ヴァイセルフ兄妹大好き
「ザナック……君に、話していなかったことがある。」
アインズ様の低く、どこか重みを帯びた声に、俺は思わず立ち止まり、姿勢を正した。場所はナザリック九階層の応接間。静謐で格式高い空間だ。深紅の絨毯、鈍い輝きを放つ魔導書の並ぶ本棚、沈黙に包まれた室内。俺は促されるまま、緊張しつつも椅子に腰を下ろした。
「……話、とは?」
あのじょうろを置いてから、まだ十分も経っていない。さっきまで頬とお腹をぷにられていたのが夢のように感じる。本当に夢だったらいいのにな。
アインズ様は、ローブの袖をゆっくりと組み直しながら、少しの間、言葉を選ぶように黙していた。骸骨に表情はない。けれど、その仕草からは確かに"言いにくさ"が滲んでいた。
「……君の妹、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフについて、だ」
時が止まったようだった。
「……え?」
脳が意味をすぐに処理できず、俺は思わず聞き返していた。何故、アインズ様は妹の名を出した?
まさか、妹に何か────。
「彼女は──生きている。今、このナザリックに滞在しているよ」
ゆっくりと、まるで俺の心臓の鼓動に合わせるようにして、アインズ様は言葉を紡ぐ。信じられない。
「……本当に?」
「本当だ。あの戦のあと、いやその前から彼女は……自らの意思でこちらに来た。君の想像している"ラナー"とは、今や少し違う存在になっているかもしれないが」
(ラナーが、生きてる……)
(戦の……その前……?)
信じられないようで、けれど、なぜか納得できてしまう。あの妹なら、土壇場で生き延びる手段の一つや二つ、仕込んでいてもおかしくない。
「それって、どういう……」
「……彼女は、もう人間ではない」
そう告げられた瞬間、背筋を冷たいものが走る。
「ラナーは、"堕落の種子"を使い、悪魔となった」
アインズ様は苦しげに、しかし確かな言葉で続けた。
「その過程で、彼女は"生贄"を──自らの手で捧げた。目的のために、彼女は人を……殺したんだ」
しばし、言葉を失った。
妹が……ラナーが、人を……?
その絵は、どうしても頭に浮かばない。けれど同時に、俺の中のどこかで冷静な"納得"が息をしていた。
アインズ様の声が、さらに深く、静かに落ちてくる。
「王国滅亡の計画……あれは、九割方ラナーの立案だ」
「……ああ。やっぱり、そうか」
口が勝手に動いた。
アインズ様が、ほんの一瞬、肩をすくめたように見えた。
「……驚かないのか?」
「驚き、ましたよ。最初は。でも……妹ですからね。化け物だと揶揄したこともありましたが、アイツならそれくらい、やりかねません。俺にできないことを、やってのける……あの頭と胆力は、昔から群を抜いていた」
そう。兄としては忸怩たる思いもあるが、それがラナーだ。そして、そんな彼女が今、生きている。
「……会えるんですか?」
「……近いうちに。だが、心しておいた方がいい。今のラナーは、人としての枠を超えた存在だ。君が彼女にどう向き合うか……それは、君自身に委ねよう」
俺は、ゆっくりと目を閉じた。
(生きてるんだな、ラナー……なら、また話ができる)
胸の奥が、少しだけ温かくなった気がした。
「……ありがとうございます、アインズ様」
そして、心の奥底で微かに疼く感情──恐怖とも安堵とも違う何かを抱えながら、俺は再び、静かに目を開けた。
──────そして、ラナーとの再会は、思ったよりも早く訪れた。案内されたのは、ナザリックのある一室──薄闇に照らされた、重厚な調度と薔薇の香が漂う、妙に気取った空間だった。
「……入っていいのですか?」
俺が扉の前で躊躇っていると、アインズ様が無言でうなずいた。これは試練でもなんでもない。ただの、再会。そう思い込んで、扉を押し開ける。
軋む音とともに、部屋の中に足を踏み入れると。
「──あら、お兄様……お久しぶり、ですわ」
甘ったるい声が空気を撫でた。声だけで、昔とは違うと分かった。もっと無機質で、冷ややかだったはずの声が、今は妙に蕩けている。
(なんだか…すごく幸せですって顔だな……)
視線の先には、黒い薔薇髪飾りの金髪の少女──いや、もう"少女"という表現が正しいかも分からない存在がいた。
美しかった。恐ろしいほどに。蒼い瞳はどこか濁って、口元は常に微笑を携え、まるで狂気がドレスを纏って歩いているようだった。
「……本当に、生きていたのか、ラナー」
「うふふ、ええ。こうして、またお兄様とお会いできて……とても嬉しゅうございます」
彼女は歩み寄る。ふわりとドレスが揺れ、まるで舞うように。距離が詰まるたび、俺の背中に冷たい汗が伝っていく。
「……なんというか。前より……悪趣味になったな」
「まぁっ! お兄様ったら、相変わらずお口が悪い…。ふふ、ぞくぞくしますわ……」
ぞくぞくするな。
即座にツッコみたい衝動を押さえるのが大変だった。ラナーは手を組み、うっとりと目を細める。
「その皮肉交じりの優しさ……昔と変わりませんわね。ああ、お兄様ったら、やっぱり最高ですわ……!」
「最高って……俺、そんなに高評価なのか?」
「ええ、ええ、そうですとも……。ずっと私の中で、"理想の"お兄様ですわ。お腹はぽよっとしてても、言葉は鋭く、とても優しい……」
ラナーのその言葉は妙に熱を持っていて。
「やめろ、妙にねっとりしてるし、何より褒められてる気がしない」
俺は額を押さえ、ラナーとの距離を保とうと数歩下がったが、彼女はぴたりと付いてくる。距離感がおかしい。まるで、俺の中に入り込んで来ようとするような。
「会いたかったんですよ……お兄様。ずっとずっと、どんな形ででも再会したくて」
「……その"どんな形でも"の結果が、悪魔化後ってのがな。やっぱり、昔からどこか歪んでたな、お前。…というか俺は一回死んだしな。俺はついでだろどうせ」
「お兄様のそういう冷たい視線……ああ、たまりませんっ」
「……お前、本当にラナーか? というか、どこの界隈でそういう性癖を育ててきたんだ」
「お兄様のおかげです」
「前向きに俺のせいにするな」
切なさが吹き飛びそうになるほど、目の前の妹は全力でおかしな方向に進化……していた。
それでもやはり。
「……変わらんな、ラナー。でも、なんか……お前らしいよ」
俺が小さく呟くと、ラナーはふと表情を変えた。微笑みはそのままだが、ほんの少しだけ──揺れた気がした。
「……お兄様」
「なんだ」
「……許してくださるの? 私が……たくさん、たくさん、悪いことをしたのに」
その問いには、すぐには答えられなかった。
けれど、俺は静かに目を閉じ、答える。
「あー……それは、これから考えるよ。でも、俺の中で、お前が"妹"であることは変わらない。たとえ牙が生えてようが、羽根が生えてようが、な」
ピッ、とラナーを指差した。
沈黙が落ちる。
そして──
「……お兄様! やっぱりだいすきですわ」
「わっ、やめろ、飛びつくな! 重い! 痛い!」
「むしろ痛めつけてくれても!」
「お前ほんとに誰だよ!!!」
ラナーの暴走は止まらない。俺の再会の感動は、一瞬にして台無しにされた。
……まあ、こういうラナーも、ラナーなのだ。
────部屋から出ると、アインズ様が俯いて肩を揺らしていた。
「泣いてます?」
「ぐっ、そんなわけ、ないだろう……」
骸骨の彼には涙腺なんてない。だけど、精神的に泣いているように見えた。
「そんなに感動するような再会でしたか……?」
俺はそんな疑問を口にした。
(可愛らしいところもあるんだな。)
アインズ様は咳払いのように咽喉を鳴らし、顔を背けながら呟いた。
「……感動というか、その……疲れただけだ。想定よりずっと、会話の密度が濃かったからな……」
「ふふ、それは……俺も疲れました」
ラナーは変わった。だが、どこか変わらない。おかしくなっても妹は妹だ。