※軽めにしたつもりですが、カルカ様が怪我をする描写があります!
北部城塞都市、カリンシャ。空が紫色を帯びた夜。悪魔達の悍ましい叫び声と馬の蹄の音が入り混じる。フルプレートに兜まで被った聖騎士団団長レメディオスは聖剣で悪魔達を叩き斬っていく。
「レメディオス団長、この大通りをもう一度右に曲がればヤルダバオトが待ち受ける広場に出ます」
副団長のイサンドロが馬を寄せた。
「そうか、ではそろそろ、持続時間の長い防御魔法などをかけ始めろ」
「「はっ!」」
後ろの聖騎士達は一斉に返事をする。
「では行くぞ!」
レメディオスが活を入れた。
角を曲がると、大量に倒れた兵士達と毅然と立った大悪魔がレメディオスを待ち受けていた。兵士達は血を流している様子はあまりなく、倒れ方も綺麗に見えた。レメディオスはそれよりも兵士達を傷つけられたことを怒った。自国の兵を、部下を倒されて冷静でいられる彼女ではなかった。そして馬上から飛び降りる。
「っぐ…………お前がヤルダバオトか!」
斬りかかりながらレメディオスは距離を詰める。一振りを避けられ、追撃。それもまた背を向けられたまま避けられる。レメディオスは即座に後ろに跳び、待機していた聖騎士達に告ぐ。
「退避! この悪魔は強い!」
剣に人生を捧げ、その技を磨き抜いて来たレメディオスの勘が言っていた。この先の戦いについて来られる者は少数、いやいない。だからといって自分一人でも到底不可能だ。
「そんなに急がなくとも、私は逃げませんよ」
魔皇ヤルダバオトが一歩近付けば、レメディオスもその分下がる。
その時、ぞろぞろとカルカやケラルトが率いる兵達が広場に入って来た。状況を理解したケラルトは苦しげに眉根を寄せて、カルカはヤルダバオトを見据えていた。レメディオスは二人と視線を交わし、その前に立った。
「あなたが魔皇ヤルダバオトですね」
「そのとおりです」
カルカの質問に、ヤルダバオトは向き直った。
「あなたが当代の聖王ですか?」
「はい、そのとおりです」
カルカもレメディオスの背から上半身を覗かせ、正直に答えた。
「カルカ様、こんなヤツに名乗る必要はありません。こいつがヤルダバオトと分かったなら、あとはぶっ殺して……」
「レメディオス、ちょっと静かにして」
カルカがレメディオスを叱る。
「姉様、カルカ様は相手の情報を引き出したいの、我慢して」
横からケラルトにも窘められる。
「……くっ、うう」
目を瞑って歯を食いしばるレメディオス。彼女には情報を引き出すことの意味は分かっているが重要性がいまいち理解できていなかった。
「それで、あなたの目的は何ですか?」
カルカが冷静に問いかける。
「なぜ、軍を率いずに、私達の前に現れたのです?」
カルカは内心恐ろしかった。軍を率いずに来たということは一人で自分達を制圧することも可能というヤルダバオトの余裕の現れだと思ったからだ。
「アダマンタイト級冒険者──漆黒のモモン。あの強大な戦士のせいで、王国における私の企みは
破られました。私と同等に戦える者がいるのであれば……この国の最も尊き者の傍らにいるはず。そう思って先に調べに来たのです」
ヤルダバオトはカルカを見る。レメディオスを手で指した。
「貴女が"そう"とはまだ決まっていませんが……これからお手並み拝見といきましょう。歴代最強と名高き聖騎士団団長殿?」
「貴様……言いたいことはそれだけか! 貴様など私がその首を跳ね飛ばしてやる……!」
「姉様! これは悪魔の挑発よ」
ケラルトが言った。レメディオスは、ふう、と息を吐く。
「知りたいことはそれだけですか? 聖王女様」
「そうですね」
カルカが目を伏せた。
「レメディオス。あなたはこの国を、弱き民を守る剣です」
カルカの声が背中に触れた。
「聖王女の名において命じます。これ以上民を一人たりとも傷つけてはなりません!」
その翡翠の瞳が潤んだ。カルカの声に応じ、後方の神官達が一斉に詠唱を始める。
「天使隊、前に!」
声に凄みをきかせたカルカ。カルカの指がヤルダバオトを示した瞬間、天使隊が流れ込むように突撃した。レメディオスも魔法強化され、声を上げて同時に走った。
「でやあああぁーッ!!」
一斬りを避けられ、ヤルダバオトは宙へ浮かぶ。バサリと黒い羽根で羽ばたき、上空へ。ヤルダバオトは天使の腕を掴み、そのまま別の天使へ投げつけた。
「……流水加速!」
武技を発動し、突く。
「聖撃!!」
聖剣に宿った光が一点へ収束する。
悪魔の爪が、それを受けた。
金属ではない。だが、聖剣と爪がぶつかった瞬間、甲高い音が広場に響いた。レメディオスの腕に衝撃が走る。それを爪で受け流し、ヤルダバオトは後ろに退いた。
「……なるほど」
「……チッ」
レメディオスは舌打ちをした。聖撃を受け流せるだけの爪の硬さ。今回召喚された位階の天使ではここでは邪魔でしかないからだ。
「
ケラルトの声が飛ぶ。
「
続けてカルカも詠唱した。だがどちらも弾かれ、パリン、と何かが割れる小さな音が連なる。レメディオスはそれを不思議に思ったが意識はすぐに戦いに戻った。
「虫ケラでも、数が多いと不快ですね」
ヤルダバオトが手で払う。頭上の天使を薙ぎ払い、天使は白い光の粒になって消えていく。レメディオスは静かに移動する。そして──上からやって来る天使達に集中していたヤルダバオトの隙を突き、間合いを詰める。
「ううっ…………だーッしゃあ!!」
武技を込めた一撃。
「──何……!?」
力いっぱいに聖剣を叩きつけられ、ヤルダバオトは広場の奥の店に吹っ飛んでいく。
「……しまった!」
レメディオスは自身の聖剣を握る手を見た。
「姉様! やりましたね!」
「まだだ! あんなに飛ぶわけがないだろ!」
「姉様の馬鹿力なら可能かと……」
「奴は自分から飛んだんだ!」
ケラルトの喜ぶ声に怒鳴り、レメディオスは剣を構えた。ヤルダバオトを逃がし、家の中に隠れる余裕を与えてしまった。レメディオスは奥歯を噛み締める。
「レメディオス! どうすればいいの!」
背後からカルカが叫ぶ。こういう時にはレメディオスの選択が正しい。
「近寄らずに家を破壊しろ!」
「「
神官達が攻撃魔法を発動した。家屋が壊され崩れていく。炎と瓦礫の中からヤルダバオトがゆっくり現れた。
「……困ったものですね。そろそろこちらも、本気を出す頃合いのようですね」
だが、その姿は先程の仮面の細い悪魔とは違って、とてつもない巨体。炎の翼に長い尻尾の先にも炎が燃える。
「神官達よ、天使を突撃させなさい!」
魔皇ヤルダバオトがその太い腕を振るうだけで、召喚された天使達は片っ端から消えていった。
「カルカ様! ケラルト! 後ろに下がって!」
レメディオスは地面を蹴って前方に飛ぶように踏み込んだ。
「でやあぁぁー!」
聖剣での一撃。ジュウウゥ、と焼けるような音がして、ヤルダバオトの脚に三十センチ程の深さの傷が出来た。レメディオスは目を丸くした。先程は剣は通らなかったのに今は攻撃も当たり傷まで。だが、巨体になったことにより動きが鈍ったのだろうとすぐに攻撃を再開する。
ヤルダバオトが少し後退り、詠唱した。
「ちっ……
ヤルダバオトが消え、レメディオスの背後に背を向けて現れる。
「逃がすか!……はっ! 二人共逃げろ!!」
ヤルダバオトが向かった先は、カルカとケラルトの元。レメディオスも前進していた勢いでぐるりと回る。
「失礼するぞ、聖王女様」
その声が聞こえた瞬間、レメディオスの表情が凍った。ヤルダバオトの狙いは、自分ではない。
カルカだ。
ケラルトだ。
「カルカ様に、触るなぁぁーー!」
叫びと同時に、レメディオスは全身の力を脚に込めた。石畳を砕くほど強く踏み込み、兵士達の間を縫うように駆け抜ける。鎧が擦れ、誰かが息を呑む音がした。それでも止まれない。止まれば、間に合わない。ヤルダバオトの太い爪が、カルカへ伸びる。
「レ、レメディオスっ─────くっ、!!」
カルカの肩がヤルダバオトの爪で傷つけられるのと同時に、肉とも甲殻ともつかない硬い感触が、聖剣越しに腕へ返る。重い。だが、止まらない。止めるわけにはいかない。カルカに触れたその腕を、残しておく理由などなかった。
「だあああぁぁぁーーッ!」
レメディオスはさらに踏み込み、全身全霊で聖剣を振り抜いた。一拍遅れて、ヤルダバオトの右腕がずれた。誰も、声を出さなかった。太い腕が地面へ落ちる。重い音が広場に響き、土煙が小さく跳ねた。斬った。だが、守りきれなかった。
その事実が、レメディオスの胸を刺した。今なら追撃できる。剣士としての勘がそう叫んでいる。だが、カルカの肩から目を離すことができなかった。
「カルカ様……!!」
「大丈夫よ、レメディオス」
そう言うカルカの顔は青く、レメディオスの肩に頭を寄せる。
「くっ、馬鹿な……」
ヤルダバオトが低く呟いた。
先程までの余裕が、わずかに崩れているように見えた。巨体が一度、ぐらりと傾ぐ。炎の翼が不規則に揺れ、失った右腕の断面から立ちのぼる熱気が夜気を歪ませる。レメディオスはカルカを背に庇い、聖剣を握り直した。効いた。確かに、届いた。だが、倒れてはいない。
「……油断するな」
それは周囲の兵士達へ向けた言葉であり、自分自身への命令でもあった。ヤルダバオトは失った右腕を左手で押さえるようにして、ゆっくりと後退した。先程までの優雅さはまだ残っている。だが、その動きには確かに乱れがあった。
「……歴代最強の名は、伊達ではないのか」
「逃げる気か!」
レメディオスが一歩踏み出す。だが、肩に寄りかかるカルカの重みがそれを止めた。追えば届くかもしれない。けれど今、自分が離れれば、カルカの前に立つ剣がなくなる。ヤルダバオトはそれを見透かしたように笑った。炎の翼が大きく広がる。夜気が熱に歪み、黒い羽根が火の粉のように舞った。レメディオスが剣を構え直した瞬間、ヤルダバオトの巨体は黒い炎に包まれ、跡形もなく消えた。広場に残されたのは、焼けた石畳と、落ちた太い腕。そして、荒い息を吐く兵士達だけだった。
「……逃げられた」
レメディオスは奥歯を噛み締める。勝ったとは言えない。だが、倒せない敵ではないと証明した。カルカが弱々しくも、そっと微笑む。
「レメディオス……守ってくれて、ありがとう」
その言葉に、レメディオスは何も返せなかった。ただ聖剣を握る手に力を込め、消えた悪魔が居た場所を睨み続けた。