ザナック視点から。
完全に子犬ザナックくん
会議が終わって、外交官たちが三々五々に去っていく。張り詰めていた空気がほどけ、あちこちで安堵の吐息が漏れていた。
(……よし……!)
部屋を出るとき、俺は周囲に誰もいないのを確認してから──
「フフ……ふへへっ……」
おっと。思わず口元が緩んだ。
うまくいった。ちゃんと、アインズ様の顔を立てるように話せた。足は震えていない。声も裏返らなかった。──うん、ちゃんと補佐官だった。
(これでアインズ様にも、少しは……ご迷惑かけずに済んだよな……!)
嬉しくて、心の中が温かくて。でもそれだけじゃない。もっと……もっと、あの人の声が聞きたかった。
(……「よく頑張った」って……)
あの人の手で、頭を撫でてほしい。
「いい子だ」って、言ってもらえたら──そんな気持ちが膨らみすぎて、気づけば俺は早足になっていた。
「あ、アインズ様……!」
廊下の奥から現れた、大きな黒衣の骸骨の王。
アインズ様……。
小走りに向かう。足音がぺたぺたと廊下に跳ねた。自分でも少し、はしゃぎ過ぎだなって思ったけど、止まらなかった。
あの人にだけ、見てほしかった。
─────────『アインズ視点』
廊下を曲がったところで、見慣れた金髪がぴょこんと現れた。ザナックだ。あの子が、小走りに俺のもとへ駆けてくる。
「アインズ様……!」
目を輝かせて、長い上着を揺らしながら。
ぱたぱたと足音を立てて、まるで犬が尻尾を振ってるように。
(あー……可愛い……そんな顔でこっちに来るんじゃない)
俺の前で立ち止まって、キラキラした目を向けてくるザナック。
気づけば、もう手を伸ばしていた。彼の頭にぽんと手を置いて、やさしく撫でる。金色の柔らかい髪が、手を動かすたびにさらり、と指に沿って流れる。
「よく頑張ったな。いい子だ……」
その言葉に、ザナックが一瞬ピクッと体を震わせた。でも──なぜだろう。ほんの少しだけ、寂しそうな顔をしたのが見えた。
(……まだ、足りないのか?)
その表情を見た瞬間、俺の中で何かが弾けた。
「……よし、来い」
ぐいと引き寄せて、軽く抱きしめる。
「ほぇ……!?」
驚いたように目を丸くするザナック。
でもすぐに、表情がふにゃりと緩んだ。
「……ん、ふへへっ」
眉を下げて、口元がほころんで、抱きしめ返してきた。その笑顔は──まるで小さな子供みたいで、外交の場で見せていた厳しい表情とは別人のようだった。
(……やっぱり、これだよ)
俺しか知らない表情。
俺だけに向けてくれる笑顔。
──そんな時だった。
廊下の先で、数人の他国の外交官がこちらを見ていた。
「……今、陛下が……補佐官殿を……」
「抱きしめていたぞ……!」
「もしや……」
(……!!!!)
見せたくなかった。反射的にローブでザナックの表情を隠した。ぴょこ、と飛び出た金髪だけが外に覗いている状態だ。
「……アインズ、様?」
「見られた……見られた……」
ブツブツと独り言を呟く俺は、即座に転移魔法を詠唱した。──目的地は、私室だ。
ぱ、と転移を終える。静まり返った部屋に、戸惑いながら立つザナック。
「え、え? いきなり……?」
「静かに」
ぐいと近寄り、彼の体を俺の大きな影が覆い尽くす。頬を両手で包んだ。すべすべで柔らかい頬が、骨の手にふにゅっと馴染んだ。
「にゃんれすか……?」
「……ザナック。だめじゃないか……見られて……」
もにゅもにゅと頬を揉みながら、俺はブツブツと呟く。
「君が……可愛いから……あんな、見せびらかすような真似を……」
「はひ? お、俺はっ、べ、別に……!」
ザナックが焦って言い訳をしようとする。
でも、顔は真っ赤で、嬉しそうににんまりしていて──ああもう、好きすぎる。世界に晒したくない。俺だけのものにしたい。いやでも、自慢したい。
俺の友人は、補佐官は……こんなにも"可愛い"のだと。
「ううぅ……あいんずさまあ……?」
頬をもにゅもにゅと撫でながら、
俺はとっくに理性の縁を歩いている。
「ザナック……」
俺は彼の頬を両手で包んだまま、目を細め──いや、目はないから厳密には"気持ち的に"細めていた。彼を失いたくない、と強く思った。
「君は……俺の、友人だ」
自分でも驚くほど、声が掠れていた。
けれどその言葉が、本心だと何よりも分かっている。
「君は、俺の、たった一人の友人だ。誰よりも近くて、誰よりも……大事な……」
「……アインズ様……」
ザナックが、ぎゅうっと俺のローブの裾を掴んだ。
その指先が震えているのを見て、俺の胸骨のあたりが何かで満たされたようになる。
「俺にとっても……アインズ様は、唯一の友人です」
その言葉で、とくんとくんと俺の胸に何かが満たされていく。なんだそれは。そんな顔で、そんな声で、そんな優しさを俺に向けるな。嬉しさと同時に、情動が爆発する。思わずザナックの手を両手で包み込む。指が絡む。離れない。お互いの手を握り締め合う。
「ザナック……ああ、ザナック……」
抱きしめた。今度は迷わず、ぎゅっと強く──もう、潰してしまうんじゃないかってくらいに。
「君を……抱きしめたい……。ずっとこうしていたい……」
「いやもう! してますから! 俺、今思いっきり抱きしめられてますから!!」
眉を寄せた真面目な顔の彼に、ぴしっと突っ込みを入れられて、反射的に吹き出しそうになる。かわいい。なにこの子、かわいすぎる。俺の首の下で笑うザナックの金髪が、さらさらと揺れる。ふと、顔を近づけたくなった。
我慢したくない。
「……金色、綺麗だな」
軽くキスを落とした。
頭、額、こめかみ、頬。
──唇ではない、けれど柔らかく、優しく、触れる程度に。
(うん、今度は痕をつけないように…)
ザナックは顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせている。震えて……目を伏せてからふいっ、と顔を背けてしまう。
「……っ」
その横顔の、首筋に──目が止まった。
昨日つけた痕。小さな赤い、いやらしくも誇らしい印。
(俺の…俺が付けた…)
気がつけば、指が伸びていた。
そっと、撫でるように痕をなぞる。自分の骨の歯が、その柔肌に沈む感触を思い出す。指先が止まる。……そして、こぼれた。
「好きだ……」
思わず漏れた言葉に、ザナックの肩がビクリと震えた。
「す、好き……?」
ぽやぽやと、思考が追いついていないザナック。
それでも彼の顔はどんどん真っ赤になって、湯気でも出そうなほど。
(……ああ、可愛い。可愛い、ザナック)
「え、あ…………」
でも彼が返事をしない。言葉が出ないらしい。だが、彼はそっと、震えながら腕を伸ばして俺のローブを握った。だから、また抱き合ってしまう。
すると──ザナックが小さな声で言った。
「アインズ様、安心する……いい匂いがします」
「……俺は骸骨だぞ? 無臭のはずだが」
「でも、しますよ……」
ぐい、と身を寄せてくるザナック。
その小さな鼻が、俺の胸元に埋まり、くんくん、と音を立てて嗅ぎ始める。
「……やはりいい匂い……」
「お、おい、ザナック……!?」
驚いて言葉を詰まらせた。
「お返しです……」
そのまま、自然と……いや、もはや必然のように、ザナックの体が押し寄せてきて、
だんだんとベッドに追いやられ、俺の体をベッドに押し倒すような形になった。
(……な、なんでこうなった)
俺の上に跨るように、ザナックが嬉しそうに胸骨のあたりを撫でている。小さな手が、骨をなぞっていく感触。首元をくんくんと嗅がれ、思わず天を仰ぐ。
(だ、だめだこれは……!!)
俺には、肉体がないはずなのに、確かに"高ぶって"いた。骨なのに。感覚があるわけじゃないのに。
──いや、ある。
魂が、今この瞬間にだけ確かに存在している。
彼のぬくもりに、心が熱を持ってしまう。
(だめだ……このままだと、ザナックの太ももとか、柔らかそうな尻とか……いや!!)
下手に手を動かせば、取り返しがつかない。この子の信頼を、俺の理性の敗北で台無しにしたくない。
「ザナック」
「あっ……はい?」
「すまない……少し離れよう。」
俺は、そっと彼を抱き上げた。まるで子猫のように、ひょいっと。思ったよりだいぶ軽くて、力を強く入れすぎそうになる。そしてベッドの端に座らせ、自分はその向かいに距離を取って座った。
「……え? え? どうかされましたか?」
目を丸くして首を傾げるザナックが、あまりにも無垢で、胸が痛むほどだった。
「ザナック」
「はい……?」
「君は魅力的だ。……だからこそ、気をつけてくれ。誰にでも今みたいに近づいては、だめだ。君は、誰かに襲われるような距離感を平然と取る。俺は………俺だからまだいい。けど、君が無防備すぎると……本当に危ないんだ」
彼を真っ直ぐ見つめた。
(分かってくれ……。)
ザナックの瞳が、揺れている。
ほんの少し間を置いてから──
「……すみません。でも……アインズ様には、いいと思ってしまって……申しわけ、ないです」
なんでそんなかわいすぎる言い訳がある!?
(……この子は、俺が守らなきゃいけない)
(絶対に、誰にも……触れさせない)
ぎゅう、と拳を握る。
けれど、同時に空っぽのはずの胸の奥が温かくて。ザナックの視線がふわりと落ちて、照れくさそうに呟いた。
「でもやっぱり……アインズ様といると、安心しますよ。」
……どうしよう。なぜ今まで知らなかったんだ。こんなにも愛おしい存在を。
(俺は何度、君に掻き乱されるのか。)
そんなことを考えるけれど、それを嫌だとは思ってない。嫌なはずがない。むしろ、もっと掻き乱してほしいと思っている。