ラナー視点です。
成長してからは「優しくて天才のお姫様」として認められたけど小さい頃は苦労したのかも
────『オウジョサマ』
やめて、私そんな名前じゃないわ。
けれど誰も聞いてなどいなかった。白く整えられた小さな部屋に、甘ったるい声が満ちる。
「今日はお外でお花を摘みましょうね、オウジョサマ」
「絵本を読みましょう。今日はうさぎさんのお話です、オウジョサマ」
「舞踏会の練習もございますわ、オウジョサマ」
いいえ。私は──
ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。
私には私の名前があるのに、誰もそれを呼ばない。
けれど、丁寧に名乗る必要はない。
この人たちは誰も、私を「人」として見ていないのだから。ある日、私はお父様──ランポッサ三世のもとに出向いた。王国の税制度について、新たな案を提案するためだ。まだ六歳の私に、重税がどうこう言ったところで誰も真に受けないだろう。けれど、村の焼け跡を絵で見たの。飢えた子供たちの顔を、本で読んだの。だから私は考えた。どうすれば税を軽くして、兵を養って、民を守れるのか。
「お父様。軍の一部を国有農地に配置して、余剰作物の買い上げ制度を設けてはどうでしょう。流通が偏っているのは、民の生活に不安があるからです」
言い切った。声も震えず、視線も逸らさなかった。
お父様は私の顔を見た。驚いたように眉を上げて、それから──
「ほう、ラナー。お前は、花嫁修業の一環でそういうことも学ぶのか?」
私の声ではない。お父様が見ているのは、私ではない。
「王女のくせに、面白いことを言う子」──それだけ。
私は笑った。柔らかく、そう、完璧に。教えられたとおりに、王女様らしく。
「……はい、父上。少しだけ、遊びのつもりで、……考えてみたのです」
それで"満足"したのか、父は微笑んで、私の髪を撫でた。温かい手だった。
───でも、重い。重すぎて、泣きそうになった。
書庫に行っても同じだった。
本を開けば、すぐに誰かがやってきて、「それよりもお人形で遊びましょう」と言う。政治書に触れようとすれば、絵本と差し替えられる。
私が知りたいのは、うさぎが靴を履く理由ではない。人が、人として生きる方法だ。
でも誰も、私の疑問に答えてはくれない。
答えどころか、耳を貸すふりさえしない。
王女様らしく、微笑んで、スカートを揺らして、愛らしくあること。
それだけを、誰もが望んでいる。
そう、だから私は──
王女様ごっこをしている。
この檻の中で、演じている。
名前を奪われ、心を隠して、今日も「ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ」は、誰にも見えないまま。
でもいつか。
誰かが、私の名前を、心から呼んでくれる時が来るなら──その日を、ほんの少しだけ、夢見ている。
──────翌日。
午後のおやつを食べ終えた頃、私はこっそり書庫を訪れていた。私のいつもの特等席、本の積まれた机の奥の席。誰にも見られない私に相応しい、面倒臭い干渉を受けない特別な場所。……だけど、今日は先客がいた。それは私のお兄様。ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフだ。
ザナックお兄様は、本を広げて熱心に読んでいた。
「…ん? あ、ラナーか。悪いな、お前の席だったか」
どう声をかけるべきかと、
思わず立ち尽くしてお兄様を見つめていた私に、声がかかる。
「いえ、特にそういうわけでは……! お好きな席でどうぞ、お兄様」
ふんわりと柔らかく、言葉も角が立たないように笑みを浮かべた。可愛いらしい妹を、模して。
「嘘つけ。いつもここで、コソコソと熱心に本を読んでるだろう?」
「へ?」
私の口から間の抜けた声が出た。メイドやお父様には一切気付かれていなかったのに、何故、このひとには気付かれたのか。私を、見ていたの? ずっと?
「お前、成績良いのにこれ以上勉強してどうするんだ? 何を目指してるんだ?」
「違います。何を目指してる訳でもなく、私は……知りたいんです! この世の何もかもを…知りたい。理解したいの…」
なのに、理解できないの。私は、お父様やメイドがわからない。何を考えて、何を思っているのか。
どうして、私は王女様なのか。
「ふーん。変なやつだと思ってたけど……お前も普通なんだな」
それまで口を閉じていたお兄様が、妙に納得したように言った。
(私が変人だと……?)
「ふ、普通…ってなんです?」
擬態出来てなかった。なら、お兄様から学べばいい。普通の妹になるために。
「さあな。普通に、頑張ってる?」
お兄様は首を傾げる。何故疑問形。
「それって、褒めてるんですか」
「褒めても貶してもない。」
したり顔をしてお兄様は胸を張った。
「そうですか、では」
この人、ただの阿呆だ。
そう思った私は、サッと会釈をしてその
「まてよ、妹。」
去ろうとすると、後ろからお兄様に右腕を掴まれる。
「なんです?」
鬱陶しく感じながらも、ニッコリとした笑顔を作ってから振り返る。
「俺たち……あまり会わないだろ? ここで会ったのもきっと必然だ。せっかくだから、一緒に本を読もう。」
そこにはぎこちない笑みを浮かべたお兄様がいた。
「申し訳ありません、私、舞踏のお稽古が……」
愛らしくも申し訳なさを滲ませた妹の声で応じる。
「いいだろ? 妹なんだから」
お兄様は言い切った。子供だ。
「いや、その前に私は王女……っ」
と言いかけると、ぐいっと強引に本の山の中へ連れ込まれる。
「ちょっと、……!」
「その前にお前は俺の妹だ。だから兄の言うことに従え」
「……そういうの、よくないんですよ。むりやりは。」
「ふ、フフッ………"かわいくないな"その顔。それでも王女かよ」
そう言われて、初めて気がついた。
私は眉間にしわを寄せ、いーっと口を歪めていた。
王女らしからぬ表情。もっと冷静に対応できたはず。なのに、なぜ……。
頬に手を当て、もにゅもにゅと揉んで"調整"をする。良くない。これは良くない。
「何してるんだ?」
お兄様が、ぽかんとした顔で訊ねる。
「調整です……。これは王女として良くない顔なので……!」
私がそう言うと、お兄様は無言になり、上がっていた口角が真一文字になる。
「なぁ、お前、もっと素でいいぞ」
「これが素です。」
私は即座に返す。ハッとして頬を押さえ、微笑みを携えた。
「それはすまなかった。」
口ではそう言いながらも、お兄様は、ふんっと鼻で笑っていた。
──────────
───────
お兄様を談話室に呼び出した私は、もう十年も前のことを思い出していた。
あの後、お兄様とは付かず離れず。
でも、お兄様はだんだんと阿呆では無くなっていったし、私も、お父様のことは理解できなかったけど、代わりに分かったことがある。
私は、王族で、王女様だから"価値"があった。
それ以外で私に価値を見出していたお兄様や、クライムが不思議だった。ほんの少しだけ。
私の行動源はずっと"興味"や"疑問"だった。
クライムに向けたこれは、本当に愛なのか。時折疑いたくなる。いつか、終わってしまうものなのかもしれない。
だから、私は行動する。
愛を象るために。
そう、お兄様に向かうコレも、きっと。
─────はぁ、と息を吐く。
布袋から、お兄様に焼いてきたクッキーを取り出す。用意したお皿に、丁寧に並べていく。
「食べてくれるかしら。毒が入ってる、と疑われるかもしれない」
ザナックお兄様は、ここに来てから、少なくとも私が見かけてから日に日に痩せていっている。
お兄様が昔好きだと言っていた、甘くて柔らかい、口の中でほろほろと砕けるクッキー。
(試食してみたら美味しかったから、クライムにもプレゼントしましょう)
お兄様はまだ利用出来る。その"価値"がある。
お兄様は、あのままだと死んでしまう。
私だって心まで悪魔になったわけじゃない。死んで欲しくないと思っている。それに、あの"ぽよぽよ"は昔から私のお気に入りだ。
「ふふ、ふふふ」
───ふと、クッキーを盛り付けたお皿を覗く。
陶器のお皿に映った私の顔。頬はほんのり染まって、柔らかく上がった口角、下がった眉。
ああ。
私───"本当の妹の顔"が出来たのね。