※この作品はR-18です。

ザナック蘇生if/アイザナ   作:アイザナ大使

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クライム視点。
幸せも愛も千差万別




誰の為に

 

 

私が、生き直した日。

土砂降りだった。

叩きつけられるような雨。石畳に冷たく響き、全身を容赦なく濡らすその音だけが、この世界の全てだった。私は、濡れた地面に横たわっていた。ぬかるみにも、体の震えにも気づかないほど、寒さが麻痺していた。

すでに体の奥まで冷えていて、まるで心臓の動きすら他人のもののようだった。

そんな時だった。

ぱしゃ、と水を踏む音。

すぐ傍で、音が止まる。

目を開ける。雨の帳の中、そこに立っていたのは──傘を差した、少女だった。

豪奢な青いドレス。金の髪。透き通る白い肌。

まるで、太陽の様な、美しい存在だった。

その手が、私に差し伸べられた。少女の口は、何かを語っていた。でも、雨音がすべてをかき消してしまっていた。それでも、その目は……あたたかかった。私を、初めて誰かが"人間"として見てくれたような、そんな気がした。その瞬間。私の運命は、確かに変わった。

 

数日後、王城。

私は、少女、ラナー様の庇護のもと、暮らすことになった。食事も、寝床も、服すら用意されていた。夢のようだった。……いや、それ以上に、現実感がなかった。私は、すべてを捧げると決めた。この命も、魂も、すべてラナー様のために使うと。

そんな中、彼は現れた。

「……そんな野良犬みたいな平民を連れてると、お前の悪い噂が立つぞ」

冷たい声。見下ろす視線。

それが、初めて私が会った"ラナー様の兄上"、ザナック殿下だった。歳は、ラナー様とそんなに離れていないように見えた。妙に言葉が達者で、偉そうだった。はっきり言って、印象は最悪だった。私は黙って頭を下げた。だが彼は鼻で笑うと、踵を返して去って行った。

(……なんだ、あれ)

その時は、ただそう思っただけだった。

時が経つにつれ、ザナック殿下の態度は悪化していった。

「ラナーは変わってる。あれは……なんというか、"普通じゃない"んだよ」

「あいつとつるんでるなんて相当物好きだな」

大仰な身振り、皮肉を交えた物言い。

ことあるごとに、ラナー様の人格を否定するような言葉を吐いた。私は腹の底で、ザナック殿下を嫌いになっていった。自分の妹を、どうしてそんなふうに言えるのか。醜い嫉妬だ、と。

私は気づかぬうちに、ラナー様に"恋"をしていた。気品と優しさ。私を拾ってくださったあの雨の日のままの眼差し。

それらに憧れを抱き、やがてそれは恋慕へと変わっていた。だからこそ、ザナック殿下の言葉は、許し難かった。あれはただの兄の嫉妬か、侮蔑か、それとも……よくわからなかったが、とにかく、私の中で彼は"敵"に近かった。

そして、私が十五歳、ラナー様は十六歳。

ザナック殿は十八歳になっていた。

彼の言葉は、ますます過激になっていった。

「……あいつは"化け物"だ。お前は、何故あんなものに執心している。」

何度も繰り返されるその言葉に、私はついに怒りを抑えきれなくなった。宮廷の廊下で、ザナック殿下に詰め寄ってしまった。

「……あの方を、貶めないでいただけますか」

その一言が、どれほどの罪か分かっていた。

だが、後悔はしなかった。後に、ラナー様からこう言われた。

「……お兄様は、私のそばから貴方を引き離そうとしているの。不敬罪を理由に。……気をつけて」

私は、再び口を閉ざすようになった。

彼の言葉に、耐えるしかなかった。私には、ラナー様しかいないから。それからすべてが変わった。帝国の侵攻。王国の滅亡。

ラナー様の──"契約"。私は……ラナー様を選んだ。悪魔になってでも、そばに居たいと願った。けれど。

(……ザナック様は、最期まで"人間"のままだった)

王都を死守しようとし、ラナー様を"逃がす"ことを選び、命を賭して"何か"を守ろうとしたと聞いた。なぜだろう。それを知った時、胸が少しだけ痛んだ。ザナック様は、ラナー様を"化け物"と呼びながら、誰よりも正しく、誰よりも優しかったのかもしれない。私がずっと見下していた彼の言葉も、もしかしたら、私を守るためのものだったのかもしれない。

いや、真実かはわからない。だが。

(……もしかして、私は、何かを間違えていたのだろうか)

このナザリックという影の中で、ザナック様という矛盾に、私はまだ、答えを出せずにいる。

どうして彼は、最後まで残っていたのか。

なぜあの人は、すべてを抱えて、ひとりで戦おうとしたのか。悪魔になってしまった私には、もうそんな事は聞く資格がない。

それが、ひどく悔しい──そして、悲しかった。

 

 

─────

 

ナザリック、執務会議室。

冷たい石造りの空間。白金の燭台が鈍く灯り、緊張の空気に満ちているはずなのに、

「……本件は、デミウルゴスに一任する。よくやってくれた」

今日の魔導王陛下は、妙に機嫌が良かった。

あの方の声音に、笑みが混じっているなど、珍しい。淡々と、優雅に、冷静に。それがいつもの御姿であるはずだ。だが今は、明らかに違う。ご機嫌、とでも言うべきだろうか。

ゆるやかな声の調子も、骨の指先がふいに椅子の肘掛けを軽く叩く癖も、なんだか……"余裕"すら感じられる。

「…………」

ふと、視線を横に滑らせる。

その隣に立つザナック殿下──いや、今は"魔導国筆頭特別外交補佐官"の彼の姿が目に入った。

その姿に、私は眉をひそめた。

(……今日は、やけに厚着をされている……)

季節は、夏中旬。なのに彼は、まるで冬服のような重ね着をしている。とくに襟元、首筋が隠れるようなハイネックの服。加えて、上から薄手のマントまで羽織っていた。だが、それでも見えるのだ。喉元に、うっすらと赤みを帯びた痕が。

(……まさか、あれは……)

意識した瞬間、視線が止まらなくなった。

その"跡"は、ひとつではない。鎖骨にかかるあたりにも、布の隙間から、薄い痕が覗いている。それらは、噛み痕のようにも見えた。いや、どちらもか。脳が追いつかない。何故、彼の首に……あんなものが?

「……ふふ」

その時、陛下がふいに、隣へ視線を送った。

まっすぐに、隣のザナック様を。ザナック様は、その視線に気づいた瞬間、びくんと肩を跳ねさせた。

「っ……!」

そして、咄嗟に顔を背けた。

耳まで真っ赤に染め、視線を泳がせ、手の指先をぎゅっと握る。

(…………な、なに、これ……)

思わず口元を押さえそうになった。

いや、抑えたのは動揺だ。目の前で起こったのは……これは、無自覚な、いや、もしかして"故意"の"見せつけるため"の睦み合い……?

(魔導王陛下が……あの、ナザリックの王が……あのザナック様と……)

思考が止まる。このふたりの間に流れる空気は、私の知っているどんな上下関係とも違っていた。冷たい支配ではない。仰ぎ見るような敬愛でもない。けれど、何かがある。圧倒的に、明確に、"共有されている何か"がある。

ザナック様が何かを言うたびに、陛下の空気がわずかに緩む。報告を終えると、軽く頷き、彼の発言だけには一切の遮りが入らない。

そして、陛下が不意にザナック様の手元に視線を落とした瞬間、ザナック様は、また肩を震わせた。その震え方が、恐怖でも緊張でもなく……"照れ"のように見えてしまったのだ。

(別にいいのだが……公の場では控えて欲しい……)

喉元の痕、意味深な視線、赤くなる耳。

そして何より、会議中にも関わらず──ふたりの間に流れる"熱"。

私は、何かがひどく引っかかった。

あの日、彼が言った「化け物」という言葉。

あの言葉に、どれほどの悔しさを抱いたか。

どれだけ殿下を嫌いになったか。

でも今、こうして魔導王陛下の隣に立つ彼は、

私の知らない顔で、知らない時間を生きている。"あの頃の彼"は、もうここにはいないのかもしれない。私は、ザナック様の首筋に残る痕から、仲睦まじい二人の姿から目を逸らせなかった。そして、陛下の表情。骸骨の顔に宿った、わずかな緩みと、絶対的な満足の色。

(……そうか)

私は、ようやく気づいたのかもしれない。

ザナック様は、今でも誰かの"ため"に生きている。そして、その"誰か"が、今はアインズ・ウール・ゴウンという個人なのだと。ラナー様のためでも、民のためでもなく、今の彼は、あの人の隣にいることを選んでいるのだ。

その事実に、ほんの少しだけ、ほっとする。

雨の中、手を差し伸べた美しい少女。

そして、背を向け、妹を"化け物"と呼び続けた少年。どちらが正しかったのか。どちらが"人間らしかった"のか。私は今でも、答えを出せずにいる。

でも、ひとつだけ分かるのは。魔導王陛下の隣にいるザナック様は、確かに"愛されている"ということだった。

思っては、いけない。なのに、

そんな関係が、何故だか……羨ましかった。

 

 

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