ツアレちゃんともお話しさせたい
ナザリック地下大墳墓、花畑。
昨日の外交会談を終えて、アインズ様は「息抜きに」とこの場所を勧められた。空はどこまでも澄み渡り、雲ひとつない快晴。だが、ここは地下。幻想の空が天蓋のように広がっているだけだと、頭ではわかっている。それでも──
「……綺麗だな」
思わず、声が漏れる。辺り一面に広がる色とりどりの花。鮮やかな赤、深い紫、淡い桃色。風もないのに、まるで呼吸するように揺れている。花弁に触れれば、ほんのりと温かい。これが死の支配者の領土とは信じられない。だが、だからこそなのかもしれない。美しさの裏にある異質な静寂が、むしろ彼らしいとさえ思える。
「おお、よっと……」
俺は花の咲き乱れる道をよろつき、ゆっくり歩いた。ナザリックでの生活にも、少しずつ慣れてきた気がする。そしてふと、アインズ様の横顔が脳裏に浮かんだ。
(……あの方も、時にはこんな景色を見て、息をついているのだろうか)
「おーい、ザナックくーん!」
陽気な声に振り返れば、ルプスレギナ様が小走りで近づいてくる。その後ろからは、シズ様も無言のままついてきていた。いつもの無表情ながら、どこか楽しげに見えるのは気のせいだろうか。
「ここにいるって聞いて、私たちも来ちゃったっす!」
「わざわざ御足労いただき、ありがとうございます……」
「…シロツメクサ…いっぱい…咲いてる」
そう言って、シズ様は足元の白い小さな花をしゃがんで摘み始めた。ルプスレギナ様もひょいと腰を下ろし、無造作に花を集めていく。
「ねぇザナックくん、花かんむり作ったことあるっすか?」
「……ないですね。いや、昔、妹が作っていたのを見たことは……」
「なら、いっしょにやりましょうっす〜! ね、シズちゃん」
「…教える」
手渡されたシロツメクサは、小さくて、やわらかかった。指先で編んでいくと、香りがふわりと立ちのぼる。こんな穏やかな時間が、自分にも訪れるとは思っていなかった。笑い声と、花の甘い匂いが空気を満たしていく──地下とは思えぬ空の下で。
─────────『アインズ視点』
花畑に足を踏み入れた瞬間、僅かな不安が胸をかすめた。自分が勧めたこの場所で、ザナックが本当に休めているのか。興味とかではなく、確認のつもりだった。遠くに、見慣れた小さな背と──その傍らに二人のプレアデスの姿。ルプスレギナとシズ。どうやら、彼女たちもここに来ていたようだ。
そこまでは想定内だった。
しかし問題は──その次。彼はシロツメクサの冠をかぶせられ、困惑しながらも笑っていた。ザナックの姿を目にした瞬間、俺の時間が一瞬、止まった。
「……っ」
息が詰まる、とはこういうことか。咄嗟に立ち止まり、顔を逸らそうとすらしたのに、どうしても目が離せなかった。シロツメクサの黄緑が、彼の金色の髪と白い肌に柔らかく馴染んでいる。陽の光のように見える人工の空の下、その姿は、まるで……
「……」
口元が緩むのを、どうにも止められなかった。胸の奥に熱いものが広がって、暴れて、どこにも逃がせない。ルプスレギナがザナックの肩を揺すり、シズが無言でもう一つの冠を編んでいる。ザナックは照れくさそうに笑い、されるがままだ。彼女達の気まぐれな遊びに付き合う。決して恐怖からではない。適応力が高いと言うべきか、彼はそういう男だ。
そしてその彼が──こんなにも、愛おしいなんて、どうして思ってしまったのか。
「……」
しばらくは、遠くから見ていることにしよう。今、この感情を悟られるわけにはいかない。ルプスレギナやシズに知られるのは、さすがにまずい。俺はため息をついた。ザナックのあの笑顔が、脳裏から消えそうにないからだ。
─────────
アインズ・ウール・ゴウンの私室。俺は黒曜の椅子にもたれながら、手元の水晶に映る光景を無言で見つめていた。映っているのは、ナザリックの談話室。セバスとザナックがテーブル越しに向かい合っている。湯気の立つティーカップ、穏やかに流れる時間。ザナックはセバスに何か話しかけた後、わずかに笑った。その笑顔に、無意識に指先を握りしめていた。
「……また、セバスか」
ぽつりと呟いた声は、誰にも聞かれない。はずだった。
「……お疲れでしょうか、アインズ様」
背後で声がした。デミウルゴスだ。俺は慌てずに支配者としての態度を整える。
「いや……少し、思案をしていただけだ」
「左様でございますか。何か問題があれば、私にもお申しつけを」
「……問題、か」
俺は視線を水晶から外し、立ち上がった。その動きは威厳に満ちている。だが、内心では──
(なんだこれ。俺、何にモヤモヤしてんだ?)
そう自問する声が止まらない。
(セバスが優秀で人柄もいいし、そりゃ、ザナックが懐くのも当然だろう。むしろ、俺より全然話しやすいはずだ)
だが。だとしても。
ザナックの笑顔は、いつも礼節と敬意に包まれている。それでも、今セバスに向けたような素の笑顔を、自分には見せてくれない──その事実が、胸に刺さるようだ。冷静に分析した。
(俺は支配者だ。ナザリックの主で魔導国の王だ。部下と"私情"で関わってはいけない……はずだ)
けれど、人間だった頃の俺、モモンガ……いや──鈴木悟という男なら。
「……くそ、やめろ、俺」
誰にも聞こえないように呟く。骨の手で額を押さえ、深く椅子に身を沈めた。
王としての自分と、ただ一人の男としての自分。その間に揺れる感情が、冷たい骨の胸の奥で暴れていた。"王の器ではない"という自覚。"それでも王であろうと努力する自分"。そして、セバスの隣で微笑むザナックに向けた、言葉にならない嫉妬。
(こんなことで、心が乱れるなんて……)
深く息を吸ったフリをして、立ち上がる。
(くだらない……)
「……見間違いだ」
そう言い聞かせることで、感情を押し殺す。ナザリックの主として、魔導王として、支配者に相応しい冷静さを取り戻すために。だが、その歩みの奥底に、ひどく人間くさい一抹の痛みが残っていた。
─────────『ザナック視点』
ナザリック談話室。
「おかわりをお持ちいたしましょうか」
「……ああ、ありがとうございます、セバス様」
温かな紅茶の香りが、カップから静かに立ちのぼる。薄い花模様の陶器の縁に唇を当て、ゆっくりと飲む。苦味はなく、柔らかな甘みが口内に広がった。
(……美味しい。)
魔導国で暮らし始めてから、味覚の驚きには事欠かないが。それでも、こうした慣れた味や静かな時間が落ち着くのは、たぶん。軽くホームシックになっているのかもしれない。
「……こういうの、久しぶりなんです。人と、こんなふうにゆっくり話すのは」
「そうでございましたか。ザナック様は、いつも気を張っていらっしゃるようにお見受けします」
「……ハハ、見抜かれてますね」
セバス様は微笑まず、ただ穏やかに頷いた。けれどその気遣いはわかる。彼のような相手なら、肩の力を抜いていられる──心が安らぐはずだった。そう思って彼に相談を持ちかけた。
(……それでも、俺は)
アインズ様のことを考えてしまっている。
ほんの些細なこと、例えば先日かけてくれたひと言や、目を逸らしたような仕草。紅茶を差し出してくれたときの、少し不器用な手の動き。
その一つひとつが、胸の奥でずっと燻っている。
なのに、今日は来ない。来てくれない。ハァ、と思わず小さく声が漏れ、カップを置いた。セバス様は表情を変えず、そこに居る。
──自分でも、分かってはいるのだ。
アインズ様にとって、自分は"ただの面白い人間"程度であり、きっと利用価値があるから保護されているに過ぎないこと。だから、こうして"日常"に浸れることが、どれほど特別で異常かも。
それでも。
(……今、あの方に「会いたい」って、思ってる)
口に出せるはずもない思い。
主を──王を想うなど、不敬を通り越して愚かだ。なのに、心の奥では願ってしまう。
"見ていてくれたらいい"
"傍に来てくれたら、もっと嬉しい"
そんな身勝手な希望を。
「種族が違う者同士が……仲を深める事って……セバス様はどう思っていますか」
突如、変な言葉が口から飛び出た。
(うぐっ……何を言っとるんだ俺は)
「悪い事ではないですね」
伏し目がちにセバス様は言った。
(そう、なのか。)
悪い事ではない。でも、良い事でもないのか。セバス様は俺に自力で答えを出させたいのか、それだけ言ってカップを持ち上げ縁に唇を当てた。もっと詳しく意見を教えてくれたっていいのにな。いや、俺はそうやって言い訳を考えたいだけか。
「……ザナック様、どうかされましたでしょうか?」
「あ……すみません。少し、考えごとを」
微笑みを浮かべてごまかす。けれどそれも、全て自分の本音ではない。
いつか、心から笑えるとしたら──それは、きっと。あの方が目の前にいる時だけだ。