おばあ↑さん↓だとぉ!おねえさんだろォ!! 作:名字からしてそうだろ!!
研究室近くのカフェでは、柔らかなスフレパンケーキが売っている。一見もったりとしたシルエットは重く感じるけれど、実のところ垂らしたメープルシロップが沈み込むほどふわふわと軽く、噛めば解けるように口の中で消える。
けれど、それは食べてみないとわからないことだ。
目の前の夫婦もそれで悩んでいて、仲良さげに相談する男女は微笑ましく、悩みながら揺れる母親の腕には柔らかなブランケットに埋もれるように赤ん坊がいた。
赤子。自分のそれは、電柱よりまろび出てーーー
気づけば、目の前のレジは空で、店員が訝しげにこちらを見ていた。
慌てて、テイクアウトである旨を伝える。
研究室に戻る。時間も遅く、棟の大抵の部屋は電気が落ちている。
以前は自分もそのくくりであったが、最近は寝泊まりすることも多く、ほとんど自宅と化している。ダンボールと寝袋が友達だ。
ドアノブをひねれば、外出のためいったんは消灯した部屋で、ゲーミング7色にひときわ輝く、漏れた光があった。
外からの音を遮断し、内からの音を軽減する。配信者御用達のそれは、ひとえに防音室と呼ばれる。すりガラス越しに、光るモニター。踊る影。
ゆっくりと近づいて、扉に手をかけて、押し開く。
「‥ただいま」
同居人はすぐに気づいたようで、間髪入れずに返事が返ってきた。
「おっ!おっかえり〜!!うわちょっ、それズル、ズルっちだぞー!!」
『嫁の帰宅に気を取られてて草』
『嫁フラ』
『嫁プラ』
『嫁プラってなんだよ』
『隙を見せる方が悪い』
『リサイクル可能』
『"好き"を見せる方、な』
『嫁をプラスチックにするな』
『➕チック細君』
濁流のように流れるチャットログ。大画面に出た格ゲーの画面と、隅の方で表情のコロコロ変わる
その画面の前には、鮮やかな金髪を振り乱しながらゲームに興じる姿があった。
丸い大きな瞳は喜怒哀楽がわかりやすく、何にでも興味を示す。大きく開いた口はともすれば間抜けで、感情だだ漏れ。画面の中のヒットポイントがすり減るたびに、奇妙な声を垂れ流している。余人には、愛嬌のある変人にしか見えないだろう。
名をかぐやといい、いわゆる配信者を生業としている。現在は、この研究室の元気なモルモットでもあり。
その正体は宇宙人である。
「パンケーキ買ってきたから。後ろのほう置いとく。あとで感想ね」
「かしこまりっ!あっ、へっへ〜。今いろはの声に合わせて飛んだでしょ。やると思った〜!」
『好きを見せたな』
『いつでも好き定期』
『大胆な告白は』
ついつい流れる文字列から目を離す。最初は抵抗があった配信へのフライングも、最近は気にならなくなってきた。それもひとえにかぐやが悪い。研究室に設置した防音室の中を見渡す。デスク周りは論外の汚さ。端に寄せた電子ピアノと簡易イスは、どちらも細々とした物が乗っている。グリーンバックの後ろに用意した2本目の収納ボックスは、その天板にさえ物を乗せられて、溢れかえったおもちゃが、床に転々と伸びている。
置く場所が、無い。どうしろと。
足の置き場がないわけでもないが、機密性が高くならざるを得ない研究室の構成上、元いた家ほど広くはない。しかしかぐやの好奇心は止まることを知らず、気づけば荷物がここそこに。
そのせいで無くしたものや、つまづいた配線に困って泣きついてくるのが常だった。
たすけて。たすけていろは。
しかし、そう言われるとどうしようもない。一度業を煮やして無視してみれば、うっすらと涙の膜を晴らせて震えだし、慌てて宥めたのを覚えている。
それを配信内外問わずやるのだから、視聴者もすっかり慣れきっている。嫁フラと言われるわけだ。
はぁ、とひとつため息をついて物をどかす。ガチャポンの空きボール。どことも知れない説明書。ほこりの薄く積もったナニカのネジ。クリップ。ぬいぐるみ。桐箱。‥‥桐箱?
表面には『偕老洞穴』の文字。清潔な綿に包まれた中身は、骨?
首を傾げて、とりあえず持っていくことにした。なかなか大きいので場所が空くし、こんな得体の知れない物、いくらかかったのか問い詰める必要がある。人気があって収入があっても、金銭の多寡によって放蕩を尽くしていいわけではない。いつまで共に入れるのかはわからないのだから。
「二度ないことは三度ない!私の目の黒いうちは、この対空は通らないよ!」
K.O。派手な決着音を背に、防音室を後にした。
『やっちー。質問してもいい?』
『どうぞどうぞ〜。ヤチヨはいつでもなんでも答えちゃうよん。どんなことでも、お気軽にどうぞ!』
YACHIYOGPTは、いろはにとって、慣れ親しんだサービスだった。
研究室の電気を一部つけて、卓上のパソコンで自身のアカウントにアクセス。慣れ親しんだチャット欄には、デフォルメされたヤチヨがへばりついて、こちらに笑顔を向けていた。
対話型の大規模言語モデルは数あれど、ずば抜けた倫理観を持つとされているのがYGPTである。活動初期は安っぽく、オタク向けのなりきりアカと同じような扱いだったそれは、他のシステムが倫理的な飛躍を遂げる場面を見せても、地に足をつけ続けた。もちろんブラックボックスな部分も多く、幾多の専門家が過信しないように警鐘を鳴らすが、肌感として過激なことに言及しないという倫理観を保ち続けるそれに対して信頼を寄せるものも多く、"システムでなく、中の人がいる"とまことしやかに囁かれた。
実際はその両方だったが。
『この、カイロウ?ドウケツってなに?』
『写真』
『見た目はどっちかというと骨、というかガラス質?だいたい幾らぐらいか知りたいんだけど』
写真まで添付して送ったチャット欄に、ぐるぐると回転するマークが現れる。デフォルメヤチヨが、ぴよぴよと汗を飛ばす。
検索中‥検索中‥
なかなか応答が長いので、ためしにいくつかのニュースタブを開いてみる。AIに人権はあるか否か?北海道の一部ドジョウの雌性発生について。第二のシーシェパード……。
全部がクリアに開く。インターネット速度も高速です、と出る。そりゃそうだ。かぐやがいるからって、ここは元居たボロアパートじゃない。マンション共有回線なんて無かった、いいね?
郷愁に浸った頭を振って、思い出を追い出す。
そんな暇はないのだ。
設計画面を立ち上げる。いわゆる『作画の良い』小柄な女性アバター。乃衣さんの肉は明日にでも成形予定。問題は人間が、自分自身の肉体と乖離したアバターをリアルで動かせるかというコト。こればかりはやってみないとわからない。生後7日でHTMLをいじれる宇宙人のほうが異常だし……。
さて、と。もうひとつの画面を立ち上げる。そこに映っているのはかぐやとそっくりな、けれどところどころ違う―――
「へーい!お待たせベイビー!待った?」
「待ってない。どう、スフレパンケーキの味は?」
「おいしかった~。メープルシロップがソーグッド!」
元気よくサムズアップ。元気印の相棒の笑顔が心地よく、つられて笑みが浮かんでしまう。そのまま質問を続ける。
「そりゃよかった。感触は?」
「うーん、やっぱビミョー。ぼやーんとしてて、特に唇の感触がなぁい」
「そっか」
「ねぇねぇ、いろはもお仕事ないなら遊ぼうよぉ、それともごはん?お風呂?やっぱりわたしぃー!?」
くだらないことをほざくかぐやを放っといて、手元のタブレットに記入する。顔をあげれば、ひどく驚いた顔のかぐやがいた。
「い、いろは、それって……」
ぐぎぎぎぎ。そんな音を立てそうな、緩慢な動作でこちらを向くかぐやに、私はとびっきりの笑顔を向けた。
「うん。やちよの体。今度は人工筋肉主体で作ってみようかなって。とりあえずの試作品」
「う、浮気だ―!!!!!!!!」
原告、かぐやいいけり。
「ひ、ひどぉい。あんなに一緒に夜を過ごしたのに、結局昔の女に戻るんだぁ。そもそもファンに手を出すアイドルとか終わってるでしょ。死刑!」
寝取られ、NTRだぁとたぶれたる。
対し、被告、いろはいいける。
「一緒に夜を過ごしたって、赤ちゃんの時はしょうがないし、大きくなってもアンタが入ってきたんでしょーが!卑猥はいっさい無いし、そもそも死刑ってどうすんのよ。自分殺し?」
「寝てるときに同期してるから、連続したヤチヨに含まれてない今の私が、死刑になったらちゃんと死ぬよー」
「え、こわ」
まさかの衝撃の事実が判明し、一瞬フリーズしかける。
「まあまあ。実際8千年分のデータ重いし、わざわざコピペするのもなー、って。必要になったら取り寄せるよ」
「そんな宅配じゃああるまいし」
苦笑いして、ふとかぐやが笑っていないのに気づいた。
「……なんで、かぐやじゃダメなの?」
「……逆に聞くけど、ヤチヨは駄目なの?なんで?」
質問に質問で返す。
「だめじゃない。だめなことなんて、いろはにはない。でも……」
「でも?」
先を促す。
「……ううん、やっぱりかぐやにしよーよぉ!ヤチヨはあれだ、8千歳のおばあちゃんだよ!おっぱいもだるんだるんだよぉ!」
「おっぱいいうな。もう発注しちゃったし変えられませーん。残念でした」
というか肉体年齢は一律だ。老化は劣化と同義で、わざわざヴィンテージにする必要はない。
「ばか。おたんこなす!いいもん、知らないもん」
「一緒に寝る?」
「一緒には寝まぁす!」
どすどす、と足音高く簡易ベッドに横になるかぐやに、いろはは寝袋を横に添えた。潜り込む。
「おやすみ、かぐや」
「…ふん!おやすみっ!」
なんだこれは……