お花とザナックは親和性高め
ナザリック地下大墳墓。
その荘厳で圧倒的な建造物の中にありながら、奇跡のように存在する庭園。石造りの回廊を抜け、陽光を模した魔法の光が降り注ぐその場所は、まるで別世界だった。緑が香り、花が揺れ、小さな水のせせらぎが優しく響く。王城にいた頃、こんな静謐な時間を味わえる余裕などなかった。
「……なんだか、夢みたいだな」
アインズ様から直々に許可を得て、水やりという極めて重要な任務(?)を任された俺は、ぎこちなくじょうろを抱え、花々の間を歩く。
「お水の量は少なめでいい、って言ってたよな……あと、踏んじゃダメ、絶対……」
自然と慎重になってしまう。ナザリックのものを壊したら、罵倒で済む話じゃない。絶対転ばないようにしなければ。最悪、床に転がるのは俺の頭かもしれない。そんな昼下がりだった。
「いたいた〜、ザナックく〜ん!」
突如、背後から元気な声が響いた。足音も軽やかに近づいてくる。
(あっ……)
振り返る間もなく、その気配は一気に数を増していく。気づけば、背中を取られ、左右を取られ、前方にも人影が──
───か……囲まれた。
直感が告げる。この状況は危険だ、と。
「今朝のがっちがちに緊張した顔、見たっすよ〜! 可愛い子じゃないっすか〜!」
ルプスレギナ様がにっこにこで飛びつくように俺に近づいてくる。あの明るい笑顔には、何か裏があるとしか思えない。
「うふふ……凄く美味しそ…じゃなくて、誠実そうな瞳ですね」
ソリュシャン様は意味深な笑みを浮かべながら、冷たい目でこちらを見下ろしている。
(美味しそうって言いかけたよな!? そこまで言ったなら誤魔化しきれないぞ!?)
言い直された言葉の裏に、背筋が凍るような恐怖が走る。口元だけは優雅に笑っているが、あの人が本気を出せば、俺など一瞬で物理的に溶かされる。
「ずっと我慢してた…ふにふに…」
シズ様はわきわきと手を動かしながら、意味不明な言葉を呟いて近づいてくる。その無表情さが、余計に怖い。一方で、エントマ様は沈黙のまま、じっと俺を見つめていた。仮面の奥からは感情が読み取れないが、全身から何かこう……"圧"が伝わってくる。
「ま、待っ──うわっ、ちょっ……!」
言葉が終わるよりも早く、俺の頬に冷たい感触が襲ってくる。シズ様の手が、慣れた動きで俺の頬をぷにぷにと押し込んできた。
「やわらかい…ぷに……」
エントマ様もおずおずと、けれど明確な意志を持って手を伸ばしてくる。
「……ぷにぃっ」
(く、くすぐったい……! それに恥ずかしい……!)
「うぐっ……ひゃめへくらはい…シズさま」
声が変になってる。というか、もう喋れてない。
だが、それすら終わりの始まりに過ぎなかった。
ついにルプスレギナ様の手が、お腹に伸びてきた。
「お腹も気になるっす〜」
「まっ…ふはっ…! そこは…!」
思わず声を上げてしまう。柔らかな掌が俺の腹を軽く押し、揉むように動かす。うまく力が入らず、へなへなと腰が砕けそうになる。
「ふにふにしてる……人間ってすごい」
ナーベラル様がポツリとつぶやいて俺の頬を引っ張っている。痛い。
冷静だったはずのユリ様までもが、興味深げに近づいてきた。彼女の手が頬にそっと触れる。
「触り心地……悪くないです」
──完全に囲まれている。
左右から、前後から、好き放題にされている。
美しい女性たちに囲まれ、にこにこされながら、頬もお腹もぷにぷにされるという状況に、俺の心臓はとうに限界だ。
(これは……なんの罰だ!? いや、試練なのか!? とにかく、アインズ様に任せられた仕事を……!)
「や、やめてくださいっ! 俺は水やりをっ……!」
必死に叫ぶも、聞いてもらえる気配はない。
「へぇ〜、怒った顔も可愛い〜っすね〜」
ルプスレギナ様はますます楽しげに、脇腹へと手を滑らせてくる。
「いや、怒っては…ちょっ…ひ、ううっ」
敏感な場所をつつかれ、思わず声が裏返る。恥ずかしい、けれど、止めてくれとは言い切れない自分が情けない。
「これはいじり甲斐がありますね……ふふふ」
ソリュシャン様が愉快そうに微笑む。どこかで、戦場の方がまだ気楽だったのではと思ってしまう自分がいる。
「ザナック…やわらかい…すごくいい」
シズ様の無邪気な一言に、俺はそっと目を閉じた。
(こ、これが……ナザリックの真の恐怖……!)
頬もお腹も、まるで粘土のように捏ねられながら、俺は震える手でじょうろをぎゅっと握りしめた。
──この戦いに、退路などない。
約十分後──俺は、ようやく解放された。
衣服はそこまで乱れていない。けれど、精神的な疲労は計り知れない。体のどこかが痛いわけでもないのに、魂だけがすり減ったような気がした。
「……ぜぇ、ぜぇ……」
へたり込みそうになる膝をなんとか支えながら、俺はぎこちない動きでじょうろを所定の位置に戻す。先ほどまで優雅に咲き誇っていた花々が、今は妙に静かに見える。まるで、「お疲れさま」とでも言いたげな視線を送ってくるようだった。
(今のも、仕事……なのか?)
苦笑ともため息ともつかない息を吐いていると、不意に背後から声がかけられた。
「───ザナック」
その瞬間、全身がビクリと跳ね上がる。
「うっ、わあぁぁぁ! もう勘弁してください…!」
反射的に叫んで、身をすくめる。また来たのかと、身体が条件反射で警戒するようになっていた。もうぷにられるのはごめんだ。俺の頬と腹筋は限界を迎えている。だが、静かな足音。威圧感はないのに、どこか空気が変わったような気配。おそるおそる振り返ると、そこには──漆黒のローブをまとった骸骨の王が立っていた。
「アインズ様……でしたか」
安堵の息が漏れる。思わず腰が抜けそうになったが、かろうじて堪えた。
「てっきり、またあの方々かと……」
途中まで口にして、俺は慌てて言葉を呑み込む。失礼があってはならない。気を取り直して背筋を伸ばし、礼を取ろうとする。
「……だいぶ、トラウマになっているようだな」
アインズ様はそう言って、どこか申し訳なさそうに──それでも、ほんの少しだけ楽しげに──眼窩の奥の光を細めた。
「彼女たちに、悪気は……その、少しくらいしか無かったはずだ」
(少しくらいは、あったんだな……)
俺はその微妙な表現に内心突っ込みながらも、見られていたことにようやく気づいて背筋を凍らせる。
「み、見ていたんですか!? そんな……た、助けてくださっても、良かったんですよ……っ?」
訴えるように目を向けた俺に、アインズ様は少しだけ目を逸らして──まさか、照れているようにさえ見えた。
「あー、その……君が、あの猛攻に頑張って耐えている顔が、可愛くてな……見てたかったというか」
(なっ……!?)
目が点になるとはこのことかもしれない。俺は固まったまま、何も言えずにアインズ様を見つめた。
「俺としては……笑えないです、その冗談!」
ようやく振り絞った抗議の声は、情けないほど震えていた。
「………冗談では無いんだがな」
アインズ様の静かな声に、心臓がまた一段と跳ね上がる。
「……はい!?」
意味を理解しきれないまま、俺は再び赤くなった頬を片手で押さえた。