婚約発表後ですが、蘇生されたおっさんずはまだ何も知らないので、ブレインはザナックの片思いだと勘違いしてます。
闘技場。乾いた土の匂い。何周も走ったせいで、視界が揺れていた。
「うっ、おえ」
胃の中が空なのに、体はまだ吐こうとする。俺はえずく。
「げほっ、ごほっ……」
視界の端が白く霞む。吐いたばかりだと言うのにまた、喉が熱い。
「ザナック様、無理をし過ぎです」
セバス様だ。いつの間にか隣に膝をついていた。
「大丈夫で、す」
自分でも説得力がないと分かる声だった。その時、空気が、ひやりと歪んだ。
「
重く。低い声だった。その声の主に、ひょいと体が浮いた。驚くほど軽く持ち上げられる。脚が宙に浮く。
「顔が青い。吐くまで走ることは無いじゃないか」
低い声だが、どこか呆れたように柔らかい。縦抱きされた。驚くほど安定した腕だった。背をゆっくり撫でられる。呼吸が少しずつ整っていく。咳が落ち着く。
「アインズ……様……汚れ、ます」
こんな状態で抱えられるのが申し訳ない。
「気にするな」
即答だった。そのままアインズ様はセバス様に背を向けた。頭を撫でられる。優しい手だった。
─────
俺は、強くなりたい。別に、最強を目指す訳では無い。だが、自分で自分の身を守れるようになって、アインズ様に見て欲しかったのだ。成長した俺を。
だから、セバス様とコキュートス様に基礎体力を鍛えてもらっていた。
「ザナック様、剣ヲ構エルニハ、モット腰ヲ落トセ」
「こうですか!?」
俺は腰を下ろす。
「モットダ」
「こうですか!」
「モット」
「どうでしょう!?」
「モウ少シ」
「はい!!」
「今度ハ良イ」という声に俺は気を抜きそうになる。
「ソノママ、体制ヲ維持シロ」
太ももが震える。剣を握る手もじわじわと重い。
「ふ、ふぬぬっ……」
歯を食いしばりながら耐える。立っているだけのように見えて、全身が悲鳴を上げていた。
「良イ。デハ、振ッテミロ」
「は、はい!」
俺は大きく息を吸い、剣を振る。
──ぶん。空気を切る音。だが、剣先がぶれる。
「遅イ」
「ぐっ……もう一回!」
──ぶんっ。今度は少しだけ速い。だが体が流れる。
「体ガ前ニ出過ギダ」
「はい!」
三度目。腰を落とし、足を踏ん張る。
──ぶん。さっきより、少しだけ真っ直ぐ振れた。
「……悪クナイ」
コキュートス様が頷いた。その一言だけで、胸が少し軽くなる。
「よし……もう一回!」
調子に乗った。俺は思い切り剣を振る。──ぶおんっ。その勢いで、足が滑った。
「うわっ」
次の瞬間、俺は見事に尻から地面に落ちた。どすん。土煙がふわっと上がる。しばらく沈黙。そして、上から低い声が落ちた。
「……腰ヲ落トセトハ言ッタガ、ソコマデ落トセトハ言ッテイナイ」
俺は地面に座ったまま、顔を覆った。
「……はい……」
───────
「また、行くのか」
背後から、低い声が落ちた。丁寧に振り返った。俺は慌てて姿勢を正した。
「はい……、何か……お気に召しませんでしたか?」
「……なぁ、ザナック、婚約者が他の男の元へ通うことを許可してるだけで俺は心が広いと思わないか……?」
どこか拗ねたような声音だった。心臓がどくんと跳ねた。
「うぐっ、そ、それは……申し訳ありません。ですが、浮気するつもりなど少しもありませんし、有り得ません……!」
「君がその気が無くても、な」
アインズ様の眼窩の光が細められた。
「はい……?」
「君は魅力的だ。自覚した方がいい」
手を引かれ、手の甲に口付けられた。冷たいはずの骨の口付けなのに、不思議と熱が残る。
「そう、なんですかね…………」
魅力的と言われても。腹が柔らかいところ、とかか? いや、それはアインズ様限定だろ!! ……まさか太っているところ? ぐるぐると思考を巡らせていると、抱き寄せられる。逃がさないと言わんばかりの腕だった。
「っ……アインズ様……」
「君のことは疑ってない。疑ったこともない……けど、それでも不安だ。君が俺のそばに居ないだけで……」
そんなふうに囁かれ、俺は顔に熱が集まる。少し背伸びをして、
「これで、許していただけないでしょうか」
アインズ様の歯に口付けた。角度を変えて二回。
「続きは、俺が帰って来てから……です」
「ずるい……ずるいぞ……ザナックっ」
アインズ様は大型犬のように俺の肩に顔を埋める。ぐり、と頬骨が押し付けられる。
「……アインズ様、行って来ます」
「ああ……寂しいけれど…………気を付けて行ってくれ、ザナック」
俺は軽く手を振り、訓練場へ向かった。背中に、まだ視線を感じながら。
───────『ブレイン視点』
蘇生されてから一週間。魔導王陛下直々の命令で、部下を一人鍛えてやって欲しいらしい。人間だし、全くの初心者ってことでそこら辺は弁えて欲しいとも言われた。だが、
「初めまして、ザナックと申します。今日からよろしくお願いします」
元王子様とは聞いてないぞ。
まぁ、身分は関係ない。それに、子供にだって教えたことがあるんだ。出来るはず。小太りな体型……だが、少しは体力はありそうだ。
「なぁ、アンタ……第二王子のザナック殿下だろ?」
「いえ、もう王子ではありません」
「じゃなくて、なんか変な感じするんだよ。敬語使われると。対等な関係でやろうぜ。」
「ああ、では……よろしく、ええと」
「ブレイン。ブレイン・アングラウスだ。」
手を差し出すと、ザナックは握り返す。
「これからよろしくお願いする、ブレイン。」
「こちらこそだ」
丁寧に差し出された手を握る。柔らかい。剣士の手じゃない。だが、逃げる目でもなかった。最初は立ち方と足運びだけだった。腰を落とす。視線を下げない。木刀を持たせれば腕が震え、素振りをさせればすぐ息が上がる。何度も転び、何度も木刀を落とした。それでもその度にザナックは立ち上がり、諦めない。
「謝るな。ただ、直せ」
そう言えば、素直に頷いて構え直す。
十日もすると、少しだけ足運びが静かになった。二十日を過ぎれば、腰の入った一撃がたまに出るようになる。遅い。だが、前よりはずっとましだ。
「……今のは悪くない」
そう言っただけで、分かりやすく目を輝かせた。単純な奴だ。褒めるとすぐ顔に出る。やがて木刀同士で打ち合わせるようになる。俺が弾けばすぐ崩れる。だが、受け身は取れるようになった。転んでも木刀を手放さない。息が上がっても、もう一回と言う。
「強くなりたい理由は何だ」
そう聞いた時、ザナックは少し考えてから答えた。
「自分の身を守りたい。それに……成長したところを、見せたい人がいる」
「不純な動機だな。」
沈黙が落ちる。
「だが……悪くない。」
「……そうか、」
「なぁ、その、見せたい人って誰だ?」
言った瞬間、空気が固まる。
「……また今度教える」
ぎぎぎ、と顔を背けられた。
「…………そんなに隠されると逆に気になる」
「無理だ。今は教えられない」
早口。木刀でガードされる。深追いは良くない。が、また明日聞いてみるか。
翌日、訓練が終わると、ザナックはベンチに雪崩るように腰掛けた。肩で荒く息をしていた。「はぁぁ」と力の抜けたような声を出して、そのまま背もたれに頭をぶつけた。まだ息が整っていないのを見計らって、俺は口を開いた。
「なぁ、昨日の。聞かせてくれよ。成長したところを見せたい人って」
少しの沈黙。
「……アインズ様」
「は?」
思わず間抜けな声が出た。
「だから……アインズ様に、見て欲しくて」
ふい、と顔を背けた。耳が赤い。一瞬、意味を理解するのに時間がかかった。ザナックのまるで乙女みたいな反応に俺は吹き出した。
「ぶふっ、まさか、あの魔導王陛下に好意があるのか?」
ただの茶化しのつもりだった。ザナックは固まった。嘘だろ、と思った。顔を覗き込む。
「は……そんな訳ないだろ。いや、確かに尊敬はあるが、変な意味はない。」
目を逸らす、が睨むように返して来た。妙に冷静に否定するので逆に怪しい。
「じゃあなんで見て欲しいんだよ」
「それは、尊敬する方だから、だろ……?」
言いながら、視線を落とした。
「尊敬ねぇ……」
「ニヤつくな」
ザナックに小突かれる。痛くは無い。
「アインズ様は……俺を友人だと言ってくれた。……友人なんて、生まれてこの方出来たことの無い俺に……言ってくれたんだ……」
口元が僅かに緩んでいる。ザナックの横顔は幸せそうだった。
「ふん……ただの尊敬か?」
「何度言わせる。尊敬だ。それ以上でも以下でもない。……本当に尊敬してるんだ、魔法に詳しくて、努力家で、でも決して、それを驕ったりしない。」
確かにその目は尊敬の念で溢れていた。
「それを好きって言うんじゃないのか」
「ばっ、何を言うんだ全く!! しつこいぞ!」
焦ったのが丸わかりだった。顔を赤くしていく様子を見ながら俺は顎に手を当てた。これは面白い。
「隠しきれない愛が滲んでんだよな」
「ち、違っ……!」
あの、魔導王陛下に片想いか。俺は種族差にはどうしても壁があるとは思う派だが。師匠として、応援しよう。頑張れ、ザナック。