美味しいご飯は世界を平和にする。
アインズの(俺のザナック可愛い)がうるさい回。
アイザナ監視役アウラ。
エルフ国休暇編4
フェンリルが到着し、闘技場へ滑り込んでくる。
クアドラシルも横に並ぶ。
「お待たせしました! アインズ様はこちらのフェンに、あたしはクアドラシルに乗ります!」
「うむ。おいで、ザナック」
「……はい」
とても穏やかな声音で呼ばれたザナックは、少し胸を高鳴らせながら差し出された手を握った。
フェンのそばまでエスコートされ、ザナックは視線を落とし、左右させて動揺している。
そっと流れるように手は離され、今度はフェンに乗る時に手を掴まれて支えられる。
「あ、アインズ様……」
ザナックは赤くなって、こちらを微笑みながら見てくるアウラとリュミエールをちらちらと気にする。
「む、どうした? 不安定か?」
「いえ、そうではなく……手を、その、ありがとうございます」
「気にするな。君に万が一でも怪我をさせたくないだけだ」
「そ、そう、いうことは……あまり人前では……」
困ったように真っ赤な顔を逸らしたザナック。
「……あ」
アインズは後ろを見た。
クアドラシルに乗ったアウラとリュミエールがにんまりと笑っている。
「……ごほん。出発するとしよう」
アインズはザナックの後ろに乗った。
必然的に、ザナックの小柄な身体がアインズの両腕の間に収まることになる。
「では、行きますよ!」
アウラの声を合図に二体が走り始める。
風圧でアインズのローブが後ろに引っ張られ、逞しい腕の輪郭が出る。手首は見えていた。
フェンの毛を掴む自分の手や腕と勝手に比較して、ザナックは鼓動が早まるのを感じる。
これ以上意識しないようにザナックは目を瞑った。
フェンが加速する。
木々の間を抜ける度に風が吹き、ザナックの金髪がさらさらと揺れた。
突然、ザナックの腰にするりと大きな骨の手が添えられた。
ザナックは肩を跳ねさせて大きな声を上げる。
「うひゃあ!」
大きすぎてザナックの太い腰を全て回ってしまう手は、乱暴にするでもなくただ優しく腰を指先で撫でる。
「うっ、ひ……あぅ」
「どうした、ザナック」
アインズ本人はなんでザナックが悲鳴を上げたのか理解していない。
「な、なんでもありません……」
(なんでもない……のか)
だが、走行中の大きな揺れがザナックの体を傾ける。
すかさず肩と腰を掴んだ。反射的に身体を引き寄せる。
「んひゃっ!?」
涙目になり、妙な声を出すザナック。
「……アインズ様」
「うむ」
「手を」
「なんだ」
「手を動かさないでください……」
眉根を寄せて涙を溜めた目で見上げてくる恋人が可愛かったアインズ。
「うん、分かった」
数十秒後、アインズはザナックに言われたことを忘れたのか、二度三度ザナックの腰を撫でる。腰骨を見つけ、指先で無意識に弄る。
「ん、ぅ……っ」
崩れるように俯いたザナックは声を我慢して指先を食んだ。
少し後ろを走っていたアウラがこちらを見る。
「アインズ様ー!」
「なんだ?」
「ザナック様が、可哀想ですよ!」
むん、と胸の前で両拳を握ってみせたアウラ。
「何?」
ザナックが真っ赤な顔で振り返る。
「ア、アウラ様!」
「さっきから腰を撫でられるたびに変な声出してるじゃないですか!」
「い、言わないでください!」
目を見開いて目尻に涙を溜めたザナックが叫ぶ。
腰から浮いたアインズの手が硬直する。
(変な声……)
今まで風音に紛れて深く考えないようにしていたが。
確かに。
しかも今、ザナックの耳まで真っ赤だ。
(……)
感情抑制される。
一時的に冷静になったアインズはザナックから少し手を離し、
「……すまない、ザナック」
「い、いえ……落ちないようにしてくださっていたのは分かっていますから」
「そうか」
「ですから、動かさないのなら、別に……触ってても」
ザナックがアインズの胸に身を凭れさせる。
「……!」
恐る恐る手を細い腰に当てる。
頭と背中の温もりが肋骨をじんわりと暖めていく。
今度はアインズの方が意識してしまっていた。
やがて木々が開き、視界いっぱいに花が広がる。
赤、黄、青、紫、白。
淡く種々雑多な色彩が、人工の空の下で風に揺れている。
ザナックが目を見開く。
「……綺麗ですね」
その声にアインズは少しだけ嬉しくなる。
「そうだろう?」
フェンから降りる際、アインズが先に降り、ザナックへ手を差し出す。ザナックはもう慣れた様子でその手を取った。
アウラとリュミエールもクアドラシルから降りる。
「ここが花畑です!」
アウラは手を広げた。
ザナックは周囲を見渡す。
「綺麗、ですね……本当に。……これほど美しいと、逆に何かありそうに見えますね」
「鋭いですね、ザナック様!」
アウラが嬉しそうに言う。
「元々罠を仕掛ける予定だったんですよ!」
「やはり」
元々は、侵入者が「怪しい」と考えて花畑を焼き払った瞬間、炎に反応して猛毒などを散布する植物を配置する案もあった。だが、ギルドメンバーの女性陣の猛反対に遭った。
結果として、本当に美しいだけの花畑になった。
「反対した方々に感謝ですね」
と小さく笑うザナックの頭をアインズは撫でた。
「?」
だが今では花畑も昔のそのままではない。
巨大な蕾が十二個。
そして、こちらも巨大なアンゴラウサギのような魔獣が、信じられないほど大きな人参をもしゃもしゃ食べている。
ザナックは立ち止まり苦笑い。
「……あれは」
「あれ?」
「どこからつっこめば良いのやら……ええと、あれは人参、ですよね」
アウラが頷く。
「そうですよ!」
「大きすぎませんか」
「植物系モンスターのみんなが育てたんです。普通の人参だったんですけど、栄養をいっぱい与えたら、ああなりました!」
ザナックは真面目な顔で巨大人参を見る。
アインズも見た。
「味は?」
アインズが聞くとアウラは答える。
「料理長に確認してもらいました! バフとかはないですけれど、甘みがかなり強くなってるそうですよ!」
アインズの視線が、自然とザナックへ動く。
彼は甘いものが好きだ。
もしあの人参がフルーツみたいな味なら、
(……気に入るだろうか)
今食べる訳ではない。
そもそも巨大人参一本をそのままザナックへ渡す訳にもいかない。
(料理にしたら……)
彼が美味しそうに頬を押さえる姿を想像する。
「収穫量を増やせるのであれば食糧生産に使えそうですが」
当のザナックは顎に指を当てて真剣な顔で政治家らしい方向へ話を進めていた。
「普通の農民にも作れるのか?」
アインズも切り替えた。
アウラは首を横に振る。
「難しいです。一本育てるだけでも大地からものすごく栄養を吸っちゃうので。回復魔法を使わないなら、一年くらい畑を休ませないと駄目みたいで」
ザナックは考え込む。
「それでは大量生産には不向きですね」
「ああ。だが研究する価値はある」
アインズが言うと、ザナックが補足する。
「実用化するなら土壌への負担を先に調べた方がよさそうですね」
すると、巨大な蕾の一つ──最も大きい蕾が開き始める。
アウラが小声で説明する。
「この子は
アインズは数え直す。
十二。
「十四?」
「はい。二体はここで生まれたばかりなんです。まだ小さいから、花に隠れてます」
ザナックが反応する。
「ここで生まれた?」
「はい! そうですよ!」
アインズは黙っていた。
ただの墓だったこの場所、かつて大切な仲間達と造り上げたこの場所で、新しい命が生まれた。
横を見ると、ザナックが、小さなアルラウネを探そうと花畑へ目を凝らしている。
不思議な感覚が胸を満たす。
アルラウネ達、巨大人参。この世界でしか存在しない魔法や生態。それらを見ているうちに、アインズは以前の自分ならどう考えただろうかと思う。
ユグドラシルのプレイヤーだった頃。
あるいはこの世界へ来た直後なら。
未知の技術、生物、能力。
まず考えるのは、どう利用するか。
次に自分の支配下へ置けるか。
そして将来、別のプレイヤーやギルドと敵対した際に使えるか。
その考え自体は今でも消えていない。
必要だからだ。
ナザリックに害をなす者がいるなら排除する。
魔導国の民を意図的に殺害する者。
同盟国を踏みにじり、それが将来的に魔導国へ明確な害を及ぼす者。
ナザリックを奪おうとする者。
守護者達を害そうとする者。
そして。
一瞬、アインズは隣へ視線を移した。
ザナック。
彼へ手を伸ばす者。
その場合、アインズは躊躇しない。
敵が人間だから殺さない、などという思想はない。
エルフだから。獣人だから。アンデッドだから。
そういった種族そのものを理由に守る訳でも、滅ぼす訳でもない。
何をしたのか。
何をしようとしているのか。
自分が守るものへどれだけ明確に害を及ぼすのか。
そこが基準になる。
敵対する意思を示しただけで即座に国家を潰す必要はない。
交渉で済むなら交渉する。距離を置くことで済むならそうする。
敵対行為が止まるなら止めさせればいい。
だが、何度警告しても攻撃を止めない。あるいは明確にこちらの民を殺し、奪い、今後も同じことを続けようとする。
そうなれば、その時は相手の種族も思想も関係ない。
アインズが守ると決めたものへ害を及ぼすなら、必要なだけの力を使う。
それが結果的にどれだけ多くの命を奪うことになっても、何個国が潰れようとも。
ただ、重大な必要もないのに多くを殺す理由も今はなくなった。
人間は弱くて脆い。
だが人間にしか作れないものがある。
料理。服。街。政治制度。物語。祭り。歌。絆。愛情。誰かを悼む方法。
同じことはドワーフにも、エルフにも、リザードマンにも。
他の種族にも言える。
一つの種族を滅ぼせば、その種族だけが積み上げてきた何かも一緒に消える。
土地を奪って旗を立てればそれで世界を手に入れたことになるのか。
世界を手に入れたとして、何もかも壊してナザリックだけが残った世界。
そんなものを欲しいとは思わなくなった。
アインズは確かに他種族の文化にも技術にもレアなものなら少し興味があった。けれどそれは守護者達より馬鹿なアインズがわざわざ守護者達に統治方針を変えると宣言して自分の浅はかな考えを晒すに値しない理由だ。
理由は他にあった。
役に立たない能無しだと思われても、そうしたかった理由が。
「わっ……アインズ、様?」
抱き寄せられたザナックは困惑して見上げる。
アインズの"理由"は柔らかく笑ってみせた。
「今日はなんだかたくさんくっついて来ますね? 甘えたですか……?」
囁き声。
「このくらいなら、いいですから……お好きなだけ」
ぴとりと小さな体がくっついてくる。
どうしようもない愛おしさと苦しさに、アインズは指先に力を込め過ぎないように心がけた。
「あ!」
アウラの小声。
一番大きな蕾が開き、花からアルラウネ・ロードが現れる。
紫色の髪。紫色の瞳。緑の身体。
吊り上がった目。
アインズは一瞬既視感を覚える。
「どこかで見た目だな……」
ザナックがアルラウネ・ロードを見る。
「ネイアさんですか?」
「よく分かったな」
「俺も少し思いました」
「確かにネイア嬢に似ている」
コソコソと二人だけが分かる聖王国の記憶。
少しだけ空気が柔らかくなった。
アルラウネ・ロードはアウラへ深々と頭を下げる。
「おはようございます、アウラ様。本日も素晴らしき光を賜り、緑の種を代表して感謝を申し上げます」
「いいっていいって、それより」
アウラが胸を張る。
そして、アインズを手で指し示す。
「この御方こそ、ナザリック地下大墳墓の支配者! アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下です!」
アルラウネ・ロードは息を呑んで体を固める。
「お、お初にお目にかかります!」
「それからこちらは、魔導国特別外交補佐官のザナック様!」
ザナックは丁寧に頭を下げる。
「初めまして、ザナックです」
アルラウネ・ロードは礼をする。
「わ、私は紫と申します」
(髪の色そのままだなあ……)とアインズは思う。
その時。紫の視線が一瞬二人の手元へ。
アインズの薬指。ザナックの薬指。
お互いの目の色を交換したような宝石に、アインズは細い銀の輪、ザナックは太い金の輪を左手薬指にしていた。
そして、異様に距離が近い。後ろに控えているメイドは距離を取っているしアウラもある程度離れているのに、二人はぴったりとくっついている。普通、婚約指輪のようなものをしている相手とそんな近くなるだろうか。相手の気持ちを考えて距離を取るだろう。
そこまで気を遣わないのには理由があるはずだ、
例えば、実は二人が婚約者や夫婦同士、とか。
まさか。二人は雄同士に見える。実際にはもしかしたら小柄な金髪の方が──髪が少し長いので雌かもしれない。
けれど、
人間とアンデッドなのに愛し合っている。
本来憎み合うはずの種族が、だ。
紫は世界一不思議な光景を目に焼き付けた。
二人の関係は変だとか、そんなことは指摘できないし、したら自分がどんなふうに破滅するかしれない。初めて見た魔導王陛下の風貌や態度が全てを物語っていた。
それに──
別に紫は悪いことだとは思っていなかった。
ただ、とても不思議で意味不明で、少し目が眩むほど輝いて見えた。
「うむ。紫か……覚えておこう」
「ありがたき幸せでございます、陛下」
「この階層はアウラとマーレに任せている。基本的には二人の指示に従うように」
「畏まりました、魔導王陛下」
アインズはそれ以上余計な命令はしない。
現場の管理者を飛び越えて指示を出せば、色々なところで混乱が起こる。
「見たいものは見た。次へ行こう」
アインズの声にアウラは頷く。
「はい!」
再び先程と同じ位置でフェンリルとクアドラシルに騎乗する四人。
今度こそ撫でないよう気を付けながらザナックの腰に触れる。
何故だかちらちらとアウラがこちらを監視していた。
(見張られている……)
花畑をしばらく走り、抜けた。
大きく横に広い木。
その前にマーレ。そして三人のエルフ。
フェンが近付くにつれ、三人の表情が固くなる。
アインズはそれに気付いた。
(やっぱりか……)
少し離れたところに止まり、フェンから先に降りた。
そしてザナックへ手を差し出す。
冷たい骨の手のひらに温かくて小さい手が添えられる。
「ありがとうございます」
その手を包み、引いて、地面へ足を着くまで見守る。
二人にとって──ザナックは内心まだ照れはあるが、アインズにとってはこの流れはもう当たり前のことだった。
しかし、エルフ三人からすれば違う。
恐ろしいアンデッドの王。
その男が、一人の人間へ極めて自然に手を貸している。
しかも人間側も怯えていない。
(……俺が人を食わないと百回説明するより、ザナックが横にいる方が早いのでは?)
ザナックを見て顔を柔らかくした三人を見て一瞬そんな考えが浮かぶ。
(いや、彼を広告塔のように扱うのは違う)
ザナックは道具ではない。
外交補佐官ではある。
だが、それより先に、自分が大切にしている一人の人間だ。
アインズは待ち立ち尽くしている四人へ目を向ける。
「出迎えご苦労」
そして一瞬迷ってから、
「……少し待たせてしまったようだな」
マーレは慌てる。
「い、いえ! 全然です!」
ザナックも小声でアインズに話しかける。
「アウラ様から連絡をいただいてからすぐに出てきたのでしょうね」
「やはりそう思うか」
「ええ」
(次からは到着時間を伝えるか)
アインズはマーレへ顔を向け、
「忠実に出迎えてくれたこと、嬉しく思う」
「そんな、これくらいのことはアインズ様に仕えるしもべとして当たり前です! ありがとうございます、アインズ様!」
「ありがとうございます!」
エルフ三人も頭を下げた。
顔を上げた三人はガチガチに固まっていて、明らかに震えている。
(……これはただの緊張じゃないな)
恐怖だ。
当然といえば当然。
この世界におけるアンデッドは生者の敵。
アウラとマーレが普通に仕えているのを知っていても、理屈と感情は別。
アインズは穏やかな声音を意識する。
「今日ここへ来たのは、お前達を害するためではない」
震えは止まらない。
「だから──」
安心しろ。と言おうとして止まった。
自分が会社員だった頃、社長から「無礼講だから」と言われて本当に無礼講にできただろうか。
無理だ。
安心しろと命令されても、安心などできるはずがない。
すると、ザナックが一歩だけ前へ出る。
「突然呼びつけられれば緊張しますよね」
三人は自分達より小柄な人間を見る。
「ですが、少なくとも今日の話は、皆さんを罰するようなものではありません。そこだけは安心していただいて大丈夫ですよ」
アインズも頷く。
「ああ、約束しよう」
アインズが怒らない。
三人の呼吸の間隔が緩くなった。
アインズは考える。
ここで話をするか、別の場所か。
エ・ランテル。第九階層。それとも。
考えがぐるぐる巡っていく。
「ザナック」
小声。
「はい」
「君なら、どこで話をする?」
ザナックが少し考える。
エルフ達の顔と周囲をチラリ。
「俺なら……街へは連れて行きません」
「何故だ?」
「今でもかなり緊張されています。ここからさらに見知らぬ人間や亜人が大勢いるところへ移動すれば、さらに怯えてしまいますし情報量が多すぎるでしょう」
「なるほど」
「魔導国で異種族が共存していることを見せる意味はあるでしょうが、今はそれを見せること自体が目的ではありません」
アインズが聞く。
「では?」
「静かな場所で、食事でもしながら」
「……第九階層の食堂か」
ザナックが頷く。
「良いと思います」
外交補佐官が常に横にいるというのは、非常に頼もしい。
移動にゲートを使う。
アインズは指輪の能力を詳細には見せない。
第九階層へ。
コキュートスの配下の者が深々と頭を下げる。
「ご苦労」
アインズは低く王らしく返す。
後続は、ザナック。アウラ。リュミエール。エルフ三人。マーレ。
そこでエルフの一人が完全に固まる。
コキュートスの配下の強烈な外見に一歩も動けない。
ただでさえ詰まっていたのに完全に動きを止められ、心底面倒そうに眉根を寄せたマーレがそのエルフの背を軽く押した。
「はひぃ……!」
ぺたん。腰が抜けたエルフは座り込む。
ザナックが振り返る。
「大丈夫ですか?」
アウラも近寄ってくる。
ザナックがエルフに肩を貸そうとすると、
「いいですよザナック様、あたしが持ちます!」
「い、いえ、アウラ様にそのような──」
力が抜けて座り込んだエルフは顔を上げる。
「いいからいいから」
ひょいと肩に担いだ。
ザナックが数秒見つめる。
「……そう、持つのですね」
「はい!」
「そうですか」
エルフの一人が歩行不可能となったため、一度アインズの自室へ。
入ると、数人の一般メイドが清掃中だった。
エルフを椅子へ座らせる。
アインズはできるだけ優しい声で言った。
「落ち着くまで休むといい。急がせるつもりはない」
ザナックもその横へしゃがんで、
「水をいただきましょうか?」
エルフが頷くとリュミエールが即座に動く。
「あ、ありがとうございます……」
お礼を言ってすぐに用意された水を飲み、エルフの呼吸は少しずつ整っていく。
アインズは一般メイドの一人に、
「悪いが、これから食堂まで向かう。道中だけ、人と鉢合わせないよう調整してくれるか?」
「畏まりました!」
他のメイドは羨ましそうな視線を寄せる。
ザナックがそれを見てくすりと笑う。
「人気者ですね」
「……これは人気なのか?」
「少なくとも、好意的です」
「……だが困るんだよな」
──へたりこんだエルフが落ち着いた頃。
移動を開始する。
三人のエルフは第九階層の美しい装飾を見る度、
「綺麗……」
「すごい……」
という小さな声をこぼす。
アインズは振り返りたい。
振り返って、そうだろう! と自慢したい。
でも、我慢。
横のザナックが振り返る。
そして、
「綺麗でしょう」
何故か得意満面だった。
アインズはちょっと嬉しかった。
(そうだな……君の家でもあるからな)
食堂に到着する。
中は賑やかで、メイド達の会話や食器が触れ合う音、笑い声が響く。
しかし、アインズが入場すると
場が静まり返った。
空中で手を止めているメイドさえいる。
ザナックが横で苦笑する。
「……これは一朝一夕にはいきませんね」
「分かっている」
少し寂しい。
だが前ほどではない。
横にはザナックがいる。
アインズは食堂全体へ声を張る。
「私達を気にするな。そのまま食事や会話を続けてくれ。お願いだ」
と、言っても命令と取られそうだが。
全員再開した。
ただしまだ先程よりは静かだが、こそこそと話し声や食器の音が戻る。
適当な席に座る。
席順は、アインズ、その右隣にザナック。
左にアウラ、マーレ。向かいにエルフ三人。
リュミエールはアインズの背後。
エルフ達はまだ座っておらず、誰がアインズの正面に座るか押し付けあっていた。
アインズは少しショックを受けていた。
「……種族が違えば礼儀作法の違いもあるだろう。こちらの作法と違っても気にしない。こちらもそちらの作法を知らないからな」
アインズは一人のエルフを指定した。さっき廊下で腰を抜かしたエルフを真っ先に心配したエルフ。
何とか全員着席した。
「私自身、ここを利用するのは初めてでな。リュミエール。今の時間はどう利用するのだ?」
「フリードリンクと簡単なビュッフェ、それとこちらのメニューから一品お選びいただけます」
メニューを差し出した。
「カツ丼、というものは知っているか?」
アインズが聞く。
三人は首を横に振る。
アウラが手を挙げる。
「あたしは食べたことあります!」
「ぼ、ぼくも」
マーレも。
ザナックもメニューを見る。
「俺も何度か」
そしてアウラが付け加える。
「みんな、名前を知らないだけで食べたことあるんじゃないかな?」
「では、飲み物は各自好きなものを」
エルフ達はまだ迷っている。
アウラとマーレはコーラ。
ザナックは、
「俺は果実水にしようかな、ぶどうの」
つぶやくと、リュミエールが頭を下げる。
「畏まりました、お持ちいたします」
「えっ、あっ……自分で、」
リュミエールは行ってしまった。
確かに、ザナックは壁側だしドリンクバーまで行くにはアインズを立たせないとなので、まあいいかと思うザナックだった。
ちなみに、アインズはコーヒーを頼んだ。
そうしていると、キッチンがなんだか騒がしくなってくる。
巨体がキッチンからするりと出てくる。
純白のシェフ帽とエプロン。胸部から腹部にかけて、大きく「新鮮な肉!!」と刺青。
中華鍋を背負ったその
アインズへ跪いた。
「アインズ様!」
「久しいな」
シホウツが顔を上げると、ザナックにも気付く。
「ああ、ザナック様もいらっしゃいましたか!」
「ご無沙汰しております、シホウツ先生」
ザナックは軽く会釈。
そしてシホウツは続ける。
「先日の包丁運び、かなり良くなっておりましたぞ!」
「ありがとうございます。まだ野菜の大きさが揃わなくて」
「それは回数です!」
「なら、また教えてください」
「無論!」
ザナックはアインズのために料理を習っていた。
そのことを思い出し、アインズは胸骨の奥が暖まるのを感じた。ちなみに、ザナックは料理教室で最近指を切る回数が減ったのだが、それはアインズに言わなかったシホウツだった。ザナックに口止めされているため、言えなかった。
シホウツはアインズの注文を聞く。
しかし、
「私の分などない」
「分かっております!」
「この私が、至高の御方に相応しい料理をご用意いたします!」
「いや──」
シホウツがキッチンへ振り返る。
「これより我らは死地に入る!」
「入るな」
「入るな」
思わず低く突っ込んだアインズとぽつりと呟いたザナック。
同時だった。
ザナックの顔が赤くなる。眉間に皺を寄せて頭を下げた。
「す、すみません……つい」
シホウツは吠えるように言った。
「何を謝られます! ザナック様!」
ザナックは横目でアインズを見る。
「……アインズ様、何か嬉しそうじゃないですか」
「……いや?」
アインズはシホウツに向き直る。
「あのな、私は食べられないのだぞ」
「ならば、目と鼻で楽しめる料理を!」
「待て、食材が無駄になる」
「アインズ様に使われる食材に無駄などありません!」
キッチンの方から拍手が起こる。
ザナックも困った顔。
「私は、普通にこの場所で、お喋りがしたいだけだ」
「なら貸切に」
「私は、"普段の食堂"が見たい」
それでもシホウツは引かない。
「まさか、普段の仕事に何かやましいところがあるから、私が来た時だけ特別に見せようとしているわけではないだろうな?」
シホウツは首を横に振って激しく否定する。
「創造主である、あまのまひとつ様に恥じるような仕事は一度たりとも!」
「だろうな」
アインズは腕を組んで頷く。
「……先程は言い過ぎた。お前を疑うような物言いをした。撤回しよう。すまなかった」
頭を下げる。
アインズは絶対支配者。けれど、自分が悪いと思えば部下へ頭を下げられる。
食堂が静まる。
シホウツが慌てる。
「どうか受け入れてくれ」
「……畏まりました」
「今日は普段通りでいい。いずれ正式な賓客を迎える時に、お前の全力を見せてくれ」
「ははぁ!」
シホウツが十分離れてから、ザナックは小さく言った。
「……そういうところ、俺は好きですよ」
「……何?」
ザナックは前を見る。
「何でもありません」
ここが人前でなければ、アインズは「いじわるだな」とその頬をツンとつついていた。
アインズは食堂全体へ声をかける。
「騒がせて悪かった。食事を続けてくれ」
さっきより空気が柔らかくなった。
全員がドリンクバーから帰ってくる。
飲み物は、エルフ二人がメロンソーダ。一人が緑茶。
ザナックはぶどうの果実水。
アウラとマーレはコーラ。
アインズはコーヒー。
「飲んで構わない」
恐る恐るといった様子で二人はメロンソーダを一口。
目を見開いて口元を押さえる。
「しゅわ」
「あま」
もう一口。
「うま……」
ザナックがクスッと笑う。
「気に入ったようですね」
「そうだな」
グラスはすぐに空になった。
「おかわりを持ってきたらどうだ?」
「いいんですか?」
アインズに聞いてから、三人は顔を見合せる。
「もちろんだ」
二人が立ち上がる。
三人目も自分のお茶を急いで飲み干して追いかける。
最終的に、三人ともコーラやメロンソーダを試し始める。
エルフ達が再び席へ戻った。
さっきよりも明らかに表情が柔らかい。肩の力も抜けている。
アインズはその様子を見る。
甘味。飲み物。日常的な食堂。
少し馬鹿馬鹿しい料理長とのやり取り。
ザナックが普通に隣にいること。
結局、アインズが威厳ある言葉を並べるより、こういうものの方が相手を安心させる。
アインズはコーヒーの香りを感じる。
飲めないのが少し惜しい。
隣ではザナックが果実水をちびちび飲んでいる。
まだ料理は来ていない。
アインズは三人へ向き直る。
そして、また優しい声音を心がけながら、
「さて」
三人がこちらを見る。先ほどよりは、怯えが少ない。
「そろそろ、少し話を聞かせてもらおうか」
アインズの言葉に、エルフ達三人の手が止まる。
つい先程まで、初めて口にした炭酸飲料に目を輝かせていたのが嘘のようだ。
もっとも、アインズが来た時のように身体全体を硬直させている訳ではない。
一人はグラスを包み、一人はストローを指でつまみ、もう一人は完全にアインズと目を合わせないようにしながらもきちんとこちらに耳を向けている。
間違いなくマシになっていた。
(……飲み物一つでこんなに変わるものなんだな)
甘味の力を侮ってはいけないのかもしれない。
隣を見る。
ザナックは果実水の入ったグラスをテーブルへ戻したところだった。
その視線が、どうぞ、とでも言うようにアインズへ向く。
アインズは小さく頷いた。
「まず、君たちの故郷について聞きたい」
三人が顔を見合わせる。
「故郷……ですか?」
「ああ。難しい話ではない。どのような場所で暮らしていたのか。どんな生活をしていたのか。知っていることを話してくれればよい」
一拍置いて、アインズは付け加える。
「答えたくないことについては、そう言ってくれて構わない」
三人が僅かに驚いた顔をする。
アインズはそれ以上補足しない。
これは尋問ではない。今のところ、彼女達から秘密を無理矢理奪わなければならない理由もない。
聞きたいことはなるべく平和的な交渉で解決したい。
そして横にはザナックがいる。
外交において、相手へ逃げ道を用意することも重要なのだと、彼と話しているうちに少しずつ理解してきた。
「では……何からお話しすれば」
「そうだな」
アインズは少し考える。
「森の中で生活していると聞いたことがある。まずはそこから聞こう。住居はどのようなものなのだ?」
「あ、それでしたら」
一人のエルフが少しだけ表情を明るくした。
自分達にとって当たり前だった生活について説明するだけなら、話しやすいのだろう。
「私達は、基本的には木の上で暮らしています」
「木の上」
ザナックが顔を寄せて関心を見せる。
「はい。地面は危険なので」
別のエルフが話へ加わる。
「森には大型の魔獣もいますし、夜になると危険な動物も出ます。ですから、森祭司が木を育てて、住めるように形を変えるんです」
「木そのものを家に、か」
「はい」
アインズも身を乗り出したくなる。
ユグドラシルにも植物を操作する魔法は存在した。
しかし、生活用に木を長期的に成長・変形させ、集落そのものを構築するような文化体系はない。
「その木を、エルフツリーと呼んでいます」
「エルフツリー……」
「それを魔法で育てて、中を空洞にして家にしたり、枝を伸ばして隣の木と繋げたり」
「つまり、一軒の家として一本の木だけを利用するのではなく、複数の木を組み合わせて村そのものを作るのですね?」
ザナックが聞くとエルフ達は頷く。
「はい、そうです!」
自分達のよく知る知識の話になったためか、エルフの声が少しずつ大きくなっている。
「橋なども作るのですか?」
ザナックが続けて質問する。
「作ります。木の枝を伸ばしたり、蔓を使ったり」
「地面へ下りることは?」
「狩りの終わりの時とか、必要な時だけですね」
ザナックが感心したように背を伸ばした。
「随分と合理的ですね」
地上の大型モンスターを避ける。
枝葉が飛行生物から姿を隠す。
木々そのものを住居にするなら建築材を運ぶ必要もない。
森という環境に徹底的に適応した生活様式なのだ。
「森祭司の魔法というのは、家以外にも使うのか?」
アインズが訊ねると早口にエルフ達は答える。
「使います」
「家具も作れますし」
「弓や矢も」
「武器まで?」
ザナックがエルフ達に引っ張られるように前のめりになる。
「はい。硬くすれば鉄くらいにはなります」
アインズは黙って顎に手を当てる。
(それはかなり面白いな)
木を鉄に近い強度まで変化させられる。
これがどの程度の技術か。魔法職なら誰でも覚えられるのか。エルフ固有なのか。
興味が湧いてくる。
ナザリックにない技術なら、知る価値は大きい。
「交易品にもできそうですね」
ザナックがぽつりと口にする。
「交易?」
アインズがザナックを見下ろす。
「ええ。仮にエルフにしか扱えない技術なら、その技術そのものを奪うより、それで作った物を買う方が簡単でしょう。魔導国側からも、エルフが欲しがる物を出せるかもしれません」
ザナックは未来の外交を想像して楽しそうに話す。
「木を自在に操作して家にするなんて素敵ですね。どんな風なんでしょう……見てみたいです」
「なるほど」
(……そうだな)
奪う必要などない。
欲しいものがあるなら交換すればいい。
その方が高い技術を持つ者も残る。
技術を発展させる社会も残る。
「面白い技術だ。機会があれば実際に見てみたいものだな」
「本当に綺麗なんですよ」
エルフの一人が嬉しそうに笑った。
自分の故郷のことを褒められたのが嬉しいのだろう。
先程のザナックの『見てみたいです』という笑顔に重なった。
(なんて可愛いんだ、……ザナック。君の為なら……行ってみるのも悪くない)
「木の上で暮らせば、大型の獣からは襲われず安全になるだろう。しかし、木に登るモンスターはどうする?」
アインズの質問に、三人が少し嫌そうな顔をする。
「それが一番困るんです」
「蛇とか」
「大蜘蛛とか」
ザナックが少しだけ顔を顰める。
アインズはそれに気付く。
「苦手か?」
「……虫全般」
「そうか」
ちょっと可愛らしいと思ってしまったアインズ。
だが、からかうことはしない。虫は自分自身も好きではないからだ。
ザナックは目を細めて身震いする。
ザナックは滅多に外に出ず勉強や執務をしていた故、そして王子であったが故に図鑑や本でしか虫を見たことがなく。
初めてナザリックに来てから色んな虫を目撃した結果見事に苦手となってしまった。エントマの虫入りキャンディーのせいでもある。
「木を登るのが得意なモンスターは夜に来たりします。そういう時のために夜番もいますけど」
エルフの一人が言う。
「それでも死人は出るのか?」
「……はい」
「毎年、誰も死なないということはほとんどありません」
アインズは何も言わずに聞く。
安全な村。それでも、年間を通して一人も死なない方が珍しい。この世界ではそれが普通なのだ。
ザナックも真面目な顔になっていた。
リ・エスティーゼ王国でも、村の安全は絶対ではなかった。
モンスター。野盗。飢饉。疫病。領主の横暴。
都市に住む者から見れば、村人の死は数字でしかないこともある。
「夜番は村人が交代で?」
ザナックが聞く。
「はい」
「専門の兵士はいないのですか?」
「兵士……?」
三人が顔を見合せた。
言葉の意味そのものが通じないのでなく、常設の軍事組織という発想が薄いのだろう。
「戦える人が戦います。ほとんどの人が弓は使えますから」
「なるほど」
ザナックが小さく呟く。
人間国家とは違う。
人口密度が低く、村単位で自衛する社会。
国王がいるからといって、中央集権国家とは限らない。
政治的には重要な情報だった。
「王都は?」
アインズが聞く。
「君達のいた村と同じような形なのか?」
三人は言葉に詰まる。微妙な反応だ。
「……私達、王都には行ったことがないんです」
「伝え聞いた話でよろしければ」
「ああ。それで構わない」
「王都は森の中じゃなくて……平地にあるそうです」
「平地?」
「はい。三日月みたいな形をした大きな湖のそばです」
ザナックが反応する。
「三日月形の湖」
記憶するように繰り返す。
外交補佐官としての仕事の顔になっている。
「なぜそこだけ平地なのです?」
「湖に、とても大きな水のモンスターがいるらしくて」
「……王都のそばにですか?」
「はい」
アインズは一瞬、(それ安全なのか?)と思った。
しかし話を聞いていれば、大型の陸棲モンスターはその水棲モンスターを恐れて近寄らないらしい。
つまり危険な怪物そのものを、天然の防壁として利用している。
「なるほど……」
ザナックが顎に指を添える。
「敵になれば恐ろしいですが、手を出さなければ周囲の危険な者を遠ざけてくれる、と」
「はい。そんな話を聞きました」
アインズも納得する。
自然環境と共存する民族。
人間が城壁を作るのと、思想が根本的に違う。
自然の危険まで含めて防衛へ取り込む。
異文化というのは面白い。
「人口はどれくらいだ?」
「……分かりません」
ほぼ即答だった。
アインズは少し困る。
「では、君達の村は?」
「百人……よりは多かったと思います」
「二百人はいなかったよね?」
「多分」
かなり曖昧だ。
だがザナックはそこへ無理に数字を求めない。
その代わり、
「子供は多いのですか?」
「そんなには」
「人間ほどたくさん産まれないって聞いたことがあります」
「何歳くらいで成人するのですか?」
「成人……?」
また少し齟齬がある。
どうやら年齢そのものを厳密に数える習慣が薄い。
「では、君達は何歳なんだ?」
アインズの質問に、三人は困ったような顔をした。
「分かりません」
「……分からない?」
「はい」
「大体でも?」
「多分……百年以上は?」
「私はそこまでじゃないと思う」
「私の方が年上だったよね?」
「そうだっけ?」
アインズは驚いた。
ザナックも目を瞬かせる。
「誕生日は?」
ザナックの質問に一人が首を傾げる。
「誕生……した日ですか?」
「そうです」
「……覚えていません」
「お祝いもしないのか?」
アインズが首を傾げた。
「特には……」
今度はアインズとザナックが顔を見合せた。
誕生日を祝わないなんて……と、哀れむことはアインズにはできなかった。
誕生日。鈴木悟にも生まれた正確な日というものはあったはずだった。
けれど、覚えていない。確認することもできたし、歳は情報として覚えていた。けれど、心底どうでもいいものというのはすぐに忘れてしまうものだ。
いつからか正確に覚えていないが、成人してから三十七歳まで誰にも誕生日を祝われていない。自分さえも忘れ去っていた。
幼い頃には、母親が何かしてくれたこともあったかもしれない。だが、母親は早くに亡くなった。
それから先、誕生日を祝ってくれる人はいなかった。
自分から祝おうとも思えなかった。
アインズは横を見る。
ザナックが熱心にエルフ達の話を聞いている。
もし、
もし誕生日が分かったら、
もし自分が誕生日を祝われてなかったと彼が知ったら、
その先を考えそうになって、アインズはその感情を奥へとしまった。
「……そうか。文化の違いというものだな」
それだけ、口にした。
「それでは──」
アインズは話を次へ進める。
「君達を元の村へ返す場合、どの辺りへ向かえば──」
そこで、三人が少し目を開いて固まった。
アインズはすぐ異変に気付く。
「あの……」
一人が恐る恐る口を開く。
「私達……家に戻されるんですか?」
「……む?」
言葉に含まれた感情は帰りたい者のそれではない。
ザナックも気付いた。
「アインズ様」
小さな声。
「……ああ」
アインズも思い出した、彼女らが奴隷として捕まった経緯を。
「そうだったな。君達の村は、法国の兵に襲われたのだったな」
エルフ三人達が控えめに頷く。
アインズとザナックは改めて認識した。
法国がエルフの国へ軍事行動を行っている。
以前断片的に「法国に捕らわれた」と聞いたことはあっても、その規模や現在の状況まで確認していなかった。
ザナックの顔から柔らかな色が少し消える。
「襲われたのは、皆さんが捕らえられた一度だけですか?」
「いえ……」
「その前から、法国の人達は森に来ていました」
「他の村も襲われたって話を聞いています」
アインズは僅かに姿勢を変える。
「戦争状態なのか?」
三人はちらりと横の顔を見た。
「多分……」
「王様が法国と戦ってるって聞いたことがあります」
「でも、私達の村には詳しい話は来なかったので」
ザナックが続ける。
「皆さんが捕らえられたのは、どれほど前です?」
三人が話したのは今の情勢を判断できるほど新しくはなかった。
ザナックは困ったようにアインズへ視線を向ける。
「……現在も同じ状況とは限りませんね」
「ああ」
「帰りましたら、改めて情報を確認した方がよろしいかと」
「そうしよう」
法国へどう対応するか、戦争へ介入するか、そういった話は現在の情報を得てからだ。
アインズはザナックから目の前の三人へ視線を戻す。
「ならば、元の村に戻すというのは無しにしよう」
三人の顔が僅かに上がる。
「安全であるという保証がない限り、そのような場所に放り出すつもりはない」
「別の村や、ご親戚のいらっしゃる場所はありませんか?」
ザナックが聞くと、三人は少し眉を下げて困った。
「分かりません」
「私達、村の周りしか知らなくて」
「王都へ行ったこともありません」
アインズは腕を組む。
安全な場所が分からない。
なら。
「王都という選択もあるが……そこも安全とは限らないな」
戦争中であれば、むしろ最も危険な可能性すらある。
ザナックも同意する。
「ええ。今の状況が分からない以上、送り届ける先をこちらで勝手に決めるべきではないでしょう」
「……そうだな」
そしてザナックは三人へ真剣に向き直る。
「何より、皆さん自身はどうしたいのですか?」
三人が目を丸くする。
「私達……?」
「はい」
ザナックは当然のように言う。
「帰る場所をこちらが決めてはいけないでしょう。皆さんの生活するところなのですから」
アインズは凛々しいその横顔を見る。
こういうところだ。
アインズが心を奪われて仕方がないのは。
自分なら、安全な場所を用意して、そこへ送ればいいと考えていた。
ザナックはその一歩前に、本人がどうしたいかを聞く。
「私も……。君達が望む場所があるなら聞こう」
アインズが言ったその言葉に驚くように三人はお互いの顔を窺う。
そして、一人が意を決して、
「あの……」
「うむ」
「ここに……このまま置いていただくことは、できませんか?」
アインズは瞬きを──できないが、したような気分になる。
「ここに?」
「はい」
他の二人も勢いよく頷く。
ザナックは驚いていたものの、アインズ程ではない。
「理由を聞いても?」
「あの……」
三人の視線が、何杯目かのコーラを啜るアウラとマーレへ行く。
アインズもつられて見る。
何か言い難いらしい。
アインズは察する。
「アウラ、マーレ」
「はい?」
「飲み物が少なくなっているな」
アウラが一瞬目を瞬かせ──すぐに理解した。
「はい! 行こう、マーレ」
「え? ま、まだあるけど……」
「いいから」
「え、ええっ?」
ぐいぐい腕を引っ張られてマーレは連れて行かれる。
ザナックはその後ろ姿を見送り、
「アウラ様はやはり察しが良いですね」
小声で。
「うむ」
「マーレ様は……」
「まあ、あれはあれでいい」
二人がドリンクバーへ行き、十分離れる。
「これで話せるか?」
「はい」
代表格のエルフが恥ずかしそうにもじもじと手を弄り、それから目線を合わせて言った。
「……ここの生活に慣れてしまって」
「うむ」
「もう、昔の暮らしには戻れる気がしないんです」
「……そこまで?」
アインズが思わず素の声で返す。
三人が真顔で頷く。
「食事が全然違います」
「ご飯が毎日美味しいです」
「ピザが好きです」
ザナックの口元が少し緩む。
「ピザですか」
「はい!」
急にエルフの声が明るくなる。
「チーズがたくさん乗ってるやつ!」
「色んな具がいっぱいあるのも!」
「端までチーズが入ってるのもあります!」
(随分詳しいな)
ナザリックの食文化による侵略が完了している。
しかし理由はそれだけではないようだ。
「あと……夜に安心して眠れるんです」
その言葉で空気が変わる。
「見張りを立てなくても」
「モンスターが入ってこないし」
「寝ている間に誰かが死ぬ心配もしなくていい」
ザナックは口を引き結ぶ。
彼はその意味を理解する。
安全に眠れる。
それは、安全な場所に生まれ育った人間には当たり前すぎて、価値を認識しづらいものだ。
だが、彼女達にとっては違う。
アインズも理解する。
ナザリックは恐ろしい場所だ。外から見れば怪物の巣窟。
けれど、そこに住むことを許され、慣れた者から見ればこれほど安全で快適な土地は世界でも珍しい。
最後に、一人のエルフが照れたように言う。
「それに……アウラ様とマーレ様のお世話をするのも、好きなので」
他の二人もうんうんと頷く。
「アウラ様はとてもお優しいですし毎日挨拶もしてくださって、」
「マーレ様もお優しいですし、本のことも教えてくださいますし、植物系モンスターにイタズラされた時に助けてくださって……」
「アウラ様はなんでも一人でやってしまいますけど、それでもできることを探してお手伝いするのが私達の生き甲斐なんです!」
「マーレ様は放っておいたらずっと寝てますし」
「布団だって干さないし」
「どちらかといえば、マーレ様の方がお世話のしがいがありますね!」
「でも、アウラ様にお願いごとをされるのも嬉しいです!」
楽しそうに口々に話すエルフ達。
ザナックはそれを嬉しそうに目を細めて見守っていた。
とても微笑ましそうに。
アインズもまた、その横顔を愛おしげに眺めていた。
無意識にその背を撫でていた。エルフ達は気付いていない。
ザナックだけが振り返って、困ったようにアインズを見上げた。
そして、机の下でこっそり。人差し指で小さなバツ印を作ったザナック。
アインズは手を引っ込めた。
エルフ達は楽しそうに笑い合っている。ザナックもまた笑う。
アインズは名残惜しさに苦笑いした。
三人は本気でここを選んでいる。
命令されたからでも、帰れないから仕方なく、でもない。
以前とは違う食事、安全性、人間関係、日常。
それら全部をひっくるめて、ここに住みたい、という。
「でしたら、そのように堂々と仰ってよろしいと思いますよ」
ザナックがそっと添えるように言った。
三人が彼を見る。
「居たい場所に居たいと言うことは、恥ずかしいことでも悪いことでもないんですよ」
眉を下げて微笑んだ。
その言葉が少し胸に刺さったアインズ。
彼を蘇生した直後は、とにかく恩返しをしたいと色々働いて、倒れる程貢献してくれた。気付かなかった自分を恥じた、悔いた。
やがて彼が自分から望む仕事になり。
友人同士になり。
何度も、唯一だ、特別だ、と確認し合った。
自分のせいで、彼を一度遠ざけたこともあった。
自分の中の罪悪感を消したくて、とても身勝手な行動をした。
それでも自分から行動した。今でも許されていなくてもいい。
みっともなく彼に縋り、アインズは泣きじゃくった。
互いの気持ちを確かめ合い、二人は恋人になった。
あの時、アインズは『帰ろう』と言った。
ザナックもその手を取った。
彼は自分の意思でここにいた。
ここは、ザナックにとって"居たい場所"なのだろうか。
「……よかろう」
アインズはようやく口を開き、宣言する。
「望むのであれば、ここに残るといい」
三人の顔がぱぁっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
「幸せです!」
「とても嬉しいです!」
「ただし」
三人がビクッと肩を跳ねさせる。
「今までの扱いを、そのまま続ける訳にはいかないな」
「……?」
アインズは考える。
「正式に働いている者として扱うべきだろう。給金、休息日、具体的な職務内容──」
ザナックが横からアインズに顔を近付ける。
「今までは?」
「……」
「雇用契約をしてないのですか?」
「…………」
「給金は?」
アインズは少し視線を逸らす。
「……なかった、と思う」
ザナックの目が細くなる。
「アインズ様」
「……分かっている」
「休日は?」
「……確認する」
「お願いします」
エルフ達三人は"自分達の話で魔導王が叱られている"という顔をしている。
アインズは恥ずかしさから少し俯いた。
少し顔を上げる。
「ともかく、正式に契約を結ぼう。待遇については担当者と相談させる」
三人は「契約」「給金」という制度自体に馴染みがない様子だった。
ザナックが優しく簡単に説明する。
「働いた分に対して、自由に使える報酬を受け取るということです」
「食べ物とは別に?」
「はい」
「……お金を?」
「はい」
三人が顔を合わせてこそこそ。
一人が言う。
「使う場所、ありますか?」
純粋に聞いた。
「……。それも含めて考えましょう」
本人達の今後が決まったところで、アインズは本来の話へ戻る。
「それでは、別の質問だ」
「はい」
「もし、我々がエルフの国へ向かうとすれば君達に案内を頼むことはできるか?」
三人は眉根を寄せた。
「……すみません」
「村の周辺くらいしか」
「王都への道も分からないんです」
「そうか」
「本当にすみません!」
「謝る必要はない」
「知らないものは仕方ありません」
ザナックも頷く。
「では礼儀作法などは?」
「それも……村ごとに違うかもしれません」
「偉い人と話したことないので」
「王様なんて見たこともありません」
ザナックは少し考えて苦笑し、アインズに言う。
「案内役として頼るのは難しそうですね」
「ああ」
ここで無理矢理同行させる理由はない。
「では──」
アインズは話題を変えた。
「ダークエルフについて正直な意見を聞きたい」
「素晴らしい御方達です!」
三人は即答した。
「いや……アウラとマーレの評価ではない」
「素晴らしい御方達です」
「そうではなくてだな」
ザナックが横から助ける。
「皆さんの国で、エルフとダークエルフがどういう関係なのか、という意味ですよ」
「あぁ……」
小さく三人は頷いた。
「私達の村にはいませんでした」
「ここで初めて会いました」
「北の方から昔流れて来た近親種だって聞いたことはあります」
「嫌われているという話は?」
「聞いたことがないです」
「肌が本当に浅黒いんだなって思ったくらいで」
ザナックは微笑む。
「少なくとも皆さんの村では、種族的な対立はなかったと」
「はい」
「ただ、他の村は分かりません」
「重要ですね、ありがとうございます」
そして、アインズが何気なく聞く。
「では、アンデッドは?」
「森を汚す敵です」
「忌まわしい存在です」
「見つけたら倒します」
三人がばーっと話し終え、静寂。
ザナックが飲んでいた果実水を喉に引っかけた。
「……っ、くっ、けふっ」
アインズがザナックを見る。
「大丈夫か?」
「はい……」
口元を押さえながら若干笑っていた。
アインズは三人へ自然に目を戻す。
三人も「あ」という顔。
(そこは忖度しないんだな)
ザナックが小声で、
「正直な意見をと聞き出したのはアインズ様ですよ」
「……ああ」
アインズは遠いところを目で見ながら答えた。
アインズは三人へ努めて優しく声掛けた。
「気にするな。君達の文化としてそう認識されている、という情報が欲しかったのだ」
三人は恐る恐るこくり。
アインズがアウラとマーレへ合図を送り、気付いたアウラがマーレを連れて来たところでザナックが先程聞いた法国の話へ戻る。
「皆さんが捕らえられた際、法国の方々は何を目的にしているようでした?」
「……分かりません」
「エルフを捕まえてました」
「殺された人も」
「兵士の数は?」
「たくさん、としか」
「旗や紋章は?」
これは分かった。聞くと、それは法国のものだ。
「王都へ向かっているという話は?」
「聞いたことがあります」
「誰から?」
「別の村の人から」
ザナックはそれ以上追及しない。顎に手を当て、考え込む。
情報源が伝聞で年月も経っている。精度が低い。
「ありがとうございます、十分です」
ザナックはアインズへ向くと、
「少なくとも、彼女達が捕らえられた当時は村単位の襲撃ではなく、もっと大きな軍事行動だった可能性が高そうです」
「ああ」
「ただし現在も戦争状態かは確認が必要です」
「そうだな」
アインズは考える。
エルフ国との国交、以前なら外交をできる信頼する人間がいないと頭を抱えたところだが、今は横に適材がいる。
ザナックが視線を感じ、アインズを見上げる。
「何でしょう?」
「いや」
アインズは三人へ向き直り、姿勢を正した。
「もし、他のエルフの村を訪れるなら、何を持っていけば喜ばれる?」
「お土産、ですか?」
「ああ。金銀や財宝は?」
三人が微妙な反応。
「村では硬貨を使わないので……」
「宝石も、綺麗ですけど」
「食べられませんし」
ザナックは思わず「確かに」と笑う。
「なら、何が?」
「食べ物です」
食い気味に言った。
「それと薬草」
「毒とか病気に効くもの」
「簡単な怪我なら森祭司が治せますけど、病気や毒は難しいこともあります」
ザナックが手を合わせる。
「なるほど。豪華な物より、実用品ですか」
「はい」
「三日月形の湖」
アインズが呟く。
「そこに王都がある可能性が高い」
「はい」
ザナックも考える。
「村の位置が分からない以上、目印としては王都の方が探しやすいでしょうね」
「そうだな」
アインズは少しだけ首を傾ける。
「もし向かうことになれば、まず三日月湖を探し、そこから情報を集める形になるか」
「現時点では、それが最も分かりやすいかと思います」
「ダークエルフの村についても王都なら情報があるかもしれない」
「可能性はあります」
アウラが口を挟む。
「ダークエルフの村に行くんですか?」
アインズは、コーラの入ったグラスを両手で包んだ彼女を見る。
アウラに友達を作らせたい。その目的は今ここでは言わない。命令で友人を作らせることになっては意味がない。
「その可能性は考えている」
「そうなんですね!」
「アウラとマーレにも、必要になれば力を借りるつもりだ」
「はい!」
ピシッと姿勢を正したアウラ、とマーレ。
「が、頑張ります!」
そこで、いい香りが近付いて来る。
料理が運ばれて、先程注文したハンバーグが机に置かれていく。
デミグラスソースがかかり、ハンバーグに光沢を与えている。エルフ三人達の目に映るそれはまるで宝石のようだった。
そして焼きたてのパンにスープ。
簡単な付け合わせ。
アインズは食べられないが、ヨダレが出てきそうなくらいのいい香りだった。
横を見た。
ザナックの目が僅かにエルフ達と同じように輝いた。
本人は隠しているつもりだろうが、分かりやすい。
むしろ挙動不審になっている。
本人も食べることが大好きだ。直接そんなふうに宣言したことはないけれど、そんなことは周囲の人間は皆周知の事実だ。
見ていれば分かる。料理を作った人を最上級に喜ばせる反応を毎回してくれるので、ザナックに料理を提供する人は全員幸せになる。
「さあ」
アインズはエルフ達へ声をかける。
「食べながらで構わない」
「いただいていいんですか?」
「そのために頼んだ」
エルフ三人がバラバラのタイミングで嬉しそうに食べ始める。
そして、アウラとマーレも。
ザナックもナイフとフォークを手に取る。
「いただきます」
ナイフとフォークの持ち方も切り込み方すらゆったりとしていて優美だった。
(流石は元王族だな……)
一口に切って口に運ぶ。
「美味いか?」
こくん、と飲み込む音。
「はい。とても美味しいです……」
もう一口食べ、頬をハムスターのように少し膨らませたザナックは素直に笑った。
ザナックが付け合わせを口にする。
少し大きめに切られた、人参のグラッセ。
噛む動きが止まる。
「……どうした?」
「これ……随分甘いですね」
アウラが皿を覗く。
「あ!」
「何だ?」
「さっきの人参ですよ、それ!」
ザナックがフォークの先の人参を見る。
「……あの巨大な?」
「そうです!」
リュミエールも補足する。
「料理長が試験的に食堂へ回している食材の一つかと」
ザナックがもう一口食べる。
ゆっくり噛む。
「……フルーツみたいで、かなり好きです、これ」
頬が緩んだ。
(やはり気に入ったか)
「そうか」
「はい」
自分には味が分からないが凄く甘いらしい。
やはりザナックの顔が美味しさを物語っていた。
甘さに震え、頬を押さえる。
食べてみたい、とは思う。けれどそれ以上に、ザナックが幸せそうに食べている姿だけで、アインズの心は満腹だった。
世界にはアインズの知らない味がまだいくつあるのだろう。
自分はそれを味わえない。
けれど彼なら味わえる。
それだけで、この世界を整えて歩いていく十分な意味があった。
食べ物も、人も、国も文化も。
ただ、彼が歩けるように、躓かないように、転んでしまわぬように、未知を既知にするために。
そして、その足で彼が迷わずここへ帰って来られるように。
違うままでいい。
違うからこそ、彼にとって面白い。
ザナックがどこかへ赴き、
知らない料理を口にして、
知らない人間と話し
知らない景色を眺め、
「こんなものがあるんですね」
と自分へ教え、笑いかけてくれる。
自分はその隣にいる。あるいは、帰ってきた彼から話を聞く。
ザナックが人参とハンバーグを一緒に頬張る。
目尻と眉が下がる。興奮気味に頬が少しだけ桃色に染まり、喜びで足が揺れる。
(本当に美味しそうに食べるなあ……)
「アインズ様?」
見過ぎていたらしい。ザナックがこちらを向いた。
珍しく、左の口の端にほんの少しソースがついている。いつもは口に付けたりせずに完璧に綺麗に食べるのに。
たまには子供っぽいところもあるのだな、とアインズは胸の奥が温かくなる。
口でキスして舐め取っても良かったのだが、流石にアウラとマーレの教育に悪いしエルフ達の前だとザナックに後でぺちぺちと叩かれそうなので、咄嗟に出た右手の人差し指でついと拭った。
ザナックの目が見開かれ、エメラルドの三白眼が大きく揺れた。
一瞬で顔が真っ赤に染まり、触れている骨の人差し指をそっと握る。
「あ、いんず、さま……な、何を……」
リュミエールは気を利かせて顔を逸らし、エルフ三人達は奇跡と言えようか肝心の事件を見ていなかったようで首を傾げたり頭に疑問符を浮かべたりしている。アウラは真顔でマーレの目を隠している。
「付いていたぞ、ソース」
「……そ、ですか…………???」
混乱したザナックは自分の手にアインズの手を置く。
「ふ、拭きます、ね……??」
さらに汚れた人差し指をおしぼりで拭った。
その奇怪な光景にエルフ三人は眉間に皺を寄せ、目を細めていた。
あちゃー、というようにアウラは空いている片手で顔を覆い、リュミエールはそっと振り返って微笑みながらまた顔を背けた。