約5割はAIによるアイマスクなヒロピンを 作:総武文芸部
次の日の大学は、何事もなかったかのように平穏だった。
昼休みのキャンパスには学生の声が溢れ、ベンチや中庭から、購買前の列まで、いつも通りの光景が広がっている。昨日はこの大学付近で魔族が暴れ、魔法戦士が戦っていたなどとは、信じられないほどだ。
そして、春野愛梨は講義終了後に教室から出ようとして、呼び止められるように声をかけられた。
「昨日、大丈夫だったんだ」
「愛梨ちゃん、心配してたよ」
振り返ると、同じ学部の女子学生が3人、揃ってこちらを見ている。講義で顔を合わせる程度の友人たちであり、この学部は女子が少ないから自然とグループは形成されるものだ。
愛梨は一瞬だけ、胸の奥で小さく息を詰める。
(……この人たちのせいで、戦いに巻き込まれたんだよね)
もちろん、そんな心の呟きを表情にすら出さない。
愛梨はいつもと変わらない笑顔を作り、ちょっと大げさに頷くように答えた。
「ん、アクエリアが助けてくれたの」
それも事実である。もしアクエリアが早くに諦めていたならば、きっと愛梨自身も諦めてしまっていただろう。優奈が諦めなかったからこそ、愛梨は勇気を出して、彼女を救いたいと願った。
「やっぱり来てくれたんだ!」
「さすがアクエリア! あのあと勝ったんだね?」
「実物どうだった? カッコよかった?」
矢継ぎ早に飛んでくる言葉に、愛梨は素直に頷いた。
「そうだね。すごくカッコよかったよ」
それは取り繕いでも、話を合わせただけでもない。
アクエリアはどれだけ痛めつけられても、諦めず、愛梨を守ろうとし続けた。あの姿は、間違いなく本物の正義の味方だろう。決して偽善者などではない。
それから談笑は続くが、もちろん愛梨自身が魔法戦士ルミナとして変身し、戦ったことには一切触れない。あくまで自分は守られた側の一般人であり、そんな第三者として語る。
友人たちも、その言葉を疑う様子はなかった。
会話の合間、愛梨はそっとズボンのポケットに指を入れる。
指先に触れたのは、まるで樹脂でできたように硬く、確かな感触だ。
アクエリアと全く同じ形状で、愛梨にピッタリのサイズのピンク色のアイマスクであり、戦うための変身アイテムだ。
愛梨は、優奈先輩を助けたいと思って、これを身につけた瞬間のことが、鮮明によみがえる。
胸の奥が、きゅっと熱を帯びた。
(……あれは夢じゃなかった)
確かに本当の出来事だった。
自分も変身し、アクエリアに頼まれ、戦い、そして勝って、ここに立っている。
友人たちは、まだ興奮気味にアクエリアの話を続けている。
だが愛梨は、少しだけ視線を逸らし、言い出しづらそうに口を開いた。
「ごめん。今日はお昼、ちょっと用事あって」
「え、そうなの?」
「珍しいね」
「じゃあ午後の授業で」
なんとか話は切り上げられたようで、軽く手を振りながら愛梨はその場を離れた。
向かう先は、大学内にある飲食店だ。
学生で賑わうカフェテリアとは違い、そこは喫茶店に近い落ち着いた空間である。木目調のテーブルと控えめな照明だ。学生たちの話し声も自然と小さくなる。
しかし値段はやや高めで、愛梨自身も普段はほとんど利用しない場所でもある。
その入り口付近で、清水優奈は待っていた。
白いブラウスに、ベージュのロングスカートがとても似合っている。派手さはないが、生地の質や仕立ての良さが一目でわかる装いだった。
美しく長い紺色の髪は、整えられ伸ばされている。そんな立ち姿は、大学内にありながら、どこか別世界のお嬢様のようでもある。通りがかっている学生たちは自然と背筋が伸びていて、そんな周囲の視線を集めてしまうのも無理はなかった。
しかも愛梨よりも一回り以上、高い身長でもある。
そんな高嶺の花と言うべき先輩と、昨日まで全く面識のなかった自分が、こうして待ち合わせをしている。
(先輩だけど…友達とか…一緒に戦う仲間とか…なんだよね)
愛梨がそう思った途端、照れくささが込み上げてくる。
そんな後輩に気づいて優奈は、柔らかく微笑んでくれた。
「ごめん、遅くなった」
「お気になさらず。さあ、参りましょう」
愛梨は癖のように謝るが、優奈は気にした様子もなく、扉を開けて先に通してくれる。
店内に一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
外の喧騒が嘘のように静かだ。
木製のテーブルと落ち着いた色合いの椅子、壁には控えめな絵画が飾られている。コーヒー豆の香りがほのかに漂い、話し声も自然と小さくなる。
講義の合間に駆け込む学生よりも、時間に余裕のある人が選ぶ場所である。まさに穴場だった。
「いい雰囲気だね」
愛梨から思わず漏れた言葉に、優奈は頷く。
「ええ。ここなら落ち着いて、お話ができますから」
カウンターで注文を済ませると、優奈は当然のように会計を引き受けた。
「今日は、わたくしが奢りますわ。ベーグルと、コーヒーでよろしいですか?」
「え、でも……」
愛梨は遠慮がちに迷う。
「わたくしは先輩ですし、昨日のお礼ですもの」
「ありがとう…ございます」
優奈にそう言われてしまうと、愛梨は断れず、ぺこりと頭を下げた。
そして2人は店の奥、外から見えにくい席に腰を下ろした。
周囲に他の客はいるものの、距離があり、声を潜めれば会話の内容までは届かないだろう。
愛梨はコーヒーにミルクをたっぷり注ぎ、色が変わっていくのをぼんやり眺めた。苦いのはまだ苦手だ。
いくらか食べた後、最初に口を開いたのは、優奈だった。
「昨日は、本当にありがとうございます。愛梨さんのおかげで、無事に退治できましたわ」
座ったまま、丁寧に頭を下げられ、愛梨は慌てて首を振る。
「こっちこそだよ。元々、わたしが捕まっちゃったせいだし……」
愛梨はそう言いながら、昨日の恐怖が一瞬だけ胸をよぎる。
土に縛られ、身動きが取れなくなった感覚だ。そしてあの時、優奈先輩がどれほどの拷問と屈辱に耐えていたのか、ただ人質として捕まっていただけの愛梨は想像すらできなかった。
目の前にいる優奈先輩は、もしかするとまだ無理をしているのだろうか。魔法戦士は、そんな地獄の日々を味わってきたのか。
愛梨は少し迷ってから、恐る恐る尋ねた。
「……もう怪我、大丈夫なの?」
何となく察している優奈は、穏やかに微笑んだ。
「ええ。わたくし、水属性の治癒魔法も得意ですから」
その言葉に、愛梨はほっと胸を撫で下ろす。
同時に、ふとした思いつきが口をついて出た。
「じゃあさ。もし、わたしが怪我したら……治してくれる?」
愛梨は冗談めかした口調だったが、内心は真剣だった。これから魔法戦士ルミナとして戦っていく以上、そういった怪我を負う機会はあるだろう。
優奈はすぐに頷いて、しかし一拍置いてから、視線を落とす。
「もちろんですわ。ですが……」
それからカップに手を添えたまま、静かに続けた。
「ひとつ、お聞きしたいことがありますの」
空気が、わずかに引き締まる。
優奈は言葉を選びながら、やんわりと問いかける。
「昨日も言った通り、決して義務などではありません。愛梨さんは……それでも戦うおつもりですか?」
愛梨はすぐには答えなかった。
昨日の光景、恐怖、そして変身した瞬間の高揚感が、頭の中を巡る。
まだ頭の中は整理しきれていないけど。
少しだけ考えてから、はっきりと頷いた。
「……ん、がんばってみる」
そんな答えに、優奈は一瞬だけ、遠いものを見るような表情を浮かべた。
疲れたような、しかし隠すつもりのない顔だった。
「あまり思い出したくないほどの……それこそ女性として……そんな苦しみを、愛梨さんも味わうかもしれませんよ…」
優奈がそんな弱音を吐けるのは、正体を知っている愛梨だけだ。そして、ここで愛梨が戦わないことを選んだとしても、彼女はアクエリアとして戦い続けるだろう。
愛梨は、コーヒーカップを置き、迷いを見せるが。
「……だって優奈先輩を、手伝いたいから」
愛梨からそんな確かな願いに、優奈の表情は和らいだ。
2人は連絡先を交換し、他愛のない話をしながら、ゆっくりと食事を終えた。
昼休みのわずかな時間だったが、確かに心が休まるひとときだった。
「愛梨さん、もし何かあれば、すぐにお呼びください」
「ん、優奈先輩こそ、1人で張り切らないでよね」
やがて、それぞれ元の生活へ戻っていった。
大学での1日が終わり、愛梨は一人、夕暮れの帰り道を歩いていた。
基本的に、彼女の帰宅は一人だ。
友人とは仲が良いが、こうして過ごす時間が好みである。
とはいえ優奈と話せていた時は、心が落ち着いたのを実感する。
綺麗で、お嬢様みたいで、それでいて優しかった。そんな先輩の姿が、何度も脳裏に浮かぶ。愛梨の頬が緩む。
その時だった。
空気の流れが、微かに歪む。
胸の奥が、そんな感覚でざわついた。
(……まさか魔族?)
感じ取ったのは、昨日とは別の魔族の魔力だった。
その方向は、近くにある河川敷だ。
近づいていくほど、人々の悲鳴と、逃げ惑う気配が、届く。
水属性魔法を使っている女魔族がいる。どうやら人々から魔力を奪っているようで、命を奪うことに興味はないのか、あちこちに放り投げている。
昨日のように、このまま愛梨が近づいていけば、必ず標的にされるだろう。そしてそれは優奈もそうだ。
愛梨はスマートフォンを握りしめる。
優奈に連絡するか、一瞬だけ迷った。
何年も1人で戦い続けてきていて、そんな優奈を1日は休ませてあげられるだろうか。
愛梨は小さく息を吸い込み、自分に言い聞かせる。
「……もう、守られるだけじゃない。わたしは戦えるもん」
人目を避けるように、愛梨は河川敷へと続く遊歩道から外れた。
コンクリートの橋脚、その影に身を滑り込ませる。今も遠くでは水音と、人々のざわめきが混ざり合っていた。
ポケットから取り出したのは、ピンク色のアイマスクである。
柔らかい布でできていて、目元を覆う仮面に近い形状だ。それを装着すると、魔力が込み上げてくるようで、勇気が湧いてくる。
「……変身」
そんなありきたりなセリフを小さく呟くと、光と炎のリボンを纏う。
私服は瞬く間に、白とピンク色の変身コスチュームに置き換わった。
肩を大胆に露出したワンピースドレスは、動きやすさと可憐さを両立させたデザインで、胸元には淡い金色のリボンと、ルビーのブローチが据えられている。そして腕には白いグローブ、脚にはロングブーツと、太ももは肌色のタイツで守ってくれる。
真っ白なボレロな上着が羽織られ、セミロングの茶髪は、ピンク色のリボンでポニーテールとなる。
火属性と光属性の魔力が、身体の内側を満たしていく。
「…よしっ、がんばってみよう」
彼女は、魔法戦士ルミナとして、敵の魔族の前まで踏み出した。
その日も、街に魔族が現れていた。
カノジョは水属性の魔法を操り、人々から魔力を奪っている。死なない程度に吸収しきれば、その身体は地面に放り投げられる。川の近くから慌てて離れていく人々を、水の触手が追いかけている。
それを炎属性の魔法が貫いて、全て蒸発させてみせた。
河川敷付近にいた人々は、思わず足を止める。
そして、助けてくれた魔法戦士の姿に注目が集まる。
「アクエリアが来てくれたか!?」
「いや、違う……別の魔法戦士!」
「え、ちっちゃ……まだ子どもじゃないの?」
そんなざわめきが広がる。
ルミナは、その声を聞きながら、内心でむっとした。
(わたし、もう大学生なんだけど)
だが、そんなことを説明している余裕はない。
ルミナは胸を張り、声を張り上げた。
「ほら、さっさと逃げて! ここ危ないから!」
しかし、人々は期待に目を輝かせるばかりで、なかなか離れようとしない。なんならスマートフォンを慌てて構える者までいる。
そんな視線の先、川の中央付近で、水が不自然に盛り上がった。
人の形を取り、ゆっくりと実体化していく。
水属性の女魔族だった。
濡れた髪を気だるそうに垂らし、半眼でこちらを見ている。
「……いい魔力が向こうから来てくれた」
低く、感情の薄い声だ。
「私はリヴィア……そっちも名乗ってあげたらどう?」
リヴィアが目を向ければ、立ち止まっている人々が期待するように見つめている。命知らずな人々に対して、この街で2人目の魔法戦士は、ため息をついた。
「わたしは、魔法戦士で、ルミナだよ」
そう名乗り終えた瞬間、ポーズなんか取らず、真っ先に身体が動く。
拳に炎属性魔法を纏わせながら、地面を蹴た。
「やぁっ!!」
拳が振り抜かれると、火花と熱風が走る。
リヴィアは水の壁が立ち上がらせながら距離を取った。
「逃がさない!」
「強引な戦い方……」
ルミナは、変身して身体能力が格段に上がっていることを感じながら、炎の連撃を繰り出す。
次々と水の壁を焼き切っていき、蒸気が爆ぜた。
じゅ、と空気が鳴る。水が蒸発する余波で、周囲は一気に熱気と白い霧に包まれていく。
「熱っ……!」
「なにこれ……」
人々はようやく異常を察し、距離を取り始める。
だが、まだ完全には離れきらない。
ルミナはそんな人々を気にせず、攻め続けた。
1度は声をかけたんだから、最低限の義理は果たしたと彼女は思っている。
「逃げてと言ってるでしょ! 人質になっても知らないから!」
炎の拳による連続攻撃を続ける。攻め続けることが、人々を守ることになると思っていて、そしてアクエリアが来る前に、目の前の敵を片付けようとしていた。
だが、リヴィアは川の水を自在に操り、形を変えながら受け流す。
「無駄……」
次の瞬間、水の鞭がしなり、ルミナを川がある方向へ弾き飛ばす。
「きゃっ!?」
ルミナは宙を舞い、背中から川底に叩きつけられた。そこに追撃の水の塊を浴びせられる。
「……効き目が薄い」
リヴィアが呟いた。彼女が使う水魔法はそこまで火力が出ないとはいえ、さすがに効いてなさすぎる。
「けほっ、けほっ…うえぇ、びしょびしょじゃん…」
明るい茶髪も、白とピンクのコスチュームも、リボンも、水を被ったことによってびしょ濡れになっていた。
雫が身体全体から、ぽたぽたと落ちながら立ち上がる。
(……よかった、痛くなかった)
大抵の衝撃は、変身コスチュームが自動防御してくれる。それをルミナは実感していた。
戦いの初心者としては、正直ほっとする。
だが同時に、胸元のルビーのブローチがわずかに光を失っている。
自動防御の代償なのか、多少なりとも魔力は消耗したらしい。
それが、はっきりとわかった。
「……ちゃんと、避けないと、か」
今度は回避に意識を集中させた。
水の触手、水弾、水流、それぞれを感覚的にかわしていく。本格的な戦闘は初めてなのに、ルミナは天賦の才を見せていた。
だがいまだ戦いの経験はほぼゼロであり、避けることに専念しすぎていた。
「……どうやって、近づけば」
攻めに転じるタイミングがつかめない。
攻撃と回避の切り替えで迷いが生じていた。
仕方なく、そのまま回避を続けていると、足元に淡く光る魔法陣が浮かび上がった。
「え……?」
次の瞬間、水が地面から溢れ出してきて、ルミナを包み込んだ。
それは水の牢獄だった。
ルミナは、もがくように、上方向を目指す。
視界が揺れ、水が迫る感覚に呼吸が乱れる。
「ぷはっ、息がっ……!?」
しかし水の牢獄は、彼女を閉じ込めるように、上から重なってくる。
このままでは次第に息が続かなくなり、意識を失ってしまうだろう。
(…こうなったら)
ルミナは全身から放つ感覚で、炎属性の魔力を一気に解放した。
「はぁぁっ!」
内側から炎が爆ぜる。
水が蒸発し、水の牢獄が弾け飛んだ。
リヴィアは慌てて拘束を解除して、距離を取った。
「くっ…なんて火力のごり押し……」
「……げほっ、ごほっ、あぶなかったぁ」
ルミナは脱出はできたが、全身はますますびしょ濡れだった。
立ち上がるが、グローブやロングブーツも水を含みすぎてて動きづらい。
「すげえ……!」
「今の見た?」
「ちっ、あの服、透けないのかよ」
興奮した男子学生たちは、スマートフォンのカメラで撮影しているようだった。
応援の声も混じるが、ルミナの耳には雑音ばかりが聞こえてしまう。
彼女の中で苛立ちが、胸の奥で膨らんでいく。
「まるで、見せものじゃんか」
ルミナが集中を乱される中、ピンチは続く。
魔力はだいぶ使ってしまっていて、濡れたコスチュームは動きを阻害する。
水の魔族のリヴィアは、火属性魔法の直撃を警戒して、防御や牽制ばかり仕掛けてくる。
このままではアクエリアが来る前に片付けられない。
なんとか状況を変えなきゃと、ルミナは歯を食いしばった。