ルプー好き。プレアデスはザナックともっと絡ませたい。
ナザリック第九階層、テラス付きのとある一室。円卓と上品な椅子。自然に囲まれ、落ち着いた空間。そして、テーブルには香ばしい焼き菓子と、果実の浮かぶ透明なドリンク。
「ん〜〜っすっごく良い香りっすよね〜、このパイ。ザナックくん、食べて食べてっす!」
ルプスレギナ様は、期待のこもった笑顔で皿を押し出してくる。サクッとした音と共に、焼きたてのパイからは甘酸っぱいリンゴの香りがふわりと立ち上った。
「……あ、うん。ありがとうございます」
ひと口。外はパリパリ、中はとろり。甘みと酸味が口に広がる。思わず、頬がゆるんだ。
「美味しい……」
「お〜〜やっと笑ったっすね、ザナックくん!」
ルプスレギナ様が嬉しそうにこちらを覗き込む。その仕草も言葉も、計算なのか天然なのか、いまだに分からない。けれど少なくとも、悪意のない温かさがあった。果実水を口に含むと、爽やかな清涼感が喉を潤す。……不思議と、胸のつかえがほんの少し、軽くなるような気がした。
「……俺、最近思うんです」
「ん?」
パイを頬張る彼女に、俺は言葉を探しながら続けた。
「アインズ様は、完璧な支配者で、絶対的な存在だけど……」
「……」
「それでも、精神が疲れることって、あるんじゃないかって」
ルプスレギナ様の目が、一瞬だけ細められる。
ふざけた色の無い、多分だが……ナザリックの"戦闘メイド"としての瞳だった。
「それで?」
「……癒したいんです。少しでも。俺なんかに何ができるか分からないけど、それでも……」
全部は言えなかった。"もうどうにもならないほどの孤独"を見てしまったこと。あの人の背に、空っぽの夜のような静けさを感じてしまったこと。それを口にしたら、きっと、自分でも保てなくなりそうで。だから俺は、ほんの一部だけを差し出した。けれどルプスレギナ様は、ふっと目を細めてから言った。
「アインズ様を癒す方法っすかあ……」
「…………」
二人して、顎に手を当てて、同じように「うーん」と唸る。静かなテラスに、間の抜けた声が二重に響いて溶けた。
「……あ、あったっす!」
パッと顔を上げたルプスレギナ様の瞳が輝いていた。
「ザナックくんのお腹っすよ!」
「…………は?」
「お腹! ぷにぷにのお腹を、アインズ様に揉んでもらうっす!」
彼女は真剣な顔で言った。
「いや、ちょっと、何言って──」
「私もね、ザナックくんのお腹ぷにぷにしてると、ほんっと癒されるっすからね〜〜〜!」
そう言って、いきなり俺の腹をむにっと両手で挟む。
「や、やめてくださいっ!? 恥ずかしいのでっ!」
「ぷにぷにっす〜〜! あ〜〜癒されるぅ〜!」
「ちょっ…」
けらけらと笑うルプスレギナ様。むくれながらも、俺はもう否定しきれなかった。
……確かに、アインズ様は前に言ってくれた。
「そこが魅力だ」
「癒される」
「かわいい」
その言葉たちを思い出すたび、心がくすぐったくなった。
(癒される……?)
俺のどこがだ。だが、骸骨の王にそんなことを言われただけで、何故か顔がぽっと火照る。
思わず頬に手を当てる。あの人の声が浮かぶたび、胸の奥が甘くあたたかくなる。お茶会の終わり、ルプスレギナ様は「健闘を祈るっすよ〜〜」と手を振ってくれた。俺は、ちょっと情けない顔で頭を下げて、それでもしっかり歩き出す。
──廊下の先に、アインズ様の私室。
深く息を吸って、吐いた。緊張と期待と、わずかな希望。そして、扉に手をかけようとした瞬間。
「──っ」
がちゃり、と扉が内側から静かに開いた。
現れたのは、やはり彼。漆黒のローブ、眼窩に揺れる赤い光。言葉は無かった。ただ、その骨の手が、俺の腕を迷いなく引いた。
「ア、アインズさま──っ」
一歩、二歩と引かれ──そのまま、ベッドに背中を落とされた。どさ、と沈む柔らかな感触。
その上に覆いかぶさるように、アインズ様が俺を抱きしめる。
「……ア、アインズ様?」
驚きと、戸惑いと。それでもその腕が、背を包んでくれるだけで、心臓がどくどくと暴れ出す。けれど、骨の胸板は硬くて、ローブの布越しの冷たさもあって、どこか……心地よかった。
「……」
俺はそっと、両腕を彼の背に回した。硬い背骨に触れる。それでも確かに、"誰かの体温"を抱きしめている気がした。何も言わなくていい。
今は、こうしていられるだけで、いい。
そう思った。
─────────『アインズ視点』
今日の会議も、無事に終わった。
……無事に、か。そんな言葉で締めくくって良いのかどうか、自分でも分からない。
皆の忠誠、提案、言葉の一つ一つは完璧だった。いや、完璧すぎるほどに。
(俺が、いなくても…………同じように動くんじゃないか──)
そんな考えが、一瞬でもよぎった。声を上げる必要もなかった。表情を動かす必要もなかった。何かを強く主張することも、必要なかった。
(……まるで、人形みたいだ)
誰も俺に「どうしたんですか?」と尋ねたりはしない。それが当然だ。彼らは俺を"完璧な支配者"として扱っている。いや、そうあるべきだ。俺自身が、そう望んだんだから。
けれど……。
(……ザナックだけが、俺を「見た」)
あの青年の視線だけが、違った。たぶん気づかれてしまった。俺の、目の奥にある──
この、形にならない、"寂しさ"に。彼があの時、俺をまっすぐに見て、少しだけ戸惑うように口を結んだ。でも、何も言わなかった。それが、痛かった。けれど同時に、嬉しかった。
(……なんて弱いんだ、俺は)
寂しいだの、見てほしいだの、まるで子供じゃないか。アンデッドで、支配者で、皆にとって最上の存在のはずなのに──。
──音がしたわけじゃない。
それでも、扉の向こうに彼が立っている気配があった。思考が消えた。気づいたら、体が動いていた。我慢できなかった。
がちゃり、と扉を開ける。驚いた顔で立つザナックの手首を、言葉もなく引いた。
「え、ア……アインズさま──っ」
その声を背に、まっすぐに部屋の奥、ベッドへと進む。そして、そのまま押し倒すように、彼の身体を受け止めた。柔らかい感触が、腕の中にあった。
(……ああ、本当に、柔らかい)
この感触が恋しかった。
この重さが、温かさが、欲しかった。分け合いたかった。たとえ俺には"体温"がなくても。
「……ザナック……」
低く呟いた名前は、自分でも驚くほど掠れていた。そのまま抱きしめる。骨が擦れる音がした。けれど、彼は怖がらなかった。
むしろ、そっと、俺の背に手を回してくれる。
小さな手。人間の、やわらかくて頼りない手。
(──でも、こんなにも、安心できるなんて)
俺は、今この瞬間だけ、支配者でも、統治者でも、ギルド長でもない。たったひとりの、さびしがり屋の、"鈴木悟"だった。彼の手が、俺の背を撫でる。それは、求められるような仕草じゃなくて、ただ「ここにいるよ」と伝えてくれるような、静かな抱擁だった。言葉や肯定は求めない。ただ、この時間が、どうしようもなく愛しかったから。
(俺は……こんなにも、誰かに触れたかったのか)
骨の胸に、彼の頭が収まっていく。少しだけ緊張した息。でも、逃げようとはしない。彼が俺を受け入れてくれる。こんな姿でも、こんな形でも。
(ザナック……)
名を心の中で何度も呼ぶ。
呼びすぎて、形が溶けそうになる。でも、それでも、彼はそこにいる。俺の腕の中に、生きている。
(君がいてくれて……本当に、良かった)
心が、じんわりと熱くなる。それは、魂の奥まで届く、確かな光だった。
たった一人の、俺の光だった。