ザナックに幸あれ
※ザナックの過去捏造です
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ひっく、ひっく……
ぐすっ……っ、ううっ………。
小さな子供がすすり泣く声。
生温かい何かが、何度も頬を伝う感触。
「なんで……どうして…見てくれないの…」
ぐすっ、ぐすりと鼻をすする音。
誰か、慰めてやらないのか。
「大丈夫だ」と声をかけて、抱きしめてやるべきだろう。そう思うと、暗闇だった目の前が開けた。薄暗い、どこか見覚えのある寝室。
シーツに寝転がり、握りこんだ手にはくしゃくしゃになった紙。
─────思い出した。
泣いていたのは、俺だ。
子供の頃の。
夢の中…………? いや、やけにリアルな……
これは────俺の記憶?
手の中の皺だらけの紙の端には、"父上へ"とぐにゃぐにゃした下手くそな字で書かれていた。
否、当時の俺にしては上手く書けていた。父上に見せる為に何度も練習したのだろう。それは、「一緒にお茶をしましょう」という誘いであったり、「こんなに成績が伸びました」という報告であったり。
父上はそれを読んで、俺の気持ちを分かってくれて、そしてふたりでたくさん話をして……
でも、それは叶わないことを俺は知っている。手紙を書いて、メイドに渡しても、開けられた形跡のない手紙がまた返ってくる。
何通も何通も
直接渡そうとしても、"忙しい"とメイドに突っぱねられてしまう。分かりきっていた、だけど、何度も書かずにはいられなかった。
「っ、うぅ……ふ、うあああっ…」
俺はただ、家族らしいことがしたかった。
バルブロ兄上のように、上手く出来たら褒めて、悪いことをしたら叱って、ただそれだけのことを。
妹のラナーが産まれてから、父上の俺への僅かな興味も、一切無くなった。ラナーは、俺が同い年の頃よりも物事を覚えるのが早くて、みんなラナーの将来に期待している。俺には誰も向けてくれないそれが──心底羨ましい。
『きっとラナーは、俺が出来なかったことも成し遂げる。』
そうやって俺は、周りの大人と同じように、ラナーを自分の理想としてしか見ていなかった。妹は、可愛い。拙い言葉で、話す様子も、抱っこをせがんでくるところも。だけど、もしも、ラナーがいなければ……。そんなことを考えてしまっていた俺は、妹に近づくことを避けていた。
「うっ、う……ぐ、ッ」
俺は、泣いて、泣いて、夜を明かした
その時、───「…ク、ザナック!!」
と、耳につく大きな声が。
眉間に皺を寄せると同時に、びたんッと冷たくざらざらした布が顔全体に張り付いた。
「痛……。」
いつの間にか、ポカポカと体温が上がってきていて、なんだか頭の中にモヤがかかっている。
「見舞いに来てやったぞ」
はんっと鼻を鳴らして、偉そうな声が降る。
見舞い? これが? 冗談だろ。顔に張り付いた布を退けると、目の前には幼いバルブロ兄上が。
(あぁ。そういうことか。)
俺が六歳の頃、熱を出した時、一度だけバルブロ兄上が見舞いに来たことがあった。見舞いと言えるかどうかは別として、俺が倒れても顔を見ることも声をかけに来ることもなかった父上と比べ、兄上のこれは優しさが……。と思っていたが、手に抱えた布の異臭でまた思い出した。掃除用の雑巾を投げつけられたのだ。兄上は分かってやっていた。
そして、こんな善行と呼べぬ善行をしたのも、父上に褒められるため。
俺が熱を出して寝込む前、兄上が叱られているのを見た。それの埋め合わせのつもりなのか、幼い兄上は嬉しそうにニヤついていた。
「全く、お前はいいよなぁ。父上に叱られないで……。すごい怖いんだからな?」
叱られるような事をする方が悪いだろ。
この頃の兄上はイタズラばかりしていたからなあ……。
「お前が羨ましいな。」
だったら。代わってくれよ。
そんな言い返しもできず、俺は使い古された濡れ雑巾を弱々しく握りしめていた。
顔を上げると、気づけば、景色が変わっていた。
そこは、広々とした執務室。
だが、父のではない。壁に掛けられた地図と、机の上の分厚い帳簿。
──これは、かつての俺の勉強部屋だ。
背筋を伸ばして椅子に座る、小さな少年。
服の裾がまだ身体に合っておらず、袖口から細い手首が覗いている。机に広げた書物を真剣に睨みつけ、筆を走らせていた。
これが、九歳の俺。
「──王位継承は、バルブロ様で決まりでしょうな」
「第二王子殿下は……まあ、学問熱心なのは結構なことですが、政務には……なぁ」
壁越しに聞こえてくる、貴族たちの笑い声。
「お優しすぎるのです、あの方は」
「無能……とまでは申しませんが、せいぜい慈善家止まりでしょう」
筆が止まる。
震えた指で紙の端をつかみ、ぎゅっと握りしめた。
──ああ、思い出す。
あの時の俺は、悔しかった。
歯を食いしばって、声も出せなかった。
努力すれば認められると思っていた。
知識を得て、民の暮らしを知り、腐敗した貴族の在り様に気づき、
"このままでは王国は崩れる"と──本気で思った。
だからこそ、努力した。
しかし、返ってきたのは「不憫な王子」「期待はしていない」の声。
学ぶほどに分かってきた。
父は、王であることを放棄しつつある。
兄は、自分の楽しみと立場を最優先する。
そして、貴族たちは既得権益に溺れ、民など見ていない。
このまま、綺麗事を言う
"優等生王子"を続けていたら──
俺は、潰される。
「……ならば、俺が変わるしかない」
まだ子供の高い声。
本棚の硝子に、己の顔が映る。
幼く、弱く、頼りない。
────そうだ。ならば、仮面をかぶればいい。
"国の未来を案じる第二王子"など、存在してはならない。
"ただの、使えない、不遜なバカ王子"として生きれば────
貴族たちは安心する。
王位を争う相手がいなければ、兄は気を緩める。
誰にも期待されなければ、自由に動ける。
だが、これは
自殺行為だった。
貴族たちは、本当に俺を見下すようになった。
誰も話しかけてこない。
俺を推そうとした者は、ボウロロープ侯の圧力で左遷された。父は俺を叱りもせず、放任主義を貫いた。友人など──いなかった。
共に語り、志を分かち合える人間など、ひとりも。
「ふっ」
寝室の鏡の前。
朝、毎日そこに立ち、"不遜な王子"の表情を練習するのが習慣になっていた。
指で唇の端を引き上げ、薄笑いを浮かべる。
「ふん。貴様のような
下賤の者の考えることなど──」
声に張りを持たせ、眉を吊り上げ、傲慢に見せるように目を細める。
──演技だった。
全部、全部、演技だ。そのはずだ。
鏡に映る自分が、だんだん他人に見えていった。
ある夜。
勉強机の前で、頬杖をつきながら、俺は考え込んでいた。
「むう……」
このまま"仮面"をつけ続けたら、
本当の自分は──どこに行くのだろうか。
どこにもいない。
もう、いなくなってしまったのかもしれない。
でも、まだやめられなかった。
何故なら──
「……俺が、やらなきゃ。誰も、やらないからだ」
歯を食いしばって、目を閉じる。
その声は、自分に向けた決意の呟きだった。
己の仮面を深く被り直すように、
俺は、また、明日も"不遜な第二王子"を演じ続ける。
─────
────────六年後、俺は十五歳。
頬に丸みが出てきたあたり。
背丈は人並みに伸びた……はずだが、この先それ以上伸びることは無かった。
そして、身体は食べた分だけ素直に蓄える体質で、胸元から腹回りにかけてじわりと余分な肉が育ち始めていた。
「……ふん、好きに笑えよ」
朝の廊下、無言で後退ったメイドの口から漏れた「ひっ」という小声に、俺は内心でガッツポーズを決めていた。演技の成果、上々。
威圧感を生むために、敢えて表情を薄く、口調をぶっきらぼうに、不遜な王子を装って数年。
最近では、食器を置く音すら他人に怯えさせるようになり、メイドが俺の顔を直視しなくなった。
(このくらいが、ちょうどいい……)──と思っていたけど。誰かと普通に話したい、そんな夜もあった。
───「殿下、よく食うねぇ」
「……うるさいな、料理がうまいんだよ」
王城の厨房。火の匂いと香辛料の混ざった空気の中。ガタイのいい料理長のリュグルドが、まな板を叩きながら笑う。
「ま、よく食う男は見てて気持ちがいい。俺の作るもん食って太ってくれるなら本望だよ」
「……ふん。なら、もっと太ってやろうか?」
「いや、それは医者に止められん範囲で頼む」
無骨だが、どこか温かい。この人は──分かっていた。俺が、演技をしていることを。
だけど、……だから何も言わず、ただ料理を出してくれる。
「俺もな、もうすぐこの厨房ともお別れなんだ」
「……え?」
「嫁さんに言われてさ。次の春には隠居する。田舎で小さな宿でもやる予定だ」
ぽん、と大鍋の縁を叩く。
あっけらかんとしていたが、ぽっかりと胸に穴が空くような気がした。
「……そうか。寂しくなるな」
「おう。お前さんが腹減らして来ると、ちょっと楽しみだったんだよ」
「……」
この時、初めて、誰かに存在を楽しみにされるという感覚を知ったのかもしれない。
そして、ある日の午後。
「第二王子殿下。レエブン侯爵様が、お目通りを」
来た。噂の若き官僚貴族。老獪な策士の血を継ぐ聡明な男。そして──
「……単刀直入に言いましょう」
応接室。俺と二人きりになったレエブン侯は、茶も口にせず、真っ直ぐこちらを見た。
「あなた、仮面をかぶってますね?」
──瞬間、背筋に冷たいものが走る。
この数年、誰にも気づかれたことはなかった。
けれど、この男は──
「俺は、何のことか──」
「"本気でこの国を変えたい"と考えている。けれど、それを表に出せない。あなたはそういう目をしている」
一瞬の静寂。
そして────
「……面白いな、あんた」
俺は肩をすくめて笑った。
この仮面を暴いた相手と、正面から話すのは、初めてだった。
レエブン侯とは、その後何度か会談を重ね、政治的な意見を交わすようになった。
志は似ていたが、決して「友人」にはなれなかった。彼は「平和を守る」ことが目的だったが、俺は「国を守る」ことが目的だった。
似て非なる価値観。
だから、俺は最後に裏切られた。
だが───
(……裏切った、わけじゃない)
選んだのだ。自分の家族と、信じた理想のために。
その選択を、俺は責められない。
(……ナザリックにいるなら、また会えるだろう)
友人ではない。だが、共犯者のような──
ひとつの時代を一緒に歩いた仲間として。
ふっと、視界が揺れる。
────現実へ。
目の奥がじんわりと熱い。
多分、熱が下がりきっていないのか、頭がふわふわする。けれど。目の前には──
「……ア、インズ、様……」
懐かしくて、優しくて。
その姿が、焦点を取り戻す視界の中にあった。
「ザナックっ!!!」
次の瞬間、ぐいっと骨の腕に引き寄せられて、胸に抱きしめられた。
(おおっ…………!?)
「ザナック……っ! 良かった……っ、本当に……っ!! ザナック、ザナックっ」
無数に重ねられる名前。俺の名前を。何度も。何度も。あのアインズ様が、取り乱したような声音で。
恥ずかしくて顔が熱くなってくる。
骨の指が、髪を梳く。
額に手を当てられ、それが頬を撫で、今度は両手で顔を包んで、耳に指を添えて──
「まだ熱がある……すぐ治癒魔法を……いや、温かいものを飲ませた方が……枕の高さが……いや、それより汗を……!」
「……あの、アインズ様……」
「ん? なにか苦しいか? 喉か? 胸か? ああ、すまないっ、すぐに──」
「……大丈夫です」
ぽそりと、そう返すと、骨の腕の力が緩み、でも離れはしないまま、アインズ様が小さく、「そうか……」と呟いた。それから、アインズ様はずっと俺の額にその──骸骨の額を、そっと当てていた。
「……冷たくて、気持ちいいです」
「……そうか。なら、もっとくっついておこう」
そのまま、静かな、甘やかな時間が流れる。
アインズ様の手がぺたぺたと俺の頬に触れて、胸に引き寄せられて、俺の手を握って。
ずっと、ぺたぺた、ぎゅうぎゅう。
まるで俺が壊れ物みたいに、大切に、大切に──
ああ。これが、幸せなんだな。
そう思った瞬間、また涙がこぼれそうになって。
俺はそっと、アインズ様の胸元に顔を埋めた。
(……馬鹿だな、俺は)
けれど。こんなに優しくされて、
嬉しくならない奴なんて
どこにも、いない。