ナーベラル視点です
この二人の絡み美味しくないですか。もっと猫、蝶々と呼ばせたい。そのうち名前で呼ぶようになったりして。
「ザナックと親睦を深めて欲しい」
アインズ様からそのお言葉を頂いた時、私はすぐに頭を垂れた。命令であれば従う。それだけならば何も難しいことではなかったし、仮に相手がどれほど不快な存在であろうとも、至高なる御方のお言葉である以上、私情を挟む余地など存在しない。
けれど、続いたお言葉は少し違った。
ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ。
かつて滅ぼされたリ・エスティーゼ王国の第二王子であり、一度命を失い、それをアインズ様御自身の意思によって蘇生された者。そして何より。
アインズ様は彼を、友人だと仰った。
その言葉の意味を、軽く受け取ることなどできるはずがない。
至高なる御方の御友人。
ナザリックに存在する者であれば、それがどれほど重大な意味を持つのか理解できない者はいないだろう。少なくとも私は、その人間がどれだけ弱く、どれだけ取るに足らない存在に見えようとも、それだけで軽んじることが許される相手ではないと理解した。
庭園で初めて姿を見た時には、正直に言えば疑問しかなかった。
小さい。丸い。弱い。
何故このような人間を、アインズ様が。
その考えが頭を過ったことを、今では恥ずべきことだと思っている。
私程度の者が、アインズ様の御考えを理解できるはずなどない。それでも御方が大切になさるのであれば、そこには私には到底及ばない深遠なる理由があるのだ。
だから。
今日は失礼のないようにしなければならない。
私はそう何度も自分に言い聞かせながら、指定された小部屋で待っていた。
テーブルの上には果実水と焼き菓子が置かれている。飲み物についてはユリ姉から、「紅茶だけは避けてください」と言われていた。理由を尋ねても教えてはもらえなかったが、アインズ様の御友人に不快な思いをさせる理由もないため、その指示には従った。
やがて、扉が控えめに叩かれた。
「失礼します」
「どうぞ」
扉が開き、ザナック様が姿を現す。
今日も魔導国で仕立てられた衣服を着ていた。暗い色のベストに白いシャツ。短い脚に合わせて仕立てられたズボンは当然寸法に狂いなどなく、本人が小柄であることを除けば、服装だけならばどこかの貴族と言われても違和感はない。
元々王族なのだから当然か。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ……ザナック様。……私はナーベラル・ガンマと申します」
言えた。
ほんの僅かに安堵する。
ザナック様。
そう呼ばなくてはならない。
この方はアインズ様の御友人。
ただの人間ではない。
「どうぞ、お掛けください」
「ありがとうございます」
向かいの椅子へ座るよう促すと、ザナック様は軽く頭を下げて腰掛けた。姿勢は妙に行儀が良い。けれど背筋を伸ばしながらも肩には少し力が入っていて、私を警戒していることは明らかだった。
当然だろう。
私も彼に好意を示した覚えなどない。
ユリ姉さんやルプーはすでに何度か彼と会話をしたらしい。特にルプーは、「面白いっすよぉ」と随分楽しそうに話していたが、私には未だに何がそこまで面白いのかよく分からない。
沈黙が続いた。
ザナック様も何を話せばよいのか分からないらしく、果実水へ手を伸ばしている。
私は何をすればよいのだろう。
親睦。
親睦とは。
会話をすればよいのか。
「……」
「……」
また沈黙。
まずい。
アインズ様から頂いた御命令を、このまま無言で終えるわけにはいかない。
「人間は──」
口にした瞬間。
しまった。
ザナック様の手が止まった。
「……あ」
私は自分でも珍しいほど明確に言葉を詰まらせた。
「申し訳ございません。ザナック様」
「え?」
「今の呼び方は、不適切でした」
「いや」
ザナック様は目を瞬いたあと、困ったように笑った。
「俺、人間ですけど」
「そういう問題ではありません」
即座に答えると、彼の眉が僅かに上がった。
「アインズ様は貴方を御友人と仰いました。ならば私は、それに相応しい敬意を示すべきです。過去に人間をガガンボなどと呼び、アインズ様から注意を受けたこともありますので」
「ガガンボ」
ザナック様が繰り返した。
「はい」
「……ガガンボ」
「はい」
何故二度言うのだろう。
ザナック様は口元を手で覆い、少しだけ肩を震わせた。
「笑っていますか」
「す、すみません……」
「何故です?」
「いや、ガガンボって……そんな言い方をしてたんだなと思って」
何が面白いのか分からない。
けれど、先ほどまで強張っていた肩から少し力が抜けている。
ならば、悪いことではないのだろう。
「ザナック様、今後はそのような呼称は使用しません。少なくとも貴方には」
「……ナーベラル様」
「はい」
「別に、無理してザナック様と呼ばなくてもいいですよ」
今度は私が彼を見る。
ザナック様は果実水のグラスを両手で持ちながら、どこか申し訳なさそうに笑っていた。
「ですが」
「アインズ様の前では、まあ……できれば少しだけ気を遣っていただけると助かりますけど」
そこで一度言葉を切ると、彼はグラスへ視線を落とした。
「それ以外では、好きに呼んでください。俺は元々、皆さんに敬われるような立場ではありませんし」
理解できない。
「貴方は王族だったのでしょう」
「元、です」
「それでもアインズ様の御友人です」
「それも……」
ザナック様は何かを言おうとして、やめた。
少しだけ眉を下げる。
「いや。でも、俺が友人だと思っていただけていることと、皆さんが俺を敬うことは別でしょう。ナーベラル様が俺を好きではないなら、無理に好きなふりをしていただく必要もありません」
その言葉に、私は黙った。
好きではない。
確かにそうだ。
少なくとも、今の時点で好意があるとは言い難い。
だが。
「嫌いというわけでもありません」
「え?」
「正確には、まだ分かりません」
ザナック様は少し驚いたようにこちらを見る。
私は続けた。
「最初は、人間という時点で好ましくは思っていませんでした。しかし、アインズ様が貴方を大切になさっていることを知りました。御友人とまで仰った。それを知ってなお、私自身の偏見だけで貴方を判断することは、アインズ様の御判断を疑うことにもなりかねません」
「……そこまで重く考えなくても」
「重いことです」
「そうですか……」
「はい」
また少し沈黙が落ちた。
けれど、今度の沈黙は先ほどより居心地が悪くなかった。
ザナック様は焼き菓子を一つ取ると、小さく齧った。甘い物が好きだと聞いていたが、本当らしい。一口食べただけで、ほんの少し目元が緩んでいる。
分かりやすい。
ルプーが面白いと言っていた理由が、少しだけ理解できた。
「……では」
私は考える。
好きに呼んでもいいと言われた。
人間では失礼。
ガガンボも駄目。
それ以外。
「蝶々」
「はい?」
ザナック様が止まる。
「蝶々ならば、よろしいでしょうか」
「……俺が?」
「はい」
「何故蝶々なんです?」
「虫ではありますが、ガガンボよりは美しいでしょう」
「比較対象がずっと虫なんですね」
声は丁寧なのに、明らかに呆れている。
私は少し考えた。
確かに。
本人が望んでいないのであれば別のものにすべきかもしれない。
「では、猫」
「猫?」
「はい」
「今度は何故です?」
理由。
視線をザナック様へ向ける。
丸い頬。
少し警戒しながらこちらを見る目。
甘い菓子を食べた時だけ分かりやすく緩む表情。
小柄な身体。
そして、先ほどからグラスを両手で抱えている姿。
「なんとなくです」
「何か考えましたよね」
「いいえ」
「今、一瞬俺の顔を見ましたよね」
「見ていません」
「見てましたよ」
妙にしつこい。
けれど、怒ってはいない。
むしろ少し楽しそうに見える。
「……猫は嫌ですか」
そう尋ねると、ザナック様は少しだけ考えた。
「いえ。ガガンボよりは」
「では猫で」
「決定が早いですね」
「蝶々も捨て難いですが」
「二つ使うんですか?」
「気分で」
「自由だなぁ……」
小さく呟く。
敬語ではなかった。
本人も気付いていないのかもしれない。
私は何も言わなかった。
「ところで」
ザナック様がこちらを見る。
「今日は、何をする予定だったんです?」
「……」
忘れていた。
親睦を深めるために呼んだのだ。
呼称を決めるためではない。
「特に決めていません」
正直に答えると、ザナック様が目を丸くする。
「何も?」
「はい」
「え」
「親睦を深めることしか考えていませんでした」
「なるほど……」
ザナック様はしばらく考えたあと、少しだけ首を傾げた。
「では、ナーベラル様の好きなことを教えてください」
「私の?」
「はい。親睦を深めるなら、お互いのことを知るのが一番手っ取り早いでしょう」
私は考えた。
好きなもの。
アインズ様。
ナザリック。
至高なる御方々。
魔法。
「魔法です」
「魔法」
「はい」
「では、見せていただいても?」
予想していなかった言葉だった。
「見たいのですか」
「もちろんです」
ザナック様の目が、少しだけ明るくなる。
「俺はほとんど魔法を使えませんから。ナーベラル様ほどの方が使うものなら、見てみたいです」
褒められた。
人間に褒められたところで、本来なら何も感じないはずだった。
だが。
アインズ様の御友人。
そう考えると。
「……構いません」
私は立ち上がった。
室内では危険があるため、中庭へ移動する。
もちろん高位の攻撃魔法など見せるつもりはない。仮にほんの少し加減を誤れば、目の前の人間など簡単に消し飛んでしまう。
だから安全なものだけ。
小さな光。
僅かな雷。
殺傷力のない範囲で制御した魔法をいくつか見せた。
最初、ザナック様は少し離れて立っていた。だが一つ見せるごとに少しずつ近付き、やがて私の手元を覗き込むようになった。
「すごい……」
素直な声だった。
「これを戦闘で使うんですか?」
「これは玩具のようなものです」
「玩具」
「本来使用する魔法はもっと強力です」
「これで玩具なんですね……」
少し青ざめている。
それでも逃げない。
「怖いですか」
思わず尋ねた。
ザナック様は私を見る。
そして、少し考えてから。
「怖い……ですが、綺麗ですね」
「……綺麗?」
「はい」
私の手の上で、小さな電光が弾ける。
白く青い光。
普通の人間であれば、恐怖の対象でしかないだろう。
「危険なものなのは分かります。でも、こうして見ると綺麗です」
ザナック様はそう言って、ほんの少し笑った。
怖い。でも綺麗。
恐れる。でも近付く。
やはり、よく分からない人間だ。
「猫」
「はい?」
「もう少し近くで見ますか」
ザナック様は一度瞬いた。
それから。
「……いいんですか?」
「はい。ただし、触れないでください」
「分かりました」
一歩。
こちらへ近付く。
小さな身体が、すぐ隣まで来た。
私は手の上の光を少し弱める。万が一にも傷付けないように。
ザナック様はじっと見ていた。
その横顔は、思っていたより幼い。
人間としては成人なのだろう。
それでもナザリックの大半の者達と比べれば、あまりにも短い時間しか生きていない。
一度死んで。蘇生されて。
それでも、こうして知らないものを見て目を輝かせる。
「蝶々」
「今度はそっちなんですね」
「嫌ですか」
「いや、もう好きにしてください」
少し笑っている。
ならば問題ない。
「では、蝶々」
「はい」
「楽しいですか」
何故そんなことを聞いたのか、自分でも分からなかった。
ザナック様は少し驚いて、それから手の上の光へ視線を戻した。
「楽しいですよ」
即答だった。
「ナーベラル様は?」
私は。
少し考える。
親睦を深める。これは命令だった。
アインズ様の御友人。敬意を払うべき相手。
そう思ってここへ来た。
けれど。
「……悪くはありません」
答えると、ザナック様が笑った。
「それなら良かったです」
何故、貴方が安心するのだろう。
そう思う。
けれど口には出さなかった。
魔法の光を消す。
薄暗くなった手のひらを見ていると、隣から小さな声がした。
「また見せてください」
「構いません」
「ありがとうございます」
「ただし」
「はい?」
「次はもう少し強いものを」
「ふふ、楽しみです」
「安全対策はします」
少しだけ。
本当に少しだけ。面白いと思った。
「猫」
「はい」
「帰りましょう」
「今度は猫なんですね」
「気分です」
「やっぱり自由だ……」
並んで歩き出す。
最初に見た時は、ただの人間だった。
アインズ様が何故この程度の者を蘇生されたのか、理解できなかった。
今でも、全てを理解したわけではない。
強くない。特別な魔法も使えない。私より遥かに弱い。
簡単に壊れてしまうだろう。
それでも。
少なくとも、ガガンボではない。
アインズ様の前ではザナック様。
それ以外では。
まあ。
その日の気分で決めればいい。
「ナーベラル様」
「何ですか、蝶々」
「せめてどちらか一つにしません?」
「嫌です」
「即答……」
私は前を向いたまま歩く。
隣から聞こえる小さな溜息は、不思議と不快ではなかった。
次に会った時。
どちらで呼ぼうか。
そんなことを考えている自分に気付いたが。
別に。
悪いことではないだろう。