ザナック視点。
猫ちゃん扱いで良いのです。どっちかと言うとハムスターだけど
朝の光が、薄いカーテン越しに差し込んでいる。
アインズ様の私室と同じ棟に設えられたこの一室は、常に快適な温度と静けさが保たれていて、ぐっすり眠れるには充分すぎるほどだ。
……けれど。
「……なんだ、これ……」
俺は、両手で顔を覆って、ベッドの上で正座していた。掛け布団の感触すらも、なんだか落ち着かない。仕事の話だ。昨日、正式に命じられた。
──『君の仕事は、俺の膝の上に座っていること。それから、たまの外交補佐』──
おかしい。いや、おかしくは……いや、やっぱりおかしい。
「俺は、怠惰だ……怠け者の極みだ……」
国王の膝に座っているだけが自分の役割って、どこの貴族の飼い猫だよ。
しかもそれを"任務"として与えられて、はい分かりましたと膝に座った自分は──
「くっ……阿呆か……っ」
昨日のことを、思い出す。
不意に耳を責められたあの瞬間。
鼓膜すれすれで囁かれた「可愛い」の声。
ゾクッと背筋を駆け上がった感覚と、気づけば口をついて出た、あの、あまりにも"間抜け"な、
「ふあ……っ」とかいう……
「馬鹿か俺はあああああっ!!!」
ベッドの上で、バフッと枕に顔を突っ伏した。
思い出すたびに全身が熱くなる。心臓が、どくどくする。それなのに、なぜか、頬がゆるんでしまうのは──本当に、どうかしてる。……俺は、どうすればいいんだろう。骸骨の支配者の膝の上で、心まで甘やかされて、こんなに幸せを感じてる自分が、ちょっと……怖い。でも、アインズ様の声も、手も、
あのぬくもりも──もう、忘れられそうにない。
……そもそも。俺は、どうしてこんなに悩んでるんだ? アインズ様には……アルベド様という、あんなに美しくて立派で、完璧な女性がいるじゃないか。
ナザリックの頂点に立つ、正妻のような存在だ。
そう、夫婦だ。うん、夫婦なんだ。多分、きっと、そうだろう。だって、私室で二人きりで一緒にいたし、肩とか触ってたし、アインズ様のベッドからアルベド様の匂いが異様に香るし。なんか……二人の雰囲気がそれっぽい……!
「……やっぱり、俺なんかじゃ、ダメだ……」
諦めろ。諦めろ。それでも、何度も昨日のことを、思い出してしまう。耳に触れた骸骨の歯の、ひやりとした感触。
(だ、だめだあぁ…)
それとは真逆の、低くて、柔らかくて、あたたかくて──甘い声。
「可愛い」なんて、言われること、
そもそも俺の人生で一度もなかった。……もしかして。これも、その……友情の証、ってやつなんだろうか? 男同士の友情って……そういうスキンシップが、ある、ものなのか……?
「……ぐぬぬ……」
わからない。俺、友人なんて──初めてできたんだ。兄や妹ともあまり話さなかったし、父ともほとんど……そう……。だから、今アインズ様にしてもらってることが、友情なのか、それ以上なのか、それ未満なのか、まったく分からない。だけど。
「あー、もう……昨日、なんで……あんな声……」
自然とまた思い出す。あの囁き。耳への息づかい。
胸の奥がぞわぞわして、足が力入らなくなって……
腰が、勝手に……
「…………」
「……こ、興奮してるじゃないか俺……っ!!!」
ベッドの上で、ぴしっと固まる。
そのまま枕に突っ伏して、自分の頭をぐいぐい押し付けて、呻く。
「違うだろ!? 何考えてんだ馬鹿野郎!!! 俺は……アインズ様に仕える身だぞ!? 敬意と忠義があって……それ以上を……期待するなんて……っ」
このままではいけない。
頭を冷やさなければ。
理性を取り戻さなければ。
だが身体は逆に熱くなっていく。
──────『ザナック……』
アインズ様の囁く声。
「ふ、ふおおおお……!!! や、やめ」
脳裏では何度も、アインズ様の声が、仕草が、表情のないはずの骸骨の顔が、優しくて、甘くて、胸が苦しくて、──その瞬間、バランスを崩して、ベッドから転がり落ちた。
「ぐへっ!!?」
床にぶつけた腹を抱えながら、しばらく蹲る。
が、気持ちはもう落ち着いていられない。
もがき苦しむように立ち上がって、
ふらふらと壁へ歩いていく。
「……俺は、どうか、してる……っ」
額を壁にコツン、と当てる。
「可愛いって言われたぐらいで……」
コツン。
「膝に座らせてもらったぐらいで……」
コツン。
「耳に触れられただけで、むらむらして……」
ごん。
「……馬鹿か俺はあ!!!」
ごんごんごんごん!!!!
もう、耐えられなかった。
自分自身に、嫌気が差して。
自分の欲に。妄想に。勘違いに。
情けなくて、苦しくて、でも
「……あの声、もう一回、聞きたいとか……思ってる自分が……っ」
壁に額を押し付けたまま、震える。
顔は熱くて、目の奥がじんわりして、
息は、少しだけ、上ずっていた。好きになっちゃ……だめだ。こんな俺じゃ、ふさわしくない。分かってる。分かってるのに。また、アインズ様の手に、そっと撫でられたいって、思ってしまう。
「……って、"思う"なあああ!!!」
もう一度、ごんっと壁に頭を打ちつけた、その瞬間だった。
「はぇあ……?」
部屋の空間がびり、と揺れた気がした。
「───グレーターテレポーテーション」
低く、けれど慌ただしく切迫した声。
耳に届いた瞬間、俺は、反射的に振り返る。
「ア、アインズ様……!?」
現れた主の姿に、息が止まった。
あの方の目が、俺をまっすぐ見ている。
焦りと、驚きと、何より……俺への強い"心配"がその視線にこめられていた。
「ザナック、今の音はなんだ!? 大丈夫か!」
「い、いや、その、ちょっと、足を滑らせて!!」
言い訳にもならない苦しい弁明。
だがアインズ様は、すぐに俺の元に歩み寄って、そっと俺の額を覗き込んだ。
「……赤いじゃないか。ぶつけたのか……?」
「い、いえ! 大したことは……っ」
言い終える前に、アインズ様の指先が俺の頬に、額に、そっと触れた。──ひんやりした骨の感触。
だけど、それ以上に、優しかった。
「……痛みは? 腫れてはいないか……」
「……本当に、だいじょうぶ、です……」
弱々しく笑う俺の言葉に、アインズ様はほんの一瞬だけ黙り込む。
それから──指が、首筋に移動した。
「……体温が高い。どこか、具合が悪いのか?」
「へ……? い、いや、そんな……っ」
骨の指が、俺の首をぺた、ぺたと触れるたび、
どく、どく、どくん……!
「っ……」
耳の奥に、自分の心臓の音が響いてくる。
早鐘を打つような、いや、
まるで俺の動揺そのものが、脈打ってるみたいで。
(し、心臓うるさい……っ!!)
首筋をなぞるように触れるアインズ様の指が、やさしくて、そのやさしさが、たまらなくて、苦しい。
「……熱があるんじゃないか? 顔も赤いし、反応も鈍い。今、ナザリックの医師を──」
「ふ、普通ですよ……」
なんとかそう言ったけれど、次の瞬間だった。
視界が、大きく、ふっと揺れて、
「あ、れ……」
足元が抜け落ちたように、力が抜けていく。
ドサッ、と音がして、意識が闇に沈む寸前、
聞こえたのは、
「ザナック!!」
その声だった。
いつもの威厳ある、完璧な支配者のそれではなく。
どこまでも、必死で、苦しげで、取り乱した、……あの人"自身"の声だった。
「ザナック……っ! 頼むから……っ!!!」
その声音が、胸に染み込むように届いて、
俺は、意識を手放した。
──温かい。
この腕の中なら、きっと……。
(……俺、馬鹿だな……)
そう思いながら、俺はそっと、
夢の中へと落ちていった。