ザナックはとにかく沢山の人に囲まれてて
寂しい思いしないでほしい
王国で、俺は"第一王子の予備"でしか無かった。
そう、ここでもそうだ。替えがきく。居なくてもいい。取るに足らない。誰もがバルブロを見ていた。バルブロを推すことが、父の機嫌を取る手段だった。俺に話しかければ、ボウロロープ侯の手が回る。"二番手"──その立ち位置を誰よりも理解していたのは、俺自身だ。静かな湯気の中、重い気配のない大浴場は、いつものように広くて静かだった。
誰もいない。今夜もまた、俺は一人だった。
「……ふぅ」
シャワーの音だけが、静けさをかき消す。ぬるめの湯で肩を流し、ぺたぺたと足音を立てて湯船にゆっくり脚を入れた。肩まで浸かり、壁にもたれて目を閉じる。何も考えないようにしていても、浮かぶのは──ナザリックでの日々だ。ルプスレギナ様とシズ様と一緒に花かんむりを作った。セバス様と紅茶を飲んだ。エクレアさんにも掃除技術をずいぶんと鍛えられた。けれど。
「……アインズ様」
ぽつりと名を呟いた。声が、湯気の中に溶けていく。最初はただの"支配者"だった。恐れるべき存在。抗うこともできない力。なのに───
『友人』
あの言葉は、胸の深いところに突き刺さったまま、今も疼く。俺には、そんなふうに言ってくれる者はいなかった。友人と呼べる者も、心を許せる相手も。そもそも、俺という人間に、誰かを惹きつけるだけの価値があるとも思っていなかった。それでも、あの方は言ってくれた。友人になりたいと。顔を上げて、広い天井を見つめる。
(……俺の空洞を埋めてくれる存在が、あの方だったら)
それは、叶わぬ願いかもしれない。
けれど、もし──その隣に、並んで歩ける日が来るのなら。湯の温度が、ほんの少し熱く感じた。
顎を伝う温かい滴が、何のせいなのか、自分でもよくわからなかった。
─────────『アインズ視点』
ナザリック地下大墳墓。浴場前廊下。
「……本当に、ちゃんと休めているのだろうか」
魔導王としての威厳ある態度の裏で、内心はそわそわと落ち着かない。自分から部下に息抜きを勧めておいて、その後の様子が気になって仕方がないなど、支配者としていかがなものか。だが気づけば、俺は自らの足でこの場所に向かっていた。
正確には、少し前から気になって何度か通りがかっている。決して、やましい目的があるわけでは──ない。
「彼は……ああいう顔を、他でも見せているのだろうか」
花かんむりを頭にのせた時、セバスと雑談していた時の彼の笑顔が脳裏に焼きついている。あれは──危険だ。
(落ち着け、俺。これは、部下とのビジネス上の交流。極めて正当な──)
ガチャ、と浴場の扉が開いた音に、反射的に振り向いてしまう。
「…………ッ」
濡れた金髪。湯気の中、真っ白なタオルを一枚まとった彼が、俺の視界に飛び込んできた。
彼の名を呼ぶ前に、俺は一瞬、息を呑んでしまった。
─────────『ザナック視点』
「アインズ様……?」
まさかこのタイミングでお会いするとは思っていなかった。全身から湯気を立てたまま、俺は慌ててタオルの端を掴み直す。
「わざわざご視察ですか…?」
「あぁ、君が……休めているか、心配で」
「お気遣い、ありがとうございます。フフ…ですが、俺がもし倒れても代わりになれる人間なんて沢山居ますよ。アインズ様の貴重なお時間を奪ってしまい…申し訳ないです」
「……何を、言っている?」
「本当に、そうでしたから。王国では、俺はあくまで"予備"でしかありません。友人もいませんでしたし。こんな無愛想な男、どこへ行っても、似たようなものです」
ぽつりと漏れた、いや…溢れ出した言葉に、アインズ様の眼窩の紅い光が揺れた気がした。
「……君は、自分のことをそんなふうに言うのか」
「えぇ……事実、ですから?」
するとアインズ様は、ゆらりゆらりと俺に歩み寄ってきた。
「──君は唯一無二だ。誰の代わりでもない、君に代わる者も居ない。少なくとも、俺にとっては」
「……アインズ様?」
その言葉に驚いていると、不意に抱き寄せられた。タオル越しに感じる体温と、骨の腕の確かな重み。
「な、なな、なぜ急に……っ」
「……君がそんなふうに自分を卑下するのが、俺には、どうしても我慢ならない……」
距離が近い。近すぎる。
「君は無愛想などではない。むしろ……良すぎるくらいだ。誰彼構わず笑いかけ過ぎだ。」
「え……えと、ですが俺の笑顔なんて……不気味で、皮肉めいてて……」
俺がそう言うと、彼の右手が頭を撫で、背中までおりて、ゆっくりと上下する動作を繰り返す。布が擦れる音が、広い脱衣場に響いている。
「君はどんな表情でも可愛らしいよ。」
その囁きに耳の奥が熱くなった。
「はぇ…?」
「それに、最近の君は愛嬌があり過ぎる。真剣に議論している表情も、真顔でぼーっとしている時も、もちろん微笑んでる時も……。君は気付いていないだろうが、"素"が出ているんだよ。」
(そんな…そんなに観察していたのか!? この人は……!!)
可愛らしい、愛嬌がある、素が出ている?
───恥ずかしい。恥ずかしい…!
ずっと、ずっと見られていたのか?
(くうぅ……)
心の中で変な呻きが出た。
別に悪いことをしていた訳ではないのに、無防備を晒してしまっていた自分が無性に恨めしい。今すぐ消えてしまいたいくらい恥ずかしい。なのに、その言葉一つひとつが胸の奥の奥まで染み込んで、広がっていく。
「そうだな。そうやって、顔を赤くして、目を潤ませている顔も…。初めて見たが…向けてくれるのは、俺だけだよな?」
「え……? え? あ、アインズ様が…望むなら……」
唇が震えて、俺は声を絞り出すのが精一杯だった。
答えた言葉は、俺の本音。俺に出来ることは、まだ分からない。それでも、この人が望むなら、俺の全てを捧げてもいい。こんなふうな考え、ここに来る前は「盲目の信仰だ」と片付けていた俺とは思えない。俺の目は自然と、暗闇の眼窩で光る赤色に惹き付けられた。ただの信仰ではない理由が俺の胸の奥にある。だが、それはまだ言えない。だって、こんな状況で自覚してしまっては、俺は……。
頬に触れる髪のしずくがぽたり、とアインズ様のローブに落ちるのを見て、我に返る。
「あ、アインズ様……ぬ、濡れますよ……! あの、まずはふ、ふくを着てから……っ」
「ッ……すまない。距離感を…誤った。君の体に傷がついてしまうよな…」
「いえ、そういう問題じゃなくて…!」
アインズ様はパッと離れて、行き場の無くした両手をわきわきと動かしている。
(なんだ、その手の動きは…!?)
湯気に紛れて、互いの言葉が空回る中、俺の心臓は飛び出しそうなほど高鳴っていた。この胸の高鳴りを、期待と呼んでしまいたくなる自分が、確かにここにいた。