アインズ視点から。
魔導国全土は晴天、ゆったりと雲が流れる昼前、私室にノック音が聞こえる。気配で分かる。彼だ。
「入ってくれ」
「アインズ様、ただいま帰りました。」
へにゃりと嬉しそうに顔をゆがめた彼の頬には、擦ったような傷があった。
「特に買い物はしていないんですが、今日は……」
言いかけたザナックを手で制す。
「怪我をしてるじゃないか」
ハッ、とした顔で彼は頬を押さえた。
「あ……これは、転んで……」
恥ずかしそうに言い出すので、"転んだ"のは事実だろう。
「とりあえず、おいで」
たたっ。とヒールを鳴らし、彼が近寄って来る時に太ももにも傷が出来ているのが見えた。
「脚も怪我してるようだが……ちゃんと言いなさい」
「すみません…………」
「全く……仕事の報告は正確なのに、自分のこととなると……君は」
「……面目ないです」
くどくどと説教しても仕方ない。
目を伏せて落ち込むザナックも可哀想だ。
「まずは顔を、見せて」
「はい……」
ふんわりした滑らかな頬に一筋の赤い痕。
「
綺麗に消え去ったのを見て、安堵でため息が出た。
「…………次は、脚だ。傷が後ろにあるから背を向けて」
「う、はい……っ……すみません」
「もう謝らないでいい」
少し体を伏せて、ジッと太ももを見詰める。
「あの……そんなに見ないでください…………」
「見ないと治癒出来ない。俺としても確認したい。……これは少し深めだな。治癒しないと痕が残るぞ。綺麗な太ももに」
傷のすぐそばをなぞると、ぴくんっと彼の身体が揺れて、もじもじと脚を動かすので腰を引っ掴んで固定した。
「ん……」
「……。」
ふと、見ないようにしていたおしりが目に入り、俺はぎょっとした。
ズボンに下着のラインがはっきりと出ている。だがそれはありえない。彼はいつもゆったりとしたドロワーズを履いているからだ。
コレは……。
指先でつつくと、「何をしてるんです……?」とザナックから疑問の声が降ってくる。
女性物の下着じゃないか。
「君は……随分と扇情的な下着をつけているんだな」
「は……あ、いやっ……それは、……夜に、アインズ様にお見せしようと…………」
言葉尻を縮めながらザナックが顔を真っ赤にした。
「……お見せして、何をするつもりだったんだ?」
「そんな、俺は……ただ、見ていただくだけのつもりで…………」
「俺は見るだけじゃ止まれないぞ」
「ええッ!?」
「…………まぁいい。それは楽しみにしておくとして……」
むに、とハリのある太ももを掴む。
「ん、ひゃ……あっ」
ザナックからか細い喘ぎ声が上がり、視界の端でおしりが揺れた。
「そんなエロい声を出さないでくれるか。……こっちはさっきから尻を揉みたいのを我慢しているんだ」
「も、揉まないでください…………」
切実そうな声で言われたが、これでも必死に耐えているんだ。そちらに配慮してもらいたい。
「じゃあ静かに。また可愛い声を出せば口を塞ぐからな」
「……あ、はい……」
「カワ……?」と首を傾げるザナックを一瞥して、治癒魔法を詠唱した。
「ありがとうございます……」
「なぁ、ところで……その上着は買った物なのか? 俺が買った物でもないし……」
ザナックの体型に合わない白銀色の上着。説明が出来ないが、俺は何か嫌な感じがした。
「ん……? あ、こ、これはッ…………クライムのを着たままでした……上着を借りて…………。返さないとですね……」
彼から告げられた信じ難い事実。
(クライムの上着をザナックが羽織っていた?)
彼の目が伏せられ、申し訳なさそうに頬をかく。
どうにか気持ちを押し込めた。ただ、物を借りただけだ。それがなんだと言うのだ。
「…………そうだな。早く返してやれ」
俺は意識がどっかにいったまま返事をした。
─────
秘蔵の本を抱えて廊下を歩いていると、角の先から妙にテンションが高いザナックの声が聞こえて来る。
気のせいかとも思ったが歩みを進めるごとにその声ははっきりしていく。
角の壁に張り付き、聞き耳を立てる。
「おう、クライム。お前早起きだな、偉いぞ」
「おはようございますザナック様、あ、ちょっ……頭を撫でるのは…………」
「ふふふ、いいだろ、もう俺は兄みたいな存在なんだから」
「き、気が早いですッッ」
ザナックってあんなにテンション高かったか? 俺の前だと慎ましいというか、遠慮がちみたいな……。
というか。
だからなんでそんなに。
クライムと仲が良いんだ。
王国に居た頃からの知り合いだからか? その頃から仲が良かったのか?
だから上着なんか貸し借りしてるのか?
「全くお前はラナーの何処を好いているんだ?」
「ラナー様は私にとって希望の光なのです、とても美しくお優しいお心を持っていて……」
「まだ本性に気付いてないのか!」
ケラケラと笑い声。
「くっ、ふふふふふ……これだから忠犬は……。いや、すまん。あまりに可笑しくてな」
クライムと話すザナック、楽しそうだな。もしかして本当はクライムが好きだったけど、仕方なく俺と付き合っていたのか。だから会話がつまらなくてテンションが低いのか?
──気付けば、俺は一歩を踏み出してしまっていた。
困惑した顔のクライム──と、
耳まで赤くなり、さかなみたいに口をぱくぱくさせるザナック。
そして、逃げた。ヒールを鳴らしながらとてとて一生懸命走って。
「……下がれ」
「はい」
クライムが一礼して去って行った。
(何故逃げられた……? いつもと違う自分を見られたから? ……やましいことがあった?)
私室に戻った俺は、落ち込んだ。
不思議と感情抑制は働かない。何もかもが沈んだような気持ちだ。体が重くて、ベッドから出られない。今朝の事を思い出す。クライムと出かけた後、彼が女性物のパンツをこっそり身に着けていた事が分かった。
…………待てよ
今朝から身に着けて居たなら一緒に出かけていたクライムも"見た"んじゃないか? ズボンに透けたパンツラインを。
俺のお嫁さんのパンツ見やがってアイツ……。しかも俺よりひと足先に。
シンプルに悔しい。俺がついていけたらな。先にパンツが確認出来たのに。
絶望感が憤慨に変化してきた。
(イライラする。)
──俺はすぐに、ザナックを呼び出した。
─────『ザナック視点』
やばいやばいやばい。見られた。
自室に戻り、机に突っ伏す俺は焦っていた。クライムと居た時の口が悪い俺を見る、アインズ様の顔。
完全に驚いていた。いや、骸骨だが。
彼の表情が分かるのだ、俺には。
ドン引きだったかもしれん。
アインズ様の声が聞こえる気がする。
────『君はそんな風な……粗野な話し方をするんだな』
「ご、誤解なんです! アインズ様……! ああ……でもアレも俺で……癖で出てくる悪態で……だけど今は…………!」
見えない空間に必死に語りかける。
悪態癖。
かつては、常に着けていた仮面のようなものであり、今となっては皮肉っぽくて人を妬む、俺の本質を映したような癖になっている。ここへ来て、慣れない言動をした反動なのか、ラナーやクライムにだけ悪態をつく癖が出るようになってしまった。上手く素の自分を見せるタイミングを逃した節もあるし、不遜なやつだと思われてた方がやりやすい気がする。
(だが……よりにもよってアインズ様に見られてしまうなんて……!)
どんな顔をして会えばいいんだ。
口の悪さを指摘されれば、俺は今度こそ精神崩壊しかねない。言い訳のような言葉しか考えつかない。
「あれが俺の素の姿です」と言うしかないのか。
『君は可愛いな』
また、アインズ様の声。
本当の俺は、可愛げなんて微塵も無い。他人を妬むばかりの醜悪な人間だ。特別優れた能力がある訳でもない。とてもじゃないが容姿が良いなんて言えない。
それをアインズ様に気付かれないように、必死に価値を示さないとこの関係は崩れる。隠し通さねばならないんだ、折角手に入れた幸せを守りたい。
あの手が……もう一度俺から離れていくのを想像すると、血が引いて頭の奥が冷えていく感覚がした。指が震える。
あの暖かい声を、手を知ってしまったから、失う事の恐怖に支配されてしまう。鏡に映る怯えきった俺は、とても痛々しく酷い顔をしていた。
「こんな顔見せられないな」