ザナック視点から。
たいせつ
たいせつ、たいせつ、たいせつ……。
その一言が、何度も頭の中でリフレインしていた。
アインズ様が、俺のことを「たいせつ」だと。
臣下や補佐官としてでもない、ナザリックの駒としてでもない。"俺"という存在そのものを──たいせつ、だと。
(……うそみたいだ……)
胸の奥が、ふわふわする。まるで長い冬のあと、初めて陽だまりに触れたみたいに。
(幸せすぎて、変になりそうだ……)
くすぐったい。なんかこう……あったかくて、気恥ずかしくて、嬉しくて、たまらなくて……
(こんな感情、俺は知らない……)
アインズ様は今も、俺のそばにいる。
骨の手でそっと髪を撫でてくれて、たまに頬を触って、何も言わずに優しく見守ってくれていて───
────────
─────
『────君は、もっと自分の心身を大事にしてくれ……。友人だろうと、主だろうと信用していようと……そんな簡単に身体を渡すことは危ない。』
ちがうんです、俺は……
主だから逆らえなかったわけじゃなく、貴方だから………あんなふうに。……もう、だめだ。
(こんなに、優しくされたら……)
頭のどこかが、ぷつんと弾けた気がした。
理性とか羞恥心とか、そういうものが、ふわっと霧みたいに消えていく。気づいた時には───俺の体が、勝手に動いていた。
「……あの、アインズ様……」
「ん? どうした?」
眼窩の奥の赤い光が、やさしく揺れた。
俺を見つめてくれている。
(……だめだ、正気じゃいられない)
自分でもわかる。少し逸らせば止められるのに、そうできなかった。もう、この胸の内を抑えるなんて、無理だった。そっと身を起こして、アインズ様に近づいた。心臓が、爆発しそうなくらい跳ねてる。喉の奥が、ギュウッと締めつけられて、苦しい。けど、止まらない。今更止められない。アインズ様の顔が、近くなる。無表情の骸骨が、こんなにも美しく見えたのは、たぶん初めてだった。
「……これは、その、"友愛の証"です……っ」
とっさに口をついて出た、苦し紛れの言い訳。でも、言ってしまったその勢いのまま──俺はアインズ様の頬骨に、そっと唇を押し当てた。
ちゅ。と水っぽい音。
冷たい。硬い。けれど、心の奥が、じんわりと熱くなった。その瞬間、世界がぐるんとひっくり返ったような気がした。アインズ様は、ピシッと体を固まらせたまま、ゆっくりとした動作で頬に触れ、そして、口元に手を当てて……
「……はぁぁ……」
と、深いため息をついた。
(あ、……やった)
……やった。
やってしまった。
(俺、なにやってんだ!?)
(ため息吐かれた!? 終わった!!)
内心、顔面崩壊の勢いで動揺する。脳が茹で上がっていく。
「……君は、ほんと、かわいいな……」
──爆発。
その言葉に、ぶわあっと顔が熱くなった。
心臓が喉元までせり上がって、目の奥がジンジンと滲む。
は? かわ、かわいい……? 俺が!?
(何が……!? どうして!? なんでため息からそれなんだ!?)
自分でもよくわからなかった。喜んでいいのか、恥ずかしがるべきか、どこからどうツッコめばいいのか……
(やばいやばいやばい!!! 今の、何なんだ!? 俺、阿呆か?)
「友愛の証」って、なんだ!? 冷静に考えたらとんでもない言い訳だろ……! しかも頬骨!?頬!?どこにキスしてんだ俺!!
(うわ……アインズ様、なんて顔してた!? 引いてた!? だけど…かわいいって言って……?)
ぐるぐると脳内が回転し続ける。そして、胸の奥に、ズシンと重い感情が広がり始めた。
(いやいやいや……だめだろ。俺なんかが、そんな……)
(アインズ様には……アルベド様がいるのに。正妻じゃないって言ってはいたが…………
本当に…………?)
──きっと、"たいせつ"って言葉だって。
それは、"友人"としての話だ。
それ以上を望むなんて、おこがましいにも程がある。
(……っ)
視界が、じわりと滲む。
喉の奥がつまって、息が浅くなる。胸の中に、暗くて重たいものがじわじわと溜まっていく。
(俺、調子に乗った……)
(少し優しくされたからって、浮かれて、期待して、勘違いして……)
(気持ち悪い、最低だ……浅ましい……)
ぐるぐると思考が渦巻くたびに、体の奥が冷えていくような気がした。
(……所詮、俺なんて──"下等生物"なのに。
──愛される側の人間じゃない俺が。)
─────────『アインズ視点』
ふに……っ。
──数秒。世界から音が消えた。
(……今、何が起きた?)
やわらかい感触。まさか──いや、間違いない。
ザナックの唇が、俺の骨に、キスをした。
「友愛の証」などと無理な言い訳を添えていたが、問題はそこではない。……崩れた。理性、自制心、支配者としての威厳、すべてが一瞬で崩壊した。骨の粉になって、感情という名の炎に燃やされた。
(……ずるい。ずるい、ずるい、ずるい……)
俺がどれだけ抑えてきたと思っている!?
どれだけ触れたいと願って、でも触れないと決めて、"看病だ"と自分に言い聞かせてきたと思っている……!!
指一本、唇一つすら、欲しくて欲しくてたまらなかったのに───
こっちの気も知らないで、そんな無邪気に、そんな真っ直ぐな目で……っ!!
(……っ、俺が、どれだけ……)
こみ上げる激情に喉が焼ける感覚を覚えた。
怒りじゃない。苦しみでもない。
ただただ──愛しさが、止まらなかった。
「……君は、ほんと、かわいいな……」
口をついて出たその言葉は、もはや支配者のものではなかった。
────ただ、ひとりの男が、
自分を差し出してくれた存在に、心を奪われて、どうしようもなくなって、それでも壊してしまいたくなくて、精一杯に愛しさを込めて、絞り出した言葉だった。ザナックのその誰にも触れさせたくない体を、抱きしめたかった。この冷たい腕で、壊れないように、そっと包んでしまいたかった。けれど──今それをしてしまえば、もう。本当に、戻れなくなる気がした。