ザナック視点。
「……ア、インズ……さま……?」
戸惑う間もなかった。目の前にいた主が、突然壁際まで歩み寄ってきたかと思えば次の瞬間には、俺は壁に押さえつけられていた。
腕が、背中にまわされるわけでもなく。
ただ、正面から、圧し掛かるように、骸骨の口が俺の唇に触れた。
「っ……!?」
それは、押しつけるだけのものではなかった。
ごりっ、と骨の歯が擦れるたびに、唇が、ざらついたものに擦られ、痺れたような熱が走る。
思わず、脚が震えた。
(……夢じゃ……ない……)
何度も、唇が塞がれる。深く、長く、引く気配がない。まるで、息が止まるくらい、唇に意識が持っていかれる。身体が、少しずつ熱を帯びていくのを感じた。気づけば、腰が砕けそうになっていて、重心が定まらず、ふらりとアインズ様の腕に体を預けそうになる。
(嬉しい……嬉しい、はずなのに──)
アインズ様の眼窩の奥。そこに灯る、赤い光。
いつもより、暗い。揺れていない。迷いがない。どこか……諦めたように、ただ沈んでいた。
(…………)
そのことに気づいた瞬間、胸の奥に冷たい感覚が落ちてきた。最初はそれが何かわからなかった。ただ、心のどこかが「このままではいけない」と警鐘を鳴らしていた。キスは、やむことなく続く。優しさはなかった。愛撫でもなかった。乱暴に、ただ触れて、貪るように、
俺の唇を──いや、存在を、汚そうとするようなキス。
(……っ)
もしかして──俺を"汚したくて"してるのか?
そんな言葉が頭をよぎる。
俺に「嫌われたくて、突き放したくて」……
(……何で、アインズ様)
さっきまで感じていた幸福感は、どこかへ消えてしまった。手足の震えも、熱の波も、すべてが色褪せてゆく。残ったのは悲しみと、ほんの少しの、怒り。
(誤魔化してる……)
(俺を、騙してる……)
(そんなふうに、無理やり突き放して……自分だけで決めて……)
逃げるようにキスをして、何も言わずに満足しようとして、それで「もう終わった」と思うつもりなんだ。でも。
(……そんなの……ずるい)
俺がどれだけ、あなたの言葉が欲しかったか。
笑顔が欲しかったか。触れてくれる手が、優しければ優しいほど、救われていたか。
それを、貴方は、
(踏みにじってるんだ)
それでも、俺は逃げなかった。
逃げたら、本当に全部、終わってしまう気がして。ただ、重なる唇を受け入れながら、俺の中の喜びは、静かに、そして確実に色を失っていった。このキスは、愛じゃない。諦めの、偽りだ。この先。俺は、どうすればいいんだろう。
───────
息継ぎの間も無いほどのキスから、開放された後。
「…………」
扉が、静かに閉じた。
重い音を立てて、あの人が出ていったことを告げる。その瞬間
「……っ……」
腰から力が抜けた。膝が折れて、その場にへたりと座り込む。冷たい床の感触が、じかに太ももを伝う。
「…………う……」
声にもならない声が、喉から漏れた。
それでも誰もいないこの部屋に、そのかすれ声が響くのがやけに虚しくて、俺は唇を噛んだ。
(……あんな……)
骨の歯で、唇を何度も何度も貪られて優しくなんて、なかった。まるで、何かを壊すように。手放すためのようなキスだった。
なのに。
(……気持ちよかった、なんて……思ってる自分が……最低だ……最低な気分だ)
唇がまだ、じんじんする。
熱がそこだけ、残っていた。ほんの少しの快感。それが、最悪なことに、俺の中に確かに残っている。それが、悔しくて、情けなくて。そんな自分を、俺は許せなかった。
(……それでも、嬉しかったんだよ)
あの人が俺に触れてくれて。俺を見てくれて。欲しがってくれた気がして。ほんの一瞬でも、
願ってたことが叶ったようで、だから、身体が応えてしまった。でも、それだけだった。アインズ様は、何も言わなかった。何ひとつ、俺の気持ちに触れてはくれなかった。
「…………ぅ……っ」
手が、震える。床に着いた指先に、力が入らない。情けない。こんなにも、弱い自分が情けない。それでも、止められなかった。嗚咽が、じわりと込み上げてくる。
(……俺は……捨てられたんだろうか)
あの眼窩の奥の赤い光。諦めの色をしていた。
俺のためじゃなく、自分のために距離を置くようなあの人の背中。本当は、誰よりも優しい人だって知ってる。でも、俺はどうしても納得なんて、できなかった。
「っ……う、ぐ……っ……!」
涙がこぼれる。唇を押さえる。さっきまで重なっていた場所が、こんなにも熱いのに、
胸の中は、氷みたいに冷えていた。
「……アインズ様……」
願いのように名前を呼ぶ。
けれどその声は、闇に飲まれるだけだった。
アインズ様の背中はもう遠ざかってしまった。
(貴方が言ったんじゃないですか……諦めるようなことはさせない……って)
涙を拭う指先が、まだ震えている。
(離さないって……)