フギン先生の
紅茶コクッとべっ、てするザナックが可愛い
ザナックの食事が終わり、静寂が訪れた。
俺は、本を読むフリをしながら、今日のスケジュールを再確認する。ページの文字もほとんど目に入ってなかった。何故なら、視界の端で彼の動きを捉えていたからだ。テーブルの上には飲みかけの紅茶。
彼はそのカップを手に取り、伏し目がちに唇を寄せた。
───コクッ。
喉が鳴る小さな音が、やけに鮮明に耳に残った。
白く柔らかそうな喉に釘付けになった。
そして再び本へと目を落とす。俺は落ちついたフリをしながらも、無い心臓が鼓動を打つような感覚に襲われていた。
「……ふっ、ぅ…」
呻き声のようなものが聞こえて、思わず横に目をやる。すると、ザナックが眉間に皺を寄せ、口をきゅっと引き結んでいる。肩が微かに震えていた。
──苦味が駄目なのか。……子供っぽいところもあるんだな。
そんな他愛もない発見に、ほんの少し心が和らいだ。知らなかった一面をひとつ知れた気がして、妙に嬉しかったのだ。すると突然、彼と目が合った。
エメラルドグリーンの瞳。その深い輝きに見つめられると心の奥に積もった澱が浄化されるような錯覚すら覚える。ぐ、と喉が詰まる。喉、無いけど。
そんなことを思っていた矢先、彼が口を開いた。
「……アインズ様。一つ、お聞きしても?」
「な、なんだ……?」
不覚にも声が裏返りそうになったが、どうにか抑え込んだ。慌ててローブの裾を引きずり、彼に向き直った。
「……なぜ、私を蘇生されたのです?」
その言葉を聞いた瞬間、無い心臓が跳ねたかのように感じた。いずれ聞かれるだろうと思っていたが、それでも動揺は避けられなかった。自分自身ですら彼を蘇生した理由がはっきりと分からない。
俺は必死に言い訳を考える。
顎に手を当て、言葉を探す。咄嗟に出る答えが見つからず、無言のまま唸る時間がやけに長く感じられた。
「……必要だったからだ」
それは嘘では無い。だがそれだけではない。ザナック。君と友人になりたくて、もう一度、俺のそばで笑って欲しくて。そんな理由も確かにあった。君に言えるはずもない。笑われるだろうか、いや、軽蔑されるかもしれない。
「ほう…」
「その……魔導国の未来に、お前がいたほうがいい、と思ったんだ。決して個人的な感情とかではなく、あくまで戦略的な理由だ。」
……最後に無意識に付け加えてしまった。「…多分」と。自分で言っておいて、あまりにも未熟な弁明に、頭が痛くなるような気がした。
「なるほど」
ザナックは微笑んだ。穏やかに、そして全てを見透かしたような眼差しで。
「では、その期待に応えられるよう、私も動かねばなりませんね」
まるで俺の嘘を肯定して、さらにそれを背負おうとしてくれているかのようなその言葉に、胸の奥がひどく締め付けられた。彼はまた、真っ直ぐな視線を俺に向けた。その瞳には、彼の意志が宿っている。
「あ、あぁ。無理はするなよ?」
「ええ、まずはリハビリからですね」
彼は慎重に足を床へ下ろした。俺はその様子を静かに見守る。
「…焦るなよ」
ベッドのふちに手をつき、立ち上がろうとしたその肩に、俺は思わず手を添えた。すると、ザナックがビクッと小さく震え、驚いたように俺を見上げる。
──しまった……怯えさせたかもしれない。
そう思った瞬間、彼はソワソワした様子で目を伏せ、微笑んだ。戸惑いと嬉しさが混じったような、どこかくすぐったい表情だった。ああ、やめてくれ。絆されてしまう。
「あ、ありがとうございます……」
「これを使って歩けるか?」
俺は内心、彼が嫌そうな態度をとらないことにほっとしながら、アイテムボックスからザナックの体型に合わせた杖を取り出した。
そして、取り出した杖をそっと彼の右手に握らせる。
「はい…」
触れ合った瞬間、ザナックの温かくて小さな手が震えた。そのぬくもりをもっと感じていたくて、彼にバレないよう、自然に見えるようにその手を握り直してしまった。
「急がなくていい。」
名残惜しく思いながらもすぐにその手を離して、彼の背に手を添える。触れ過ぎないように気を配りながら、扉の前まで彼を導いた。
彼の背中を支えながら、片手で扉を開く。
(もう少し触れたい。ああでも、気味悪がられたりされたら……)
(触れては、いけない)
廊下に出ると、隣を歩くザナックの横顔が目に入った。
「不思議な感覚だ……」
真顔でそうつぶやいた彼の身体が、ふらりとわずかに傾いた。思わず腰を支えるように手を伸ばし、背中に添えていた掌にしっかりと力を込めた。
や、やわ、───やわらかい。
そして、とても小さい。
そんな失礼な感想が脳裏をよぎったが、彼は気付いた様子もなく。
「……無理もない。蘇生直後で体力が戻っていないのだろう。それに二週間程寝ていたからな。」
「そんなに……」
ザナックは小さく呟き、俯いた。
その瞬間から、彼の歩みが急に鈍くなる。
黙りこくって、足元に視線を落としたまま、杖をつく動作さえ遅くなる。
「……おい、?」
声をかけるも、返事はなかった。
「…大丈夫か?」
彼は答えない。
「無理をし過ぎたな……少し、休憩をしようか。」
やがて彼は完全に足を止め、呼吸が不規則に乱れていくのが聞こえた。
まずい。直感でそう思った瞬間───
「俺は……生きていて、いいのか」
その言葉はただの疑問のように吐き出された。自分でも理由が分からないまま、口にしたような、そんな声音だった。けれど俺の中で、何かが鋭く弾けた。絶対に、彼をここから手放すわけにはいかない。駄目だ。二度と失ってたまるか。
「ザナック。」
彼の名を呼ぶ声に、思わず力がこもった。
背中に添えていた手を離し、彼の身体を横向きに抱き上げる。膝裏と背中を、両手でしっかりと支えた。所謂、お姫様抱っこと呼ばれる体勢だ。
抱えて初めて本当に実感する。彼の小ささと、軽さ。そして……柔らかさ。
───やわらか、……って、またかおい。俺は何を考えている。これは支配者としてあるまじき──いや、個人的な感情としてもまずい。だが全く意図していないのに、薄い布越しに太ももと横腹の感触が手にはっきり伝わってくる。
(なんでこんな薄着にさせたんだ、俺の馬鹿野郎……!!)
落ちてしまわないように胸元に引き寄せると、ザナックは驚いてきゅっと目を瞑った。
「無理をするな、リハビリなのだから。」
目を開いた彼の瞳が、不安げに揺れる。
「え、えっ……どう…して……」
「ナザリックの庭園を見せてやろう。この時期の花は、見ごろだ。」
彼は一瞬、言葉を飲み込み、口を半開きにしたまま首を傾げて困惑の色を浮かべている。
やがて、いたたまれない様子で彼は目を伏せると、少し諦めを含んだ声色で言った。
「アインズ様、……私は重いですよ」
確かにザナックは全体的に柔らかいけれど、少し大きなぬいぐるみくらいの重さにしか感じない。俺とザナックは、結構な身長差体格差がある。だからというのもあるだろう。
「私の方が体重はあるだろ。……お前、素の一人称は俺なんだろう? そっちの方が気楽でいいぞ」
ぽかんとした顔でこちらを見た彼は、言われた通りに「俺」と言い直したが、必死に否定の言葉を紡ごうとした。
「いや、俺は……余計な脂肪が、ふぐっ」
言いかけた彼の口元を、そっと胸元に押し付けた。
「そんなに緊張しなくていい。肩の力を抜け。」
「は………ハイッ」
彼は完全に諦めて、素直に返事をした。
────庭園へ続く両開きの扉の前。
俺はザナックを抱えたまま片手で扉を押し開いた。
重厚な扉の向こうに現れたのは、ナザリックの誇る庭園。咲き乱れる花々、整えられた草木、人工のはずなのにどこか天然を感じさせる──そんな場所だ。
「素晴らしい……」
彼はすぐに色とりどりの花に目を奪われ、感嘆の声を漏らした。
「フフ、そうだろう」
「ええ、美しいですね……」
金色の髪が風に揺れて、細めた瞳の奥に花の色を映している。───俺は、そのあまりに率直な彼の美しさに、一瞬、目を離せなくなった。こんな顔……彼を蘇生してから初めて見る。少し、いやかなり嬉しかった。
「……気に入ったのなら、これからはいつでも見に来ていい」
そう伝えると、ザナックはふにゃりと笑って俺に向かって微笑んだ。
「本当ですか? ありがとうございます……!」
その笑顔に、俺はどうしようもなく安心する。
そして、堰を切ったように彼は視線をあちこちに彷徨わせて、庭園を見渡していた。柔らかくなった表情が、眩しい。
「顔が緩んでいるな」
「へっ……? そうですか!?」
焦ったように赤くなった頬を、手でぐいぐいと揉む姿が、あまりに可笑しくて。つい、手を伸ばしてその手首を掴み、止めてしまった。そのままでいい。今だけは、俺の前だけ我慢しないで欲しい。俺の前で、そうやって無防備な姿を見せてくれることが嬉しい。
「本当に、良かった……ザナック……」
思わず額を近づけた。ほんの少しのつもりだったのに、勢いがついてしまい、ごつんと軽くぶつかる音がした。
「あ、すまない……」
ぶつかってしまってから、ザナックが息を飲み、体を小刻みに震わせていたことに気付く。
(…………怪我はさせてないみたいだ…が、次からは気を付けよう……)
「大丈夫……です……」
彼は俺の胸にそっと顔を埋めてきた。
金色の髪が陽の光を浴びて、透けるように輝いている。その隙間から、ほんのり赤く染まった耳が見えた。
「…お前を蘇生するのにどれだけ時間と労力を使ったか分かるか。アイツらを説得するの、大変だったんだぞ」
本当は優しく伝えたかった。けれど、気持ちが上手く言葉に乗らず、拗ねた子供のように吐き出してしまった。彼にはきっと、伝わらないだろうと分かっていても。
「……俺には到底理解出来ない程でしょう」
「そうだ。理解出来ない、理解してくれないだろうな……。」
答えながら、胸の奥がちくりと痛んだ気がした。
こんなことが言いたいわけじゃない。
「すみません……」
謝る必要なんてない。なのにまた、そうやって自分を責めるんだな。腕の中の彼は悪くない。自分に対して苛立ちと、切なさが込み上げる。その頬に、そっと指を伸ばして軽くつまんでやると──案の定、情けない声が上がった。
「な、なんれふか? いふぁいれふ……」
「間違っても……死ぬなんて言うなよ」
支配者の仮面が、もう上手くかぶれなくなっている。素の自分の声がそのまま漏れてしまう。
「ふっ…………ええ、せっかく蘇生していただいたので、リハビリを経て早く歩けるようになってお役に立ちたい所存です! 魔導国の為、アインズ様の為に尽力する覚悟です。」
彼は小さな両手をぎゅっと握って、真剣な瞳でこちらを見上げてくる。……彼のような優秀な人材が協力してくれるのは、王として心強い……だがそうじゃない。俺は、君をこき使いたくて蘇生した訳じゃないんだ。
「はぁ……」
知らず漏れたため息は、自分でも制御しきれない感情のにじみなのかもしれない。嬉しいはずなのに、胸の奥がきゅっと締め付けられるように切なかった。この不可解な気持ちが、彼によって引き起こされたものだと思うと、とても愛おしく思えてしまう。