公式の、後戻り出来ない感が本当に泣く
昼下がりの、大広間。
会議の場は、常に張り詰めた空気に包まれている。この場にいるすべての存在が、ただ一人のために動いている。
魔導王、アインズ・ウール・ゴウン。
その人のために。俺も、そのはずだった。だが、どうしてか最近のアインズ様の雰囲気は、やけに重く見えた。いや、口数が減ったとか、声が小さいとか、そういうわけじゃない。
たぶん、他の誰も気づかないだろう。それでも俺には、分かってしまった。"あの人の中には、どうしようもない孤独がある"。
「──では、今後の戦略都市についての統治案ですが……」
アルベド様の声はいつも通り凛としていて、明晰だ。隣ではデミウルゴス様が僅かに顎に手を当てて頷いている。シャルティア様やコキュートス様もそれぞれの立場から意見を述べ、それをアウラ様とマーレ様が補足した。
完璧な連携。
そして、何よりも……全員が"アインズ様を中心に"動いていた。俺も、資料を片手に必死でその輪の中に食らいつく。理解の速度では到底追いつけないこともある。言葉の意味を追うだけで精一杯で、思考が一拍遅れる。それでも、置いていかれないように、必死で食らいついていた。
ふと、視線を向けた。アインズ様が、俺たちの話を静かに聞いていた。それはいつも通り。ただ、今日は──違った。どこか、目の奥が遠い。いや、彼に目は無い。それでも、その眼窩の淡い光は確かに"どこも見ていない目"だった。まるで、心が別の場所に置き去りになっているような。それは、かつての俺自身を見ているようでもあった。虚無を飲み込んだまま、そこに立っているだけのような。何故だか、急激に背が冷える感覚に陥る。
「……ザナック様?」
「っ、はい!」
アルベド様に呼ばれて慌てて前を向く。
何か聞かれていたらしい。周囲の視線が集まっていた。
「あっ、すみません。少し考えていて……」
「君の意見は?」と、今度はデミウルゴス様。
しっかりしろ。冷静に……冷静に考えて答えろ。
俺は資料をめくり、少しの沈黙ののち、持論を述べた。内容には確かな自信があった。
それは、昨夜アインズ様と過ごした時間があったからだ。自分の弱さを認めて、生きていていい。そう思えたから。
答え終わると、周囲からは静かな評価の空気が流れた。誰も文句は言わない。けれど、それ以上の反応もなかった。
そういうものだ。俺は人間だ。この場では、どうしたって異質だ。それでも、ここに立たせてもらえているだけで、奇跡だと思っていた。だけど、アインズ様の視線が、俺を通り過ぎていった時。その虚ろな光が、俺を映していなかった時。
──その瞬間。気づいてしまった。この人は、俺と似ている。"至高の存在"として崇められているのに、誰にも"個人として"見てもらえていない。いいや、本当の彼を誰も知らない、知ろうとしないのだ。あれだけの忠誠と尊敬に囲まれて。すべてを思い通りにできるはずなのに。昨夜、俺の隣で「食べることはできないが、そばにいたい」と言ったあの人は、あまりにも、普通で。やはり、寂しそうで。俺は……アインズ様は満たされていて、余裕があって、だからこそ俺を気まぐれに拾ってくれたんだと……思っていた。だけど、違った。欠けているから、渇いているから、俺に何かを求めてる。それが、どうしようもなく嬉しかった。なんで俺なんかが。あの人の孤独に気づいてしまったんだ。気づいたところで、何もできないのに。あの人に手を伸ばしたって、届くわけないのに。心の奥で、言葉にならない痛みが渦巻く。
会議が終わり──皆が去っていった後も。
俺は一人、席に残っていた。アインズ様の背は、すでに遠くへ消えていた。それなのに、俺の胸の奥には、残っていた。あの空虚。
「……あんな、穏やかな顔をする人なのに」
誰にも気づかれないまま、孤独を抱えて。
それでも皆の王として立ち続けて。俺だけが、気づいてしまった。そのことが、どうしようもなく、怖くて、愛しくて、苦しくて。
思わず胸元を掴んだ。感情が、収まらない。
(……どうすれば、あの人の孤独を、少しでも和らげられる?)
問いは、まだ答えを持たなかった。
けれど、ちっぽけな俺は、とにかく進むことしか知らない。
俺は、アインズ様の私室に向かっていた。
その歩みは、決して軽やかとは言えなかった。
廊下に響く靴音は、どこか頼りなく、不安定で。頭の中に渦巻くものをどうにも整理しきれずに、ただ前へ、前へと足を進めていた。
(……どうして、気づいてしまったんだろう)
それでも足だけは止めることはできなかった。止まってしまったら、きっと、今にも押し潰されてしまいそうだったから。
アインズ様は、あの時あんなに穏やかな声で「隣にいたくて」と言ってくれた。
骸骨の体で、ちゃんとその心の温もりを伝えてくれた。でも。あの眼窩の奥にあった空虚を見てしまった。神のように崇められているはずのその人が、たったひとりで孤独を抱えていることを、気づいてしまった。
(俺に、何ができる……?)
問いの重さに胸が痛む。けど、何もできないままでいることの方が、もっと苦しい。今はただ、この想いを、少しでも届けたい。答えも、方法も分からないままでも。たとえそれが、ただの自己満足であっても。そんな気持ちが、俺をアインズ様の部屋へと向かわせていた。その途中だった。
「ザナックくん、どーしたんっすかー? 暗い顔して」
突如として背後からかけられた、妙に明るい声。このナザリックで、このテンションで声をかけてくる存在なんて、限られている。
振り返れば、案の定。
ルプスレギナ様が、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべて立っていた。編まれた赤髪を揺らしながら、まるで面白い玩具でも見つけたような顔をして、俺の顔を覗き込んでくる。
「……分かります?」
「だって、何だかすごい重い空気を纏っていたっすからねえ」
彼女は顎に指を当て、うんうんと頷く。
ふざけているようでいて、ちゃんと見ているのだ。この人は、そういう存在だ。戯けたように笑っていても、その瞳の奥では全てを見透かしている。あのラナーに通じる、"本物の狂気"を併せ持っている。
「立ち話もあれっすから……今から私とお茶するっすよ!」
唐突な誘い。有無を言わせないような明るさ。
……本当は、アインズ様の部屋に行くつもりだった。が、今のこの胸のざわめきは、自分ひとりで抱えるにはあまりに重すぎた。ルプスレギナ様のこの申し出は、きっと偶然じゃない。今は、誰かに話したい。話してしまいたい。この人なら。今は、甘えてもいい気がした。
「……お願いします」
自然と、そんな言葉が口からこぼれていた。
彼女は満足そうに「よっしゃー」と拳を握ると、くるりと踵を返して歩き出す。
まるで、俺が来るのが当然のように。
その背中についていきながら、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。ナザリックの石造りの廊下が、いつもより柔らかく目に映った。