膝の上での執務。内心めちゃくちゃ最高だと思っているザナック。
エルフ国休暇編2
午後六時過ぎ頃。
魔導国と旧王国領の統治、聖王国との同盟後の文書作成、交易案件などが増えて、アインズは最近は相当に仕事をしている。
机には何冊ものバインダーが並び、積まれていた。
アインズは最後の一枚を何度か確認のため読み返す。
本当は内容全てを理解している訳ではない。ただ、以前よりは政治用語にも慣れてきた。
真面目な顔──骨だが──の彼の膝の上にはちょこんとザナックが乗っかっている。
胸元に凭れるわけではなく、仕事中なのできちんと背筋を伸ばして座っていた。
バインダーの上で外交文書を読んでいる。
アインズが書類をめくるたび、袖がザナックの髪に当たりそうになる。
「……アインズ様」
「む?」
「先程から三度ほど、袖が頭に当たっています」
「す、すまない」
「いえ。……気になっただけです。怒ったりはしてませんから」
「降りるか?」
ザナックは少し振り返って、寂しげに眉をひそめた。
「アインズ様が……降ろしたいのでしたら」
「いや」
即答し、アインズは特に意味もなくザナックのお腹に手を回してぎゅっと寄せた。
ザナックの眉が僅かに上がる。
「では、このままで」
傍らに立つリュミエールは口の端、眉ひとつ動かさない。
彼女が何を思いこの光景を見聞きしているのか。
アインズは何も言われないのが少し怖かった。
返事が早すぎたか?などとぐるぐる考える。
ようやく無駄な思考を終えたアインズが書類へ判子を押す。
ポン。少し確認。もう一つ、ポン。
旧王国領での街道修繕と魔導国本国との物流網統合についての最終承認。聖王国方面への交易路とも将来的に接続できるようにする。
アインズは読み終えたバインダーを閉じる。
「……よし」
ザナックが手元の書類から目を上げる。
「終わりましたか?」
「ああ。今日の分はな」
アインズはリュミエールに顔を向ける。
「リュミエール」
「はい、アインズ様」
「これをアルベドへ。今日中に渡す必要はないので明日でもいい」
「畏まりました。ですが、アルベド様でしたら本日中でも──」
「いや。急ぎではない」
「……畏まりました」
一拍置く。
「アルベドも最近、働き過ぎた。余裕を持って欲しい」
リュミエールが目を瞬かせる。
ザナックが頷く。
「それには同意します」
ふう、とわざと息を吐いたアインズが背にもたれる。
ザナックが膝上にいるので大きくは動けない。だが、それが逆に落ち着く。
「……そういえばリュミエール」
「はい」
「一般メイド達の勤務体制は、今どうなっている?」
リュミエールは不思議そうな顔をする。
「以前、アインズ様がお定めになられた通りですが」
「確認だ」
「朝番と夜番に分かれております。休息日につきましても……」
「四十一日に二日、だったな」
「はい」
そこで、残り僅かな書類を確認していたザナックの動きが止まる。
アインズがザナックの顔を見る。
「どうした?」
「……二日?」
「ああ」
「四十一日のうち?」
「うむ」
ザナックだけ沈黙した。
「それで改善後なのですか?」
「元は一日だった」
「そ、れ、は……改善ではありますが」
「だろう?」
「胸を張ることではありませんよ」
つん、と胸骨を押されたアインズ。
「……」
「一日が二日になっただけではないですか」
「二倍だぞ」
リュミエールは若干困惑している。
「ですがザナック様。我々は疲労することはなく──」
ザナックは彼女を鋭く見つめた。そしてすぐに呆れたような柔らかな眼差しへ。
「疲れるかどうかだけが休む理由ではないでしょう」
「……?」
リュミエールは本気で分かっていない。
「……ああ、本当に分かっていない顔ですね」
「私も同じことを言った」
苦い声でアインズが言った。
「そうなのですか?」
ザナックは少し口を半開き。
「ああ。だから一度、一般メイド達から直接要望を聞いた」
「結果は?」
「九割は『現状に不満はありません』」
「まあ、それなら──」
「残り一割が『もっと働かせてほしい』だった」
「……」
少し、間。
「ナザリック、怖いですね」
「だろう?」
リュミエールがその場から動かず口を開く。
「恐れながら申し上げますが、アインズ様のお役に立てる時間が増えることは、我々にとりまして──」
「ほら」
「ええ、駄目そうですね」
目を瞬かせるリュミエール。
「……?」
「ですが、アインズ様は随分と休息にこだわりますね」
責めてるわけではない。ただ、純粋な疑問。
アインズは一瞬黙る。
以前──ザナック居なかった頃だったならば、支配者としてもっともらしい政策理由を作らなければと考えた。
「……以前な」
ザナックが顔を上げる。
リュミエールも静かに聞き入る。
「私がいた場所では、働く時間が非常に長かった」
「以前……でございますか」
細かくは説明しない。リュミエールもそれ以上聞かない。
「ああ、朝早くから仕事へ行き、帰る頃にはもう遅い。次の日にはまた同じことを繰り返す」
「なんと……」
眉を顰め、言葉に詰まるリュミエール。
何故、自分達のことだと働き続けるのが普通なのに主のことになるとこういう反応なのか。
アインズは続ける。
「……休みも、今思えば多くはなかった」
ザナックはリュミエールの知らない彼の過去の全貌を知っている。でも黙って聞く。
「働かなければ生活できない。だから働く。だが、働くためだけに生きているようになると……」
言葉が止まる。
「……何のために働いているのか、分からなくなることもある」
「……至高の御方であるアインズ様がそのような環境に身を置くことはもうありません。私どもが全力でお支えいたしますので」
リュミエールが眉根を寄せて言った。
「……。ありがとう、リュミエール」
アインズは柔らかく笑った。
「では、なおさらです」
膝の上に座ったザナックがバインダーを閉じた。
「何がだ?」
「部下に休めと言うなら、アインズ様ももう少しご自分を労わってください」
「私は疲労しないぞ」
「そういう話ではないと先程から言っているでしょう」
「……」
リュミエールが横から、
「ザナック様のお言葉はごもっともかと存じます」
リュミエールまでアインズの敵?に。
「……検討しよう」
「検討ではなく……」
呆れたようにザナックがジト目になる。
「最近の私はそれほど働いていたか?」
「働いていました。膝の上に乗せられているのですからずっと見てましたよ」
即答。
「王国領の再編、聖王国との条約後の実務、帝国関係、ナザリック内部の確認。俺が見ているだけでも相当ですよ」
「むう」
「特に聖王国との正式な協力関係を結んでから、確認事項が増えましたから」
「……アルベドや君の方が仕事量は多いのでは?」
「話を逸らさないでください」
「……」
「俺も休みますから」
「本当か?」
「何です、その疑いの目は」
「君は仕事を渡すと際限なくやる」
「アインズ様にだけは言われたくありません」
そのやり取りを見ていたリュミエールが、ほんの僅かに口元を緩めた。
「リュミエール?」
違和感に気付いたアインズ。
「何でしょうか」
「今、笑わなかったか? いや、悪いことではないのだが」
「そのようなことは」
「笑っていましたよ」
ザナックが指摘。
「ザナック様」
リュミエールが焦る。
アインズもその光景を見て、表情を緩めていた。骸骨だが。
そして、内心でも嬉しく思っていた。少し遠く思っていたメイドとの距離が縮まったような気がして。自分の恋人と大切な部下が仲良く会話する姿が。
今、目の前にある小さな幸せ。
自分はこのために働いている、王であるんだと、アインズは思った。
しばらく静かになる。
静寂は苦しくなかった。
ザナックが膝上で書類をめくる音。
リュミエールが書類を整える音。
時計。
それだけ。
アインズは思う。昔なら、静けさ自体を寂しいと思っただろう。
今は違う。喋りたいと思えば、
「ザナック」
「はい?」
返ってくる。
「……いや、何でもない」
「……そうですか」
安心したような顔。
また書類へ視線を移す。
こういうので、いい。
これで充分だった。
最近のアインズは忙しい、だがそれでも時間を作って、
政治書や歴史書を読んだり、武器訓練であったり、パンドラズ・アクターとの模擬戦、魔法実験を続けている。
「そういえば、昨日読んでいらした本は?」
「政治書だ」
「面白かったですか?」
「……」
「アインズ様?」
「非常に……勉強になった」
「内容……は?」
「税についてだ」
「随分と広い回答ですね」
読んだ。けれど頭に残らなかった。
「今度、分からなかったところがあれば持ってきてください」
「君に?」
「政治なら俺の方が慣れています」
「……助かる」
「どういたしまして」
アインズはふと思い出す。
「そうだ」
「はい?」
「ザナック。少し前に話した、アウラとマーレの件を覚えているか?」
「友人を作らせたい、という話ですか?」
「ああ」
アインズは考える。
二人にはナザリックの同僚がいる。家族と呼べる存在も。
しかし、ナザリックの外で、自分たちの意思で作った友人はいない。
「以前はあまり考えていなかった」
ザナックが黙って聞く。
「ナザリックの者達は、ナザリックにいて、それで満足なのだと」
「今は違うのですか?」
「ああ、彼らには彼らの人生がある。私達がその存在を造ったからといって、永遠に私達だけを見て生きる必要はない」
リュミエールが息を呑む。
アインズは続ける。
「友人を作りたいならば作ればいい。好きなものが増えるなら、それもいい」
ザナックが微笑む。
「良い考えだと思います」
少し俯く。
「俺には……友人と呼べる人間がいませんでした」
政治的な同志はいた。
臣下も。
家族もいた。
友人だけは別。
「ですから、作れる環境があるなら、作っておいた方がいいと思います」
「……そうか」
今は、俺という友人がいる、だろう? と視線で語りかける。ザナックは悟ったのか少し目を細める。
「やはり……最初はダークエルフが良いと思う」
「同族だからですか」
「ああ。全く異なる種族よりは接点を作りやすいだろう」
「それはそうでしょうね」
「次点でエルフ」
「なるほど」
ザナックは頷く。
アインズは顎に手を当てる。
「いきなり蜥蜴人などでは、少し難易度が高い」
「友人作りに難易度とかいう言葉を使う人を初めて見ました」
「……」
「ですが、言いたいことは分かります」
ザナックは人差し指を立てた。
「同じ外見をしていても、もしかしたら文化は別物かもしれません」
「文化?」
「ダークエルフだからアウラ様やマーレ様と価値観が近いとは限りません。至高の方々に創造されたダークエルフであるアウラ様、マーレ様と、この世界に暮らしているダークエルフではだいぶ文化の齟齬があるかと」
「確かに」
「挨拶、食事、家族観、男女観、身分。何が失礼になるか分からない。先に色々調べておいた方が良いでしょうね」
「うむ」
アインズはまた考え込む。
「実際に本人達の希望も聞くべきだな」
「当然ですね」
「……当然か」
「アインズ様が勝手に友人候補を連れて来てしまっても困るでしょう」
「そこまでは、しないぞ?」
何故か、は、で一瞬止まった。
「さて、行くか」
小さく呟いたアインズ。
「俺は降ります」
「……」
「何ですか」
「いや」
「そうですか」
ザナックが床へ降りる。クラバットを触り、シャツをはたき、服を整える。
少し、膝が空いて寂しいアインズ。
だが、ザナックの隣に立った。
少し肩の力が抜けている。
「リュミエール」
「はい、アインズ様」
「これより第六階層へ向かう」
アインズは見下ろし、ザナックを見る。
「君も来てくれるか」
「はい、もちろん」
「では、リュミエール──供をせよ」
「畏まりました」
極めて穏やかで喜びを滲ませた微笑みで「ふふ」とこぼしたリュミエールは二人の後を続く。