激戦から三日。小都市ロイツは亜人達に受けた傷跡を残しているが、救出された民達の顔には微かな希望が灯っていた。
街の主要な建物はすべて負傷者の治療所として開放されているため、首脳陣の拠点として都市の広場に巨大な天幕が張られていた。魔導王から提供されたその天幕は、外見こそ簡素だが、内部は快適な温度に保たれた極上の空間だった。
「〜てはいけませんよ? レメディオス」
「はい、分かりましたカルカ様」
「姉様、その顔本当に分かっていますか?」
穏やかな雰囲気に包まれた女性達の声が扉幕越しに聞こえた。
天幕の中を整え、机を拭き、椅子のクッションを準備していたザナックは振り返った。
ミルクのような明るい金髪を背に流した美しくも愛らしい顔立ちをした女性──ローブル聖王国当代聖王女カルカ・べサーレスが扉幕を片手で捲り、携えていた微笑みから目を丸くした。後ろには、聖騎士団団長レメディオス・カストディオ、その妹であり神官団団長のケラルト・カストディオを伴わせていた。
ザナックとカルカは目が合うなり両者固まった。カルカは、見覚えのあるかつての王族の姿に頭が混乱に陥っている。ザナックは、目の前に現れたあまりにも可憐で典麗な女性の姿に一瞬言葉を失っていた。
「あなたは……」
絶句したように言葉を途切れさせたカルカに、ザナックは認識阻害の魔法をかけるのを忘れていた事を思い出す。自責の念に駆られるが、いいタイミングだと思い、礼の姿勢をとった。
「お初にお目にかかります、カルカ・べサーレス女王陛下。私はアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の特別外交補佐官です。貴国には従者として参りました」
「こちらこそ、我が国の危急の事態に駆け付けていただきありがとうございます」
胸に手を当てたカルカにザナックは首を振った。
「私などにそのようなお言葉をかける必要はございません。感謝をお伝えするなら、魔導王陛下にお伝えください」
真っ直ぐ視線を向けた。すると、カルカは恐る恐るといった感じで口を開く。
「あなたは……もしかして…………」
ザナックは心の中で苦笑した。あのお方の許可は得てないが仕方ない。もう誤魔化しきれる気もしない。
「はい……女王陛下のご予想通り。私はザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフです」
カルカはまるで『王国の亡霊を見た』とでも言いたげな顔をした。ケラルトは苦笑いする。唯一表情を変えていなかったのはカルカの右後ろに居たレメディオスだった。ザナックは、流石は歴代最強聖騎士団長だ、と感心した。
「誰だ……?」
「レメディオス!」
「姉様!」
前に居た二人が間の抜けた顔をしたレメディオスに詰め寄った。
自分なんてその程度の知名度か、二人も知る人がいた方が奇跡だと喜ぶべきだろう。とザナックは少し寂寞たる思いを抱いた。
「…………。いえ、お気になさらず。私は興味を引かれるような人物ではないので覚えにくいのは理解しています。傲慢不遜なわがまま王子など誰も覚えたいなどと思わないでしょう」
手を挙げて言った。その声色は決して皮肉ではなかった。二人は複雑な心境で眉を下げた。レメディオスは後ろで「王子……? 誰が……?」と困惑している。
「さあ、座って休んでください。女王陛下」
「ありがとうございます、補佐官様もどうぞ」
「……そのように気を遣う必要はありませんよ、女王陛下。私は一度死んだ身、それにもう既に王国は跡形もなく滅んでおります……故に私は王族でもなんでもないので」
カルカはケラルトに助けを求め、目線を送る。ケラルトは小さく必死に首を振った。
「……? どうかされましたかお二方」
「そういう訳にはいきません、補佐官様。魔導王陛下には多大なる恩があります。その従者である貴方にも私が敬意を示す義理はあります」
「そうですか……なら、強要するのも忍びないので受け入れます。私がお茶を淹れるのでお三方はどうぞおくつろぎください」
「いいえ! 私が淹れますので補佐官様は休んでいてください。先の戦いで負傷されたとの事、しばらく安静にした方がよろしいかと」
ケラルトが前に出て、その鋭い瞳でザナックを見据えた。
「なら、一緒にやりませんか?」
「へ?」
──ケラルトは促されるまま少し奥の簡易キッチンに案内された。
「失礼ですが、お茶の淹れ方を知っているのですね」
「ええ、陛下の為に覚えたのです」
「へぇ……魔導王陛下は紅茶を飲めるのですか……?」
「いえ、香りだけでも楽しんでいただきたくて」
そう言ってポットを指先で押さえて茶を淹れるザナックの横顔は、とても穏やかだった。
ケラルトとザナックはトレーに乗せた紅茶を運ぶ。
「カルカ様、お待たせいたしました」
「熱いのでお気をつけください」
全員が着席すると、カルカが「いただきます」と小さく言った。それにつられるようにレメディオスとケラルトもそろそろと手を出した。ザナックは懐から透明な袋に入った焼き菓子を出すと、皿まで出してその上に乗せた。
「魔導国で作られた菓子です。どうぞ」
それはとても可愛いらしい飾りを施されたクッキーだった。カラフルなフルーツ等が乗っており、三人は目を輝かせる。
「ありがとうございます」
「美味しそうですね」
カルカは赤いいちごのジャムが乗ったものを、ケラルトはナッツと黄色のフルーツが混ぜられたもの、レメディオスはブルーベリーが乗ったものを手に取った。
「まぁ……とてもいい香りで可愛いらしいですねっ」
「形も綺麗ですし焼き加減も丁度いいです」
カルカとケラルトがクッキーの精巧な作りに驚いている横で、ぼりぼりと二枚目のクッキーを齧るレメディオス。
「おぉ、これ美味いですね」
その声に沈黙が落ちる。
そして、
「レメディオス……もう少しだけ味わってみたら?」
「姉様、このお菓子、見た目も可愛いのですよ?」
「む……そうなのか、分かった」
両の指先でそっとクッキーを持ち、掲げて熟視する。
すん、と少しだけ嗅ぐ。
「いただきます」
小さな一口。
「うん、美味しいです」
「ふふ、もっと食べてくださいね。出せばまだありますから」
ザナックは頬を綻ばせた。
しばらくの間、天幕の中には穏やかな時間が流れた。
レメディオスが四枚目のクッキーへ手を伸ばし、今度は先程言われたことを思い出したらしく、まず表面をじっと眺める。それから匂いを嗅ぎ、満足そうに頷いてから口へ運んだ。
その様子をカルカが微笑ましそうに眺めている。
「レメディオス、気に入りましたか?」
「はい。魔導国の菓子は美味いのですね」
「ふふ、そこだけ聞くと、とても平和な国に聞こえますね」
「実際、平和ですよ」
ザナックが何気なく答えた。
「少なくとも私が暮らしている場所では、夜中に一人で外を歩いても盗賊に襲われるような心配はありません。飢えた者が道端で倒れている姿も、最近ではほとんど見なくなりました」
「……そうなのですか」
カルカは少し驚いたように目を瞬かせた。
「ええ。まだ改善すべきところはいくらでもありますが」
言いながらザナックは自分のカップには手をつけず、四人分の皿の位置を整える。
そこで、ブルーベリーのクッキーを半分ほど齧ったレメディオスが、ふと思い出したように顔を上げた。
「ああ、そういえば」
「なんですか、姉様」
「魔導王陛下には奥方がいるそうです」
ザナックの手が止まった。
ほんの一瞬だけ。
それは本当に一瞬だったので、三人の誰も気付かなかった。
「……まあ!」
カルカの青緑の瞳がぱっと輝く。
「本当に魔導王陛下に奥方がいらっしゃるのですか?」
「らしいです。先日の戦いで私が倒れかけた時、魔導王陛下が受け止めてくださったのですが」
レメディオスは残りのクッキーを口へ放り込む。
「『俺は妻以外、男女問わず抱かないことにしている。浮気になってしまう』と」
「えっ」
カルカが頬へ手を添えた。
「まあ……!」
今度の声は先程より明らかに弾んでいた。
ケラルトもゆっくりとカップを置く。
「……それは興味深いですね」
ザナックの額を、一筋の冷たい汗が流れた。
「…………そうですね」
笑顔を崩さず答える。
危険だ。
非常に危険な話題である。
「補佐官様はご存じなのですか?」
カルカが身を乗り出した。
「何をでしょう?」
「魔導王陛下の奥方です」
「…………」
ザナックはにこりと微笑んだ。
「いえ。陛下からそのようなことを詳しく教えていただいたことはありませんので……私も存じ上げませんね」
嘘ではない。
アインズ本人から「私の妻は誰々だ」と説明されたことなど、一度もない。
故に嘘ではない。
断じて嘘ではない。
ザナックは自分へそう言い聞かせながら、平静を装ってポットへ湯を足した。
「そうなのですか……」
カルカは少し残念そうに肩を落としたものの、すぐにその表情を明るくした。
「でも、どのような方なのでしょうね」
「やはり非常にお美しい方なのでは?」
ケラルトが楽しそうに言った。
「魔導王陛下ほどのお方ですもの。きっと奥方も高貴で、美しくて、教養に溢れた女性なのでしょう」
「そうですね」
カルカも嬉しそうに頷く。
「落ち着いていて、魔導王陛下を陰から支えるような……」
ザナックの笑顔が僅かに引き攣った。
高貴。
まあ、一応そうだった。
教養。
人並み以上にはあるつもりだ。
陰から支える。
それは職務そのものである。
「でも魔導王陛下はアンデッドなのでしょう?」
レメディオスが首を傾げる。
「なら、奥方もアンデッドなのでは?」
「なるほど。それもあり得ますね」
カルカが真剣に頷いた。
「骸骨の女性……でしょうか」
カルカは首を傾げて言った。
「……女性の骸骨の性差を見分けられるのでしょうか?」
ケラルトが顎へ指を当てる。
「骨盤などでしょうか」
と言うとカルカから非難の目が。
「ケラルト」
「冗談です、カルカ様」
「そ、そういう話では……」
ザナックは紅茶を飲んでもいないのに喉が渇いてきた。
レメディオスが腕を組む。
「いや、私はアンデッドではない気がします」
「どうしてです?」
「確か魔導王陛下の側に、黒髪で角の生えた女性がいましたよね」
「ああ……」
ケラルトが目を細める。
「アルベドという方ですね。魔導国の守護者統括だったかと」
「それです。あの方では?」
ザナックの背筋を冷たいものが走った。
「非常に美しい方だと伺っています」
カルカが微笑む。
「私は直接お会いしたことがありませんが、魔導王陛下の最側近であるなら、確かに可能性はありそうですね」
「それに、あの女性、魔導王陛下のことを相当慕っていたように見えました」
レメディオスは妙に自信ありげに頷く。
「なら妻なのでは?」
「姉様、慕っているだけでそうとは限りませんよ」
「そうなのか?」
「そうですよ」
ケラルトは呆れたように息をつき、ふとザナックへ視線を向けた。
「補佐官様はどう思われます?」
「…………何がでしょう」
「アルベド殿が魔導王陛下の奥方である可能性です」
ザナックは微笑んだ。
完璧な笑顔だった。
少なくとも本人はそう思っている。
「さあ……どうでしょうね」
「何かご存じなのでは?」
「知りませんね」
「本当に?」
「はい」
「まったく?」
「まったく」
ケラルトの鋭い視線と、ザナックの穏やかな微笑みがぶつかる。
数秒。
カルカが楽しげに二人を見比べた。
「ふふ。なんだか秘密のお話をしているみたいですね」
「カルカ様」
ケラルトが小さく笑う。
「こういうものは想像する方が楽しいのですよ」
「そうですね。では、他にはどんな方が考えられるでしょう?」
完全に恋話へ移行していた。
ザナックは内心で頭を抱えた。
何故こうなった。
聖王国との今後の協力体制について話すはずではなかったのか。
ヤルダバオトについての情報共有は。
捕虜となっている民の救出計画は。
なぜ、魔導王陛下の妻当て大会になっている。
「私は意外と、人間の女性ではないかと思います」
カルカが言った。
ザナックの肩が跳ねそうになった。
「まあ。なぜです?」
「魔導王陛下は、種族の違いをそれほど気になさっていないように見えましたから」
「なるほど」
「それに……」
カルカは紅茶の水面を眺めて、柔らかく微笑んだ。
「魔導王陛下のようなお方が大切にするのでしたら、きっとその方自身がとても優しい方なのではないでしょうか」
「…………」
ザナックは少し目を伏せた。
「そうだと、いいですね」
ぽつりと答えたその声は、本人が思ったよりも柔らかかった。
ケラルトがちらりとザナックを見る。
その視線に気付き、ザナックはすぐに笑顔を作った。
「では私は、背の高い方だと思います」
レメディオスが言った。
「……なぜです?」
「魔導王陛下は背が高いので、その方が並んだ時に息を合わせて戦いやすいでしょう」
「姉様、奥方と戦う前提で考えないでください」
「そういう意味ではない」
「ではどういう意味なのです?」
「…………」
レメディオスは考え込んだ。
「分からん」
カルカが耐えきれず噴き出した。
ケラルトも口元を押さえる。
つられてザナックも小さく笑った。
その時だった。
「随分と楽しそうだな」
低く、よく通る声が天幕の入口から聞こえた。
ザナックの笑顔が固まった。
扉幕を捲り、黒いローブ姿の魔導王アインズ・ウール・ゴウンが入ってくる。
「ま、魔導王陛下!」
カルカが立ち上がる。
ケラルトも続き、レメディオスは口に入れようとしていたクッキーを慌てて皿へ戻した。
「構わない。そのままでいい。休息中なのだろう」
アインズは片手を上げた。
そして、テーブルの上に並んだ紅茶と菓子を見回す。
「ほう。茶会か」
「はい。補佐官様がご用意してくださいました」
カルカが答える。
「そうか」
赤い光がザナックへ向く。
「ザナック」
「は、はい、陛下」
「お前はまだ安静にしていろと言ったはずだが?」
「…………申し訳ございません」
先程まで滝のように流れていた冷や汗とは別種の冷や汗が背中を伝った。
「まったく……」
呆れた声だったが、怒ってはいない。
アインズはそのままザナックの隣へ歩み、何気なく彼の頭へ手を置いた。
「傷は?」
「もうありません」
「痛みは?」
「ありません」
「疲労は?」
「……少しだけ」
「なら休め」
「はい……」
その一連のやり取りを、カルカとレメディオスが微笑ましそうに見つめる。
ケラルトだけが妙に細い目をしていた。
「ところで」
アインズが顔を上げる。
「何の話をしていた?」
「魔導王陛下の奥方についてです!」
レメディオスが即答した。
ザナックが盛大に咳き込んだ。
「っ、ぐふぇ! げほっ、げほっ!」
「ザナック!?」
アインズが即座に振り向く。
「だ、大丈夫です! 少し唾液が気管に……!」
「紅茶を飲め。いや果実水を出そう」
「そこまでしなくても大丈夫です……」
慌てる二人を前に、カルカが楽しそうに笑う。
「実は、どのような方なのだろうと皆で想像していたのです」
「…………私の、妻を?」
「はい」
アインズの赤い光がゆっくりとザナックへ向いた。
ザナックは満面の笑みを作った。
その額には薄く汗が浮かんでいる。
見ないでください。
そう訴えるような目だった。
アインズは数秒沈黙した。
「……なるほど」
「陛下ならもちろんご存じですよね!」
レメディオスが言う。
「当然だ」
「どのような方なのですか?」
カルカが興味津々といった様子で尋ねる。
ザナックの心臓が跳ねた。
アインズは腕を組んだ。
「そうだな……」
考え込むように間を置く。
「小柄で」
ザナックの指先が震えた。
「頭が良く」
ザナックの笑顔が引き攣る。
「少々自分を低く評価しすぎるところがあり」
ケラルトの目が細くなる。
「甘いものを好み」
カルカが「まあ」と微笑む。
「非常に愛らしく、優しく、誰かのためなら自分を危険に晒すことすら厭わない。私には勿体ないほどの者だ」
ザナックは俯いた。
耳まで赤い。
「まあ……!」
カルカは胸の前で手を組んだ。
「素敵な奥方なのですね!」
「うむ」
アインズは迷いなく頷いた。
「世界で一番可愛いらしい」
「アイ、ん……陛下!」
ザナックが思わず叫んだ。
天幕に沈黙が落ちる。
アインズが首を傾げる。
「どうした、ザナック?」
「…………」
カルカ。
レメディオス。
ケラルト。
三人の視線が一斉にザナックへ集まった。
ザナックはゆっくりと顔を上げた。
「…………陛下。その……あまり人前で奥方様の惚気を語られるのは……その方も、きっと恥ずかしがるのではないでしょうか」
「む」
アインズは考え込む。
「そうかもしれないな」
「はい」
「では、この話はここまでにしよう」
「是非そうしてください」
ザナックは深々と頭を下げた。
カルカは微笑んでいる。
レメディオスは何の疑問も抱いていない顔でクッキーを再び手に取った。
そしてケラルトだけが──
ザナックの真っ赤な耳と、彼の左手薬指に嵌められた赤い宝石の指輪。
それから、アインズの左手薬指にある青緑色の宝石の指輪を順番に眺めた。
「…………ふぅむ」
小さく呟く。
「ケラルト?」
「いいえ、カルカ様。何でもありません」
にこり。
ケラルトは聖女のような微笑みを浮かべながら、紅茶を一口飲んだ。
ザナックは何故か、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
アイザナのリクエスト募集を始めました!
「こんな二人が見たい」「こんなシチュのアイザナが読みたい」などありましたら、活動報告のリクエスト募集にお気軽に投げてください~!
一言だけのシチュ案でも、ふわっとした妄想でも大歓迎です。全年齢・R18どちらでも大丈夫です!
すべて書けるとは限りませんが、皆さんがどんなアイザナを見たいのか聞けるだけでも作者がめちゃくちゃ喜びます。
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