クライム視点から。
ラナー様が可愛いのはもう知ってます
朝の空気が、やけに冷たく感じた。
ナザリックの居住階、アインズ・ウール・ゴウン陛下の私室のその隣。私は、ザナック様の部屋の前で背筋を伸ばして立っていた。
時刻は、六時ちょうど。
(これが、昨日の勝負の結果……)
ラナー様との"遊び"のつもりだったはずが、いつの間にか本気の外交論戦になり──
そして、敗者となった我が主は、私を一日好きに使って良い権利を、ザナック様に託した。
(……いったい、どんな命令をされるんだろうか)
少しだけ、不安と期待が入り混じる。
きちんと髪も整え、ラナー様に買っていただいた私服を身に纏って来た。扉の向こうから気配がして、思わず姿勢を正す。
「……入れ」
低く、けれどどこか眠そうな声が響いた。
「失礼します」
扉を開けると、思わず視線が奪われた。
白いシャツに、黒いベスト。
さらりと着こなしたその姿は、あまりに整っていて。
(……今朝はなんだか……きちんとしてる)
「よ、来たか。ちゃんと起きてるのか、えらいぞ」
「は、はい……」
(……子供扱いされた気がする。実際に何歳か年下だが…)
ザナック様は軽く髪を整えながら、
俺の前に立つと──
ひと言。
「買い物に行くぞ」
「はい?」
「街だよ、街。魔導国の外、中心市街地に」
「……あの、護衛で、ということですか?」
「そういうことだ。任務内容は、主に荷物持ちと、道案内と、あと俺が人に絡まれた時の盾な」
ビシッと眉間の間を指さされる。
「…………」
(それって、護衛……いや、雑用ですよね……?)
─── 魔導国・市街地
午前八時。審査を経て、私たちは外出の許可を取り、市街地の一角に降り立っていた。
魔導国の街は、どこか寒々しい美しさがある。
けれど、紺色のフードを目深に被るザナック様はその景色をまるで楽しむように、目を輝かせていた。そして。
「……おい、クライム」
「あ、はい」
「……見ろ」
指がさす先にあったのは──
魔導国公式、アインズ様ぬいぐるみ。
デフォルメされた骸骨の造形。黒いローブがふわふわした素材で、枕程のサイズ。
人間客の足はほとんど止まらない。
だが、その前に立ち尽くす男が一人いた。
「…………」
そう、ザナック様が──完全に釘付けになっていた。
「……その、気になるのでしょうか」
「……いや、別に……いや、その、……俺は特に、気になる訳じゃないが……いや、ちょっとだけ……」
言い訳が三段階で増えていく。
金色の髪を指先で弄り、視線だけがぬいぐるみから離れない。
(……完全に気になっている)
「……私が、買ってきましょうか」
言った瞬間、ザナック様は一瞬だけ目を瞬かせて──そして目を伏せ、
「……頼む」とぼそり。
私は無言で店に向かい、ぬいぐるみを
一体購入した。
黒い紙袋に入れて戻ると。
「……ありがとう」
と、彼は嬉しそうに紙袋を受け取った。
白いシャツの袖の先からのぞく指が、袋の取っ手を大事そうに握っていたのが印象的だった。
(ぬいぐるみ好きなんて……可愛いところもあるんだな。やはり、ラナー様と似ている)
ぬいぐるみを手に入れてから数十分後。
ザナック様が「本命」と呟いた先には、小さな宝飾店があった。
「ここに来たかったんだ。あまり人間用の店は残ってないが、ここの品は良いって聞いたな」
中に入ると、光の反射を抑えた落ち着いた店内。静かに流れる音楽。
ショーケースには数多の宝石────
「エメラルド……」
ザナック様が呟き、指をとめたのは、深い緑の輝きを持つ指輪だった。細身のリング。中央の宝石は小さくも存在感があり、
(……綺麗だ)
ザナック様は、しばらくそれを見つめ──
「……これ、包んでください」
「かしこまりました。サイズは?」
「……変化対応式で。着用者のサイズに合わせて調整されるやつを」
(それって……誰かに渡す、ってことだよな)
私は、つい聞いてしまった。
「あの……差し支えなければ、お相手は……?」
ザナック様は、ピクリと眉を動かしたが──
すぐに視線をそらして、ふてぶてしく言い放った。
「……観賞用だよ。飾って眺めるだけだ。……なにか問題でも?」
「……いえ、ありません」
けれど私は見た。彼が選んだ指輪ケースは、黒地に金の細工が施された、まるでナザリックの色を思わせるものだった。
(……観賞用、ですか。そう、ですか)
でも、彼の横顔は、
まるで少年のように満ち足りて見えた。
私はその表情を、そっと記憶に焼きつけた。
──こうして、
ザナック様と過ごす"一日使い倒される日"は、
ゆっくりと、けれど確実に、私の中に何かを残していった。
(……また呼ばれたり、するだろうか。)
そんなことを考えながら、
私は、彼の隣を歩き続けた。
─────────『ザナック視点』
(……クライムのやつ、遅いな)
商店街の一角、ちょっとした路地に入ったときだった。すぐそばの露店で、クライムが買い物の支払いをしている。風は涼しいが、日差しが強い。俺はその日陰で休んでいた。膝に抱えた紙袋の中には、アインズ様ぬいぐるみ。
(ついに、買ってしまった……部屋に置けるか、これ)
そんなことを考えていたら、
「やあ、そこのお嬢さん。ひとり?」
背後から声。俺は目を細めて振り返った。
獣人族の男。浅黒い肌、派手な刺青、装飾の多い服。にやけた顔。
「ひとりで買い物かい? 可愛いね。見たことない顔だけど、旅の人?」
「……は?」
恐怖というより、反射で声が低くなる。
男は一瞬固まったが、目を見開いたかと思うと、なぜかさらに食いついた。
「あぁ……、男だったか! はは、こりゃ一本取られたな。けどまぁ、アリだな……」
(……は? こっちはナシなんだが。)
獣人男は、値踏みするように俺をジロリと見た。なんか、むしろテンションが上がってないか?
「……俺は連れがいるんで。たまの休日をアンタとのデートに使ってる暇はない」
(ふむ、いや、ちょっと待てよ。俺、目つき悪いし、不機嫌面だし、太ってるし……どう見ても、アリな要素ゼロだろうが。いや、そういう趣味なのか……?)
思考がぐるぐる渦巻く。
「えー? 連れってなんだよ、恋人?」
「違う。」
「だったらよくねぇ?」
(話通じない。最悪だ)
俺は紙袋を握りしめたまま、
ふっと視線を逸らして──戻ってくるクライムを視認。
よし、来た!
「おい、盾! 出番だぞ!!」
「えっ──ぐっ」
腕を引っ張って、俺は、クライムの背後に回り込んだ。身長差で、俺の頭がクライムの肩の下あたりにしかないのが悔しい。
(死ぬ前に会った時よりデカくなってないか? なんだ成長期か?)
「ええと……状況を確認いたします」
すぐに前に出たクライムは、俺の前にぴたりと立った。そして、男を上から下に眺めると、急に声音を低く、威圧的に変えた。
「貴方。いま何をされていたのか、分かっておられますか」
「……へ?」
「この方は、魔導国筆頭特別外交補佐官殿であらせられる。不用意に近づいた行為は、場合によっては魔導国への敵対行動と見なされます」
獣人男が明らかにたじろぐ。が、食い下がるように言った。
「何言ってんだ? こんな小さいのがか?」
(小さいのがって言うな。クライムが並ぶと相対的にそう見えるだけだ。)
するとクライムが、ふっと息を吐いて、
俺の手をとった。
「……失礼します」
「は?」
何の前触れもなく、俺の右手をすっと持ち上げる。手袋を外すことなく、その甲に刺繍された金のナザリックの紋章を露わにして──獣人男の目の前に、突き出すように見せた。
「この紋章、見えませんか? 目が悪いなら、もっと近くまで寄りましょうか?」
(勝手なこと言うな)
「ひっ……!! し、失礼しましたあっっっっ!!」
獣人男は、泡を食ったように土下座に近い体勢で頭を下げ、露骨に汗をかきながら、ダッシュで逃げていった。その背中が角を曲がって見えなくなると、クライムはようやく手を離した。
路地から出ると、
「……ザナック様、お怪我はありませんか?」
「……特にないけどよ……」
ため息をひとつ。
「お前、ハッタリが上手いのな。」
「……ハッタリ、ですか? ザナック様がこの魔導国で特別な位置にいるのは事実でしょう。」
「特別、か……。そもそも、なんで俺なんだ……? あの獣人も趣味が悪いな……」
小さく呟いた。するとクライムは、あっさりと、
「ザナック様がお綺麗だからですよ」
「…………」
「……え、なに?」
「お綺麗だから、です」
「…………」
「はあぁぁぁ!?」
叫んだ。
人混みのなかで。なのにクライムは、嬉しそうにふっと笑っただけだった。
(なんなんだ……まさか俺をからかっているのか?)
─────────『クライム視点』
ナザリックに帰還したのは、午後二時を少し回った頃だった。
「ふー……さすがに疲れたな。少し休む。お前は……そこで座ってろ」
そう言ってザナック様は、
自室に併設された小さな簡易キッチンに向かった。……え? え?
(まさか、自分で用意されるんですか?? 私に命令していただければ……)
私が軽く戸惑っているうちに、
ザナック様は器用にエプロンを着け、鍋で何かを煮始めていた。
────────
「ホットミルクと、ナッツのクッキーな。」
「……ありがとうございます」
盆にのせられたそれは、少し歪なところもあったがそれも含めどれも温かく、甘い香りがした。口に運ぶと。
(……美味しい)
素朴だけれど、どこか懐かしい味だった。
ふと見ると、ザナック様も隣で頬をふくらませながら、クッキーをぼりぼりと食べていた。
(……やっぱり、悪い人ではないんだよな)
どれだけふてぶてしくても、言葉が粗くても、
今日一日を通して見えたのは、気遣いと素直さに満ちたひとりの青年だった。そんな穏やかな午後の時間。
「──あっ」
その音は突然だった。
ザナック様が手を滑らせ、器のひとつが床に落ちた。ガシャンと、割れる陶器の音。
「っ……ああ、くそっ」
しゃがみこんだ彼が、素手で破片を拾おうとするのが見えた。
「待ってください!!」
思わず、身体が動いた。
ザナック様の手が触れる寸前、
私はその手首を掴んでいた。
「……何してんだ、離せよ」
「いえ。危ないです。素手で触れたら、怪我をします」
「……命令、してないぞ。お前には」
「それでも、止めます」
ぴしり、と言い切った。そして、そのまま目を合わせる。
「……怪我をされたら、私が……心配します」
「いえ、私でなくとも………ラナー様も、"アインズ様も"心配します。もっとご自分を大事になさってください。」
一瞬。何かが、止まったような気がした。
ザナック様の目が、大きく開いた。耳まで真っ赤になったかと思えば、
「……めんどくさっ……」
と、呆れたような声を出してそっぽを向いた。
(でも……拒絶じゃなかった)
その"めんどくさっ"の中に、
ほんのわずかに照れが混ざっていた気がして。
私は少しだけ、嬉しくなった。
深夜。
ザナック様は、部屋に泊まることを許可してくださり、私は床で寝ることになった。
「ほら、そこに寝てろ。敷布は出してやった」
「……恐縮です」
寝床を用意していただけるとは思っていなかった。柔らかな毛布の上に腰を下ろすと、背後からパサリとシャツを脱ぎ捨てる音が聞こえた。
少しだけ、横を向く。
「……なっ」
目を疑った。
ザナック様が、羽織っていた。薄紫色の、ワンピース型のネグリジェ。肩から鎖骨までが無防備に露出していて、縁にはふわふわのフリル。裾や袖にも細かい装飾があり、胸元にはリボン。
(…………髪の色と合ってるのが余計に)
思わず、吹き出しそうになって、慌てて口元を押さえた。でも、よく見れば──
ボブまで伸ばした金色の髪。三白眼のようでいて、深い緑の瞳。
(──ラナー様とは違うけれど、王族としての心の美しさ)
小柄な体型、ふっくらとした頬、白い手足。
衣装の可愛らしさと、不機嫌そうな表情のギャップが妙に……合うような?
(……可愛いネグリジェだな。ラナー様も、ああいうのを着られたら、きっと。)
ザナック様がこちらに気付き、眉をひそめる。
「……なに、笑ってる?」
「いえ。……ただ」
言葉を選びながら、問いかけた。
「それは、ザナック様のご趣味では……ありませんよね?」
ザナック様は、少しだけ沈黙したあと──
小さく、ぼそりと呟いた。
「……アインズ様に、賜ったものだ」
「……」
「……似合うって、言われた」
目を伏せながらそう言うその顔は、どこか、恥ずかしさと、誇らしさとが混じっていて。
その表情がどこか愛らしい。
(この人は、やっぱりラナー様の兄上様だ。)
そっと目を細めた。今日が終わるのが惜しいと、初めて思った夜だった。
─────────『アインズ視点』
このところ、ザナックと顔を合わせる時間が減っていた。彼はもう、ナザリックでの生活に順応してきている。俺が特別に声をかけなくても、問題なく日々を過ごしていた。はずだった。
「……やはり、会いに行こう」
思い立ったのは、夜の静けさがナザリックを包む頃。いつものように転移を使うのではなく、そっと歩いて向かった。軽やかに、物音ひとつ立てずに──彼の部屋の扉の前に立つ。
ノックはしない。寝ているかもしれないと思ったからだ。代わりに、静かに、気配を押し殺して扉を開ける。その瞬間だった。暗がりに、ふたつの影。敷布に寝転ぶ……クライム。ベッドの上で微かに身じろぐザナック。
「…………」
一瞬、認識が追いつかなかった。
なぜ、クライムがここにいる?
いや、それ以前に──なぜ一緒に寝ているんだ? 布団と床という差はある。
だが、この空間は明らかに共有されているものだ。何かが、自分の中で爆ぜた。ふつふつ煮詰めたような感情が、怒涛のように溢れ出しそうになる。だが、すぐに感情抑制が働いた。
(ザナック……俺の、ザナック……)
ほんの数秒後。気配に気付いたのか、
ベッドの上のザナックがゆっくりと起き上がる。
「……ア、アインズ様……!?」
「……こんばんは、ザナック」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、冷えていた。
「え、ええと、そのっ、これは……! 誤解です、決して怪しい関係では!!」
「……そうか?」
「はいっ!! 本当に!! クライムは今日、俺の使いを一日する約束で、ついでで……寝床もここに用意して、それだけで!!」
ザナックが焦りで早口になるのを見て、一瞬、口元に笑みが浮かびそうになる。だが、それを抑え込む。この張り裂けそうな、嫉妬と不安も全部崩れてしまうから。
「……そうか。なら、よい」
言いながら、俺はザナックの瞳を見つめた。
彼はその視線に射抜かれて、ぴくりと肩を跳ねさせる。
「ザナック。明日……話がある」
「っ……はいっ、はい……ッ」
焦燥と緊張が滲む顔。それでも、その姿が愛しくてたまらなかった。扉を閉める直前、俺はそっと呟く。
「……楽しみにしておくといい」