アインズ視点。
朝日はのぼりきり、決して清々しいとは言えないが、俺は得も言えぬ感情が心の奥底から湧き上がってきていた。
カーテンは閉められ、薄暗い部屋の中、ザナックが俺のベッドに寝転がっている。行為の後、彼はソファで寝てしまって、風呂に入れてみても起きず、俺も仕事をしつつ一緒に寝たかったので部屋に連れて来た。
無垢な寝顔がかわいい。
これが幸せなんだな。と、彼と居ると何度も思わされる。
「んー…………っ」
小さなうめき声が聞こえて、ザナックが寝返りをうっていた。金糸のような髪がはらりと枕に広がる。
「よっこいしょ……はぁ」
俺はおっさんくさい掛け声を出しながらベッドに腰を下ろした。彼の寝顔を見てると、父性みたいな感情が刺激されてる気がする。いや、人様の息子さんなんだけど。それに、恋人としてちゃんと意識もしているし。
「ふぁ…………うう……」
ザナックが眉根を寄せ、身震いした。片手をシーツの上で滑らせて毛布を探している。
「フフッ……」
ベッドに乗り、寒そうに横たわるザナックを抱き締める。毛布をバサリと広げて自分とザナックの身体を包み込んだ。骨の身体では冷たいと思い、身体周辺を温める魔法を発動して彼を再び抱き締めた。腕の中で、ザナックがもぞもぞと動いて、ぎゅうっとくっついて来る。小さくて、すごく柔らかい。お腹の感触が特に……至高だ。
「……あ、たかい………」
ザナックの寝言混じりの小さな呟き。
そりゃまぁ、魔法で温めてるしなぁ。
「君は……ぬくい」
そっと額を寄せると、彼の長いまつ毛が揺れた。
「ん……」
でも直ぐに、くかーっと寝息を立てて眠り始める。彼の後頭部を撫でて、シーツに押し付けられた頬に、起こしてしまわないようこっそり口付けをした。
「いい夢を」
その後、彼はいつものように六時に起床した。ザナックは、朝食を作ります、と意気込んで例のエプロンを着け、髪をひとつにまとめて台所に立っている。楽しそうに鼻歌を歌いながら火加減を見て、腰で結んだリボンと裾のフリルが揺られていた。うん、やっぱり買って正解だったな。
「少々お待ちください、先にお掛けになっててくださいね」
「あぁ」
(ザナックって……フリルも似合うんだよなぁ…………スカートもきっと似合う。もっと買って着せたいな)
磨かれた木製の椅子に腰掛け、左手の薬指にはめた、彼から貰った特別な指輪を見詰める。エメラルドグリーンの宝石。ずっと眺めていたって飽きない輝き。むしろ、永遠に身に付けて居たい代物だ。それに触れると、彼の気持ちが身体にあたたかく流れて来るような気がした。ザナックは、俺が"人間"だった事について、隠してた事も嫌悪したりしてないようだった。むしろ、号泣して……、別荘に戻ってからも思い出し泣きで大変だった。
鈴木悟の姿を見てみたいと言われ、俺は悩んでいた。彼も約束を覚えていると思うが、言い出しにくい。出来れば、無かったことになれば心が軽くなる。なんて考えてしまっている自分がいる。彼には全てを知って欲しいと、教えても大丈夫だと思えたのに。こんなんじゃ、駄目だ。
「……アインズ様! 朝食が出来ました、コーヒーも淹れましたよ。ブラックで」
ニコリと笑ったザナックが、パンとコーヒーを乗っけたトレーを持っていた。
「ああ、ありがとう。」
「ふふ、アインズ様も、寂しいですか? もう、ここから離れるなんて、いい思い出が沢山ありますからね。……あ、俺も少ないですが一応荷物をまとめておきました。」
「あぁ、うん…………」
俺はぎこちなく返事をして俯いた。
「いただきます。」
ザナックは少しづつパンを齧る。
ぽとぽと……っ。三つ。角砂糖が彼のカップに落ちた。とくとくとく……と、ミルクを注ぎ始めたあたりで、俺は決心をつけた。
「ザナック…………!」
「あ、ひゃ、はい! な、んでしょうか?」
肩を揺らした彼の手がぶれて、ミルクがぴちゃんと跳ねた。
「す、すまん……大きな声を出して。ただ、俺の人間だった頃の姿についてなんだが…………」
言いかけると、ザナックの目がキラキラと期待に輝いたように見えた。
「うっ、ただのおっさんの顔なんだが…………」
「いいえ! 俺の愛する人、アインズ様のお顔です!」
俺はその言葉に、骨が軋みそうな恥ずかしさと幸福感を覚えた。
「うぐっ…………君はいちいち破壊力がある事を言い過ぎだ……」
「え? ……あ、ですが、貴方が嫌なら俺は無理にとは言いません」
彼はキリッ、といつものように眉を上げて微笑した。ああ、その顔。俺の弱い顔。
「嫌、ではない…………ただ、少し、恥ずかしくて…………だけど、君にはもっと話したい事もるし、ちゃんと、俺を……見て欲しい」
「………………」
(…………"ちゃんと俺を見て欲しい"って、何言ってんだ、おっさんが!!)
「ええ、ちゃんと見せてください。確りと目に焼き付けますから。」
翠玉の瞳がきゅうっと細まり、彼の短い指が骨の指に絡められた。
そして、歯を吸われた。甘いキス。
文字通り、甘い。
「……パンの匂い」
「あ、ふふ、すみません……」
「いや…………いい、」
「そ、そうですか……」
金髪から覗く耳を真っ赤に染め、ザナックは両手で大事にカップを持ってコーヒーを啜った。彼も同じなんだ。羞恥を押し込めて、俺と真剣に接してくれている。
(なら、俺も応えたい)
朝食後、俺の部屋のベッドに二人で座り、向かい合った。もう随分と昔の、鈴木悟を思い浮かべながら催眠魔法を発動し、ザナックに声をかける。覚悟は決めたはずなのに、震えてしまった。
「…………ザナック、目を、開けていいぞ」
「……はい」
薄く目を開けた瞬間、ザナックがぱちぱちと瞬きをする。
「……あ、アインズ様……これが、貴方の……………」
(期待外れだよな……)
一気に羞恥心が押し寄せてきた。
目を逸らすと、彼から声がかかる。
「触れて、……いいですか?」
「あ、ああ…………触れた感覚も再現してある」
指先が肌を掠める。ぴと、ぺたぺた……。温かい。彼の手が頬を包む。
「アインズ様…………失礼ですが、可愛らしいお顔をしていらっしゃったんですね……」
「か、可愛らしい……?」
息を呑んだ。特に手入れもされてない地味な黒髪に、目の下にはクマ、30後半たらしめるシワ。こんな疲れきったおっさんが? という疑問が飛び出す。
「お、俺は三十路だぞ……君からすればおじさんだぞ……? どこが可愛らしいんだ…………まったく」
「上手く説明出来ません……とにかく、可愛らしくて、愛おしいんです…………きっと、貴方だからです。アインズ様……キス、していいですか?」
「……別に、いいぞ?」
彼は身を乗り出して顔を寄せて来る。
ふに、と薄桃色の唇。
「ン、ふ…………やわらかいです、それに……温かい」
きっと今は顔が真っ赤になってしまってる。見られたくない。情けない。
「顔、赤いですね……アインズ様、もしかしていつも…………」
「…………ッッ!」
何かに気付いたザナックの様子に、咄嗟に肩を掴んで離れ、催眠魔法を解いた。
「っ……はぁ、はぁ」
「………………無駄ですよ、俺はアインズ様の表情、読めるんですから」
上目遣いで見詰められ、頬をほころばせたザナックが胸にぽすんッと飛び込んでくる。
「…………君には、敵わないな」
「ふふふ、俺としては再確認出来て嬉しかったです」
髪を指ですりすりと弄ると、ザナックはくすりと笑った。
「俺…………臆病者なんだ。君は、もう分かってたと思う……。君に隠し事はしたくない…………いや、そんな誠実な理由じゃない。俺が……聞いて欲しいんだ。だけど、怖い。……矛盾してるよな」
「……そうですね、でも、俺は……良いと思います。すごく人間らしくて。」
そう言われて、息が詰まった。
「…………君と居てよかった、一緒になれて、よかったよ。今、一番強くそう思っている。」
「な、なんだか照れますね。ですが……光栄です」
ふふん、と鼻を鳴らして、ザナックは胸に手を当てた。
「きっと…………聞いたら、後悔するかもしれない……君をまた、泣かせてしまうかもしれない」
俺が俯くと、ザナックは直ぐさま手をとって、頬にくっ付けた。
「泣かないのは……保証出来ません、
けど…………後悔も絶対にしません。誓えるものはないけど、この命に……」
「ば、ばか、命は大事にしなさい……」
「あはは、そうです、馬鹿ですよ。信じてくださいますか、バカな俺を」
彼は本当に命を懸けそうな面差しでぐしゃりとシャツの胸元を掴んだ。
「…………君は、本当にもう」
「すみません……呆れました?」
「……もういい。俺は、君がどんなに嫌がろうと、手放してやらないからな。」
「ふふふふふ…………すごく唆る告白ですね」
──彼には全てを話した。
元々居た世界のある程度のこと、ユグドラシルのこと、大切な友人達との思い出。母子家庭のことから、会社仕事のこと、この世界へ来てからのこと……それと、俺の本名も。
アンデッドになってから、過去の記憶も遠い遠い昔のことのようにしか感じられなかった、はずだ。
だが、やっぱり……相手が受け止めてくれると分かっているからか、堰を切ったように溢れてくる。関係ないことまで喋り過ぎてしまったかもしれない。
「────とまあ、このくらいだな。……もし、君が気になることがあれば質問を……」
ザナックの顔をふと見ると、例えるならぐじゅぐじゅといった感じに鼻水を啜りながらう、うう……と嗚咽し泣きじゃくっていた。
「…………それどころじゃないようだな?」
彼は感受性豊かなんだな。
「う゛っ、……す、すみませ、ちゃんと……ひぐっ、聞いてます、おれ……っ」
「ああ、うん……分かってる。分かってるよザナック。君がちゃんと聞いてくれたのはよく分かってる。じゃないとこんなに泣かないもんな」
何度指で拭っても、彼のエメラルドグリーンの瞳から、涙がこぼれ落ち、止まらない。
「……すみません、すみませんッ…………おれが、泣いてしまってえ……ッ」
「あー、ほら、鼻水…………」
ハンカチでぐいぐいと拭きながら、少しでも落ち着けばいいなと背を撫でた。
「……水、飲めるか」
アイテムボックスから水差しとコップを持ち出し、少量コップに注ぎ、彼の手を支えながら手渡す。
「あ、うぐっ……あ、りが……とう、ござい……ます……っ」
ぶるぶると震えた手で受け取ろうとするので俺はコップを引いた。
「む…………やはり危ないから飲ませよう」
「はい…………」
しおらしく答えて、彼は小さな口を開けた。コップの縁を彼の唇につけて、ゆっくりと傾ける。こくこく、と喉が鳴ったのを聞いて、コップをベッドサイドに置いた。すぅ……はぁ……と微かな深呼吸。
「どうかな」
ふにり、と頬を親指で押してやると、ザナックは目を潤ませた。
「落ち着きました………」
「そうか、良かった」
「……あの、お名前の事なんですが…………これからはなんとお呼びすれば?」
「……今まで通り"アインズ"でいいな」
そう言い放つと、ザナックの表情に陰が落ちた。
「俺としては、こっちで慣れてるのもあるし、ややこしいと思ってな……」
「あの、少しだけなら……呼んでみても……よろしいでしょうか」
「あ、うん……いいぞ」
ザナックはかあぁっと顔を赤くして、俺のローブを握りながらぎゅうっと目を瞑る。
「も、モモンガ……様……!」
(あぁ……かわいい……………モモンガ呼びされるとNPC達のことを思い出すな。それと……昔の友人達の事も)
乙女のように顔を手で覆うザナックに、俺は苦笑した。
「そんなに照れることか? たかがニックネームだぞ」
「いえ、その…………なんだか、特別な愛称みたいで…………照れるというか」
あー、カップル同士のあだ名みたいな。なんだか……幸せそうなカップルを爆破したがってた時期が懐かしい。今は俺がその、リアルが充実した者のひとりなんだが。少し複雑な気持ち。
それはそうと、照れるザナックを眺めるのは楽しい。
「あ、あの……次は…………本名の方を…お呼びしても?」
いちいち首を傾げて訊いてくるの何なんだ。可愛すぎるだろこの子。
「うん…………それは、俺も照れるな」
「ああっ、そんなこと言われると俺ももっと照れます…………」
縮こまって、小動物のように震え上がったふくよかな背をふわりと撫でる。
「さ────……さ、"悟様"…………」
不思議な響きがする。俺の名前なのに……。だがやっぱり、好きな人に名前を呼んでもらうのは嬉しい。胸が締め付けられるような感覚で頭がいっぱいになる。
「満足しました……! ああ、なんだか……変な感じがします、胸の中がふわふわする……」
パタパタと顔を仰いだ彼は困ったように眉をひそめ、頬に手を当てていた。
「それは、ドキドキ…………してるのか」
「っ…………そ、そうだと思います……たぶん」
今にも逃げ出してしまいそうにザナックは目を逸らした。
「ザナック、こっち向いて」
「はい…………」
彼の瞳が蕩ける。俺はその頬に親指を当て、人差し指で顎を上向かせる。距離を詰めると、彼は自然と目を瞑った。