂も、嘘の情報だったのかな……」
「だよね、優しい人にしか見えないよ」
「……それにしても、女性ってやっぱりゆ、指輪とか、喜ぶのかな」
「ザナックさんは飾り立てるタイプの方じゃなさそうだけどね」
「……」
「エンリ……? ザナックさんって男性だよね」
「え? 女性でしょ?」
顔を見合わせる。
「だって、肩につくまで髪の毛長かったし、すごく口調仕草も丁寧でお上品で………」
「いやいや、声的に男性でしょ!? それに、元王子様って言ってたじゃないか……!」
柔らかな声と、丁寧な所作が印象に残りすぎていたのだ。
「あ、たしかに。なんだか途中から女性だと思って接しちゃってた……あはははっ」
口に手を当ててエンリは笑う。目尻の涙を拭った。その笑顔を見た瞬間、言わなければと思った。
「……!」
ンフィーレアは目を泳がせる。一度逸らした視線を、もう一度エンリへ戻す。
「あ、のさ……エンリ、僕たち───」
ンフィエンを進展させたかった