ザナック視点から。
※アインズ様がかっこ悪いです。土下座してます。
夜が明けた。だけど、何も変わらなかった。
空はどこまでも暗く、雲は沈んだまま。
灰色の世界のまま、朝になっただけだった。
寒い。濡れた服が肌に張りついて、体温をじわじわ奪っていく。
(……いつ寝たっけ)
記憶が曖昧だ。夜の間ずっと、瞼の裏にはナザリックの天井が浮かんでいた。執務室。玉座の間。アインズ様の隣。あの場所に、自分が居た時間の重みだけが、ずっと胸の奥に残っている。
(ああ……)
足元の水たまりに、溶けかけた空が映っていた。その中で、自分の顔がぐしゃぐしゃだった。誰の声もしない。誰も自分を知らない。知られたくもない。ローブのフードは、途中で外した。もう、濡れていようがどうでもよかった。ぼたっ。肩に、冷たい雫が落ちた。
次の瞬間、ぼたぼたと音が増えていく。大粒の雨が容赦なく降ってきて、髪も、背中も、全部びしょ濡れになった。
(……あー……………これなら、低体温症で死ねるかもな)
苦笑する元気もなかった。何もない道を、ただ歩いた。行き先も、目的もない。歩いて、歩いて、そのうちどこかで、倒れて、それでいい、そう思ってた。本当にそれだけだった。途中、空き家の軒下で寝ようとして、追い払われた。声をかけられても、無視した。自分が何者かも言わなかった。人間って、内側が崩れると、ほんとにただのゴミみたいになるんだな。そんなことを、ひどく冷静に考えてた。
(……あの人に、……名前を呼ばれた時だけが……)
胸の奥が、ずっと痛い。呼吸をするたび、擦れて血が滲むみたいに、痛む。雨が体を叩く音が、どんどん激しくなっていった。壁に沿って歩いていると、ふと、路地の隅に空間が見えた。誰も通らない隙間。もう、限界だった。
(……ここで、終わるか……)
体を滑り込ませるようにして、そこに座り込む。濡れた背中が石壁に触れて、ひやりとする。けれど、それすら心地よかった。手足の感覚が、少しずつ遠くなる。視界の端に、小さな草が生えていた。昨日の雨で伸びたんだろう。
雨に強く打たれても、泥水を吸っても、しぶとく生きてる。
(……俺も……ああなれたら良かったな)
口の中で呟いて、うとうとと目を閉じた。
このまま、誰にも知られず、誰にも気づかれずに、永遠に………眠ってしまえたらいいのに。
そんなことを願いながら、俺はゆっくり、雨音の中へ、意識を沈めていった。
─────
誰かに起こされたように目が覚めた。
気配が、あった。ずっと、冷たい空気の中に沈んでいたはずの世界に、ふと、熱が差し込んだ気がして。ゆっくりと、目を開けた。
視界はぼやけていて、雨音が耳の奥で響いていた。それでも、何かがこちらへ向かってくるのが分かった。
ずしん、ずしん、と。濡れた石畳を、何か重たいものが歩いてくる音。それが、どこか懐かしくて。
(……まさかな………)
そう思った時、俺の前でその足音は止まった。
「──ザナック……」
その声が、自分の名前を呼んでいると理解した瞬間、胸の奥が、ぎゅう、と音を立てて縮こまった。
夢かと疑う間もなく、
目の前にしゃがみ込んだその人が──
雨水に濡れるのも構わず、泥だらけの地面に膝をついて、俺の目線に、そっと、ゆっくりと合わせてきた。骸骨の顔。でも、その眼窩の奥には、揺れる赤い光。あの、アインズ様だった。
「……アインズ……様……?」
唇が、震えていた。声になっただけでも、奇跡だった。アインズ様は、息を詰めるようにして、俺を見つめた。
「すまない……ザナック……っ」
深く、深く。頭を下げ、地面に擦り付けていた。水音を立てて、泥に触れるその膝。
服が濡れるのも気にせず、ただ俺のために。
「……な、なんで? 何で来たんです? おかしいな……俺が居ない方がいいのに……。……貴方に貰ったものは全て置いていきました……もう、俺に価値は無いですよ……?」
その言葉は、俺の中で何度も繰り返してきた、逃げ道だった。口にした瞬間、ひどく虚しかった。
「そんなことない、君自身に価値があるんだ」
「でも、俺……近づかない方が、いいですよね? 本当は話しかけたら、駄目ですよね……?
俺、貴方の邪魔をしているから……だから、死ぬことにしたんです………ふふ」
彼に罪悪感が残らないように微笑んだ。
だが──
「違うんだ、俺は嘘をついた……! 君に誓った約束を、破ったんだ……! お願いだっ……ほんとうに、おねがいだから……死なないで……! もう……おれの前から、いなくならないで………死なないでくれ、ザナック……!」
骸骨の彼は、必死で、泣きじゃくっていた。
「うそ…………?」
捨てられてない……? 邪魔じゃなかったのか?
俺の心の奥のモヤを晴らすように、アインズ様が、俺を抱きしめた。
「俺は──君がいないと、ダメなんだ……」
その声は、今まで聞いた中で一番……人間らしかった。
苦しさも、愛しさも、後悔も、全部詰まっていて、その温度に包まれた瞬間。俺の身体は、震えながら、アインズ様の胸に崩れた。
「……やめてくださ、……ずるい……そんなの……」
濡れた髪を撫でられながら、俺は嗚咽を堪えきれなかった。
─────────『アインズ視点』
(……温かい)
骸骨であるはずのこの身体とは無縁の体温が、
今、これでもかというくらいザナックの小さな体から伝わってくる。何度も、探して、
何度も、間に合わなかった後悔に怯えて、やっと見つけたこの小さな体を、離したくなかった。けれど、ザナックが小さくすすり泣き、震えながら、俺の胸に顔を埋めているのを見て、
思わず、跳ねるように後ろに退いた。
「あ……っ、すすす、すまない! と、突然抱きしめて……っ」
「ああ、な、泣かせるつもりはっ……ザナック……う、ほんとうにすまないっ……」
我ながら情けないほど、慌ててしまった。
「……ふふっ」
すると、ザナックが、顔を上げて──笑った。
「ふはっ……アインズ様……今の……すごく慌ててましたよね……」
「えっ、あ……うん、ごめん…………?」
「骸骨の……その……アインズ様が、あんな動揺するとは……ははっ……すごく、分かりやすかったですよ」
「骸骨でごめん…………動揺してごめん…………嘘ついたり、約束破ったり、やっぱりここに居てとか、わがままばっかでごめん…………」
「あは、ふふふ、アインズ様、もうそんなに謝らないでください……」
口元をぬぐいながら笑うザナックの顔は、雨に濡れて赤くなっていて、
それでも、今までで一番愛おしかった。
「かわいい」
つい、口をついて出たその言葉に、
ザナックの顔が、ぱちん、と止まった。
「……な、な……なにを、い、今ですか……?」
怪訝そうな顔。
「……かわいいよ、ザナック。ずっとそう思っていた。それに、俺は」
言葉を置いて、少しだけ、間をあける。ザナックの視線が俺を見つめている。恐れるように、でも期待するように。
「君が……好きだ。好きで、好きで、たまらない」
心のままに、言葉を紡いだ。
「君が大好きだ。いつも考えていた。どうすれば君が笑ってくれるか。どうすれば君を守れるのか。どうすれば、手放さずに済むのかって」
ザナックの瞳が、少しずつ潤んでいく。
そして、眉を下げた。顔を真っ赤に、耳まで熱そうに染める。目が泳いでいる。一呼吸した彼は胸を押さえ──だが、その瞳は真っ直ぐ俺を射抜く。
「……俺も、好きです」
「アインズ様のこと、……これまでもずっと、これからもずっと」
小さな声。けれど、その想いは、何より強く伝わってくる。
「……ザナック……」
俺は、彼の手を取った。
彼も、俺の手を握り返してくれる。
その小さな手の温もりに、今までより確かに、触れている気がして、俺たちは、しばらく何も言わず、手を繋いでいた。世界が、止まっていた。気づけば、雨も止んでいて、空の隙間から、光が差していた。
「……止んだな、雨。」
「……あ、ほんとうだ……」
そう答えたザナックが、ようやく肩の力を抜いて微笑む。俺はその笑顔を見ながら、ゆっくりと起き上がり膝を立てて、彼に右手を差し出した。
「ザナック……一緒に、"帰ろう"か」
ザナックは少しだけ驚いた顔をして
でもすぐに、俺の手を強く握り返した。
「……はい」
彼の手を引っ張ると、勢いで彼の体が俺の胸に飛び込んでくる。
「あ、す、すみません……」
「いや……大丈夫か? 骸骨で、硬いし……怪我は」
「ないです……」
ザナックは頬を赤くして慌てて離れた。
俺も同様。このくらいの距離感……前は当たり前だったはずなんだが……。何故か、変だ、意識してしまう。
「ザナック……ふらふらしてて危ないから、手を……」
「あ、はい……」
きゅっと、小さな手を握った。
落とさないように。雨上がりの道を、俺たちはふたりで歩き出す。
「うっ……ぶぇっくしっ!!」
突然、ザナックが肩をびくりと揺らして盛大にくしゃみをした。
「大丈夫か? ザナック。俺のローブに……って、俺も濡れてるんだったな……」
魔法で乾かすか、と快晴の空を見上げながら考えていると、ザナックがびしょ濡れのまま抱きついてきた。
「アインズさま……ふふ」
べちゃっとした感触、その下にある柔らかい…ザナックの体温。
(帰るまでこのままってのも、悪くないか)