ザナックの支持者は0人ではなかったんじゃないか
ザナック殿下バンザイ!って言ってる人いたし
内心嬉しいザナック
オリモブキャラ注意
目が覚めた時、枕が濡れていた。涙の痕が、まだ乾ききらない。冷たい布が頬に張りついていた。自分でも、呆れるほどだった。子供じゃあるまいし、泣いたところで何が変わるわけでもないのに。でも、どうしても、止められなかった。
身体の芯にまで染みついた感触。あの、温かくないキス。歯が唇に擦れたあの感触が、いつまでも焼き付いて離れない。嬉しくて。でも、悲しくて。苦しくて。そしてなにより。悔しかった。
(俺が……弱いからだ)
(俺が、余計なことを言って、余計な想いを抱いたからだ)
(俺が……ここにいたからだ)
アインズ様が、壊れたのは──俺のせいだ。
優しい言葉も、温かい笑顔も、今はもう何ひとつ、戻ってこない。
(全部、俺が……甘えてたからだ)
きっと、居なければ。俺が居なければ。アインズ様は、もっと冷静で、穏やかで、
ナザリックの守護者たちに囲まれて、
正しく、完璧な支配者として在り続けられた。
(……そうか)
俺は、アインズ様には邪魔者だったんだな。
そう思ったら、すっと身体が軽くなった気がした。ようやく、自分の居場所が分かったような気がした。だから。俺は、ナザリックを出る。
そう決めたのは、朝焼けが僅かに差し込む、自室の片隅だった。
──────
着替えは最小限。
シャツ一枚とズボン、歩きやすい靴。
そして、一応の防寒のために、紺色のローブを羽織った。武器も持たない。身分を証明するものも、すべて部屋に置いた。あの、手袋も。
"ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ"としてではなく、ただのひとりの、名もない人間として出ていく。
(……気づかれてはいけない)
廊下を歩く足音にさえ神経を尖らせる。
夜のナザリックは静かだ。
けれど、警備は甘くない。誰に会っても終わりだ。引き止められれば、俺はまた迷ってしまう。
(会ってはいけない……誰にも)
だから、あらゆる通路の時間帯と見張りのルートを、数日かけて調べた。地図を頭に叩き込み、数秒単位の隙を狙って、階層を抜けるルートを構築した。まるで、脱獄だな。
そう思って、苦笑した。でも、これは"逃げ"じゃない。
「アインズ様のために消える」って決めた、俺なりのケジメだった。
"彼の視界から、自分を消せばいい"
たったそれだけのことが、どうしてこんなにも難しいのだろう。
(……まだ、名前を呼んでほしかった)
(もう一度、触れて)
(笑って、欲しかった……)
未練が、胸を焼く。
でも、それでも。行かなきゃいけない。
自分がいなくなれば、彼はまた、まっすぐ前を向いて生きていける。
(それでいいんだ)
(……俺が望んだ、"幸せ"って、きっと──)
彼が、苦しまない世界。
俺がいない世界。
──────
ナザリックの大門を、音もなく抜ける。
外はまだ夜の帳が降りたまま。
誰にも見つからずに外へ出られたことに、ほっとするよりも。やはりどこか、心がぽっかりと空いた。
(……ほんとうに、もう戻れないんだな)
振り返らないように、歩き出す。
ナザリックの影が、夜の闇に紛れて小さくなっていく。行くあてなんて、ない。彼に必要とされないなら。生きる目的も、もうない。ただ、魔導国のどこかに沈むように、ひっそりと消えてしまいたかった。それでも。アインズ様の記憶だけは、ずっとこの胸に残る。
触れて、笑ってくれて。名前を、呼んでくれて。それだけで、もう、十分だった。
──朝日が、昇っていた。
まるで祝福のように世界を染める柔らかな光が、俺の肩を、髪を、ローブの裾を、やさしく包んでいく。
(……朝か)
人気のない街外れ。小さな住宅地を抜けて、朝市へと続く石畳を、とぼとぼと歩く。昨夜から、ほとんど眠っていない。けれど、不思議と身体は軽かった。心が、空っぽだったからだろう。ふらふらと、気ままに歩く。
何も考えず、どこにも行かず、ただ、太陽の昇るほうへ。そんな時だった。
「……おや……?」
低く、掠れた声が、耳を打った。
「……おやおや……その面構え……まさか……」
(誰……だ)
振り向くと、そこには、見た事もない年配の男。頬に深い皺、くたびれた麻のチュニックに、干し草の匂い。
「貴方は──まさか……ザナック殿下じゃありませんか?」
「へっ!?」
心臓が変な音を立てた。
「いやしかし、似てる。いや、間違いない。この凛々しい眉……この、恰幅のいい感じ……そしてこの悲壮感漂うオーラ……! ザナック殿下ですよね?」
「ちょ、ちょっと待ってください。いや、俺はその……。ん? 悲壮感?」
「いやいや、王都にいた頃に一度お姿を拝見したことがあるんです。あの日の、王都防衛戦の、殿下の最後の演説──わし、泣いたんじゃから!」
「えっ、いや、あの……」
(そんなに印象残ってたか……?)
「ザナック様あ!」
遠くから聞こえた、突撃するような声。
ばたばたと駆け寄ってくるのは、明らかに元王国民と思しき、おばちゃんたち数名。
「やだあ〜! 本物!? 本物ぉ!? 本当にザナック様!? あの小太りで女の子みたいな髪の……!」
「ザナック様……! 私、昔……家を守っていただいて……!」
「もう! ちょっとアンタたち、何か持ってきて! ほらパン! 焼きたてのあるでしょ! あと、蜂蜜塗ったやつ!」
「あっ、ピクルス漬けたやつもあるわよ! 持ってきな! 王子様!」
(いや、もう王子様じゃないんだが)
「俺、ほんとに本人じゃない可能性もありますよ……?」
「違ってたら違ってたで! こんな湿気た顔見たらとりあえずパンあげたくなるわよ!」
「どういう判定基準ですか?」
気づけば、両手に焼きたてパンと謎のピクルス、さらに果物、布袋……。なんだこの、押し売りみたいな空間は……。
「……暖かい……」
ぼそりと漏らしたその声は、意図せず震えていた。
(なんなんだ。こんな……こんなことが……)
俺は、ただひとりで、何も持たずにここまで来た。名前も、立場も、過去も、すべて捨てて。
それでも、覚えていてくれる人がいる。
名前を、呼んでくれる人がいる。
優しくしてくれる。パンを……こんなにもたくさん……。たくさん、──過ぎたので持ちきれない分は断った。
「ザナック様、これ、お芋で作ったパイもあるのよ。あと……おまけで、うちの息子のジョエルが釣った魚の干物」
(息子誰だ?!)
重い。この優しさ、重い!それでも心が、あたたかい。なんだか、泣きそうだった。いや、ちょっと泣いてた。涙を悟られないように、パンを口に詰め込んだ。ふかふかしてて、ほどよく甘い。
「……うま……」
泣きながらパン食ってる小太りの男を囲んで、
周囲はなぜか喜び始めた。
「ザナック様、パンをお召し上がりになったぞ!」
「可愛くてお上品な食べ方!」
(いや何故!?)
訳が分からない。それでも。ひとつだけ、確かだった。生きてても良かった可能性が、あった
そんな気がした。それだけで……"不遜な第二王子"が救われた。空はもう、すっかり明るくなっていた。街のざわめきが戻ってきて、子供の声がして、犬が吠えて。そんなありふれた、朝。
ナザリックの静寂とは違う、
誰もが生きて、喋って、泣いて笑う、雑多で、やかましくて──でも、愛おしい朝。
パンを片手に、また歩き出す。
次に何をするかなんて、まだ分からない。
でも、少なくとも。
「……無価値ではなかったのかもな」
そう思えただけで、今日はきっと、いい日だ。